2002年 12月

2002/12/31   感謝、そして合掌    NO 300

 今日は、今年の最後の日。大晦日と呼ばれる夜、全国各地で除夜の鐘の音が響き流れるだろう。

 私は、永年の習慣で、あるお寺様の除夜の鐘のお手伝いをしている。

 「除夜は1年の最後の夜ではなく、新年の始まりであると考えなさい」と、教えてくださったお寺様がおられた。また、老僧のお説教で、「新年を迎える午前0時0分1秒まで起きているのが除夜作法。そうしなければ白髪になるぞ」と拝聴したこともあった。

 ある社会学の専門家の講義を受けた時、面白いことを言われたことが印象に残っている。

 除夜の鐘の数「108」が、仏教に基く説の他にたくさんあるそうで、12ヶ月、24節気、72候を合計してもそうなるとおっしゃられた。

 お寺様に教えていただくと、すべてが108の煩悩となり、人間の抱く36の煩悩が「過去・現在・未来」で3倍になると108になるという教義だった。

 去年の暮れだったと記憶しているが、出前をしてくれた蕎麦屋のおばさんが、「最近は、年越し蕎麦なんて少なくなってね。ラーメン屋さんの方が忙しいのよ」と言われ、社会の中での風物詩にも変化があることを学ぶことになった。

 さて、お寺での除夜の鐘だが、多くの方々がやって来られる。それこそ老若の善男善女で、中には「突いていこうよ」と、偶然に通りすがった人達も多い。

 鐘楼門にぶら下がったロープ、これをタイミングよく引っ張るのは簡単ではない。鐘が割れてしまうような悲鳴を上げる強さで突く人。タイミングがズレ、全く鳴らかった人も少なくないが、「もう1回、いいですか?」という人が、毎年30人はおられるだろう。

 鐘楼門に飾られた仏事用具の前で、ご住職が定められた法儀を執り行われ、そこから皆さんの鐘が突かれるのだが、一人一人がご住職に合掌される姿が美しく、何度見ても素晴らしい光景である。

 今年を象徴する字は「帰」であった。新年のキーワードは「再生」と新聞に記載されていたが、我々葬祭業には不変の文字「愛」と「癒し」が存在している。

 私は、大晦日という風習に「茶の間」というあたたかいイメージの言葉を思い浮かべる。家族や茶の間は「愛」の絆で誕生するもの。大切な方を亡くされた家族にも新年が訪れる。
 
 そこに大切な方が存在しなくなっても、大切な方は思い出を分かち合った人達の心の中で生きている。

 私は、この原稿を打つことが出来るのは、生かされているからである。ご訪問をくださるあなた様も生かされいるからご笑覧いただけるのです。

 今年の3月1日、新アドレスでのHPを発信し、この「コラム」を始めました。なんとか年内にと念願していた300号に至り、ほっとしています。

 私は、今日の除夜の鐘に誓うことがあります。それは、何れ、このページで報告いたしますが、午前0時から「挑戦」が始まるとだけお知らせ申し上げます。

 ご訪問をくださいましたあなた様に衷心より感謝の心を捧げながら、新年のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

 2002年の結びですが、私が大切にしている好きな言葉があります。

 『涙は、悲しいから生まれるものではない。生きているから生まれるのである。涙は、生かされている証し、輝きなのである』

 どうぞ、皆様、涙の色のように澄んだお心で新年をお迎えになられますよう。  合掌

2002/12/30   思い出した「献体」の葬儀    NO 299

 昨日、事前相談での「献体」に関する家族の怒りの問題を書いたが、昔、私が担当した葬儀のご出棺時に、大学病院の関係者に対して、喪主さんと説教をしたことがあるのを思い出した。

 その葬儀は、故人の崇高なご遺志で「献体」という形式で進められ、ご遺族の強い要望から葬儀と告別式を普通に行い、その終了後に大学病院に向かうというシナリオが決められていた。

 つまり、ご出棺は、霊柩車ではなく、病院側から用意された寝台自動車で病院に直行するということであった。

 導師が引導の儀式を終えられ弔辞となった。医学への貢献ということから管轄大臣の感謝の言葉が代読され、続いて、故人の崇高な精神を称賛するナレーションを担当した私は、式場内に、いつもと異なる厳粛なムードが生まれている思いを感じ、この葬儀式が意義ある「かたち」で進められていると確信していた。

 やがて、お柩の蓋が開けられ、ご遺族や参列者のお別れが始まる。

 「あなた、立派よ。献体されるなんて、あなたらしいわよ。尊敬するわ」
 「七日、七日の法要も、ちゃんとするからね。帰って来るまで待ってるね」

 そんなお言葉も聞こえてきた。

 そして、ご出棺前の喪主さんの謝辞。いかに本人の意思と言えども、家族会儀で何度も論議を交わされたという経緯を話され、このように多くの方々に見送っていただく葬儀が出来たことに喜びを表され、当家の孫、曾孫達への誇りとして伝えますと結ばれた。

 さあ、ご出棺だ。病院側が手配された寝台自動車が着けられる。助手席から事務関係者と見られる若い女性が降りてきた。

 聡明そうな感じのする女性が喪主さんに言葉を掛ける。

 「崇高な故人の意思を大切にいたします。心から感謝申し上げ、医学部学生、病院関係者を代表してお礼とさせていただきます」

 彼女は、その後、書類らしき物を手渡し、1年半後ぐらいにお骨をお返ししますと告げていた。

 ここから問題が起きた。事件の当事者となったのは、寝台自動車の運転手。あまりにも見苦しい作業衣を身に付け、ネームプレートには葬儀社の社名が記されていた。

 親戚の人達が、お柩を運ばれてくる。それを車から降ろされた台車に乗せられる時の言葉遣いや態度が横柄で、親戚の方々にやるかたない憤懣の表情が感じられ、「責任者は、誰だ」との発言が聞こえた。

 このままでは、大変なことになる。私は、感謝状を代読された方と挨拶をされた女性を呼び、少し離れたところで喪主さんとの4人で話し合った。

 その内容についてはお察しがつくだろうが、喪主さんのお怒りもかなり強いものであった。

 参列者の存在がある。注目を浴びているし、その上に交通渋滞にまで及んでいる。これ以上は難しいと判断した私は、そこで勝手ながら言葉を挿んだ。

 「後日、改めて謝罪にお越しください。『終わりよければすべてよし』という言葉がありますが、それを壊してしまったことは事実です。ご遺族のご心情だけではなく、参列者の皆様にも、献体に対するイメージダウンを与えてしまった責任も感じて欲しいものです」

 崇高な精神を受け入れる姿勢、そこに最も重要なことは、受け入れる側の崇高な心。マンネリの作業なんてとんでもない話。白衣か略礼服のマナーさえ欠如する葬儀社。それが病院指定とは情けないレベル。

 お見送りした後の、皆さんの怒りの声が伝わることを願って止まなかった出来事だった。

2002/12/29   事前相談での怒り    NO 298

 高齢の方が事前相談に来社され、スタッフが対応していると、「これは、社長に相談したい」とおっしゃられ、何か特別な事情があるようで、私が担当することになった。

 伺ってみると、奥様のご兄弟が入院されているそうで、もう、数ヶ月の寿命であることを医師から告げられたそうだ。

 そこで、これから残された時間をどのように過ごされるべきかとアドバイスを始めようとした時、突然、涙を流されながら悲しみの胸中を打ち明けられた。

 入院されておられる方は、未婚。ご本人の意思で「献体登録」をされているとのこと。

 そこで、ご兄弟の方が登録されている大学病院に電話相談をしたところ、「この先、2、3年は、献体を受ける状況ではない」と返されたそうだ。

 私は、献体についての知識を持っており、これまでにも献体された方の葬儀も担当してきたことがあるが、拝聴したお話には、正直言って衝撃を受けてしまった。

 一時、献体の呼び掛け運動が盛んな時代があったし、弊社も資料を用意し、アイバンク、イヤーバンク、骨髄バンクなどに併せて社会啓蒙への協力活動もしてきた経緯があり、今回の病院側の対応には怒りが込み上げてきた。

 献体を受け付ける大学病院や団体は、近畿地方だけでも10数箇所存在している。きっと、中には献体を必要としているところもある筈だろう。

 こんなIT社会にあって、こんなレベルの情報交換システムが組まれていない状況を耳にして、社会の「ひずみ」を知ると同時に、教育の最先端の世界で「文化」が完成していないという恐ろしさを感じた次第である。

 献体やアイバンクなどには、過去ログに書いたように宗教的問題が絡んでくる難しさもあるが、人生の終焉に向かって生きられた本人の意思の尊重なくして人の社会の尊厳は築けないと考える。

 ご本人の意思だけではなく、その方の崇高な「人間愛」や「生きた証し」に対する責任はどうなるのだろうか、疑問に思われてならないところである。

 来社された方へのアドバイス。そこで役立ったのはインター・ネットの存在であった。

 献体に関する様々な情報をプリントアウトし、それに目を通された時、その方は、やっとほっとされた表情を見せられた。

 もうすぐ、新年を迎えるが、この方のご家族や親戚の方々には重苦しい年末年始となるだろう。

 正月を病院で過ごされる方が数百万人はおられるだろう。ご家族も大変だろうし医師や看護士さんなど医療関係者も大変だと拝察する。

 正月、お盆、ゴールデンウイーク。これらの時期は、我々葬儀社の経営者が、スタッフを休ませてやりたいと思い苦しむ風物詩でもある。

2002/12/28   年の瀬に    NO 297

 この数日、急に冷え込み、コートとマフラーが手放せない。

 私は、コートが大嫌い。それは、何処かに寄った時、帰りによく忘れるからである。

今春初めの東京出張の帰路、次の日の会議に熱海駅で「こだま」から降車した時、階段を降りながら「寒い」と気付き、コートとマフラーを車内の網棚に忘れてしまったことがあった。

 駅員さんの配慮で、帰阪の際、名古屋駅に立ち寄り受け取ることになったが、日常の行動の中に「心の隙間がいつでも生まれる」ということを知らされた苦い経験であった。

 雪のシーズンになると新幹線に影響が出る。ある時、横浜から京都まで真っ白。最終の「のぞみ」で新大阪に到着したのが午前1時前ということもあった。

 昨夕、東京のメンバーが来社されたが、雪の影響で少し遅れたそうだ。

 夕刊に目を通していると、「新幹線、雪のため、岐阜羽島から京都間で、220キロ〜170キロの徐行運転で遅れ」という記事が目に留まった。

 「徐行」とはすぐに止まれる速度という意味であり、170キロや220キロというなら「減速運転」とするべきで、新聞でも不思議な表記をすることがあると知った。

 人の悲しみに携わる仕事の従事していると、「死」や「宗教」や「悲しみ」の文字に目が留まる。

 毎日、悲しい記事に出会っているが、「覚悟の自殺」という文字表記や、ニュースを伝えるアナウンサーのこの言葉が気になって仕方がない。

 自殺と覚悟が重ね言葉。死の覚悟の結果が自殺であり、単に自殺との表現でよい筈。
プロであるマスメディアの世界で使用されるべきではないだろう。

 我々葬儀の司会者にあっても、「引き続き」「重ね重ね」「また」「ふたたび」「繰り返し」「まだまだ」「たびたび」「今一度」「皆々様」などの禁句が山ほどあるが、日常に使用している言葉を、つい口滑らせてしまう危険性がある。

葬儀の司会者がよく使っている言葉に「皆様方」というものがある。これも大学の国文学教授の説によるとおかしなことで、プロが使用するべきではないとのご指摘。

今、日本語が乱れていると言われている。司会者として最も恐れていることは、「素人さんからのご指摘」。いつもそれだけに神経を遣いながらマイクの前に立っている。

葬儀にあってミスは許されない。「亡き母が悲しんでいると思います」なんてクレームが発生すれば取り返しが付かず、後悔では済まされない致命的な羞恥の世界。

司会者が、世の中の最高のサービス業と認識される道への基本であろう。

 今年も多くの方々のご終焉儀式を担当させていただいた。多くの反省はあったが、幸いにして後悔するミスはなかった。
 
 今年は、おそらく100万人ぐらいの方が逝去されただろう。その方々に合掌申し上げ、大切な方を亡くされたご遺族の皆様に、新年が癒される年となりますよう祈念申し上げます。

2002/12/27   別れのプロ    NO 296

 ある学生団体での講演が終わり、質疑応答の時間を迎えた時、面白い発言があった。
 
 これからの時代の葬儀についてや、「悲嘆の心理」「命の尊さ」を熱く語ったのだが、1人の学生さんが「別れのプロですね」と言ってくれたのだ。

 私が、咄嗟に「離婚のプロと誤解しないでください」と返すと、会場が爆笑に包まれた。

 今、日本トータライフ協会の若手達にも、この「別れのプロ」や「悲しみのプロ」という言葉表現が流行しているので興味深い。

 葬祭哲学の第一人者である当協会の杉田副理事長は、「葬儀社であるべき前に、葬儀『者』」であれと説いてこられ、その認識に目覚めた若者達が上記の言葉を誕生させたプロセスがある。

 「命って、何ですか?」「葬儀って、何で行うのですか?」「必要なのですか?」

 そんな素朴な質問を多く頂戴しているが、これらの回答は、当協会のHPをご笑覧くだされば一目瞭然にご理解いただけるものと確信している。

 質問の中に、「葬祭業って、難しい仕事なのですね?」「奥が深いことを初めて知りました」「葬儀社もサービス業なんだ」というのも登場したが。そんな言葉を耳にした時、今回の講演の意義が伝わったように思え、横目で見た主催者の表情が微笑んでいる光景が嬉しかった。

 過日、北海道のメンバーが発信しているコラム「めもりある・トピックス」に、読まれた若い人からメールが入っていたという記述があり、そのことをコラムにしたためてあったが、そのメールの中で次の文章に考えさせられた。

『今回のトピックスのテーマは、自分でもかなり共感できる話だったのでメールしました。親父の死期を悟ってからは、家族の結びつきも強くなったような気がするし、母親の苦労も理解できたし、無口だった親父とも素直に向き合えるようになった。
 それらは貴重な時間であって、いい別れが出来たとなと漠然と思っていました。
 でも、今回のコラムを読んで、改めて「いい別れ」とはどういうものなのかが理解でき、気持ちが整理できたような気がします。
      〜 中略 〜 
 別れのプロである葬儀社の方々のアドバイスを生きているうちに受けられれば、先立つ方、残される方それぞれに意識のもち方も変わってくるように思います。
 生きているうちに別れに付いて考えることの重要性をもっと多くの方々に知っていただくことは、葬儀社にしか出来ないことなのかも知れません。

 生きているうちは医者、死んだら葬儀社と言う単純な区分けで考えることが普通のように思われていますが、その間を埋めていけるような活動が重要になってきますね。
 しいては、それが会社の信頼につながっていく道のような気がします。
 大変な仕事でとても忙しいと思いますが、がんばってください』

 如何でしょうか? この方も若い人。お父さんを送られたご体験から感じられた正直な思いが伝わってきます。

 「死は、自然の出来事。人生の一部である」

 そんな思いを抱かれ、「生かされている」との悟りの心情が生まれた時、その人の残された人生は大きく変わる筈であろう。

2002/12/26   失礼な電話      NO 295

 数日前の夜遅く、東京の葬儀社さんから電話を頂戴した。

 非常に失礼な電話内容なので、腹立ち紛れに「独り言」としてしたためる気になってしまった。

 相手は、推測だが恐らく経営者の方ではなく、その葬儀を担当していた責任者の方だと感じている。

 名前も告げず、ただ「東京の同業者ですが」とだけ言って本題に突入される。

 どうやら、今、お通夜が終わった時点のようで、お客様から苦情があり、そこで弊社名が登場したところから確認をしてきたようだ。

 「大阪高級葬儀さんでは、無宗教の式次第をどうされているのですか?」

 この質問で想像がついたが、間違いなく無宗教葬儀を受注され、通夜を終えところで「これは、何だ」とクレームが出たものと思える。

 そこで失礼だが「さぐり」を入れる。「お通夜で問題が発生したようですね?」と。

 「いえっ・・、はい」と、思った通りの言葉が帰ってくる。

 「通夜の式次第をどうされたのですか?」
 「はい、開式して、すぐに遺族の献花を始めました。そして、続いて参列者の献花です」

 伺って分かったことは、お客様のご親戚の中に、弊社が担当した無宗教葬儀を体験された方がおられ、「あれは、いいぞ」というところから無宗教形式が進められ、「出来ますか?」の問い合わせに「出来ます」と答えてこの事態を迎えていた。

 そのご親戚の方が、「明日の葬儀の式次第を確認したい」とおっしゃられたそうで、きっと怒りに満ちておられたものと拝察する。

 私は、業者名を堂々と名乗っておられたら対応することにしただろうが、弊社が行っているオリジナルサービス提供に対して迷惑そうな発言があり、「大変ですね。ご苦労様ですとだけ返し、最期に次のような言葉で締めくくった。

「東京では、『杉田フューネスさん』『井口葬儀店さん』が存在しています。この2社は、弊社と同じレベルの無宗教をされています。頭を下げて教えていただくことをお勧めします」

 もしも、その方がこの「独り言」をのぞいておられたらと仮定し、その時に教えなかった弊社の無宗教形式の一部を下記申し上げる。

* 思い出の写真を画像処理し、遺品と共にメモリアルコーナーにご準備されましたか?

* 思い出の写真をビデオ編集し、通夜と葬儀で異なるナレーションを提供されましたか?

* 前夜式で、遺族と弔問者に対する癒しと慰めのひとときがありましたか?

* 葬儀の式次第の中で、故人に対する「引導的」な儀式が行われましたか。

* 故人の愛される曲をレクイエムバージョンで演奏されましたか?

* 儀式空間の中で、「救われるひととき」「不幸でないひととき」が与えられましたか?

2002/12/25   メリー・クリスマス   NO 294

 東海道線にビジネス特急「こだま」が登場し、東京と大阪間が6時間半で結ばれたのは、確か私が中学生の頃だった筈。それが、今、「のぞみ」で2時間半。

 そんな「のぞみ」が、品川駅が完成してダイヤ改正されると1時間に7本も走るそうで、出張されるビジネスマンは、日帰りが当然と強いられる時代にいよいよ突入すると想像している。

 今回の出張は、ホテルで宿泊という日程であったが、便利な時代になって、腰痛やお疲れモードに襲われるのは、自身が齢を重ねた証拠。東京や博多を日帰りというスケジュールを何十回も体験してきた私も、今年は、さすがに5回だけにした。

 東京行きの「のぞみ」の中で、2列後方の席に有名な女性芸能人がいた。彼女は清楚でかわいいイメージキャラクターが売り物。日に何回もテレビに登場するお馴染みの人物。

マネージャーらしき方を伴っていたが、「どうして?」という思いを抱いてしまった。

 私達が乗っていたのは10号車。喫煙OKの車両である。

 通路側に座っていたマネージャーらしき女性が喫煙するからとは考えられず、名の知れたタレントさんの秘められた一面を垣間見た思いで、ちょっぴり残念な思いとなった訳だが、イメージを重視しなければならないプロという世界からすると、残念だけではすまないという老婆心まで生まれたのは「大きなお世話」かも知れない。

 さて、宿泊したホテルだが、もう十数回は利用した筈。ひとつだけ気に入らないことがある。「カミソリ」の質が悪く、3割の確率で顔に傷を付けている。

 ある時、チェックアウトの際、隣の宿泊客が「カミソリ、何とかしなさいよ」とぼやいておられたことがあったが、その人の気持ちがよく分かる。

しかし、口頭でサービス業の方に提起するのには抵抗感がある。なぜなら、自身もサービス業だからだ。

 今回も唇の上を切った。次回は自分の専用カミソリを持参しようと思っている。

 今日は、クリスマス。夜遅くに自宅に帰りこの原稿を打ち込んでいるが、ふとメールを覗いて見ると「メリー・クリスマス」という嬉しいメッセージが入っていた。

 送信くださった方は、高知県の「おかざき葬儀社さん」。
毎日、ご自分のHPで「ほっと一息」を発信されている女性。あの素晴らしい感性でお書き込みいただいた文章に、私の疲れが何処かへ行った。

 イブにリニューアル発信された「日本トータライフ協会」のHP。この改定会議を初めて開いたのが今春。

東京の高層ホテルの最上階にあるバー。そこで日付が変るまで論議を交わしたメンバー達の中に彼女がおられ、私が持ち始めたパソコンの初歩的な使い方を教えてくださったことを思い出す。

 交通費や宿泊費など、すべてはメンバー自身の負担。それで全国から多くの人たちが集う。そんなメンバー達が悲しみの遺族のために「愛と癒し」の研鑽を目指す。

 リニューアルされたHPには、そんなみんなのハートが込められており、クリスマスでの発信となった背景がある。

2002/12/24   昭和から平成に   NO 293

 昨日は、国民の祝日「平成天皇のご誕生日」。各家に日の丸の旗を掲げられる光景が少なくなっているようだ。

 ご誕生日に、不謹慎だが「昭和天皇の崩御」の時のことを思い出していた。

 国葬が行われた日、国民が黙祷を捧げなければならない時間に、ある方の葬儀を担当していた。

 この方は、自動車関係の会社の親父さんで、お通夜に500人ぐらいの弔問者が来られた。

 通夜を終えた後、葬儀委員長と相談をした。

当家の宗教も関係し、500人の会葬者を考慮すると1時間の葬儀では遅れることになる。少々の遅れは許されるべきだろうが、明日は特別な日で許されない事情がある。国葬のことを意識しなければならないと申し上げたのである。

 委員長は、「確かにそうだ。君に任せる」とご決断くださった。

 そこで、導師、遺族と親戚の方々にご了解を求め、10分前から開式することになった。

 さて、葬儀の当日。会葬者は予想以上で、600名に近い方々がやって来られたが、焼香台数の調整や、無駄な時間消費を一切省き、思っていた通りの時間にご出棺することになった。

 お孫さん達によってお柩がご自宅を出られる。霊柩車までの距離は、約50メートル。

 この時間に重要なコメントがあり、伝えなければならない。

 静かな音楽を流す。それらしきムードが生まれた。いつものナレーションを始める。そして、お柩が霊柩車にご安置された瞬間、この日に限られたコメントを発した。

 『本日は、昭和天皇の国葬の日でもあります。奇しくも、故人のご出棺のお時刻に、私達国民は黙祷を捧げることになっています。今、定められた時間の20秒前でございます。昭和天皇の崩御に対し、時報に併せて黙祷をお願い申し上げます』

 そこで、司会台の横に設置してあったラジオのボリュームをアップした。選局してあったのはNHK第一放送。「プップップッ」という誰もが耳にされた音が聞こえる。それをマイクで拾った。スピーカーから見事に流れる。

 そして、「プーン」。定められた時報が鳴った。マイクを口元に戻して「黙祷」と発声した。

 屋外での1分間の黙祷は危険で無理がある。私は20秒で「お直りください」と発したが、交通整理のお手伝いに来られていた数人の警察官の方が、全員で敬礼されていたのが印象的で非常にカッコよかったと記憶しているが、導師が合掌のお姿でお念仏を唱えられているのも美しいお姿だった。

 

※・・お知らせです。

 本日の午前0時1分に、弊社が加盟する「日本トータライフ協会」のHPが、リニューアルバージョンで発信されています。
 愛と癒しと思いやりをテーマに非営利活動を展開する理念集団が、メルヘンチックな世界を創造しています。
 ご訪問くださる場合には、大阪高級葬儀HPのトップページからサイトマップへ、そこで日本トータライフ協会のページにお進みいただければ、リンク可能な個所がふたつあります。
 必見コラム「有為転変」もご笑覧いただければ幸甚でございます。

2002/12/23   明日に向かって   NO 292

 一般的な葬儀にも、音楽が活用されるようになってきている。

 尺八ばかりが流れていた頃のことが懐かしいが、この数年で使用される音楽に変化が生まれ、クラシックや童謡を中心に重宝されているようだが、ある葬儀社さんが、ご出棺時に「蛍の光」を流されている事実を知った時には、衝撃で固まってしまった。

 1曲の音楽が会場空間を儀式空間に「神変」させるだけのパワーを秘めているし、参列者の心の中に「思い出」として「形見」をプレゼント出来る重要な手段でもある。

 これらは、CD「慈曲」による効果に顕著で、旋律と編曲構成の把握さえしていれば、上記のことが最大限に発揮出来るものだ。

 一方で、故人の愛唱曲を抵抗感からそのまま流せない時には、レクイエム調に編曲しなければならないこともあるが、それだけで葬儀に於ける音楽が充分に活用されたとは言えない。

オリジナルCD「慈曲」を制作監修し、完成された音楽を葬儀で活用している私にとって、音楽に対する「こだわり」は誰よりも強いと思っているが、そんな私が、今でも、ずっと悩み続けてきていることがある。

 参列者には、故人と面識の全くない義理的立場の人が存在している。この人達に「命の尊さ」や「あなたもこの日を迎える」という、葬儀の意義を伝え与えることは、音楽と言葉の演出で簡単であるし、「全員を泣かせてみろ」と言われても可能な範囲だが、これは一流のプロがするべきことではない。

 葬儀には、式場にドラマティックなシナリオとしてキャスティングが完成している。それは、もうこの世におられない方の「遺影」と、悲しみの「遺族」の存在である。

 大切な方を送る「家族の心」が伝わる。不幸の儀式の中で「ほっとする」不幸でないひとときが感じられる。そして、「厳粛」でありながら「さわやかな時間」が流れていく。
 そんなところまでは完成しているのだが、私が求める究極の葬儀の世界にあって、どうしても出来ないことがあり、悩み続けてきている。

 これまで、どれだけの音楽を聴いただろうか。数千曲を耳にしても「これだ」という曲に巡り会うことが出来ない悩み。その使用する部分は、ほんの短い時間なのに。

 映像や言葉の演出のない短い時間の流れ。その中で故人との思い出をそれぞれの方々が自由に追想する。そこに流れる音楽は、誰も耳にしたことのない曲が理想。音楽の専門家さえ知らない、いや、耳にして残らない音楽を求めているのである。
 
 これは、上述したことからすると、義理的参列者の存在に矛盾することになるが、その方々でさえ、遺影から浮かぶイメージ想像を広げて欲しいという思いも秘めている。

 1曲は、故人につながる強烈な曲。一方は、まったく記憶に残らない曲。生きている間に、後者の曲を発見出来ることを祈ろう。

 さて、年の瀬を迎えているが、我々葬祭業にはクリスマスも正月もない。1日に2700名の方が命終されており、大晦日から新年を深い悲しみに包まれて迎える方もおられる。

 私は、明日から急な出張で東京行き。腰痛で「のぞみ」の2時間半が辛いところだが、少しでもましなように、「700系」ではなく、背もたれに枕の付いた「500系」を選ぶことにしよう

2002/12/22   成長と斜陽の裏側で   NO 291

 少子高齢時代の到来は、我々葬祭業界にとって追い風であり、社会では成長産業と判断されているようだ。

 現在、1年間に約94万人の方が亡くなっているが、私のような団塊世代があの世に迎えられる頃(2015年から2035年の間に新記録が)最高で年間に180万人と予測され、その後に減少傾向に入ると言われている。

 そんなことが成長産業と捉えられたのだろうが、私は、絶対に斜陽産業という考えを抱いている。
 
 社会不況の中で様々なアウトサイダーの参入もあるし、何れは外資の進入もあると予測しているが、その分析の最たるものは、お客様のニーズ変化と社会の意識改革だと断言する。

 「次の方、ご案内」というような、安易なパック形式やセット価格で人生終焉の儀式をされたくない考えも強く、マニュアル対応しか不可能な大規模葬儀社や互助会組織の崩壊も始まって行くだろう。

 葬祭業は、非日常的な葬儀ということに胡坐を掻き、お客様の無知のうえに成り立ってきた産業であり、これらに併行して、進歩なく留まっていた宗教者と共に変革の逆風を受けているのである。

 そんな中、コンビニで「葬儀を受け付けます。支払いも可能です」という、アルバイターが人生終焉の儀式の窓口という低次元なサービスも登場し、一方には「葬儀の総額が60万円、全国一律すべて込み」という、我々が外注を頼みたいような低価格を売り物にする組織団体も登場している。

 これらは、FCのビジネス展開を発案したところだけが利益を得るシステムであり、加盟した業者と利用したお客様が、何れに泣きを見る現実を迎えるだろう。

 上述の「すべて」とは、一体、何だろうか。我々プロ達が分析してみると次のような疑問が生まれた。

 親戚の人数は?。精進料理の単価と数量だけでもどんなことになるか?
 お寺様のお布施も宗教や人数によって大きく変化する。
 会葬者の人数が一定でない。供養の品や返礼品だけでも数十万円の変化がある。

 これらを列記すれば数十ページを要するが、それらを明かす必要もないだろう。
上記だけでも不可思議な価格設定ということが見え、一般常識からすると絶対に信じられないことで、低価格表記が「餌」となっているビジネスだと分析した。

 ましてや、今時にセットパック形式の白木の祭壇を売り物に発想するとは、消費者を馬鹿にしているレベルである。これらの宣伝表記は、法的な観点からも逸脱しており、問題が表面化した時の責任をどうするのか危惧を抱いている。

 そういう事態を招いた時、悲しみの遺族を二重に悲しませることになるし、我々葬祭業界のイメージダウンと葬祭文化の創造が遠のくことも心配だ。

 この団体のことを、メンバー達が次のように言ったことがある。

 「まだ祭壇を売り物にしているの? 祭壇を必要と考えないお客様も登場されてきているのに。人生表現や多様化と個性化が重視されている時代に、何を考えているのだろう。 消費者は、そんなに馬鹿じゃないよね」

 宣伝戦略には長けているようだが、敢えて、この団体名は表記しない。なぜなら、弊社や協会の理念と全く逆発想の組織であり、はっきり言って競合の対象にはならないからだ。

葬儀を行うには遺族が真剣に考えるべき。そんな業者を選ばれることは、選ばれた方にも責任があるというご認識も重要で、騙されたと知って、最も悲しまれるのは故人である。

葬儀は、一生に一回限りの重要な儀式。お心残りのないように祈って止まないのです。

2002/12/21   面接から    NO 290

 就職難からだろうか、弊社のような会社に多くの問い合わせがある。

 ハローワークからの紹介もあれば、ご自分でアタックされて来るケースもあるが、その大半がHPからの行動であるようで、中にはメールで資料請求を求められることもあった。

 特徴的なことに、4回生や3回生在学中という人もあり、訊いてみると、そのすべてが葬祭業界を成長産業と見ているようだ。

 前にも書いたが、葬祭業界は、確実に斜陽産業。その判断なくして企業選択は難しく、便利な情報入手手段であるHPは、客観的な考慮の必要があると思っている。

 それにしても、履歴書の字が踊っているのが多い。「踊る」が「躍る」なら歓迎だが、パソコンの発展による影響は想像以上で、美しい文字との出逢いが極端に少なくなっているし、志望動機を求めても文章表現が拙く、日本の文化の衰退を憂うと共に、我々葬祭業界に対する社会認知が低次元であることを認識することになって寂しい。

 ある日、1通の履歴書が送られてきた。大手葬祭業者に8年間の勤務実績があり、特技として「幕張」と記されていた。

 人事担当者が面接した時、「幕張は一切役立ちません」「これまでの経験がほんの少しだけしか役立たちません」と伝えたが、ご本人には納得が生まれず、このままでは誤解が生じる恐れがあると判断したのか、私に面接担当が回ってきた。

 この方が葬儀という仕事にどんな情熱と誇りを抱いておられるのか興味を抱き、私の隠れ家に迎えることになった。

 30分ほど、聴く側の立場に徹して伺ってみると、この方が経験された8年間は「作業」の歴史であり、葬儀という「仕事」に従事されていたとは到底感じられなかった。

 「絶対に成長産業です。間違いありません」

 それは、「今後の葬祭産業をどのように捉えていますか?」に返ってきた言葉。この方もやはり高齢社会到来の死亡者数の増加しか見えていなかったようだ。

 そこで、私は、21世紀の葬儀というタイトルのビデオ映像に続いて、弊社が現在行っている実際の葬儀の映像を見せることにした。

 20分ほどのビデオの時間。彼は、ひとことも言葉を出さず、目を輝かせながら食い入るように見入っていた。

「幕張の技術が役立ちますか?」「これまでのご体験が役立ちますか?」

 それは、とても「キツイ」言葉であっただろう。

「役立ちません。私の祖父母の葬儀があったら、是非御社にお願いしたいと思いました」

 彼が勤務されていた大手葬儀会社は、今、厳しいリストラ態勢に入っている。50人の希望退職を求めているとも伺った。

 やがて、ビデオの感想として、「こんな『かたち』の葬儀。これからは、この時代だ」とおっしゃったが、この部分では、彼と私の考えが一致した。

2002/12/20   訃報記事に思う   NO 289

 新聞の訃報記事を見ていると、「葬儀は行いません」「遺族の意思により自宅は公表しません」「近親者だけでの葬儀を行いました」など、10年前頃にはなかったケースが目立って多くなってきている。

 また、大手企業の役員の訃報記事があっても、その後の社葬告知をする黒枠広告が目立って少なくなり、社葬をされる場合でも式場が「ホテル」というスタイルが増え、葬儀、告別式などの文字が消え、「偲ぶ会」「お別れの会」という風に変化してきている。

 これらは、この「独り言」の過去ログに何度も表記してきたことが顕著になってきただけのことだが、今後いよいよこの傾向が強くなってくるだろう。

 そんな社会風潮の中、弊社が担当した葬儀で思わぬ体験をすることになった。

 弊社が行う通夜と葬儀は、他社にはないというよりも「出来ない」というオリジナルスタイル。

 特にホテルや市立斎場の「天空館」を式場とした場合には、会場空間全体のプロデュースが可能となり、通夜では、ご導師の入場前とご退出後に「奉儀」と人生表現を主体とする「偲ぶひととき」が行われている。

 通夜の司会を終えた時、一人の方が「名刺をください」と司会席にやって来られた。

 その時の会話は、ただそれだけ。

 やがて次の日、その方は、葬儀にも参列されておられ、ご出棺の後、また、私のところへやって来られ、ご伴侶を半年前に亡くされた葬儀のことをお話された。
 
 伺ってみると、その葬儀は上述した形式で行われたそうで、誰にも知らせず、家族と主だった親戚と友人だけで自宅で送られたということ。その動機となったのが我々葬儀社への不信感であった。

 「こんな葬儀が出来ると知っていたら、絶対にお願いしていたのに」

 そのお言葉は、送られた奥様に対する「申し訳ない」というお気持ちが感じられ、後悔の発生は、やがて「心残り」という状態に陥って行かれたようだ。

 納棺をして祭壇を設ける。そこにお寺さんを向かえてお経を頂戴する。それだけが葬儀と勝手な思い込みをされておられたその方に、私は、何と言葉を掛けるべきか躊躇したが、 こんな時にお返しする方策は、ただひとつ。一周忌の「偲ぶ会」ということ。

 そう応えた時、その方の苦悩の表情が少し明るくなった。

 この経験で、私は、葬儀を終えてからでも「心残りが増える」ことがあることを学び、葬儀社としての奥深い責任を感じることにつながった。

 さて、冒頭の新聞の訃報記事だが、経済面や社会面に時折見かける「**氏の祖父」とか「**氏の母堂」など、著名人の家族の訃報が伝えられていることに、いつも疑問を感じ、<そこまで必要なのかな>と悩んでいる。

2002/12/19   銭湯通い   NO 288

 私は、銭湯が大好き。現在、大阪の銭湯の入浴料は、大人が360円。これでサウナ、スチーム、薬湯、電気風呂などが利用出来、広い湯船には噴射水流まで設備されているのだから素晴らしい。

 この30年間で、全国の銭湯が約1万件も廃業し、6千数百軒になってしまったそうで寂しい話である。

 幼い頃、オヤジに連れられよく通ったものだが、単独で行くようになったのは、料金が小人から中人になった頃。それが無性に嬉しかったことを覚えている。

 私の自宅のすぐ前が銭湯。腰痛の前兆を感じると電気風呂に入ることにしているが、初めて挑戦した時には度胸が要ったもの。それが今では何よりの天国。それだけ歳を重ねたことにもなるだろうが、現在、毎日通わなければならない状態。

 常連客の大半は、私が葬儀屋のオヤジであることを知っている。
湯船の中で交わす会話には「わしが死んだら頼むで」が最も多いが、天国で葬式の話をしているみたいで面白い。

 地元の方の葬儀にあって、故人の生前に何かの交流があったという事実は、遺族にとって「癒し」にならなくても「慰め」にはなるようだ。

「ご生前、何度か電気風呂でご一緒しました。私に手術の痕を見せられたこともありました」

 そんな思い出話は何よりの慰めの「薬」。ナレーションを創作する取材の際にも、悲嘆の遺族が心の扉を開けてくださるノックの役割につながってくる。

 一方で、湯気の充満した空間の中で、過日に葬儀を終えられた喪主さんとお会いすることもある。

「先日は、どうも」

 互いが裸で「サマ」にならない構図。送られて極楽に逝かれた故人のお顔を思い出す。

 孫が里帰りした時、銭湯に連れて行くのが現在の至高の極楽。しかし、困る問題がひとつある。

 それは、刺青を入れた方の存在。背中一面に立派な彫り物。それを目にした孫の表情が固まる。

「おじちゃん、これ、なにぃ?」 そんな質問をしに行かないように目を離せないが、パンダやアンパンマンの刺青がどうしてないのだろうか。

 刺青で思い出したが、私がこの仕事に従事した頃、あるお屋敷で行われた葬儀で不思議な体験をしたことがあった。「納棺は、家族で行います。お柩だけ持ってきてください」と言われたのである。

 そこに秘められた事情が、実は刺青であったことを知ったのは、それから数日後。
これは、近所の皆さんの誰もが知っておられたことだったが、その方は、趣味で彫っておられたということで、それは見事な観音様であったそうだ。

2002/12/18   感動の「ご謝辞」   NO 287

 NO 285の葬儀で、久し振りに感動することがあった。

導師、法中が退出され、オリジナル奉儀が終わった後、司会者である私が紹介申し上げ、喪主さんのご謝辞が始まった。

 参列者に対するご弔問、ご会葬の御礼から始まり、ご生前のご交誼への感謝があり、やがてご自身のお母様に対する思い出をお話しされた。

 幼い頃のこと、お孫さんと過ごされたひととき、教育されたこと、大きな愛情に育まれてきたことへの感謝など、お言葉が続けられるに併せ、拝聴していた方々の中からすすり泣きが聞こえ始める。

 少し離れて立っていた私も「ウルウル」し始め、悟られないようにと、背面の供花の列にあった隙間に身を寄せたが、耳から伝わる「愛」の言葉を遮断することは不可能で、目薬を注した状況に陥ってしまい、「これは、まずい」という心境になってしまった。

 やがて、喪主さんは、ご祭壇に飾られたご遺影に向かわれて、「お母さん、本当に有り難う」と叫ばれた。

 そこで式場内に嗚咽の声がピークに達した。私もダメだった。プロとして最悪の方向へ転がり始めている。

 ご挨拶は、もうすぐ結びの言葉を迎えられる。それまでの限られた短い時間の中で、ご謝辞を終えられた後のフォローをどうするべきかを考慮しなければならない。
<きっと、プロとしての表現能力が愕然とするほど低下してしまうだろう>

 そんな覚悟をしながら拝聴していたが、フォローのシナリオだけは完成していた。

 そして、喪主様のご謝辞が終わった。マイクが私に返却され、私は、フォローの言葉を発し出したが、着席されている方々のご表情が目に入った瞬間、予定していた言葉と全く異なるコメントで進めてしまうことになってしまった。

 マイクを通す声は、かなりトーンダウンしていた筈。内容は、牧師さんや神父さんが行われる「お説教風」になっている。おそらく、参列されておられた皆様も初めて体感された不思議なひとときになってしまったことだろう。

 スタッフ達が喪主さんから伺っていた「お母様の人生」取材ノート。
葬儀当日のナレーションを草稿していた深夜のことを思い出した時、私の頭の中にはノートのすべてのページが鮮やかに甦ってきて、それらは拝聴した喪主さんのご謝辞のお言葉と見事に被さってきた。

 70年間の人生の幕を静かに閉じ逝かれたお母様。「一人っ子」であられる喪主様のご立派なご挨拶で結ばれ、あなた様のご終焉の儀式が見事に終えられたように思います。

 フォローの言葉を終えた。式場内にスタッフが入り、お別れの準備が始まった。

 今回のご葬儀、いくつか反省点があったが、大切な故人の人生表現にあって、スタッフの取材能力がアップしたことを感じ、少しだけ嬉しいことだと思っている。

2002/12/17   こんなことも   NO 286

 社葬を行う場合にも様々な形式がある。密葬、本葬と分けるケースと分けないケースがあり、分けないケースでは1回だけの葬儀、告別式となる。必然としてご出棺があるということになるが、この場合、会社とご当家の合同葬ということで進められることもある。

 弊社が密葬と本葬の両方を担当させていただくこともあるが、他社で密葬をされ、本葬だけを弊社が担当するということも少なくない。

 そんな後者のケースで、会社側から思ってもいなかった提案が持ち出されてきたことがあった。

 社葬が行われる日の2週間前頃のことだった。総務部長からお電話があり、担当者が呼び出されて行ってみると、社葬当日の司会を総務で担当しますとおっしゃったのである。

 これには、そうなる伏線があった。弊社が提出した社葬企画書の中に、重要コンセプトとして「会社の総意で社葬を行っているイメージが重要で、式次第に関するお手伝いで社員の方を10人選抜いただきたい」と提案していたからだ。

 厳粛な儀式空間の完成に向けてのシナリオに、社員の方々が式次第の中で登場いただくことは、これまでに何度も行っているが、非常に高い評価を頂戴しており、社葬の意義を高める相乗効果につながり、我々プロの短時間のリハーサルで完成することが可能であった。

 「司会は、会社の総務が」

 そして、そのお考えが生まれてきた背景には、もうひとつ要因となった事実が秘められていた。密葬に問題があったのである。

 密葬を担当された葬儀社さんの司会が拙く、そのイメージが強烈で、勝手な推測の流れに社葬プロジェクトスタッフ内で、「司会は、総務」というシナリオで席巻されてしまっている状況だった。

 伺ってみると、総務に司会の上手な方が確かにおられる。社員の結婚披露宴や会社の記念式典などの司会を経験され、その技術ある存在感は社内の誰もが知っておられた。

 さて、葬儀の司会だが、トークの技術だけではどうにもならない。全体のシナリオを完全に把握し、関係スタッフをタイミングよく動かせていかなければならず、プロデューサー、ディレクター、式場責任者、奏者達との連携が最も重要で、ここに宗教者の存在があることを考えると、葬儀社が司会者の横に付いて「キュー出し」をする程度で成功することは絶対に不可能なこと。

 やがて、弊社の担当者が、私に対して「完全なシナリオを創ってください」と懇願してきた。彼は、そのシナリオを与え、儀式調、アナウンス調、ナレーター調など、少なくとも5種類に区分けされるトーク技術の必要性を訴える作戦に出るようだった。

 しかし、それは、私の勘違いであった。彼は、そのシナリオと共に、私が講演で使用する「久世栄三郎の世界」というビデオを持参していたのである。 

 それから、2日後、総務部長から次のようなお電話があった。

「誠に失礼この上ないことを申し上げました。なにとぞお許しください。司会を予定していた本人も、私を始め総務一同も、御社にすべてをお任せすることに決定いたしました。尚、ビデオを拝見いたしました弊社の社長からは、くれぐれも失礼を詫びるようにと叱責されることになりました。よろしくお願い申し上げます」

2002/12/16   スタッフの「独り言」    NO 285

 大阪のお通夜は、午後7時からが一般的。全国では、5時、5時半、6時、6時半からというところもある。

 今日の大阪は、夕方から雨が降り、お通夜の最中は大雨。ご弔問に来られた方々には、さぞかし大変であったものと拝察申し上げるが、今晩、私が担当してきた式場は、大阪市立の葬祭式場「天空館」で、地下の駐車場から濡れずに入ることが出来、式場空間が広く、中にお入りになられた方々が落ち着いて着席可能なスペースがあり、静かなお通夜のひとときが過ごされ、たまたま、この式場がお客様に提供出来ることになってよかったと思っている。

 今日のお客様は、過日にお礼状を頂戴したお方のご親戚。偶然に同じ式場となった訳だが、すべての打ち合わせを終えた担当スタッフが帰社したのは昼前。それからメモリアルコーナーのお写真編集とビデオ編集が始まったので大変だった。

 顔を覚えていただいているところから、前回と同じ男女ペアのスタッフを担当させたが、昼過ぎ、事務所内で担当責任者である部長の携帯電話が鳴った。

 一瞬、彼の顔色が変る。応える会話から大変なことが発生したことが伝わってくる。

「祖父が亡くなりました」

 それが、彼に電話で伝えられたことだった。

「私は、今、大切なお客様を担当しています。この葬儀を終えてから実家へ帰らせていただきます」

 彼は、周囲にいた5人ぐらいのスタッフに向かって、そう言ったが、誰もそれに返す言葉を出すことが出来なかった。彼は、弊社の重要な『人「財」』であり、与えられた責務を遂行する強い責任感を持ったプロなのである。

 彼の辛い思いが誰よりも理解出来る。私は、心の中で手を合わせたが、「お爺ちゃんの納棺を担当してあげたかったな」と言った一言が申し訳なく、どうにもならない世の中の「えにしのめぐり合わせ」を再認識する思いを抱いた。

 やがて、彼は、飾り付け担当のスタッフを伴って式場に出向いて行った。

 私は、故人がお好きだったCDの51曲をすべて聴き、その中から1曲を選曲し、別に故人が新婚時代の頃に録音されたワルツの曲を収録し、6時過ぎに式場に着いた。

 お通夜の勤行が済み、故人を偲ぶひとときが終わり、多くの弔問者がお帰りになられた式場内。我々にホッとする短い時間が訪れた頃、彼が、私に向かって、ふと「独り言」のようなことをつぶやいた。

「不思議な思いです。身内の不幸の中でお客様のお通夜を担当していることが。でも、それが私達の仕事なのですね?」

 私は、小さな声で次のように答えた。

「お爺さんの葬儀を体験して帰社したら、また、お客様に対する接し方が成長する筈だ。葬儀に従事する者は、喪主を体験して一人前。孫を持つことになって爺ちゃん婆ちゃんの気持ちが分かる。それでどうするべきかも変ってくる。辛いけど宿命という貴重な体験かも知れないな。体感に勝るものなしと言っても辛い仕事だな」

 彼の実家は、京都府。それも日本海に近いところで、特急列車の本数が少ない地域。

「必要なものがあったら何でも持って帰りなさい。私の車を使いなさい」

 それが今日の私に出来ること。ささやかな弔慰と感謝の思いを込め。   ・・・合掌

2002/12/15   浄土真宗の葬儀では     NO 284

 昨日、浄土真宗本願寺派についての毎日新聞の記事を表記し、我々葬儀に携わる立場にある者にも影響が及んでくるということを書いた。

 浄土真宗や日蓮宗の葬儀で、特に神経を遣わなければならないのは「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」という「ご本尊」の存在。祭壇の中央にお掛け軸を準備するのだが、すべての文字が導師のお席から見えなければならず、天井の低い式場の場合にはアンバランスな低い祭壇設営や、時には故人の遺影を中央からサイドにずらすことも行われている。

 大阪での浄土真宗の葬儀は、簡略化されているが、故人の故郷である地方から導師を迎えた場合、正式な式次第を進められることがあり、その時にはそれらを体験されておられない方々が驚かれることもある。

 導師と法中が入場され、まず向かわれるのがご当家のお仏壇。そこで勤行されてから祭壇のある部屋にお入りになることで、お仏壇が2階にあれば、前もってその部屋を片付けておかなければならない。

 葬儀という儀式の中に「引導」という作法は存在せず、それがどうしてかということは、、昨日の記事をお読みになればご理解いただけるだろう。

 それらの背景には、教義とされている「霊魂あるないを問わず」ということがあり、そんなところから「霊前」という言葉も禁句となり、お盆の「迎え火や送り火」も必要がないことなってくる。

 司会にあっても、「冥福を祈る」は絶対的禁句。「冥土」は真っ暗闇の世界。「祈る」はプロの司会者なら誰も使わない言葉となっている。

 過去ログにあるが、弔辞の中に登場する「永眠」「草葉の陰」「幽冥境」「黄泉の国」などにも抵抗感があり、「忌中」は「還浄」。
開式の辞では、「お浄土へご往生。お念仏にて偲ぶ。ご仏前、合掌、礼拝」となる訳だ。

 この他、守り刀や一膳飯は不要。出棺時に茶碗を割らない。線香は立てずに寝かせるなど、他宗とは異なる教義作法があり、これにやって来る親戚達のその地独特の習俗が絡み、葬儀は人を集め、人を走らせるということになっている。

 数年前から、浄土真宗では、全国的に「清め塩」撤廃に向けての行動を始められている。
 会葬礼状に同封されていた「清め塩」。それが入っていないということになれば、参列者が帰宅された時に「?」が発生し、担当した葬儀社へのクレームが殺到する。

 そこで「浄土真宗さんでは」と説明してみても、「私は浄土真宗ではありません」と返されたらそれまで。そんなところから、お寺さん達がその旨を明文化された経緯がある。

 そんな一例を下記申し上げる。


 真宗では、「み仏(阿弥陀如来)」の誓いを信じて念仏を称える者は、この世ですでに「み仏」になる身に約束されています。
 したがって命終とともに浄土に往生させていただくことになっています。
 葬儀場において「死は汚れ」の意味から「お清めの塩」を会葬礼状とともに同封しておりますが、前期にのべましたように本宗の教義にしたがって「お清めの塩」を同封致しておりません。あしからずご了承ください。

2002/12/14   衝撃の記事    NO 283

 12月10日の毎日新聞朝刊の1面に、下記の驚く文字が見出しとして記載されていた。

 祈り ゛公認 ゛ 浄土真宗本願寺派  「宗教の原点」―― 否定の歴史見直し

 ルネッサンスやマルチン・ルターの歴史事実を飛び越すような革命的なこと。
私は、この意識改革的なことは、政治の世界で新しい内閣が発足し、総理が突然「税金を一切なくします」と宣言したぐらいに凄いことだと思っている。

 我々葬儀に従事する者は、浄土真宗の教義の理解が不可欠で、これまでに指導してきた多くの司会者達に、浄土真宗独自の言葉表現の重要性を伝えてきていた事実がある。

 この独り言を訪問くださる方には、葬祭業者や宗教者の方も多くおられるようで、誤解が生じないように、ここに新聞記事の原文を記載させていただくが、著作権の侵害や勝手な応用との問題があれば削除ということでご理解願い上げます。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

記事原文
 合格祈願や無病息災といった現世利益を求めないため、「祈らない宗教」とされてきた浄土真宗本願寺派(京都市下京区、本山・西本願寺)の教学研究所が、「祈り」について「宗教の原点であり本質だ」と゛公認 ゛する見解を示していたことが9日、明らかになった。
 浄土真宗は宗祖・親鸞聖人の時代から、現世の欲望から来る祈りを「不純な動機に発する行為」と否定してきた歴史がある。門信徒数公称1000万人、末寺1万を誇る国内最大の伝統仏教教団の変化が、宗教界や他の真宗門信徒らに与える影響が注目される。
 宗派の国会にあたる定期宗会で、祈りを否定する考え方に疑問を投げ掛ける質問に対し、゛内閣法制局長官 ゛ともいえる教学研究所長の大峯顕・大阪大名誉教授(宗教哲学)が答弁。「『祈り』とは聖なるものと人間との内面的な魂の交流であり、あらゆる宗教の核心。『祈り』の概念は現世利益を求める祈とうよりも広く、祈りなくして宗教は成り立たない」と明言した。
 浄土真宗では、阿弥陀仏への感謝の心で念仏を唱える時、浄土に往生して仏になることが決まるとされる。信心や修行など人間側の力(自力)を超越した阿弥陀仏の力(他力)が教義の根源にあるため「他力本願」の言葉が生まれ、「健康をお祈りします」といった表現でも「念じます」と言い換えるのが正しいとされてきた。
 しかし、世界規模の宗教間対話が行われる時代の流れが、変化を促した。他のあらゆる宗教が「祈り」を持つ中で、大峯所長は「(真宗では)祈りの概念を論理的に整理してこなかったため矛盾感が表面化してきた」と説明。
「言葉の表面的な意味で『真宗は祈らない』と単純に割り切るのは教条主義だ。死への恐怖といった人間の根源的な問題に答えず、『現世利益は求めない』と言っても説得力がない」と話す。

宗教評論家の丸山照雄さんの話
 浄土真宗は独自性を強調するために「祈り」をあえて狭義にとらえてきたとも言える。言葉にこだわり過ぎれば、「一般の日本人に通じないばかりでなく、外国語に翻訳する際に支障が生じ、込められた精神が届かなくなる。その意味で、教学研究所が「祈り」を認めたのは大きな一歩だ。
                                 以上 記事から
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これは、大変な問題である。まさに革命的な歴史の変化の瞬間とも言えるだろう。
 東本願寺、仏光寺、高田派など10派それぞれのご本山が、今後、どのようなお考えを表明されるのだろうか。

 西本願寺は1回。東本願寺は2回という焼香作法の異なり程度ならまだしも、教義の根本的な変革となれば簡単な問題ではなく注目されるだろうし、また、その解釈によって、我々の司会のトークやナレーションの創作原稿に大きな変化が生じるのも事実である。

2002/12/13   通過儀礼の再認識     NO 282

 お歳暮のシーズン。義理的なことを割愛すれば無駄な経費の削減となるのに出来ないのが「慣例」で「しがらみ」。
止めれば消費ダウンにつながり余計に社会不況となるかも知れず、好循環、悪循環は世の習い。

 多くのお歳暮の中に、思い掛けない方からの恵贈品があり、<間違いかも知れない>との思いを抱きながら、お礼の電話を差し上げた。

 「私のささやかな感謝の気持ちなのです」

 そうおっしゃられるのだが、頂戴する接点も考えられず、「?」が続くまま数分が過ぎた。

 「実は、あなたの講演を受講していたのです。名刺の交換が出来なかったのですが、お話の中に異業種である私に大きなヒントの発見があり、不況の中で活性化の道が見つかり、今、来春に具現化出来る製品に大きな期待を寄せているのです」

 今秋の講演というところから思い出したのは、企業経営者団体の講演。
テーマはもちろん葬儀であったが、ピラミッド社会システムの崩壊について分析した「宗教組織団体の危機感」に興味を持たれ、続いて行う質疑応答が大きな社会ニーズの把握につながっているという体験談に閃かれ、社内会議でお客様の声を拝聴する企画を進めたところ、予想もしなかった発見があり、その商品化を進めたということを教えてくださった。

 社会不況と叫ばれている中、全国への出張の際に<どこが不況だ>という世界に出くわすことも少なくない。一流ホテルの一流レストランがいつも満席ということも不思議な話。

 一般的な消費に於ける好不況は、その店の経営姿勢や、お客様の獲得につながる「知恵」にも左右されているように感じている。

 我々葬祭業にあっても、弊社のように人生表現を重視し、ご家族の思いを「かたち」にと考える業者もあるが、一方に価格破壊のような「表記」で集客を描かれ、実際にはオプションの部分で高額な金額を請求されるケースも増えている。

 日頃に体験することのない非日常的な葬儀は、様々な部分に「スキマ」があり、セットやパックの文字がチラシ広告の中で躍っているが、情報社会の到来と言われていても、まだまだ葬儀の世界は20年遅れ。二重の悲しみに陥られる被害者が増えていくように思っている。

 最近、葬儀の変革ニーズが多様化してきている。画一化に対する抵抗感が強く、自分流というような個性化が求められており、これまで考えられなかったことが問題として表面化されつつある。

上述した今秋の講演の際、質疑応答の中に次のような発言をされた方があった。

「葬儀は、一体、誰のためのものなのですか? 死者のため? それとも送る家族のためのものですか? 何度かお通夜でお説教を聴きましたが、お寺さんは、死者のことから離れ、家族からも離れた遠い作法のことや、ご自分の話をされており疑問を感じました」

「現在の葬儀が、火葬場までの途中の儀礼的な『処理』のように扱われるているように思え、抵抗感を抱いています。やはり、礼儀と節度が重視される儀式であって欲しいと願っています」

 こんな提起をされるような方も少なくないのである。

私は、真剣に対応してきたつもりだが、これらは、真摯に受け止めなければならない重みのある言葉。人生の重要な通過儀礼という言葉を思い出しながら、自身の仕事の重要性を再認識した瞬間でもあった。

2002/12/12   焼香順位     NO 281

 もう時効になったので「独り言」として書いてみよう。

 ある公的な役職にあった方の葬儀が、地域の会館で行われた。大阪というところは代表者の焼香順位に「ウルサイ」方が多く、遺族だけではなく葬儀社も悩んでいる。
  (正直な話、これは全国共通のようだ)

 通夜に役所の方が、知事、市長、議員、各種団体役員など、公的な方々の順位をメモした下書きを持って来られた。

 彼は、あくまでも役所としての立場。それらの順位は、これまでの慣例という形式で決定されていた。

 さて、葬儀の当日、私は、清書されて与えられた焼香順位に基いて、約100名近い方々の芳名を読み上げ、ミスもなくご出棺となった。

 次の日の朝、弊社の事務所に電話があった。相手は上記の役所の方。昨日の葬儀の順位で一人の市会議員から区長にクレームがあり、司会担当の私に謝罪をして欲しいと言うのである。

 当時、私は、当番性のようなシガラミから、市のPTA協議会の役員をしており、区長との関係も深く、彼の立場がよく理解出来たが、この問題についての謝罪をする気持ちは一切なかった。

「文句があるなら議員が私のところへやって来るべきだ」

それが担当の方に申し上げたことで、区長をいよいよ苦悩させることになったが、彼も日頃の鬱憤があったようで、正直にそのまま伝えてくれた。

 ところで、そのクレームだが、役所が決めた市会議員の順位は選挙の得票順。そこだけ五十音順にすることも出来ず、これが慣例になっていたのである。

 発生していた問題。私は、それを通夜の時点で予測しており、思っていた通りの筋書きになっただけのこと。クレームをつけられた議員は、当時に議長をつとめられており、市会議員ではトップに呼ばれるべきだと問題にされた訳である。

 私は、通夜で、この部分の順位について喪主さんと話し合いを済ませていた。故人は、議長でない議員の後援会に属されており、市会議長であろうとも「トップにして欲しくない」「市会議長という紹介発言も割愛して欲しい」との、いわゆるお墨付きをいただいていた。

 故人と喪主さんの後ろ盾があれば戦うのが道理。そこで強気に返すことにしたのである。

 事件は、すぐに進展をみた。秘書から直接電話があり、議員に謝罪してくださいと懇願された。

「私は、司会のプロ。与えられた順位についてミスなく進行しました。ご当家との確認も行っており、そのご意思に則って進めました。ミスをしていたら平身低頭謝罪をいたします。しかし、区長や私に謝罪を求められるのは筋が通っていません。はっきり言います。私は、肩書きに謝罪する気持ちは毛頭ありません。議員という人柄に対して評価をさせていただきます。これ以上謝罪を求めるなら、文書でお出しください。堂々と文書で返します」

 続いて、「議員がおられるなら代わってください。直接話しますから」
 
 電話は、議員に代わることはなかった。それは、秘書の判断でそうしたのだろうが、数日後の何処かの葬儀で顔を会わせたその議員さん。私に近付いてくると次のように言われた。

「この前、わしの秘書が失礼なことをしてしまったようで申し訳ない。叱っておいたので許してやってくれたまへ」

2002/12/11   ラテンのプロ    NO 280

 知人から電話があった。「近くに来ているから、軽く食事でも」と誘われ、すぐ近所の友人の喫茶店に行った。

 彼は、私より数歳年上。京都大学に在学中、アメフトのキャプテンをしていたスポーツマン。知り合ってから様々な無理を願ってきたが、それらをすべて応えてくれた素晴らしい人物である。

 彼は、若かりし頃、トリオ・ロス・パンチョスとの出逢いに衝撃を受け、やがてラテン音楽の世界に進み、メキシコ、ブラジルなど南米での生活を過ごし、ギターの弾き語りの世界ではちょっとした有名人物。

 2年ほど前、彼にとんでもないことを頼んだことがあった。私がプロデュースをしたホテル葬「慈曲葬」のシミュレーションへの出演で、彼のキャスティングは、故人の友人。

 故人が彼のファンであり、彼が祭壇の前で献奏曲を歌うという設定で、その時に彼が歌ったのは懐かしいテレビドラマ「7人の刑事」のハミングで有名な主題曲。彼が実際にその吹き込み当事者であったから選曲した。

 続いて彼のCDから1曲を選んだ。彼の作曲「コーヒーのある情景」、その曲をなぜ歌うかというシナリオを構成。この曲の参列者の評価は高く、CDを買いたいというお声が多かった。

 さて、この場面が多くのテレビで放送されることになってしまい、NHKの全国放送でも放映された。

 それは、全国で見ていた彼を知る人達を驚かせることになった。「どうして、あんな場面に登場しているのだ」という電話の問い合わせが、彼の家に殺到してしまった。

 そんな彼。数日前に会った時、持参していたMDを聴かせてくれた。
ラテンの本場のミュージシャンをバックに歌っているスタンダードナンバーの数々。間もなくCDとして発売されるそうだが、本物のラテン歌手という誇りを抱いている彼。

やはり、外国に長くいたことから発音が本物。素晴らしいレコーディングを耳にしながら優雅なひとときを過ごすことになった。

 彼のペンネームは「西川 慶」さん。これからも永く交友関係を続けることになるだろうが、会う度に互い身体を心配し合う年代。どうも最近は、毎日発声練習をしている彼の方が若く見えるようになってきたようだ。

 そんな彼とクラブに飲みに行った時の出来事。酒の世界では絶対に歌わないと言い切っていた彼が、ベサメムーチョを歌ってくれたことがあった。

 なぜ歌ったのかという理由は、ママさんが彼のことを知っていたこと。懇願されてそうなったのだが、ピアノ伴奏でも歌唱力はまさにプロ。20数人来ておられたお客さんが一瞬にして静まり返り、終わった後は「さすがにプロだ」と万雷の拍手。アンコールとなって収拾がつかないようになってしまった。

 そして、1曲だけということになり、歌ったのが意外な曲で「慕情」。
後でその選曲を訊ねてみると、「1番可愛い女性のリクエストに応えた」と打ち明けてくれた。

2002/12/10   悲しみの儀式の呼称    NO 279

 葬儀、葬式、葬祭、葬送など、悲しみの儀式を表現する言葉にも様々ある。
 
 一般的にどの語句の使用度が高いかを調べてみたら、上記の順になった。

 これらはインターネットの文字検索にも顕著で、登場するページ数を見れば一目瞭然。

 葬儀には「屋」と「社」。葬式には「屋」の文字を連ねて呼称され、「業」の文字を付けて表現されるのは葬祭と葬儀で、このふたつには葬祭業を営む葬儀社の商号によく使用されている。

一方で、「葬送」は新聞の家庭欄、文化欄によく登場しており、ネット検索でもそれらが引っ掛かってくるが、葬儀、葬式、葬祭の三つの言葉には「文化」という語句は似合わず、やはり「葬送の文化」とするのがぴったりと合い、マスメディアが専門的な取材に基き論じる時に重宝されているようだ。

 しかし、社会面を見ていると、葬儀に関する事件の報道記事では「葬式」が多く、お寺さんの紹介でキックバックの表面化や、契約の不履行と心付けでの悪徳行為の暴露が新聞の一面を賑わした「ベルコ」さん問題では、「葬祭会社提訴へ」という見出しに特徴があった。

 今、我々葬祭業界は、社会の中で不信感を抱かれる存在になっている。葬儀が非日常的なことで、業者任せや他人任せで進められてきていた背景があり、悲しみの中のハイエナビジネスという問題提起の言葉で登場し、非常に残念な思いである。

 無駄を割愛し、自分や家族で真剣に考える時代の到来。また、個性化と多様化への対応が不可欠となっている潮流にあって、無宗教形式の流行の現実を鑑みると、葬祭業者は意識改革から始めなければならない筈。

 弊社が加盟する「日本トータライフ協会」は、数年前からこれらのことに取り組み、メンバー達が研鑽を重ねて取り組んだのが「愛と癒しのサービス提供」。

 今、これらの実践活動が全国で話題を呼ぶようになったが、その一礼として、弊社が新聞の一面のカラー記事や社会面のトップに記事掲載された事実は、それらが社会の歓迎と賛同を頂戴している証しであると自負している。

 葬儀、葬式、葬祭、葬送。これらの言葉に秘められた「悲しみ」に変りはない。不信感を抱かれる我々葬祭業界と宗教者の皆様は、胡坐の姿勢から正座して真剣に考えなければならない時代を迎えていると言えるだろう。

 担当した葬儀を終え、後日の精算時に伺うご遺族、ご親戚、参列者からのお声。それらは最高の社会リサーチでもある。

 そこで耳にする素朴な疑問への対応と解決こそが、我々業界の文化向上のために最も近道となると確信しているこの頃である。

2002/12/09   予定外の宿泊    NO 278

 午前中の仕事を終えた頃、数日前から痛み始めていた腰痛がひどくなってきた。

これまでに何度か治療に行ったことのある先生のお世話にと考えていた時、同じように不調気味だった妻から電話があり、話すと一緒に行くと言い出した。 

 先生がおられるのは、北陸。電車で行きたかったが、妻が行くとなると車で行かなければならない。仕方なく名神高速道路を走行することになったが、京都を過ぎた頃にますます痛くなってきた。

 大津のサービスエリアを通過した頃、昼食を食べていないことに気がつき、無性にお腹が空いてきた。痛いが食べる方が先。そこで、少しスピードを上げ、多賀サービスエリアまで走った。

 さて、入ったレストラン。出来るだけ早く調理可能というところからハンバーグを注文。
短い時間で運ばれてきたハンバーグに箸をつける。

 私は、ウースターソースをたっぷりと掛けるタイプで、すぐに掛けた。
食べた瞬間、変な味。それが醤油であったことに気付いた。

 よく見ると、ソースと醤油が並んで置かれており、ここでは醤油を入れた器の方が大きく、大きい方がソースと勝手に思い込んでいた私の早とちり。

 ハンバーグに醤油を掛けたら困ったことになる。そこで、その上からソースを掛けたが、何とも表現出来ないような変わった味。そこで、ノーベル賞を受賞された田中さんのことを思い出した。

<何か発見はないか?> 何もない。当たり前。
初めて体験する不思議な味。これはいただけない。そこで知恵を働かせる。
ハンバーグの熱い鉄皿を斜めにずらし、改めてソースを掛けることにし、何とか食べた。

 やがて走り出して北陸道。対向車線には京阪神や東海方面に向かう観光バスがひっきりなし。師走で不況が叫ばれている時代にあって、これは不思議な光景。
観光バスは、推測だが100台以上はすれ違っただろう。きっとカニのシーズンだからと推測のうえ納得。

 やがて目的の先生を訪問し、治療を受けたが、患者さんが多くて待たされたことから、急遽、宿泊することにした。

 加賀温泉までは40分ぐらい。周辺には芦原、粟津、山城、山中温泉があり、もう少し走れば片山津もある。あちこちにお気に入りの旅館があるが、どこも満室。そこで、見つかったのが山中温泉の「胡蝶さん」。10室ぐらいのこじんまりとした和風旅館だったが、部屋係として対応してくださった仲居さんが素晴らしかった。

 病的なほど偏食な私。せっかくの料理の大半に手をつけなかって申し訳ございませんでしたが、お世話に相成り、有り難うございました。

 カニ、海老、貝、牡蠣、雲丹、キノコ類、赤身の魚、これらを謹んで遠慮申し上げている私。

今回も不幸な自身を悲しんだが、3回お風呂に入ったお陰で腰の痛みが少し和らいだ。

2002/12/08   懐かしい思い出    NO 277

 ライトアップされた大阪城を見ながらタクシーを待っていた。強くはなかったが雨の影響からか、10分ぐらいを歩くことになった。

 そんな時、偶然、すれ違った人に「お久し振り」と声を掛けられた。

 彼は、テレビ局の制作部にいる人物で、何度かテレビ局で打ち合わせをしたことのある顔馴染みの人だった。

 彼が制作担当したある番組で、忘れられない思い出がある。葬儀をテーマにした放送作家の台本に基き、実際の葬儀のシミュレーションを90分番組で行ったのである。

 布団に寝ている故人の役。これは、弊社の社員が担当した。その枕元で行う枕道具の設営は部長の役。
実際と同じレベルの葬儀の設営を行うという大規模なもので、式場としてご協力くださったのは由緒深いお寺様。
私は、打ち合わせを行なう葬儀責任者の役から司会進行までを受け持った。

 喪主、喪主の奥さん、親戚のおじさん、その奥さんなど、10人ぐらいのキャスティングはすべて俳優の方。弔問の光景では、カメラマンを除くすべてのテレビ局関係者が扮し、ADさんまでも出演協力していた。

 この番組は、非常に話題を呼ぶことになった。放映された次の日から「よい企画でした」との電話や手紙が多くあり、放送作家や局の関係者が喜ばれていた。 

 そんな中、その番組のプロデューサーから電話があった。視聴者の電話と手紙の中に、「家にマニュアルとして残しておきたいのでビデオが欲しい」という要望が多くあり、どうするかということであった。

 これらの対応はテレビ局では難しく、著作権のことを超越して弊社が対応することになった。

 番組の中では、式場をご提供くださったお寺様も導師の役のご協力をいただき、テレビをご覧になられた檀家の皆さんからもお寺様に同じご要望があったそうだ。

 収録されたシミュレーションの葬儀は、スタジオの司会者が中心となって「お葬式」というタイトルで生放送され、私もスタジオ出演していた。

 スタジオでご一緒したのはアナウンサーの角 淳一さん、岩城潤子さん、それに坂東英二さんであったが、タイトルが「お葬式」だけに、スタジオに緊張が走り、番組始まって以来の真面目な内容という評価を頂戴した。

 その後、お墓を取り上げた番組をはじめ何回か生放送でご一緒したが、ある時、ある大学教授と2人で出演した時、私の方を上座扱いされた時だけは恐縮してしまった。

 番組終了後、その思いを伝えると、プロデューサーが独り言。

『生放送は、安全を重視するのです』

2002/12/07   友引の日のスケジュール    NO 276

 昨日、明治40年生まれ、享年96歳の女性の葬儀を担当してきた。

 ご伴侶が51歳で亡くなられてから5人の子供さんを育まれ、大東亜戦争で北満州に出兵されたご主人を送り出された時の思いが辛かったようで、その当時の軍歌をよく歌っておられたと伺った。

 とても静かな葬儀で、12人のお孫さんと21人の曾孫さんの存在があり、皆さんでお柩にお手添いいただいたが、そのお柩の中には、俳句に造詣深い喪主様が詠まれた「納棺へ 菊の葉屑の従いて逝く」という句の短冊が納められていた。

 私にも、一人だけだが孫の存在がある。
私が死を迎えた時、自主的に「お爺ちゃんへ お別れの言葉」を捧げてくれる教育をしておきたいと心底から思っているが、それには、日頃のコミュニケーションを大切にしなければとプレゼント作戦を展開しているが、やはり「物」で「心」は左右されないところから、1年後ぐらいからは作戦変更をしようと画策している。

 夜に担当した通夜は、天理教の教会。冷え込みが強く、腰がジンジンと痛みはじめ、どうしても火の側に行くことが多くなり申し訳なかったが、若い方々が15人ぐらいで奏楽を担当され、琴の音色がもの悲しさを醸し出していた。

 さて、今日は、友引の日だが1時間30分の葬儀がある。それを終えると講演が待っている。
これは、NPOの後見ネットワークのボランティアグループに対する葬儀の講義で、崇高な思いを抱かれて集われる皆様に「葬儀とは何か」ということを、映像を交えて講義することにしている。

 こんな講演活動も私の大切な仕事の一つで、これも生きた証しとなるとの思いから、葬儀社団体を除く一般向けの講演は、交通費だけを頂戴する条件で引き受けているが、この団体には交通費を含め、私自身もボランティア精神で担当している。

 私の講演には特徴がある。受講者を参列者として体感させる空間演出を重視し、映像を活用しながら儀式空間に引きずり込むシナリオになっており、これまでにあったように、同業者や宗教者が体感されると「衝撃の世界」という言葉が返ってくる。

 『体感に勝るものなし』 これは、私がよく用いる言葉だが、1時間の講義より5分の映像の方がインパクトで勝り、私の講演に欠かせない相乗効果がシナリオシステムとなっている。

 過日の大阪研修会で、全国の若手メンバー達がしてくれた私の「偲ぶ会」用の作品。思い出の写真に画像処理を施してパネルにしてくれた10数枚の写真や、日記風に編集されたビデオ映像も大きな利用価値があるし、何より説得のパワーがある。少し荷物にはなるが、早速試してみることにした。

 創作してくれたプロジェクトチームも皆さんに、ここに改めて感謝を申し上げる。

 講演の終了後は、あるお寺様の檀家さん達との毎年恒例の忘年会に出席するが、私が何かしなければならない時間が予定されており、そのシナリオも考えなければならない。

2002/12/06   HP情報です    NO 275

 弊社が加盟する『日本トータライフ協会』のHPが、近日の内にリニューアル発信される。
 テストバージョンですべてのページを確認してみたが、葬祭業界のどこにもないようなメルヘンチックな世界が広がっており、オープン化されたら大きな話題を呼ぶことになると予測している。

 今年の1月22日から毎日更新中の「必見コラム 有為転変」のアクセスもうなぎのぼり。執筆を担当しているメンバー達の緊張が高まっている。

 そんな中、協会の副理事長、東京の「株式会社 杉田フューネス」のHPがリニューアルされ、数日前から発信されている。

 杉田氏は、日本の葬祭業界に於ける「葬祭哲学の第一人者」。
私と彼は、業界にあって異質?な存在であり、10年前頃から「西の大阪高級葬儀・東の杉田フューネス」という言葉が業界内で交わされ、業界取材をされた新聞記事にもその表記がされたことがあった。

 過去ログに書いたが、我々2人は「とんでもない葬儀社」と勝手なイメージをされていたが、互いが予測していた葬儀の変革予測が的中し、これらを感じ始めた全国の葬儀のプロ達が自然に結集され、営利を目的としない「夢集団」「理念集団」である日本トータライフ協会が誕生したという事実背景がある。

 「葬儀社である前に、自身を葬儀<者>に磨こう」という考えは、意識改革を共有することになった若いメンバー達にも理解され、開催される「匠達」の研修会を通じて全国的に広がりを見せている。

 葬祭業を完全なビジネスとして捉えている大手葬祭業者や互助会組織は、当初から我々の存在に強い抵抗感を示し、「理念や哲学で企業が経営できるものか」という考え方を表面化されていたが、全国のメンバー達の実践する新しい時代の「愛と癒しのサービス」が、今、ご体感によるお客様の賛同と歓迎を頂戴することになり、急遽、営業方針を転化される姿勢を見せられていることが面白い。

 葬儀の司会は「開式の辞」「弔電代読」「閉式の辞」だけ。一曲の音楽が流れることもないような葬儀。そんな形式の葬儀を遂行されている業者の方々に将来はないだろう。

 協会に加盟するメンバー達が行っている葬儀。それは、参列された方にしか分からないが、仮に葬祭業者の方が体感されても「否定」されるものと確信している。

 世の中のすべての産業の変革の歴史にあるように、同業者というものは、自身が出来ないものを見たり知ったりすると「否定」が生まれて当然であり、否定の道を進まれた方が凋落から崩壊して行くのも道理である。

 杉田副理事長も、不定期だが、この「独り言」のような世界を始められた。これで、メンバー達が発信するコラム的なものが「有為転変」の他に6社となった。

 それぞれに勝手なことを書き、みんな個性を表面化させている。それぞれがアクセスを頂戴しており、文字によるページ検索ではとんでもない世界でトップページに登場してきている。

 お暇な時に、是非、ご笑覧をいただければ幸甚です。

東京   株式会社 杉田フューネス ・・・   http://www.funes.co.jp/

下記は、この大阪高級葬儀のHP内からリンク可能です。サイトマップからお進みくださいませ。

高知   おかざき葬儀社 「ほっと一息」・・・・・・・・・・加盟企業コメントから 
熊本   株式会社 落合葬儀社 「もっこす瓦版」・・・・・・    〃
苫小牧  苫小牧・室蘭市民斎場 「めもりあるトピックス」・・    〃
東京   井口葬儀店 株式会社エチュード 「国分寺通信」・・ホテル葬送のページから
協会   日本トータライフ協会 「必見コラム 有為転変」・・活動の近況 協会から

2002/12/05   葬儀社が癒されることも   NO 274

 弊社に、「ミス・ホスピタリティ」という愛称で呼ばれる女性がいる。

 彼女は、若いが典型的な日本の女性で、素晴らしいご両親に京都で育まれたからだろうが、お寺様やお客様からもそう呼ばれるれことが多く、弊社の貴重な『人「財」』である。

 そんな彼女が、入社後に初めてという体験をすることになった。昨日のお客様のご葬儀の総括責任者として、ご自宅訪問から始まって、通夜、葬儀、ご拾骨、初七日法要までのすべてを担当したのである。

 もちろん、ベテラン社員がフォローをしてくれたが、私が葬儀当日に式場へ行った時に感じたことは、ご遺族とのコミュニケーションが素晴らしく噛み合っており、さすがはミス・ホスピタリティという思いを抱いた。

 そんな彼女が、葬儀を終えて私が事務所に帰ると涙ぐんでいた。
<何か、ミスを?> 一瞬、そう思ったが、彼女の涙は澄んでおり、<やり遂げたからかな>とも思い、ほっとしながら涙の意味を訊ねてみた。

 「これです」 そう言って手渡されたのは、1通のお手紙。今日、宅配でお届けくださったお菓子に同封されていたもの。担当した部長と彼女の名前が表記されていた。

その葬儀は、2ヶ月前に行われた合同葬で、ご遺族の女性から頂戴したものであった。

 そのお手紙は、弊社や私にとって何より嬉しいもの。誠に勝手ながら、衷心より合掌申し上げ、担当スタッフを表彰する思いを抱き、ここに原文のまま一部を表記させていただきます。


拝啓 師走に入り何かとご多忙な毎日と存じあげます。
 先般より父の合同葬におきましては、短い準備期間の中、また、その後終わってから満中陰後の片付けまでと、本当に至れり尽くせりのお仕事振りを直接頂戴することとなり、心にしみて感謝致しております。
 常、日頃からの久世社長様のポリシーとご指導がスタッフの皆様のお仕事に形となって現れておりました。
 心を形にする。これはとても大切なことで難しいことです。亡くなった父も厳しく常々申しておりました。気持ちのない仕事、思い入れのない仕事には価値はない。その商品にも、そして販売する人間としての価値がないと。
 
 父との大切な最期の別れの時間を、大阪高級葬儀株式会社様のお陰でゆっくりと満足のいく別れができました。本当に感謝致しております。
 きめ細やかな行き届いた心のあたたかさを、ビジネスだからという一言では片付けず、本当のプロとしてのサービスをして頂きましたこと、改めて御礼申し上げます。
 また、内勤スタッフの皆様にはお顔も拝見せぬまま失礼かと存じますが、くれぐれもよろしくお伝えくださいませ。心ばかりのささやかな品ではございますが、お送りさせていただきます。
                                      敬具
 

 この後、どなたかに葬儀のご相談があれば弊社を紹介というお言葉も頂戴いたし、恐縮いたしております。

 過去に、ある社葬の終了後、名古屋から来られていた会葬のお方に「TDLサービスを感じ、感動企業として**に紹介いたしました」というお手紙をいただいたこともあったが、こんなお手紙は、我々葬儀社自身が、最も「癒される」ことになるものである。

 お手紙、真に有り難うございました。そしてご恵贈くださったお品。合掌をいたし、会長様のことをお偲び申し上げながらスタッフ一同で供養として頂戴いたします。

2002/12/04   知恵とイタチゴッコ    NO 273

 インターネットの世界が発展すると、この世界の新しい犯罪が生まれ、それを取り締まる法律が制定されていく。

 クレジットカードの社会になれば、また、想像しなかった犯罪が登場するし、パソコンやコピーが進歩すれば偽札事件が横行する。
 
スピード違反の取締りにオービスが誕生してしばらくすると、電波を傍受する器材を誰かが創り、様々な世界でイタチゴッコの様相を見せる。

 最近には飲酒運転の検問が厳しく、ゴルフ場の多いインターチェンジや幹線道路での検問も増え、「ちょっとだけ」との誘惑に負け、横着をしてしまったドライバー達が苦い経験をしているが、人身事故を起こしたと思えば救いのあることと反省しよう。

 ゴルフで思い出したが、パットの際、グリーン上で抜かれて置かれた旗竿にボールを当てると2ペナルティーの罰則があるが、このルールが生まれたのもイタチゴッコみたいなものであった。

 ある時、抜かれた旗竿をホールのすぐ側に置く人物が出現した。少々強めに打っても必ず旗竿で止まることになり、長いパットでも2パットという悪知恵を働かせたのである。

 同伴競技者が「それはないよ」とクレームをつけても、おそらくその人物は、「そんなことをしてはいけないというルールはない」と開き直ったものだろう。

 そこで2ぺナのルールが誕生したようだが、スコアの前に人格を捨てるようなことは知恵がないと風評されることになってしまう。

 ゴルフ、マージャン、囲碁、将棋などは、その人の性格がはっきりと表面化するもの。つまらないことで一生不名誉となる悪名を売りたくないものである。

 今、打ち込んでいるパソコンのすぐ横で、猫がゴロゴロと喉を鳴らして寝ている。そこで囲碁で生まれた「化け猫事件」の鍋島騒動を思い出してしまった。

 単なるゲームの勝ち負けに立腹しているようでは身が持たないし、絶対に大物にはなれないだろうが、そう言う私も負けることが大嫌いで、勝つための知恵だけは絞り出す努力をしている小物である。

 この原稿を書いたら、すぐに手紙を書かなければならない。あて先は、明日に満3歳を迎える孫。
今日は、初めてインターネットで玩具を買った。(と言っても女性スタッフに頼んだのだが)

『誕生日、おめでとう。**ちゃんが生まれた日はみんなが嬉しい日ですが、ママのお腹を痛めた日でもあるのです。また、パパが「元気で生まれてきますように」と心配した日でもあるのです。お爺ちゃんもお婆ちゃんも一緒に心配して、**ちゃんの生まれる日を待っていたのです。そして、**チャンが元気に生まれ、今日、3歳になったのです』 

 こんな手紙を娘が読んで聞かせても理解出来ないだろうが、三つ子の魂という言葉もある。幼い心の中に、ちょっと感じてくれたらいいなと思っている。

 過去ログ「3月21日」に書いた「アンパンマンさん有り難う」。高知のアンパンマンミュージアムに行ってから1年と少しが経過した。いよいよ、孫に「知恵」を与えるためのイタチゴッコが始まる時期の到来である。

2002/12/03   スタッフのミーティングを終えて    NO 272

 昨日から、この独り言のページがイメージチェンジ。前よりワイドになって見易くなったように感じる。

 これは、「NO 270」で書いたように、過去ログを開くするためにバージョンアップしたもの。これで、今年の3月1日のスタートまで遡ることが可能となった。

 「変更しておきましたよ」

 制作をお願いしたプロから、そう電話があったが、彼は、「あまり長文にならないように」「アクセス数が多いから、おかしなことを書かないように」とのアドバイスも忘れなかった。   心掛けなければ・・・・

 私のようなものが「書く」ということは恥を「掻く」ことだが、礼節だけは「欠く」ことのないようにつとめたいと考えている。

 さて、昨日、弊社のスタッフミーティングで、過日の神戸研修会の講演ビデオによる研修が行われた。

 私が予測していたように、当日に参加したスタッフ以外も、全員が涙を流していたが、重くて辛い現実体験談は、味わったことのない疲労感を覚えたようだ。

 阪神淡路大震災で大活躍された葬儀社の社長の講演。これは、会場となったホテルのスタッフ達も泣いてしまったほどの内容で、誰もが心にしなければならない永遠のテーマだった。

 受講者達が流した涙。それは、澄んだ色の涙。愛と命の尊さ、そして人間が自然の中で「生かされて」いることの実感につながり、透明の涙が、やがて我々葬祭業者の歩むべき道がはっきりと見えるレンズのような役割を果たしてくれた。

 講師を務めていただいた社長の話は、すべてが実話。自らが体験された未曾有の衝撃の出来事であり、二度と体験したくないともおっしゃられ、受講者は誰もが心の扉を開け、ただ合掌の思いで耳を傾けていた。

 講演が終了した後、数人のスピーチがあったが、全員が謝辞に併せて言ったことは、「ただ感動。愛、悲しみ、命という体験の『語り部』となってください」であり、我々葬祭業の誇りで、新しい使命感を教えていただいように思っている。

 「涙は、血液の一部なのです」

 北海道のメンバーが、そんなことを言って、涙のメカニズムを講義してくれた。

 それを拝聴しながら、私の好きな次の言葉が思い出されてきた。

『 涙は、悲しい時にだけ生まれるものではない。感情が極まった時に生まれるもの。人が「生かされている」証し、輝きなのである 』

 株式会社 公詢社の吉田社長。あなたは、日本トータライフ協会のメンバーとして、今回我々にお話くださったことを、一人でも多くの方々にお聴きいただくべきだと考えます。

 愛と命の「語り部」として、永久に。  有り難うございました・・・・・合掌

2002/12/02   あの世からの生還?   NO 271

 世界中でテロ事件が発生している。ターゲットにされるのは不特定多数。被害に遭遇された方や家族の心情がどんなものだろうか。

 戦争の歴史の背景には、必ずと言っていいほど「宗教」の問題が絡んでいる。

 人を変えてしまうのが戦争で、その要因になるのが「宗教」と「独裁者」ということであり、これも悲しくて愚かな人間という動物の宿命のような気がしてならない。

 テロ事件の中に「自爆」というケースがある。身体に爆弾を巻いて突入するという行為。太平洋戦争時代の航空機による突入の歴史を思い出してしまうのは私だけだろうか?

 自分を犠牲にして他人を殺傷する行為。そこまで人を変えるのが宗教と戦争と結論される訳である。

 自爆したら「英雄」であり天国へ行ける。家族に幸せが訪れる。そんな洗脳は真に以って低次元な教育のうえにしか生まれない発想であるし、信仰する者だけが幸せになれるというような宗教の存在が残念でならない。

 宗教の流布に不可欠なことが「あの世の存在」。単純に言えば、天国、極楽、浄土や、阿鼻叫喚の地獄のある仏教の六道の世界などがそれらであろう。

 ここで気がつかなければならないことがある。あの世に行って帰ってきた人は誰もいないということ。

輪廻転生という思想もあるが、仏教で言われる49日の満中陰が過ぎてこの世に帰還した人なんて絶対に存在しない筈。来世が幸福か不幸か体験した人がこの世にいないのに、なぜか経典に基いて信じてしまう。

 信じるだけなら許されるだろう。しかし、自分の幸せを目的に他人を殺傷する行為なんて宗教ではないと断言する。

 宗教とは人と社会を幸せにするもの。不幸な人と社会を少しでも不幸でないようにするという、人の生き方、あるべき姿を説いたもの。そこから逸脱した宗教がどんなに多いか嘆かわしい限りだ。

 遠い昔に爺ちゃん、婆ちゃんが教えてくれた「罰が当たる」「地獄に落ちる」という幼心に生まれた恐怖感がどこへ消えてしまったのだろうか。

 私が道楽で書いた著書の一節に、「来世に夢を託して死を迎えることが幸せ」というのがあった。
『他人を殺傷したり騙した人生は、被害者達があの世で待っている』

 自分が死を迎える瞬間に、そんな恐怖感に苛まれる最期は迎えたくない。
 『苦労した。でも悪いことはしなかった。人を助けたこともある。感謝をしながら待ち迎えてくれる人もいるだろう』

 そんな思いで終焉を迎えることが出来たら、それこそ幸せではないか。

 宗教には、懺悔という教えもある。反省に併せて悔い改めるというチャンスと救いがあるではないか。そこに「後悔」だけはない人生でありたいもの。

 せっかく「人」として生まれてきたのだから、自身に与えられた「命」を自ら断つことだけはするべきでない。それで他人を巻き込むことは、絶対に地獄に落ちると信じて生きて行こう。

2002/12/01   人生の黄昏かな?   NO 270    

 今日から12月。まさに烏兎怱々の感がある。前のアドレスを破棄し、このHPを発信したのは3月1日。今日で9ヶ月を経たことになる。

最近、アクセス数に、興味深い変化がある。

 ある日、突然に数字がアップすることがあり、それらの原因が弊社のことが新聞記事やテレビで取り上げられたことが多かった。

 しかし、この数ヶ月の間に特徴的な兆候が生まれている。会葬者の多い通夜や葬儀の日と翌日の数字が急激にアップするのである。

 私は、失礼このうえない勝手な推測をしている。
参列体験をされて弊社に興味を抱かれ、HPを開いてくださることは、「さぞかし費用が高いだろうな」「どの程度でこんな葬儀が出来るのだ」という、費用面への素朴な疑問からのご行動ということであると。

 一方に不思議な現象がある。アクセス数アップがあった後に、ある一定のバランスで継続する数値アップが分析されている。その原因が、この「独り言」にあることが分かった。

 「過去ログを見たいのですが」
 そんなご要望のお電話も多い。これは、私自身も対策不足であり、更新する度に1本が消えていくシステムから、最新版から150日分しか開くことが出来ないのである。

 大阪研修会の終了後、このシステムの改良に取り組むことになった。発信を始めてからのすべてをご笑覧いただける形式に変更することが決定した。

 これらは近日中に完成するが、正直言って、削除したい「独り言」も多い。しかし、書いたことへの責任もあり、すべてを掲載することにした。

 しがない初老の葬儀屋の「独り言」。それは、私の生きた証しでもある。駄文の列記から何かひとつでもプラスとしてお感じいただくことになれば、私が今日まで生かされてきた意味もあるだろう。

 このシステムが完成すれば、「過去ログは?」というお電話を頂戴することがなくなるが、そんな電話の際に拝聴するご感想を伺えないのは寂しいところだ。

 本音を言えば、言いたいことは山ほどある。社会を一変させるレベルの秘められたネタも多くあるが、私がこの仕事に携わっている間は遠慮しようと考えている。

 何れ、隠居の立場になるだろう。その時から始まる「独り言」こそ、私の本当の生きた証しになると言えるかも知れない。

 55年間を生きてきて、今、私の財産となっているのは家族の他に素晴らしい友人達と日本トータライフ協会のメンバーの存在である。

メンバー達は、近い将来に必ずや日本の葬儀を変えてしまうと確信している。それだけの哲学と信念を共有し、悲しみの世界で「かたち」としての行動実践に取り組み、体感された方々からの賛同と歓迎を頂戴しているからだ。

 若いメンバー達の間では、私は長老という存在になっているが、老害にだけはなりたくないと思っている。


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