2002年 8月

2002/08/31   ショック 反省    NO 181

 この1週間、ちょっとハードなスケジュールとなった。そこで、いつもお世話になっているお医者様に行った。

 2週間に1度は訪れるこの医院は、私の体のデーターをコンピュータで把握され、毎回適切なアドバイスを頂戴している。

 名前が呼ばれ、診察室に入ると、「無茶をしていませんかな?」と訊ねられ、ちょっとお疲れモードですと応えると、「新しい検査機器が入ったよ。5分で済むから検査をしよう」と、別室の検査室に入ることになった。

 その新鋭機器というのは、両手両足の血圧計測を同時に調べるシステムであり、主に動脈硬化の度合いの測定が可能で、「血圧脈波検査」と呼ぶ装置だそうだ。

 検査が終わり待合室で待っていると、5分も経たない内に診察室に招かれた。
「何をされてきたのですか? とんでもない数値が出ています」

 椅子に掛け、インフォームド・コンセントのひとときとなる。様々なデーターの結果と説明を受ける。

 20年前ぐらい前から高血圧と診断されている私は、まめに検査を受けてきていたが、
グラフと数字に表れた結果を見ると衝撃の数値が出ていた。

 動脈の詰まりは正常値の範囲内で安堵したが、動脈の硬さを表す数値がとんでもないほど高く、男性年齢平均数値から判断すると、なんと85歳と言われたのである。

 解析結果には、右も左も「同年代の平均値と比較して高値です。かつ基準値1400/sを超えています」とコメントが明記され、グラフの男性平均ラインの接点を辿ると、確かに85歳のところ。実際の年齢よりも30歳も老けているということ。

 先生のお言葉によると、運動不足、喫煙、ストレスを何とかしなければならないとのこと。生活習慣の改善につとめると共に、定期的にこの検査を行なうことを勧めますと続けられた。

 頂戴した資料によると、動脈硬化の進行を放置すると、それが心臓に酸素や栄養を供給している冠動脈に起これば「狭心症・心筋梗塞」。脳の血管がもろくなれば「脳出血」。詰まれば「脳梗塞」。足の動脈に起これば「下肢の壊死」につながる可能性がありますとあった。

 可能性とは危険性のことではないか。葬儀で人を送っている自分が送られる立場になるとの危険信号。少しでも生活習慣の改善につとめようと真剣に考えている。

 振り返ってみれば、最近、全く歩いていない。電車や車に乗っている時間が多く、運動不足であることは確実。今日から歩くことからでも始め、10日ぐらい後に再検査をと思っているが、その時、取り敢えず、75歳になっていることを目標にしている。

2002/08/30   ホテル葬に思う     NO 180

 ホテルでの偲ぶ会、お別れ会、社葬が凄い勢いで増えて来ているが、そのすべてと言っていいほどが無宗教形式であり、宗教者に問題提起していたことが現実化しつつある。

一方で、参列体験をされた方が増えると、必然として変化を生じるのが世の常。「これはビジネスになる」と、安易な発想で取り組まれたホテルでの問題も多く発生している。

本質の見えないホテル経営者や担当ホテルマン達には、この部分の危機感に全く気付いておられないようだ。

 北海道のメンバーが発信している「めもりある トピックス」の今日の号に記載されていたが、<料理と接待はホテルがプロ。ホテル空間のイメージに合う祭壇を我々業者に依頼するという勝手な構図。彼らが描くそんな低次元サービスのシステム構築は、奥行きの広さを知った時の恐怖が衝撃的>で、過去に担当したお客様に申し訳がないという後悔にまで陥ることになる。

 九州で昨日に行なわれた新しい形式での社葬。もしも、この参列者の中にホテル関係者や葬祭業者が存在していたらどう感じただろうか。自分達が不可能なことを見ると「批判で逃げてしまう業態」は不変だが、一般参列者の皆さんの表情や感想の言葉を耳にすることになれば、衝撃よりもスタートしなければならないという意識改革には至った筈である。

 弊社は、今、超一流ホテルからのプロデュース招聘を受けているが、要望を拝聴する中での共通点として、お客様のご満足を重視されている姿勢があり、その上にグレードの高いホテルサービスが認知され、本来のサービス提供ビジネスになればとの思いが伝わってくる。

 ステータスを放棄したホテルサービスは、凋落の道を進むことになり、その将来が「必ず崩壊」という図式の上を走っている。

 ホテルには会場空間という「器」があり、それは様々な関連機能との連携で葬祭ビジネスの大きな武器となるが、「料理」と「人のサービス」は当たり前のこと。当たり前のことを「売り」のしているようでは「お先は暗闇」。お客様が選択する時代と言われている葬祭業界にあって、ないものを創るサービスの構築、ここに将来のホスピタリティサービスの生き残る道があると確信している。

 超一流のホテルがそこに気付いている。一流ホテルが気付かない。両者と関係している私には、これらのことが誰よりも感じるところであり、「超」の文字の重みと魅力を体感している。

「こんな葬儀、見たことがない」 
我々が担当すると、そんなお言葉を多く頂戴するが、「これなら納得だ」という賛同の言葉が続く現実は、我々協会のメンバー全員が確信している現実でもある。 

 21世紀の葬祭業界、そこには確かにホテルの存在もある。しかし、本質を大切に考え、参列者を含めた総合的なプロデュースパワーを理解しなければ、その将来はないだろう。

 安易なパックシステムを売り出してしまったホテルブライダルの道。その同じ徹を踏まない知恵だけはお持ちいただきたいと願っている。

2002/08/29   九州は遠いですね。    NO 179

 28日の九州での社葬を終え、2人のスタッフの車に同乗して帰阪した。
 九州を出発したのが午後5時。750キロを走行して事務所に到着したら29日の午前1時前。やはり年齢なのか、腰から背中に掛けてキンキンである。

 それにしても車で走れば日本は広いもの。途中で強風、雨、霧まで遭遇したが、夜間走行は、どうしても目に疲れがくる。

 乗ってきた車は、キャデラックのフルサイズ。5メートル70センチのロングボディで乗り心地はいいが、スプリングがソフトでカーブに弱い習性があるところから、慣れないとハンドル操作が難しい。正装しなければならない我々の服装や、様々な特殊器材の持参というところからすると、どうしても大きな車が必要で、会社の車を使った訳である。

 大阪から往復で約1500キロ。換算した使用ガソリンは220リッター。満タン92リッターが高速通行では630キロ程度。途中で何度か燃料補給をしなければならない不経済な車である。

 さて、2泊3日の九州での社葬担当。式場での真剣なリハーサルに力を入れたが、ホテルに帰ってからの変更シナリオの創作に時間を要し、2日間とも睡眠時間は3時間程度となってしまった。
 何とか寝なければと、医師から貰った睡眠導入剤の助けを借りたが、その影響で、朝の目覚めは朦朧状態。頭をすっきりさせるには少しの時間が掛かることになった。

 私は、本番が始まる前の食事を抜くことにしている。食べると頭の回転が鈍くなることと、大切な発声に影響が出るということへの配慮で、永年の習慣リズムとなっている。

 本番が終わる。達成感という心地よい疲労感に併せて、猛烈な空腹感にも襲われるが、我々葬儀のプロにしか分からないある症状が生まれることも吐露しよう。

 それは、虚脱感にとらわれるということ。長時間歩き回り、緊張の中で2時間以上立った姿勢でマイクを担当すると、車の長距離運転とは全く異なる足腰の疲れがドット表れ、何もしたくないという時間が30分ぐらい発生するのである。

 本番が終わり、6分間のご遺骨返還式を済ませ、スタッフ達が片付けを始める頃、私は吹き抜けのあるコーナーの椅子でウーロン茶を飲んでいたが、葬儀の役員さんが次々にお礼にお越しくださった。

「こんな社葬は初めてでした。葬儀の世界にもプロがおられるということを知りました」
「司会者が大阪からと聞いた時、正直、疑問を抱いていましたが、いやあ驚きです。言葉が見つからないほど嬉しいのです」

 そんな嬉しいお言葉も頂戴したが、伴って行った2人の弊社スタッフの存在を褒めていただいたことが一番の喜びであった。

 男性スタッフは、ホテル関係で高い能力を培っていたし、女性スタッフは、ホスピタリティのプロ。彼女は可愛い女性であるが、ご遺族への接し方には誰にも出来ない独特のハートを持っているし、本番の行動、仕種には、誰の目にも「プロ」と認識される「魅力」を秘めており、弊社の素晴らしい「人財」達である。

 今回の社葬シナリオで、担当する葬儀社スタッフ全員にお願いしたことは、オープニングの重要性の認識であった。開式前の皆様へのご挨拶のひとときにすべてが掛かっている。その部分のリハーサルに力を注いだが、彼らは、それを本番で見事に完璧にやり遂げた。

 スタッフの皆さん。お疲れ様でした。

2002/08/28   発信出来ますように。   NO 178

 今、九州のホテルの部屋でこの原稿を打っているが、23時57分現在、発信の電波の具合が悪く困っている。どうもホテルの構造に原因があるようで、場所を変えてエンターボタンを押さなくてはならないようだ。

 そんなところから、発信の日付が8月28日になってしまいますがご海容くださいませ。

 大阪から2人のスタッフを伴い、朝から先方様の会社を訪問、その後、式場の音響、照明のプロスタッフとの打ち合わせを終え、重要な部分のリハーサルを繰り返したが、何とか「かたち」になる段階まで進んだ。

 この「独り言」を発信した後、社葬本番のシナリオ構成の最終原稿を打ち込むが、恐らく数時間を要するだろうし、睡眠時間があまり取れないと覚悟している。

 今回の社葬の特徴は、自由葬形式の「お別れ献花式」。無宗教というバージョンではあるが、会社と社員の皆様が大切な「儀式」として創業者をお送りされるというコンセプトで、単なる「会」や「集い」という形式ではなく「式」であるということを重視し、「命」と「愛」をテーマに、僭越だが「司式」的な要素も組み込んでいる。

 社員の方々のご協力をいただくことが可能となり、オープニングからご献花拝受まで、その大半を社員がつとめられるシナリオだが、初めてご体験される様々な世界、その指導を担当した弊社スタッフも大変だったようだ。

「緊張します」とのお言葉が大切で、全員が真剣にリハーサルに立ち会われたが、「かたち」が完成した後で、ご自分達だけでリハーサルをされておられた光景が美しく、明日の本番では成功されるものと確信している。 

 弊社のスタッフは、昨日の夕方に車で大阪を出発。午前0時にホテルに到着したが、740キロの行程は、さぞかし疲れたことと推測しているが、疲れを打ち消すにはプロとしての成功という気持ちに溢れ、心から嬉しく思っている。

 考えてみれば、また740キロを走行しなければならないが、社葬終了後の反省会や後片付けを考慮するとフェリーの時間に間に合わず、深夜の高速道路の移動を余儀なくされている。

 明日の本番成功のために、この独り言はこの辺で。お許しくださいますよう。

2002/08/26   明日から九州へ    NO 177

 一昨日、古くから付き合いがあった同業者の社長の葬儀が行われ、えにしから司会を担当した。

ご本人は、永年に渡り保護司や民生児童委員を務められ、お通夜には800人もの弔問者が来られ、、葬儀は2時間という構成で進められたが、葬儀と告別式を完全に分離する形式で、弔辞は告別式の中でという変則的な式次第が特徴的と言えるだろう。

 葬儀社に不幸があり、葬儀を行うということは一般の方々には考えられない難しさもある。プロとしてグローバルな気配り心配りが必要で、一般の方の場合には「葬儀社のミス」や「葬儀社の責任」ということで解決出来ることが、我々専門業者には不可能となり、想像を絶する神経を使うことになる。

 今回の葬儀では、逝去から4日後の葬儀ということもあり、悲しみの伴侶や後継される息子さん達の疲れが大変だと感じてきたが、いつか送られる自身の時のことを考える貴重な体験ともなった。

 葬儀に参列する。身近な人の死を耳にする。それは、自身が「生きている」「生かされている」ということを認識する機会でもあり、宗教者の多くが説かれる「死に接して生を知る」ということを学ぶことになる。

 大阪の葬儀社の中で、名門と言えば語弊が生じるだろうが、歴史ある同業者5社で「五人会」という会を20年前ぐらいに結成し、我々はその仲間であった。

 私は少し離れて年齢が若く、これで2人の葬儀の司会を担当したことになるが、私の葬儀の時には、誰が司会をやってくれるのだろうか心配している。

 今年の4月の初め、九州出張中のホテルで鼻血が止まらず、救急車で病院に運ばれるというハプニングがあったが、同乗してくれた日本トータライフ協会の東京のメンバーが、万一の時のことが浮かんできたと題し、「必見 コラム 有為転変」の中で、葬儀委員長や司会の人選をしたと書いていたことを思い出した。

 さて、その九州に、明日から出張することになった。明後日に行なわれる大規模な社葬の司会を依頼されたからで、ミキサーとディレクターを担当する部長と、企業側スタッフの指導を担当する女性のチーフパーサー2人を伴って行くことにした。

 式場は大きな文化ホール。こんな会場で私が司会を担当する場合には、舞台監督さん、音響さんや照明さんに様々なお願いをすることになるが、そのひとつがミキサー室での音楽演出を割愛するということなのです。

 司会台のサイドにCDやカセットデッキの設置をお願いし、メインボリュームなどすべてを手元で対応するシステムを組んでいただき、自分で操作するという独自のやりかたを条件としているが、お願いした時点で驚嘆されても、彼らはシステムを組むだけになり、重要な演出という作業から逃れることから、意外と歓迎して協力をしてくださるものだ。

 音楽に関する演出を手元でということになると、大きな利点があるのである。音量調整のような問題ではなく、シナリオにないハプニングが発生した時の対応がし易くなり、ハプニングをハプニングでないように解決するプロテクニックの手段でもある。

 ホールのプロスタッフの皆さんには、シナリオ通りの照明に神経を集中していただく。後は、本番でのハプニングが発生しないことだけを願い、九州に向かう。

2002/08/25   ある訪問者    NO 176

 ある大手仏壇店の社長が来社された。ある団体の関係で弊社専務との交流があるところから、私の隠れ家にご案内することとなった。

「仏壇の業界が厳しいのです」 それが社長の第一声だった。

 確かに仏壇を購入される方が少なくなっているようだ。これらは儒教精神や宗教観意識の稀薄を背景に、墓地や墓石の業界にも共通しているところである。

 弊社が葬儀を担当させていただいた場合、後日に「仏壇屋さんの紹介を」と頼まれることも少なくないが、そのすべてをお断りするのが弊社の企業理念のひとつである。

 なんとビジネス感覚のない企業だと思われるかも知れないが、仏壇にはお寺と檀家という関係があり、納入の後日には「入佛」や「入魂」という大切な儀式の存在もあり、「物」として販売したくないとの考えがあるからだ。
 もちろん、入佛や入魂をするまでは「物」だと反論される方もあるだろうが、お家に納入された時点で「物」でなくなり、購入される方々にもそんな思いで仏壇を迎え入れていただきたいと願っている。

「これは、満中陰に私が入佛した仏壇である」 満中陰やご命日にご当家を訪問されるお寺様のご心情を慮ると、それがベターであるという信念が私の経営哲学である。

 大半の仏壇屋さんの経営姿勢に「お寺様への接待」があるようだが、これは仕方がないことだろう。ご本堂の改築や宗教用具の購入なども絡み、ご住職のお人柄を熟知する必要もあり、コミュニケーションは重要であると理解している。

 ところが、今のお客様は、インターネットや情報把握から「何処が安価か」ということを重視され、ネットで販売契約ということも増えてきているし、三割引、半額セールという販売戦略のCMも多く見るし、「ないより益しだ」との考え方には勝てないが、仏壇というものは購入される時の「思い」に「重い」意味があると考えている。

 仏壇に伴う迷信も幾つかあるが、その中のひとつに「用事もないのに仏壇を購入すると新仏を呼ぶ」ということがあり、これらの払拭は宗教者と仏壇業界の重要な責務であると考える。

 家の宗教が仏教であれば、家に仏壇が存在しないことがおかしい。それは、本家、分家を問わずであるというのが本来であった筈。それが、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと不思議に思ってならない。

 仏壇を売るのは「人」である。仏壇は単なる「物」ではない。人が大切なものの製作と販売に従事していることの認識の重要性。そんな私の話に耳を傾けてくださった社長は、
全従業員に向けてのレクチャーを要望され、来月に訪問する予定になった。

 購入される方々が何を求めておられるのか。何を望んでおられるのか。どんな疑問が生まれ、何に恐怖感を抱いておられるのか。そんなことをお話することを約束して帰られた。

 世の中のすべてに変化が生まれているようだが、不変である世界があることも事実である。「仏壇は孫まで三代に」という言葉があるように、製作は卓越した職人さんの世界でもある。そんなところから、歴史、伝統、本義という「原点」だけは忘れないようにしたいものであるが、家具調仏壇など、現代スタイルの仏壇の出現も時代の流れなのかと感じている。

2002/08/24   拡声器と言葉    NO 175

 司会の研修にあって、初心者だけではなく、そこそこのベテランでも大きな勘違いをしていることがある。それは、マイクの向かって話し始める際に「構えてしまう」ということ。

 日頃の日常会話のように自然に話すこと、それが極めて重要なことを忘れてしまうことだが、緊張というプレッシャーが原因していることが多いようだ。

 指導する場合、比喩としてよくゴルフの話をする。練習場で多くのボールを打つことではなく、スウィングをつくることに徹する。正しいスウィングには美しさが生まれ、そこでたまたま存在していたボールに当たって飛んでいく。それがゴルフの重要な理論であるが、冒頭のマイクの問題も、これと同じことが言えるのである。

 マイクにはアンプとスピーカーの存在があり、古くはこれらを総合して「拡声器」と呼んでいたが、この言葉の文字を考えてみれば答えが見えてくる。

 普通にオシャベリをしている。そこにたまたまマイクが存在し、会場に拡声されて伝わっていく。これが司会トークの基本中の基本となる筈なのに、この便利な機能を勝手な思いで誤解してしまい、「構えてしまう」ことにつながるのである。

 発声法は別にして、取り敢えず自然におしゃべりをすることが出来れば、後は言葉遣いとトーク技術を研鑽すること。その先には「河水洋々、北流活活」というプロの世界があり、一般的に言われる「活本強」が発生しないように活舌の訓練をするのである。

 最近、日本語が乱れていると多くの専門家が指摘しているが、テレビに登場する司会者にもひどいレベルが少なくない。言葉のスタートに必ず「えー」という接続の表現をする著名な人物もいるし、敬語の誤りなどは数え切れないほどのものとなっている。

 講演を拝聴していて疲れることも多くある。トーク技術の基本が出来ていない場合で、例として次のようなことがある。

「これはですね、このようになってですね、こうなるわけですね」

 この「ですね調」は男性女性を問わないが、これに似たケースで女性特有のものもある。

「これはね、私がね、昔ね、見に行ったときにね」という、語尾に「ね」がつくタイプで、寝つきが「悪い」筈なのに、耳で疲れた受講者が睡眠中という光景となってしまう。

 上記は、NHKの教育テレビに登場される大学教授にもおられ、講義を受ける学生達の熟睡光景が浮かんでくる。

 過去ログに書いた「思います」や、言葉の接続の度に登場する「あのう」や「えーと」という耳障りな言葉表現。これらをカットすれば言葉は見違えるように美しく聴こえるものである。

 スポーツ選手のインタビューで多いのが「やっぱり」を接続の言葉とするオンパレード。ひどい人は、1分間に8回ぐらいも飛び出してくる。

 今日のご訪問へのお礼として、この「やっぱり」を少なくするテクニックを伝授申し上げる。「やっぱり」の連発は表現する言葉に自信がない証拠で、それはインテリジェンスのバロメーターとして伝わってしまうものだし、「やっぱり」に続く言葉はどうしても早くでてしまうもの。

 そこで簡単なテクニックとなる訳だが、「やっぱり」を自身が意識して、「やはり」に変えること。これだけで「やっぱり」は見事に半減することになるし、続く言葉にゆとりが生まれる相乗効果もあるからお試しを。

2002/08/23   殯  儀    NO 174

 台湾、中国では、葬儀のことを「殯儀」と表現しているが、この言葉を初めて知ったのは、私が35歳の頃。台湾の葬祭場、火葬場、葬儀社、寺院の見学に行った時である。

 旅行会社に勤める友人に現地ガイドの紹介を依頼し、台北空港から4日間の研修の旅。あまり日本語が達者でなかったガイドさんから「不思議な日本人」と呼ばれたが、私の研修の趣旨を理解されると、次々にグローバルな世界を案内してくれ、ある有名な寺院では高僧との面談までセッティングしてくれ恐縮した。

「殯儀」の「「殯」という文字は、「かりもがり」とも読まれ、学研の漢和大字典には次のように記されていた。

<埋葬する前に、しばらくの間、死体を棺に納めたまま安置する。また、その作法>

「殯殿」「「殯宮」という言葉もあり、日本の皇室に於ける葬送の歴史の中にも「殯」という文字の付く儀式が登場している。

 さて、WEDGEの8月号に、「知道中国」野心的でドライな殯儀教育と題された「樋泉克夫さん」の文章があり、興味を抱いて読ませていただいた。ここで、勝手ながらその一部を原文のまま下記申し上げる。

「北京の国家民政部と湖南省政府の手で長沙民政職業技術学院が創設される」 
「この学院は民政に従事する人材を養成し、中国の社会工作を発展させ、人民大衆の幸福に寄与するとの教育方針にもとづき、民政行政管理、社会工作、電子技術、経済貿易、コンピュータ、芸術設計などの系(学科)を持つ」

 上記の文章表記の後で、次の一文があった。

「殯儀系のカンバンを掲げた学科が置かれていることを知らされると、ハタと頭を抱えてしまう。殯儀系というからには、ヒトの死にかかわる一切を取り仕切ることを学ぶということだろう」

「殯儀系は『現代的葬儀技術・管理』と『墓園設計・管理』の2つのコースに別れ、遺体の処理から埋葬まで葬儀を万事つつがなく執りおこなえる技術を身につけ、関連法規を学び、葬祭業に携わる人材を育てることを目的としている」

「全国各地に数十を数える葬祭場、工場、会社と提携し、10を超える省や市に実習場所を確保しているだけではなく、台湾の葬儀社である龍誉(殯葬)公司と相互交流を実施しており、台湾側が奨学金を提供し、優秀な卒業生は台湾に送られ関連業務に就く」

「また、全国モデルとして、コンピュータネットワーク利用による全国初の通信方式の葬儀教育も今年中には立ち上げるべく、鋭意準備中である」

 この後には、わが国に照らし合わされての文章表記もされていたが、今、日本もこの分野の意識改革に目覚め、我々日本トータライフ協会の活動のような、葬祭文化向上への具現化が進んでいることだけはご理解いただきたいと思ったし、現在の日本のように、自社利益第一主義の葬祭ビジネスでは、文化の完成に至ることがないと確信した次第である。

2002/08/22   お疲れモードです。    NO 173

 昨日に書いた同業者会長の危篤の問題、昨日の未明に終焉を迎えられたと電話を頂戴した。

 私の大先輩となるが、遺言という責務を心に真剣に司会を担当するつもりである。

 頑固一徹な一面は誰もが知っていたが、葬儀に対する信念やプロ意識は多くの若手達に影響を与え、説得力のある大阪の本物の葬儀屋のオヤジさんが人生を終えられらたような思いを抱いている。

 午後から弔問に参上し、ご遺族とお会いしてきたが、先輩の安らかなお顔だけが救いとなり、「あなたの葬儀は、私がマイクを握ります」と無言の誓いを立ててきた。

 その後、大阪府下にある病院に向かい、院長さんとプライベートなお話をさせていただいたが、意外な現状を教えていただくことになった。

「最近は時代の変化なのでしょうか、核家族という社会現象からなのでしょうか、患者さんが危篤状態に陥られた場合のご家族の行動が、完全に二分化してきたようです」 

 院長先生は、「臨終までずっとベッドの側に寄り添う家族」と「もう、覚悟しています。臨終を迎えたらお電話ください」という冷たくて現実的な家族が存在し、死の瞬間を看取るのが医師や看護婦の仕事だと誤解されつつあり淋しい時代とおっしゃられ、私が聖路加病院の名誉院長、日野原先生のことをお話しすると、「私も共感しています」と嬉しそうな表情を見せられた。

 さて、亡くなられた葬儀屋の親父さんだが、7人のお孫さんと3人の曾孫さんの存在があり、参列されるご親戚が100人を超えるそうで、その上に多くの会葬者が予測され、狭い式場での進行シナリオで頭を悩ませている。

 関連するスタッフや組合に属する業者の若手達の協力が得られるが、私の進行シナリオが他社とは全く異なる世界であり、うまく噛み合うことを願いながら、弊社のスタッフの数人を伴う予定も組んでいる。

 また、28日に九州で行なわれる大規模な社葬にあっても、チームワークを考慮すると目のやりとりだけで伝達可能なスタッフが必要で、何人かを連れて行かなければならないかも知れないところだ。

 昨日までの2日間、朝夕が嘘のように涼しく秋の気配さえ感じられたが、また明日から猛暑となるようで、2時間の式で外のテント設備で待ち合わせをいただくお年寄りの方々への配慮も重要である。

 とにかく、今日の午前中にはシナリオ構成を完成させるつもりだが、他にも様々な仕事が重なっており、スケジュールへの時間の配分がキーポイントになるようである。

 時計を見ると、もうすぐ午前3時だ。このあたりで発信のエンターボタンを押すことにしよう。

2002/08/21   皮肉なことにならないように   NO 172

 早朝に九州から電話が入った。大規模な偲ぶ会が今月の末に行なわれるとのことで、司会やプロデュースの要望である。

「何とかするよ」と応えて電話を切った後、今度は、大阪の同業者から「すぐに会っていただけませんか。これから参上しますから」という電話が入った。

 20分ほどして若い2人の方が来社されたが、彼らは息子さん達で、入院中の会長の様子を話され、何れ行うことになる葬儀の司会を依頼されてきたのである。

 この業者さんは大阪でも歴史ある業者として認識されており、会長という人物は永年に渡り保護司や民生委員をつとめておられ、葬儀に対する哲学で私と共通する部分もあるが、先代からの交流もあり、私が司会を担当しなければならないとは思っている。

 九州への出張予定のことを伝えると、日程は調整しますとのこと。
心から申し訳なく思い、存命中に失礼の極みだが重ならないことだけを祈るばかりである。

これまでに、こんな思いをどれだけして来ただろうか。私の仕事にとって「来る*月*日」という予定は最大の悩みでプレッシャーとなり、これからの1週間ぐらいのやりとりを考えると大変だ。

 世の中に「皮肉」という言葉があるが、こんなことに限って重なってしまうもので、これまでの体験からすると、重なるであろうというパーセンテージは80パーセントと、極めて高い確率となってしまっている。

「1回限りの大切な終焉の儀式。だからあなたなの。これは確約よ」と、事前相談のお客様に何度言われたことだろうか。

業者からの依頼には、私のピンチヒッターも考慮することを願っているが、お客様にはそうは行かず、時間の調整をお願いしたことも少なくない。

 しかし、今回はなんと言っても一方は九州である。新大阪から「のぞみ」と「つばめ」に乗り継いで式場に到着するには4時間は要するし、打ち合わせやスタッフのリハーサルを考えると前日入りが原則となってくる。

 今、病床で病魔と闘われる会長との懐かしい思い出を振り返りながら、1日でも1秒でも長生きをしてくださいと手を合わせているが、「皮肉」という言葉を消し去りたい思いも抱いている。

 プロである以上、後悔する仕事はやりたくないし請けたくないもの。自身が持つ最高のパワーレベルで臨みたいと願い、今、ギヤを入れ、アクセルを踏み出したところだ。

2002/08/20   情報伝達    NO 171

 19日の夜に帰阪した。この1週間で3800キロの列車移動をしたことになる。

 関東方面は台風の接近で、大雨の影響による不通区間や運転の見合わせをしている情報が多く流れていた。

 往きの「のぞみ」で車両点検ということから24分遅れで発車をしたハプニングに出会ったが、帰路は新大阪で乗り継ぐ「くろしお」の到着にも遅れが出ていた。

 ホームに流れる放送では、他の電車の到着遅れが原因と謝罪されていたが、交通機関で乗客に情報が伝達される場合、すべてと言っていいほどいい加減なレベルが多く、それらが乗客の怒りに触れることも少なくない。

 全国へ出掛ける私は、大雨、積雪、台風、架線事故など、遭遇したくない多くの体験をしているが、人の心理を重視するアナウンスに出会ったことは一度もないことが残念である。

 ある時、乗車していた「のぞみ」が浜松を過ぎてスピードダウンをし、しばらくすると停止してしまった。新幹線の最優先列車である「のぞみ」がそんな事態を迎えることはなく、進む先で何らかの事情が発生したことになる。

 前の列車が遅れていて、停車駅の退避車線に入っていない場合は徐行するが、すぐに「信号」が原因との放送がされ、乗客も静観しているだけだが、放送までの時間が2分を過ぎると、「どうなっているのだ」という反射行動を表す人が増える。

 その時、停止したまま3分間の時間が流れ、放送が全くされなかった。中には車掌室に事情を訊きに行った人もあったが、運転指令所からの情報が不足しており、アナウンスが出来ない現況であったようだ。

 それから2分ぐらいして放送があった。「只今、大雨で列車を止めております。お急ぎのところ申し訳ございませんが、今しばらくお待ちください」

 もしも車掌さんが確実な情報を得ていたら、どのようにアナウンスするかに興味を抱く。乗客の心理を第一に考えると、事実の伝達が最も大切だからである。

 例えばだが、「**駅から先で、大雨により**川の鉄橋が増水し、運転規定により全列車が止まっています。ご乗車の皆様には情報が入り次第お知らせいたします。今しばらくお待ち合わせください」

 そんな情報提供が伝わると、乗客は自分達だけではないという事実も解るし、原因の相手が雨という自然である以上立腹の度合いも低下し、自分達の安全にも関わることで、きっとクレームにつながることはないだろう。

 真冬に東京からの最終の「のぞみ」で次のようなこともあった。新横浜を過ぎた頃、「米原付近で積雪のため徐行運転をいたします。そのため5分程度の遅れが予想されます」
 それから10分もしない内に外を見ると雪が降っている。

「雪は、名古屋駅でも積雪の情報が入りました。そのため15分程度の遅れが予想されます」
 熱海駅を過ぎ、トンネルを抜け三島の近くに行くと外は大雪で吹雪になっている。
「静岡駅から先でも積雪となっています。30分程度の遅れが予想されます」 

 その「のぞみ」は名古屋駅で40分遅れ。新大阪へは57分の遅れで到着したが、途中で停止するという最悪の事態を免れ、ほっとした懐かしい思い出である。

2002/08/19   列車のハプニング    NO 170

 昨日、東京、福島へ行くことになり、9時50分発の「のぞみ54号」と上野発13時の「スーパーひたち27号」の切符を買い、新大阪駅に向かった。

 構内は帰省帰りのピーク、家族連れでごった返していたが、幸いチケット売り場は混雑もなくスムーズに流れていた。

新大阪駅始発の「のぞみ54号」が発車するのは23番線。発車の7分ぐらい前に乗車した。

 この50分発の「のぞみ」が発車する頃、いつも53分発の博多からの「のぞみ」が26番線に入線してくる。

 25番線に停車している列車の窓越しに26番線を見ると、53分発の「のぞみ」が到着した。<こんな筈はない>と思いながら時計を見ると9時51分。

 9時52分に車内放送があった。「ただいま、この列車は車両点検を行なっています。しばらくお待ちください」 どうやら発車が遅れそうだ。

 そんな時、24番線に10時発の「こだま」が入線してきた。
 私の乗っている「のぞみ」が発車しなければ、後続の53分発の「のぞみ」や「こだま」も発車出来ないので大変だろうと思っていると、26番線の「のぞみ」が先に発車した。   
時間は4分遅れの9時57分だった。

 2回目の車内放送があったのは9時59分。「お急ぎのところご迷惑をお掛けいたしております。この列車は、ただいま車両点検をいたしております」

 上野駅で待ち合わせをしている相手に連絡しなければならないし、「スーパーひたち」への乗継時間にも問題がある。車内の乗客達のいらいらが伝わってくる。よりによってお盆のこんな時期に故障が発生するとは、それも最新型の700形なのに。そんな思いで私にも焦りの心情が募る。

 10時、隣の24番線の「こだま」が定刻で発車した。これは、いよいよ深刻になってきた。このまま運転を打ち切ることになったらどうなるのだろうか。様々に最悪のシナリオが過ぎってくる。

 次の車内放送があった。「業務連絡。**車掌、車掌室へ」

 東京から上野駅まで移動が大変。山手線、京浜東北線に急がなければ間に合わない。暑い構内で荷物を持ってと考えると腹が立つが、今は、何とか早く動き出して欲しい気持ちでいっぱいだ。

 10時8分、車内放送。「この列車は車両の点検を行なっています。ただいまのところ発車の見込みは立っていません」
 いよいよ深刻ではないか。後続列車への転換を考慮しなければと、座席の背もたれにある「ひととき」の時刻表を見る。25番戦には10時27分発の「のぞみ56号」が入線してきた。時計は10時13分。<何とかしてよ>

「お待たせいたしました。間もなく発車をいたします」 

 10時14分、「のぞみ54号」東京行きは、24分遅れで発車した。後は走行中のスピードアップを願い、1分でも稼いで欲しいところだが、1本の列車のトラブルで、先を走る「ひかり」や「こだま」との調整も大変な筈。運転指令所はさぞかし混乱されていることだろう。

 途中の走行でいつもよりスピードアップしている感じはあった。通過していく浜松、静岡、熱海などの通過時間を確認しながら、東京着の予測時間を計算していたが、東京到着までに7分間を取り戻し、12時37分に東京駅に着き、すぐに上野に移動。「スーパーひたち」に発車3分前に乗り込んだ。

2002/08/18   音楽のパワー   NO 169

 偉大なロック・ミュージシャンのエルビス・プレスリーが逝去されたのは1977年のこと。私は、彼の死を大きく伝える新聞記事をリオデジャネイロで見て知った。
 あれから、もう25年の月日が流れたことになる。

 人が死を迎えると、その人のすべてを持って旅立ってしまうもの。技術、知恵、知識、感性、才能など、アーティストやエンターテナーと呼ばれる人に代わるものはなく、それらは「死」の最も空しく悲しい現実のひとつである。

 下手の横好きと言う言葉があるが、私もギターやピアノ、電子オルガンに挑戦したこともあり、楽器を奏じる難しさだけは知っているつもりだ。

 様々なコンサートにも出掛けたが、やはり本物の奏者の演奏は素晴らしく、演出照明の効果があるかも知れないが、楽器そのものが幸せそうな表情を見せ、輝いているように感じると共に、何と言っても「音」が違うことだけははっきりと分かる。

 最近の情報社会の中、我々の業界にも情報誌が誕生し、著名人の葬儀の形式が掲載されてあり、使用された音楽まで詳しく記載されていることもあるが、誰もが知る程度のクラシックが中心になっている現状に淋しさを覚える。

 音楽が自然に流れ、自然に耳に入ってくる。その曲名は不明だが不自然ではないし、この光景の環境空間に確実に合っている。そんな選曲が重要で、特にクラシックの場合は、コンダクターの違いで異なりがあることを理解しなければならないだろう。

 そんな世界で、次元は低くともオリジナルCD「慈曲」の存在は有り難く、十分に活用している。

「あの場面での音楽は?」
 そんなご質問も何度か頂戴したが、「慈曲」のCDタイトルをお見せすると、「こんなCDがあるのですね」と驚かれる。

 このCDの創作には、二人の思いが合致して誕生したという背景がある。ひとつは共通して抱いていた「葬儀に於ける音楽の重要性」で、もうひとつは葬儀の現場での体験から
儀式たるものを熟知していたことになるだろう。

 抽象的で理解し難いレベルのシナリオ構成。それを旋律として見事に具現化してくれた作曲者の美濃三鈴さん。彼女の卓越された編曲力と演奏テクニックは素晴らしく、仕事でご一緒する度に表現力がアップされている思いがしている。

 照明が落とされ、彼女が演奏する曲のイントロ部分が始まった。やがてナレーターとしてスタートする頃には、会場空間の環境が確実に変化している。

シンセサイザーの特色である「音色」の決定でのやりとりには熱い戦いもあるが、互いが納得をした時に生まれる環境空間は、音楽にしか出来ない演出パワーがある。

 ある葬儀が始まる前、喪主である奥様に、ご主人がお好きであられた曲を尋ねたことがある。その時、奥様は「絶対に無理な曲なのです」と答えられた。伺った曲は確かに葬儀の式場には全く合わない曲であり、そのまま流せば儀式空間どころか会場空間さえ壊してしまう恐れがあった。

 それから15分後の本番。その曲は見事にレクイエム調に編曲されており、旋律に入ったところでは、奥様の目が白いレースのハンカチで覆われており、終了後、「あなた達はプロね」というお言葉をいただいた。

2002/08/17   お盆時の移動から    NO 168

 お盆の最中、1400キロぐらいの列車移動をしてきたが、東京駅、上野駅の構内ではまさに夏休みの民族大移動。どこでも子供達の元気な姿が見られた。

 そんな中、黒の略礼服など、一見して葬儀の参列という服装の方々も多く見受ける。全国で1日に約2700名様の葬儀が行なわれている。葬儀に正月もお盆もない。

 そんな思いで過ごしたお盆だったが、それにしても新幹線列車内の携帯電話のマナーはひどいものだ。車掌さんのアナウンスが繰り返されても効力はなし。すべてはその人物の人格と人柄ということになるのだろうか。

 帰阪に乗った「のぞみ」の10号車。通路越しの髭を生やした人物には参った。東京駅から静岡ぐらいまで着メロの鳴りっ放し。初めの頃はデッキに行っていたが、新横浜を過ぎる頃からは横着に座席で大きな声。周りの乗客が顰蹙に。しかし本人はマイペース。

 会話の内容が勝手に伝わってくる。どうやら金融業の方のよう。
期日回収が不可能という報告が入ったようで、激しい言葉遣いが耳障りだが、ここまでくれば羞恥心の欠片も消え失せている。哀れで気の毒な思いさえ感じてくる。

 やっと静かになったのは、浜松付近。しかし、ここから新しい迷惑が始まった。熟睡された「鼾」が強烈で、近くの数人の方々がブーイングに変わる咳払いをされていた。

 途中駅での下車に、座席をリクライニングしたまま下車される人。向かい同士にシートをセッティングし、大声でオシャベリをされる4人組。また、発車してすぐに前席を方向転換させ、足を投げ出す横着な人。15分後に新横浜から乗車される方があればどうするのだろうと要らぬ心配をしてしまう。

 今、日本の国民文化は乱れている。大人がこれで、中高生の姿を見ていると将来に憂いを覚える。葬儀の式場での携帯電話も遠慮がない状態。悲しみの遺族の後方で私語のざわめきにご導師が振り返られる光景も多くなった。

 葬儀は、その人の人生の集大成。義理の会葬者の割愛という流行もこのあたりが原因しているのだろう。

自身の葬儀がどのようにありたいかと真剣に考える人は少ないだろうが、真剣に考えると、お付き合いする相手も真剣に選ぶ筈。選ばれる人になりたいと思いながらこの原稿を打ち込んでいる。

 今日も大阪の残暑は厳しい。こんな環境で黒のスリーピースは酷である。
近い将来にこれらも変化して行くだろうが、ホテル葬に於ける大半は「平服」となっている現実を踏まえると、早い時期の潮流変化がありそうだ。

 暑い寒いに関係なく人は死を迎えるし、遺族の悲しみにも変わることはないが、自信が人生黄昏を感じて死の床のあることを悟った時、好きな季節の到来までは死と戦いたいと願っている。

 ご葬儀を担当させていただいた多くの方々のお盆。心から合掌を申し上げます。

2002/08/16   子供連れ    NO 167

 3歳に満たない孫を伴い、和食のレストランに入った。中は若い夫婦の子供連れが多く、びっくりするほど賑やかである。

 しかし、客同士が同じ条件にあるところから気にならず、お店のスタッフ達も子供への対応に慣れ、それは見事に対応している。

 そんな時、ふと、昨秋にドライブ旅行で立ち寄ったサービスエリアのことを思い出した。
 そこは、山陽自動車道から中国自動車道につながる岡山自動車にあった小さな食堂というようなレストラン。

 そこで、隣のテーブルで小さな子供が、味噌汁のお椀をひっくり返してしまう光景に出会った。

 若いお母さんがスタッフに恐縮の面持ちで謝罪をされるが、返すスタッフの言葉が素晴らしかった。

「子供さんが粗相をするのは当たり前です。それが仕事ですよ。気になさらないでください。よくソフトクリームを落とされることがあり、そんな時、全員が泣き出されるのですが、当店では、すぐに新しいソフトクリームをプレゼントするのです。見事に泣き止まれるのですよ」

 そんないい話の一方に、関東の観光地の蕎麦屋さんでは驚くことがあった。中に入って壁に大きく張られたメニューの横に、次のような掲示がされていたからだ。

「子を見れば親が解る。躾のされていないお子様、他人の迷惑になるようなお子様連れはご遠慮ください」

 それを目にした時、どうして外に掲示しておかないのだという疑問が生まれ、無性に腹が立ったし、次々にやって来る子供連れの親達が一瞬にして凍りつき、中には注文をする前に出て行く姿が何組もあった。

 店構えは立派だし、それだけの誇りを売り物にしているのだろうが、誇りは買いたいが驕りはいただけない。スタッフ達の無愛想な態度と言葉遣い。それは、間違いなく凋落の道を進んでいると確信した。

 一方で、外国の一流ホテルのレストランで体験した光景も忘れられない。我々は入り口に近い席に座っていたが、デザートの頃にやって来た2人の子供連れのお客さんで問題が発生した。

 恐らく兄弟だろうが、やんちゃ盛りで、席に着くなり物の投げ合いに奇声を発する。ホテルマンが笑顔でやさしく対応しているが効果はなく、若い両親らしき人物が止めても全く効き目のない状況。

 そんな時、隣席の男女が食事を中断されて立ち上がり、我々の後ろでホテルマンにクレームを言われ、「帰る。金は支払う」というところまでのやりとりがあった。

 英語の理解出来る人の話によると、ホテル側が一方的に謝罪をし、料金を受け取らないという解決をしたそうだが、その男女が抗議した言い分は次のようなことだった。

「環境を大切にするなら、あの客を断るべきであり、それが君達の仕事ではないか。ここは、街のレストランとは違う筈。君達スタッフの責任だ」

 幼い子供を連れての食事。これは、本当に大変な苦労がある。でも、みんな、子供時代があったことだけは忘れないようにしたいものだ。

2002/08/15   御大師様     NO 166

 一昨日から上京し、今、ホテルの部屋でこの原稿を打っている。

 世間は、お盆。日本中で大移動の中、IT社会の列車情報やホテル情報、また新幹線のシステムによる自動発券機は便利である。

 張られていたポスターに目が止まった。それは「四国霊場八十八ヶ所 空海と遍路文化展」で、恵比寿ガーデンの東京都写真美術館で10月1日から開催されるそうだ。
(問い合わせたところ、12月に名古屋。来年1月には福岡でも開催されるとのこと)

 さて、日本トータライフ協会の北海道支局を担当願っている室蘭市民斎場、苫小牧市民斎場が、今月初めからHP<http://www.memorial-gr.com/>を開設し、ほぼ毎日更新「めもりあるトピックス」というコラムに、8月9日から12日までの4日間、「四国八十八ヶ所巡り 珍道中」と題して、社長が学生時代に体験した巡礼の旅をしたためていた。

 彼は真言宗の僧籍を持し、30歳という若さながら葬祭業に最も必要とされる哲学と信念を兼ね備え、メンバー達が特別な存在感を抱いている。

 私の友人にも多くの真言宗の僧侶がいるが、宗教の話題になるとどうしても弘法大師、四国、高野山ということになる。

 彼らから教えられたことで印象に残っていることがある。それは、四国八十八ヶ所巡りには東の方から時計回りで参詣する決まりがあるそうで、全行程を平均すると1500キロぐらいにもなるというから大変である。

 俳句の世界では「遍路」という言葉が春の季語にもなっており、金剛杖に菅笠といった昔ながらの巡礼姿は、菜の花畑を歩みゆく情景にぴったりと当て嵌まるが、上述の彼は、真夏に挑戦したというのだから驚きである。

 葬儀を担当する時、四国八十八ヶ所巡礼の証しとなる「朱印帳」や「掛け軸」をお出しになることも少なくないが、他宗のお寺様の中には、「宗旨が違う、片付けなさい」と言われる方もあり、ご遺族が残念な心情と疑問をぶつけて来られることも何度か体験した。

 その多くは、ご主人が定年退職をされ、ご夫婦で人生の黄昏を確かめ合うように四国を目指したことが多く、それらには「思い出」が山ほど込められた貴重で大切なもの。そんなところから「どうして?」ということになってしまうようだ。

 最近の特徴として、若い世代が少なくないということ。求めることが何かは解らないが、彼らの人生に大きな影響を与えることは確実で、殺伐とした社会の一つの現象であると言えるかも知れない。

 そうそう、真言宗の僧侶が教えてくださったことだが、白衣という巡礼の姿は「死出の旅路の装束」で、金剛杖が「卒塔婆」、菅笠が「柩の蓋」ということであり、遠い昔の巡礼は、水杯を交わしてから旅立ったそうだ。

 信仰の姿は尊く美しいもの。自身の存在を再確認した時、きっと他人や社会の存在も見える筈。自身を中心として考えることは淋しく悲しいこと。

巡礼に「ご接待」と「ご報謝」という言葉もあるが、自然の中に身を委ねる時に生まれ伝わるもの、それは、きっと「生かされている」悟りの境地だと信じたい。

2002/08/14   インフォームド・コンセント    NO 165

 この言い難い言葉が世間に登場し、流行していた時期があり、今や医学界だけではなく一般でも常識として理解されている。

初めて耳にした時、「インフォメーション」「ムード」との勝手なイメージから、無学な私には、「インフォムード」や「コンセプト」の方が伝わり易く、しばらくの間、勘違いをしていた。

この言葉をカタカナ辞典で調べてみると、「医者の十分な説明と同意、ガン告知の是非とも関連する」とある。

 十数年前に通院していた病院の先生は、名医との評判高く、遠方からの患者さんも多く、
腕は立つが気難しいということを誰もが納得をされていたようだ。

 ある時、私の前で診察を受けられていた人が怒鳴られた。その人は、胃の不調を訴えられており、「本当に大丈夫ですか? ガンじゃないですよね?」と訊ねた訳だが、「わしは医者じゃ。患者は黙ってわしの言うことを聞いておれば治るんじゃ」と強い剣幕で返されたのである。

 世間話や冗談を言いながらの診察もされるが、患者の素朴な疑問に対する返しの言葉が強烈で、常連さん達は、だれも逆なでする人はいなかった。

 私は、この先生に随分お世話になった。私の仕事をご理解いただき、「君は忙しい人だ」検査も治療も迅速に対応するとの特別待遇で、ある時、きりきりするような胃の痛みを訴えた時、「すぐに検査だ」とおっしゃられ、検査室で先生自らが胃カメラを担当され、永く苦しんでいた十二指腸潰瘍を発見。その日からの薬の服用で、現在までの痛みが全くないという恩恵を頂戴し心から感謝を申し上げているが、その時のモニター映像に古傷が10数箇所も見つかり、「斬らの与三郎だ」とおっしゃったことを覚えている。

 それから1ヶ月振りに診察に訪れた時、先生が偉くご機嫌で、「あなたはとんでもない人だったんだな」とおっしゃる。伺うとゴルフがお好きで、偶然に私の所属するホームコースでプレーをされ、そこで張り出されていたクラブ選手権の予選成績表を見られ、私の名前を見つけて驚かれたそうだ。

 「予選を見事に通過していたじゃないか。ハンディが7とはびっくりしたよ。どうだ、わしと一緒にラウンドレッスンをしてくれんか?」

 先生のスタイルは、パターの際にボールが見えないようなお腹が出っ張った体型で、とても教えられるイメージでなく、ご鄭重にお断りをすることになったが、それからも「1回だけでいいから」と、何度もお誘いを受けた関係から、私にとっては素晴らしいホームドクターの存在という先生であった。

 さて、先生と呼ばれる業種の世界でも「説得と納得」という意識改革が求めらてきていることは確かである。インフォームド・コンセントで医師会に大きな変化が起きた事実もあるが、今、私は、この問題が宗教者の世界に波及していくような思いがしてならないのである。

 葬儀と法要のお経は大切なことだが、檀家とのコミュニケーションなくしてお寺の将来はないだろうと確信している。

 納得をされれば高額なお布施も結構だろうし、無宗教がこんなに話題になることもなかった筈だ。

 インドに生まれた仏教。「印」と「度」の間に「姿勢」である「フォーム」が入れば「インフォームド」が完成する。

 宗教者にもこの言葉が重要になってきているこの頃だと思っている。

2002/08/13   M R    NO 164

「胃の調子がおかしいようだ」 「胃カメラで検査をしろよ」 
「偏頭痛で困っている」 「CTスキャンで検査をしろよ」

 そんな会話が交わされる光景に何度か出会ったことがある。
 しかし、「しろよ」と言っている本人が、胃カメラやCTスキャンの検査をした経験があることは少ないようで、その大半が耳学問の世界である。

 葬儀で多くの方々をお送りさせていただいたが、ご遺族に伺ったお話には、「もっと早く検査をしていたら」との後悔をされるお言葉が多い。

 ある医師に教えられた話だが、「60歳になるまでは慎重に検査を」という格言があるそうで、その背景には進行の度合というスピードの問題が絡んでいた。

 変だ?。おかしい?と思ったら、まず検査を。それで本人の寿命が10年以上も延びることが当たり前で、死につながる病気のすべては早期発見という結論になる訳である。

 友人や知人が身体の不調を訴えた時、私も冒頭のような耳学問で答えたことが多く反省しているが、おかしな頭痛に悩まされた時に受けたCTスキャンの体験はある。

 2週間も信じられないような頭痛がして難渋し、脳外科の病院に足を運んだ訳で、どんな検査をしても原因が解らず、ついにCTということになったが、何ともないという結果。
 担当医師が様々な問診を繰り返す中、突然に「原因が解りました」と言われた。

 寝つきが悪く、2週間前ぐらいから枕の下に座布団を敷いていたこと。それによって首を圧迫していた事実。たったそれだけのことであり、座布団を外した次の日には治癒していたのだから驚きであった。

 さて、九州に講演に行くことがあったが、どうしても前日に行くことが適わず、当日の7時半頃の「のぞみ」に乗車する予定で、早く寝なければと医師から貰った軽度の睡眠導入剤を服用した。

 次の日の朝、大変なことが発生した。起きて歩くと身体が勝手に右に傾いていくのである。<これは変だ>と正座をしてみても、そのまま右側へ倒れてしまう。

 聞きかじった耳学問で、<脳の左側に異変が?>と思ったが、15分ぐらいすると正常に戻った。この間、手足の指の感触確認や勝手な想像で考案した反射神経のテストなどを繰り返したが、さっきの兆候が嘘のように治っている。

 多くの受講者のことが思い浮かび、大丈夫だとの判断で新大阪駅から「のぞみ」に乗ったが、少しだけ頭が「ボー」としている感じもある。

 博多駅に迎えに来ていただいた方に朝の兆候を話し、講演中に「ろれつ」がおかしくなったら救急車を呼び、朝の出来事を伝えて欲しいとお願いすると、「大丈夫ですか?」と青ざめられてしまった。

 結果は何もなかった。講演も順調であり、終了時には朝のことが嘘のようであったが、帰阪した次の日に医師の診断を受けたのは申すまでもない。

 そこで緊急検査ということで体験したのが「MR」。磁石の化け物の世界への突入。閉所恐怖症の方には恐ろしい世界だそうだが、検査の結果は何もなく、右に傾いた兆候の原因は、睡眠導入剤の副作用という結論に達した。
 
 私は、猛烈な反省をしている。少しでも早く寝なければと、その薬を横着して缶ビールで飲んでいたのである。これは、医師には伝えていないのでご内密に。

2002/08/12   名前の損得    NO 163

 知らない内に、この「独り言」が意外な世界に広がり、講演やスタッフ研修の依頼が増えてきた。

 毎日訪問くださる方、数日置きに、また1週間毎にプリントアウトをされ、全社員に回覧という一般企業の経営者もおられ、恐縮しながら本当に嬉しいことで喜んでいるが、つまらないことが書けなくなってくることが辛いところである。

 宗教者の方からは「法話や説教のことを」。ホテル関係者からは「ホテルサービスについて」。葬祭業者からは「ソフトやノウハウを」と求められるのだが、一般の方々が大半であり、その日の思いつきで30〜40分を費やして推敲することにしている。

 友人達が経営する割烹やレストランでも、お客様との交流が始まり、顔を会わせると「独り言」の話題になることも多い。

 多くの方が「お気に入り」に登録されておられるようだが、ヤフーやグーグルでその度に検索されている方もあり、数日前、面白いお話を拝聴した。

「久世さんは、名前で随分と得をしている。久世も珍しいし、栄三郎も少ない」

 その方は、私が珍名ではないが、印象に残る姓名であり、ネットの検索時代にあって絶対に得だとおっしゃるのである。

 因みに、その方の毎度の検索方法はヤフー。文字は「栄三郎」だそうで、それで9000件以上も登場するが、2番目に「久世栄三郎の独り言」、3番目に「久世栄三郎の世界」が登場するとのことで驚愕した。

 考えてみれば、鈴木さんや佐藤さん。また、三郎さんや一郎さんなら、こんなことにはならないだろう。「久世」と「栄三郎」という確かに稀な姓名で得をしているのかも知れない。

 正直言って、この名前は、若かりし頃に随分恥ずかしい思いもした。小学生や中学生でのイメージをご想像いただければご理解願えるだろう。

 高校時代に付けられたニックネームは「若侍」。やせ細っていて、その当時の身長と体重は175センチに49キロ。本人がその気であっても「若大将」と呼ばれるには絶対に無理があったようだ。

 今日まで「独り言」を発信し続けることが出来た。武田鉄也さんの歌ではないが、「思えば遠くに来たもんだ」というような感じで、これからも挑戦するつもりだが、名前で得をしたというところから、「徳」につながるようなことが書けたらと思っている。

「継続は力なり」と誰かが言った。確かに毎日の発信は大変で苦痛の種になっている。しかし、これは私の生きた「証し」であり試練と受け止めて挑戦するが、ひょっとして、数日前に書き込んだアデランス問題、この「独り言」がその原因の根源になっているのかも知れない。 

2002/08/11   礼 節    NO 162

 与えられた会場空間を聖域化された儀式空間として「神変」させるという表記を何度もしてきたが、これは、大切な「方」の大切な「儀式」に大切な「宗教者」を迎えるという、終焉の儀式における基本的な信念であり、私のプロとして最も重要視しているところで、これらを短い言葉で表現するなら「礼節の基本」ということになるだろう。

 今年の始めに考えさせられる話題に出会った。アメリカの柔道界で15回も全米大会を優勝している女性の起こした裁判である。
 
 彼女は、畳の敷かれた道場への入退出や、掲示されている歴史に輝く柔道家の写真に対する「礼」が嫌で、それが日本の神道の世界に関係することであり、宗教の押し付けであると訴えた訳である。

 アメリカの柔道会も、彼女の柔道界における至宝的な存在を考慮し、内部的には「礼」を割愛することを認めてきていたようだが、それを裁判所に持ち込むというところが如何にもアメリカらしいところだ。

 結果は。どうなったのだろう。裁判所が下した判断は、宗教に基く儀礼ではないということで、彼女は敗訴したことになった。

 アメリカを代表するような柔道選手。そんな女性が柔道に入門することになったのは何時のことだろうか。それは、果たして本人の希望だったのか、それとも親の薦めからであったのだろかと興味が湧くが、どちらにしても、最初の頃にそんな抵抗感を抱くことはなかった筈だ。

 日本の武道である柔道、その道場となれば聖域化と神変化される空間であることも必然であろう。そこでの礼儀、それは自身の心の神変であり、「道」の名のつく世界の最低限度の「礼儀」と「節度」だと考える。

 義務と権利の論議が交わされることも多いが、伝統や歴史のことも、また社会の流れや変化も考えなければならないだろうが、「人間の道ありき」を忘れることになれば大切なことを見失ってしまうことになり、確実に誤りの道を歩むことになる。

 過去や周囲の環境、そして背景を見つめる余裕がなければ変革は困難であり、他者を慮る心がなければ、自身の思いを理解されるためのスタートラインに立つことさえも出来ないと思う。

 どんな世界でも正座をして見つめる謙虚な姿勢が大切で、胡坐を掻いた驕りの世界は凋落の道を進むことになる。それらは昨今の政治家だけではなく、雪印や日本ハム、また、大阪人の一員として恥ずかしい限りのユニバーサルジャパン問題にも明確である。

 無宗教形式の葬儀が流行している。ホテルでの偲ぶ会やお別れ会も潮流のようだ。しかし、それらが礼節を欠いた「会」や「集い」のレベルにある時、必ずや崩壊の道を辿ることになり解決不可能な「後悔」が待ち受けている。

 我々日本トータライフ協会が関わる無宗教、ホテル葬。ここに秘められた本物志向があり、そのキーワードが礼節を生む「愛」と「癒し」なのである。

2002/08/10   有為転変 200号   NO 161

 日本トータライフ協会発信で、毎日更新から話題を呼び、驚くほどのアクセス数を頂戴している「必見 コラム 有為転変」が、昨日に第200号を迎えた。

「必見 コラム」でグーグル検索すると、約70000件のトップに登場することからも、ご訪問くださる方の多さがご理解いただけるだろうが、数日前にしたためたように、メンバー達各社が発信するコラムが増えており、毎日順番に訪問というお方もおられるそうだ。 

 さて、この「独り言」で私の羞恥の体験について3日間記したが、こんな低次元な内容を打ち込んでいる間に「有為転変」が200号となり、記念すべき執筆を北海道のメンバーに託することになったが、200,201,202号と3日間連載の物語は素晴らしい内容で、掲示板で「感動」「感涙」という文字が飛び交っている。

 世の中は、悲喜こもごも。喜びの人あれば悲しみの人もいる。風吹けばヨットマンやサーファーが喜び、釣行にある人達が嘆く。また、車を運転すればバスや路面電車が邪魔に感じるし、バスや電車からは車が邪魔に見えるのも人の社会。

 少子高齢社会にあって、最も大切にしなければならないことは「思いやる」ということであり、自身の人としての「思い」を「プレゼント」することだろう。

「人偏に憂」と書いて「優しい」と読み、人のことを憂うことから出来上がった文字だそうだが、他人のことを、他人の存在を理解しようとする思いが「人の人格」であるように思えてならない。

「共に喜ぶは2倍の喜び、共に悲しむは半分の悲しみ」というドイツの古い名言があるが、悲しい現実があることを知るだけでも他人に優しくなれると、多くの専門家が説いている。

「有為転変」の200号記念の物語は、若い娘さんとお父さんの悲劇。神社のお札やお寺様のお怒りの説教も登場してくるが、どんな悲しみの中でも自身は生きていかなければならないし、生まれた以上、幸せを求める義務も権利もある筈なのです。 

 終戦記念日が近いが、若い妻と幼い子供を遺して戦場で命を落とした人達が多くおられる。あれから50数年が経過していても、亡き夫のことを思い出されて涙を流される方も少なくない。

 出来たら辛い思いや悲しい体験はしたくないものだが、人が生きて行くには様々な試練が課せられるもの。それを乗り越えられた時、ふと後ろを振り返ってみれば「運命」という歴史が誕生しているのであり、「運命」は前からやって来るものではない。前からやって来るものは「試練」であるというのが私の哲学である。

 北の国の「愛」と「癒し」の実践者である沖本社長が執筆された「有為転変」。そして、併せて数日前から始まった「めもりあるトピックス」や、下記コラムなどをご訪問いただけましたら、きっと、明日からの日々に何かプラスがあるように思っています。

※「有為転変」  弊社HP内・・活動の近況・日本トータライフ協会へリンク
※「ほっと一息」   〃  ・・久世栄三郎の世界・加盟企業のコメントから(高知)
※「トピックス」   〃  ・・   〃           〃    (北海道)
※「もっこす」    〃  ・・   〃           〃    (熊本)

2002/08/09   アデランス  パート3   NO 160

 ドライヤーが終わり整髪を済ませた頃、「次のコーナーへ参ります」と案内された。

 次の部屋も個室。照明のコントロールシステムもあり、中央に最新の国際線ファーストクラスのようなシートが置かれてあった。見た瞬間、それはマッサージ器だと思ったが、水平に近いところまでリクライニング可能な座席は、耳元に大辞典ぐらいの大きさのスピーカーがセットされてある。

「ここで、ごゆっくりとなさってください。リラクゼーションも大切なのです」 

 そんな言葉で、部屋の明るさを私の望む調光に合わせ、しばらくは私だけのひとときとなった。

 耳元のスピーカーから小川のせせらぎの音や小鳥のさえずりが聞こえてくる。少し経つとイージーリスニング的な音楽も流れてきた。 <これで自分の好きな音楽を聴くことが出来たらいいな> そんな思いがするほど音質も悪くなかった。

 眠ることはなかったが、音楽に耳を傾ける瞑想的な空間に浸っていたことは事実で、騒々しい都会のど真ん中で、こんな優雅な時間を過ごす体験は、ホテル空間にしか求められない世界である。

 体験コースに組み込まれた時間がやってきたのだろうか、さっきの彼女が次の案内に迎えに来た。

 そこは、始めに入った部屋。すぐに白衣の男性が来られ、感想を訊かれている時、白衣の女性が手にオシボリらしきものを持って入って来た。

<らしき>と表現したことには意味がある。それが強烈な衝撃の現実となったからである。

「実は・・」男性が言い難そうに言葉を開くと、そのオシボリらしきものを広げた。

 中には毛髪がいっぱい包まれてある。

「実は、これは先ほどのシャンプーで脱毛したものなのです。数えてみますと157本ありました。1回のシャンプーで、この程度が抜け落ちている訳です」

 ただ唖然。ただ衝撃。私は、5日に1回というエステコースの申し込みにサインをしていた。

 帰り際、シャンプー前の薬品、シャンプー、リンス、トニックを求め、他に珍しい二つの物も持ち帰ることになった。

 ひとつは黒檀のような木の材質で出来た柄のあるブラシ。これで頭を叩くと血行がよくなり効果があるそうだが、もうひとつは持ち帰って家族に大笑いされたことから1回も使用していない。

 それは、血圧計測器の大型と言えばご理解いただけるだろうか。腕に巻く部分を頭に巻くシステムになっており、額から後頭部に空気による刺激を与えるものだそうだ。

 あれから10数年。娘も嫁ぎ、私にも孫が誕生したが、ある日、娘から贈られてきた物を開くと、育毛剤が入っており、その頃のことを懐かしく思い出した。

 そんな私の頭髪は、今、日々に侘しくなってきている。きっと、これは服用する薬の副作用だと思うことにしている。

2002/08/08   アデランス  パート2   NO 159

 やがて、書き込んだ問診表を手に女性が部屋を出て行ってからしばらくすると、別の部屋に案内されることになった。

 その部屋にはテレビモニターが置かれてあり、壁には一本の髪の毛を拡大した大きな写真が、額に入れられて幾つか掲示されている。

「いらっしゃいませ。お待たせいたしました」。そう言って入って来たのは35歳ぐらいの男性で、彼も清潔そうな白衣を身につけており、アシスタントと呼ばれる若い女性を伴ってきた。

「ちょっと失礼します」 彼は、ペンライトのようなもので、私の頭のてっぺんや耳の上などの何箇所かを押さえる。そして覗き込んだ数値をカルテに書いている。

「てっぺんは誰でも固くなっています。それに比べて横は柔らかくなっているもので、今、計測したのは頭皮の温度です」

 彼の話しよると、てっぺんの方が幾分に体温が低く、これは血液の流れが悪い証拠であるそうな。そこであらぬ心配が生まれる。

 次に始まったのは一回り太いペンライトの登場で、それはビデオカメラの機能を持っていた。

「この状況がお解かりになりますか?」 そう言われてテレビモニターを見ると、毛根をかき分けて進入しているカメラの映像が、はっきりと頭皮の表面を映し出していた。

「失礼しますよ」 彼は、私の髪の毛を1本抜いた。そして「これをご覧ください」と言うと、カメラを抜いた髪の毛をアップにして見せてくれる。

「如何がでしょうか? 左から3番目のケースに似ていますね。分かりますか?」 

 それは、壁に掲示されていた髪の毛拡大写真のことで、左から3番目を注目するように言われる。

「毛根の部分がそっくりです。まあ、エステとケアをなさることをお薦めします」

 そこから約2時間、体験コースが始まった。最初に連れられて行った所は3面鏡がセッティングされた個室で、美容室のような設備が整い、静かな音楽が流れていた。

 担当ですと紹介された若い女性が、茶色のビンのような物を手に、スポイドで液体を私の頭に付け出した。それはシャンプーの前に施す薬剤だそうで、無臭だが粘っこい感じがするものだった。

 次にシャンプー。シートが倒され、仰向きに寝かされると、やさしく丁寧なシャンプーが始まった。

「リンスですからね」 これも散髪屋さんとは比較にならないほど丁寧である。

 そんな時、別のスタッフが入室し、移動式のロボットシステムのようなものをセッティング。スイッチを入れると掃除機の蛇腹のような管からさわやかな風が流れてきた。

「これは、イオン装置で、高い効果がございます」

 トニックらしいもので頭のマッサージを受けると、続いて肩や首のマッサージも施してくれ、久し振りにリラックス出来たように思う。

    明日に続きます

2002/08/07   アデランス    NO 158

 北の国の苫小牧、室蘭市民斎場で開設されたHP。その中に表記が始まった「トピックス」のコラムの高尚なレベル。それらは、葬祭業に従事するすべての人、また、一般の方々にも是非お読みいただきたい内容だ。

 それに比べて今日の独り言は、私の羞恥なことについて吐露することにします。

 10数年前頃、信じられないような気短になっていたことがあった。後頭部が重く、車の運転や机で文字を書く作業の際に特に痛んでいた。

 そこで医師の診察を受けることになり、それらの原因が高血圧であることが解った。

 125〜190、「よく生きてきたね」と、医師から冗談を言われたぐらいの血圧で、その日から降圧剤の服用が義務付けられた。

 葬祭業の職業病は胃潰瘍や十二指腸潰瘍で、これらの検査も併行され、胃カメラの結果で発見された古傷の多さに仰天された医師は、十二指腸潰瘍の薬の服用も決定された。

 お陰で「薬」が食後のデザートのようになり、こんな面倒なことはないと思いながらも現在にまで至ってきた。

 薬の服用を始めて2年が経過した頃、友人と行ったゴルフ場の風呂場の脱衣場で整髪していると、友人が恐ろしいことを言い出した。「髪が薄くなってきたのでは」と言うのである。

 そう言えば? 白髪交じりではあるが「ふさふさ」タイプであった私は、無性に気に掛かり始め、後日に薬を貰いに訪れた際、その旨を医師に伝えてみた。

「副作用はありません。年の所為ですよ」 医師は笑いながら、そう言われた。

 1ヶ月ぐらいした頃、座っていた私の後方を通った娘が、「パパ、薄くなったようよ」と言ったからたまらない。

 次の日、私は娘の情報から、梅田にある有名なヘアエステを訪問することにした。

 そのサロンはビルの地下1階にあり、受付のフロントに若い女性が座っており、様々なコースの説明を受けたが、せっかく来たのだからと、1日体験コースというのを受けることになった。

 別室に案内され、出されたお茶を飲んでいると白衣の女性が入って来て、出された資料プリントに基いての問診が始まった。

「ご両親の髪は如何ですか?」「ご兄弟は?」「これまでのご病気は」「ストレスは?」「お仕事の内容は?」「タバコは?」「お酒は」「偏食は?」「睡眠時間は?」「年収は?」

 年収が何に関係するのか知らないが、聞かれたことにはすべて答えた。

 そこから始まった初めての体験。それは悲劇と喜劇が織り交ざったような物語。

 この続きは明日に。

2002/08/06   CD 「 慈 曲 」・・・♪♪   NO 157

 日本トータライフ協会の「必見 コラム」で、オリジナルCD「慈曲」のことが触れられ、最近、ホテル、葬儀社だけではなく、一般の方からも「慈曲」の問い合わせが多いということだが、当然の如く、弊社にも増えている。

 協会IT委員会の報告によれば、CD「慈曲」のグーグル検索では、次のようになっているそうだ。

「葬儀 癒し CD」     3300件  1位  
「葬儀 演出 音楽」     3070件  1位
「葬儀 癒し 音楽」     4260件  1位
「葬儀 音楽 CD」    16500件  1位
「儀式 音楽 CD」     9020件  1位
「葬儀 CD」       23700件  1位 

 このCDは非売品で、自分が欲しかったから創作に着手したものであり、「ないものなら創るしかない」との思いに駆られた、どちらかと言えば道楽で誕生したものである。

 それがどうだろう、こんな結果になるとは全く想像しなかったが、葬儀の終了後や後日に「あの場面での曲は?」と、参列された方々からのお問い合わせがあったことからも、やはり、作曲を依頼した美濃三鈴さんの感性の卓越と、葬儀という世界の体験による深い理解の賜物だろう。

 さて、永年続いていたテレビ番組があった。この番組は民間放送なのにCMがないという極めて稀な番組で、「CMのない教養番組も公共放送の使命だ」という、読売新聞社のトップとして名高い正力氏の強い思いで制作された「宗教の時間」で、いつも高僧の皆様を中心として構成され、貴重なひとときとして有名な番組であった。

 この番組で、私や「慈曲」が取り上げられたことがあるのをご存じだろうか。テーマは「葬儀と癒し」で、私と上述の美濃さんとの対話場面や、ホテル葬での実際の活用光景も映し出され、非常に高い評価を頂戴したナレーターの言葉には恐縮するばかりだった。

「これは、今年、春に発表されたCDで、葬儀を演出する目的で制作され話題を呼んでいます」 

「近年、日本人の葬儀に対する考えに変化が見られ、これに伴って遺族と共に癒しを重要視する人々が現れてきています」

 確か、そんなナレーションだったように記憶しているが、テレビの影響というものは凄いもので、それだけで市民権を得たような体験もあった。

 弊社には多くの取材があり、テレビのクルーが来社されることも多く、時にはリポーターとして著名な芸能人もやって来られるが、その度にスタッフ達が隠れてしまうことになるのは淋しいところで、収録中に私の後方を堂々と通れるような猛者や、カメラワークを気にしないスタッフも欲しいと願っている。

2002/08/05   北の国からのHP発信   NO 156

 今日、日本トータライフ協会の北海道支局を統括担当するメンバーが、新しいHPを発信した。

 台風に見舞われた7月の北海道研修会のホストを担当してくれたメンバーでもあり、掲示板には全国のメンバー達からお祝いの言葉が寄せられている。

 僧籍を持する沖本社長は30才で、苫小牧、室蘭を中心とする「めもりあるグループ」を見事に取り仕切っており、講演活動などを通じて、若くして人望高く、名士としても名高い人物である。

 新しく発信されたHPには、「トピックス」というコーナーが存在し、不定期だが彼らしいエッセイが綴られる予定で、メンバー達の楽しみが増えたところである。

 弊社のHP内にある「日本トータライフ協会加盟企業からのコメント」に、藤井専務の言葉が表記されているが、彼が、この会社の専務であり、地元の地方紙を通じてコラムニストとして人気があり、彼のコラムは、今、グーグル検索「コラム 葬儀」のトップに君臨している。

 これで、日本トータライフ協会のメンバー達が発信するコラムは、藤井専務の分を除いて、次のようになった。

必見 コラム 有為転変   日本トータライフ協会  HP内   現在、毎日更新
ほっと 一息        高知県 おかざき葬儀社 HP内   現在、毎日更新
もっこす かわらばん    熊本県 落合葬儀社   HP内   ほぼ、毎日更新
久世栄三郎 独り言     このページ             現在、毎日更新
めもりあるトピックス    北海道 室蘭・苫小牧市民斎場    今日から発信

「ほっと一息」のアクセス数が高く、そのおこぼれで「独り言」の訪問も多くなり、お陰で検索のあちこちでトップページに登場することになっているが、私を除く彼らは、素晴らしい感性を抱かれており、いよいよ楽しみの毎日である。

 全国に点在するプロ達が集結し、「愛」と「癒し」のコンセプト理念を共有する日本トータライフ協会。在籍メンバー達がやりとりする掲示板の内容は、誰も想像出来ないようなレベルになっています。

 今日から新しい情報発信が掲示板で始まりました。全国のすべての雑誌、新聞から「葬儀」に関する記事をファイル入力する弊社が、その中の一部の情報を、全国のメンバー達にファクシミリ送信することになったのです。

 情報は山ほどあり、その抜粋が大変な作業ですが、期待を寄せるメンバー達への何よりのプレゼントになり、葬祭文化の研鑽を目的とする協会活動にあって、大いに役立ってくれるものと信じています。

 ※ 北海道 苫小牧・室蘭市民斎場 HP アドレス
        http://www.memorial-gr.com/

2002/08/04   ビジネスの前に・・考えてね   NO 155

 毎日、多くのダイレクトメールが配達される。差出人を確認しながら、CMイメージの強い物は、私が直接には目を通さないことにしている。

 ある航空会社からのビジネス案内文書があった。この会社はセスナやヘリコプターを中心とする会社で、「新しいサービスを始めました」とパンフレットが同封され、海上への「
散骨には是非」とあった。

 それから数日後、突然、その会社のセールスが来社され、たまたま事務所にいた私は、その人物に15分間のプレゼンの時間を与え、どんなサービスシステムが構築されているのか、また、現在に至るまでのプロセスについて拝聴することにした。

「プレゼンの時間を、それも社長さんに直接お会い出来るなんて」と言いながら、彼は熱い思いを語り出した。
その間、パンフの隅々まで目を通しながら聞き入っていた私は、やがて質問を始めたが、彼は、すぐに顔面蒼白の状態に陥ってしまった。

「お骨は、誰が粉砕するの?」「粉砕する機材はあるの?」「散骨に飛んで、悲しみの遺族が事故に巻き込まれたらどうするの?」「遺族が空港へ来られた時、スタッフはどんな服装で迎えるの?」「そこでどんな儀式が行なわれるの?」「ご遺影の扱いに付いての考えは?」

 質問をしたいことが山ほどあったが、その時に訪ねてみたのはそれだけだった。

 彼の航空会社が構築したサービスシステムは、セスナやヘリコプターを飛ばすだけのこと。その他は何も考慮されていないという現実であり、お粗末なビジネス提案には淋しいだけではなく腹まで立ってきてしまった。

 海上への散骨をビジネス提案される葬祭業者さんが増えているが、クルーザーで沖合いに乗り出すこともいいだろうが、出発までのセレモニーこそに意義があり、それなくして散骨する行為は「海洋投棄」でしかなく、もっと真剣に考えなければならない筈だ。

 数年前、私が担当した葬儀で、故人が瀬戸内海の生まれで、瀬戸内大橋の辺りの島で漁業をされていたこともあり、クルーザーか漁船を手配し、散骨をしたいと奥様から懇願されたことがあった。

 立派なクルーザーやヨットを有している私の友人達に頼めば簡単なことだが、私は、敢えてとんでもない提案をすることにした。

「海洋への散骨は、故人に対するご家族の思いでされることであり、ご家族だけで内緒で行なわれることも許される筈です。今の時代、自由葬、樹木葬、海洋葬などの言葉が流行しており、中には法的な論議まで進んでいる事実もあります。例えばの話ですが、皆さんが追想旅行でも計画され、大型フェリーから瀬戸内大橋の下辺りで散骨されるのはいかがですか?」

 瀬戸内を通るフェリーは多くある。大洋フェリー、関西汽船、阪九フェリー、ダイヤモンドフェリー、また、四国航路のオレンジフェリーもある。往路か帰路で通過する時間も異なるだろうが、これも立派な散骨ではなかろうか。

 そのご家族は、実際に決行された。午後8時頃に瀬戸内大橋を通過する便を選ばれ散骨。九州で1泊され、帰路は飛行機。後日にお土産を持参され感謝のお言葉を頂戴した。

 故人にゆかりある場所への一部の納骨。それは、その意味を理解される方々の範囲内で、秘密でされてもいいのでは。それが私の本音であり、法的な権利云々や、堂々とビジネス展開され、漁港の漁師さん達の抵抗感と勝負する必要が何処にあるのだろうか。

2002/08/03   その通りです   NO 154

 異業種交流会の第二部で、隣席に座った人と名刺交換をして、互いに苦笑しながら話し合うことになり、2人だけで大いに盛り上がる時間を過ごすことになった。

 相手はある病院の内科医で、私が聖路加病院の日野原先生のことを持ち出したことから、彼が立ち会った多くの臨終の場面について、興味深い話をしてくれた。

 医者と葬儀屋が生死について話し合う。円テーブルで8人席となっていたが、我々2人は、他の人には失礼であっただろうが、誰も割って入るようなイメージでなかったようで、中には真剣に耳を傾けておられる人物もおられた。

 命終の近い患者さんには、当然、家族が付き添っている訳だが、「危篤状態になれば、すべての家族が病室にいたという時代は変わった」と、彼が言ったことにびっくりした。

 彼の分析された持論によると、携帯電話のなかった時代は、それぞれの家族への情報発信基地としては病院と家が中心になっており、病人を抱える家族達の行動範囲も狭かったそうだ。

 それが、どうだろう。携帯電話の普及発達により、それぞれが直接に情報入手が可能となり、仕事やプライベートな世界での行動半径が広がり、病室に付き添っている延べ時間が激減してきたと言うのである。

 私達が学生であった頃、深夜に友人から電話があれば、ベルの音から家中の者に知れ渡ることになり、親からどやしつけられたものだが、携帯電話は24時間自身の手にあり、誰に知られることもなく布団の中で会話が出来るのである。

 外に出ればコンビニを中心に24時間営業の店が増え、若者達で賑わっている。何かあれば携帯電話で繋がっているとの安心感もあるだろうが、家族という世界での「絆」とはかけ離れてきているように思えてならないところだ。

 核家族と呼ばれる社会にあって、別居している子供達。親の葬儀で喪主になった長男さんから、「連絡はすべて携帯電話で対応します。自宅の電話はオープン化しないにように」と念を押されたこともあったが、情報社会の発展は、人の社会の重要なものを壊していくのかも知れない。

「医学の道を歩む人は、宗教学も勉強するべきだ。それらを総合すると<人間学>ということになる」 

 上記は、葬祭哲学の第一人者、当協会の杉田副理事長の言葉であるが、若いメンバー達は「死」を学び「生」を知るという仕事に従事しながら、研修会のグローバルな研鑽を通して「人間学」を修得し、そこでの結論が「愛」と「癒し」の活動コンセプト誕生につながったのである。

 弊社に「人財」と呼ぶべき女性スタッフが存在している。彼女は若いが看護婦の体験があり、私が「ドキッ」とする発言を何度も耳にして反省しながら感謝をしている。

 そんなひとつが、寝台自動車によるご遺体の搬送時の問題で、次のような指摘があった。

「臨終から、<ご家族>は<ご遺族>になられますが、その時点での故人は<ご遺体>であってはならないのです。<患者様>の言葉表現の方が良いと思います」 その通りです。

2002/08/02   葬祭業の未来に    NO 153

 ある地方の葬儀社さんから手紙を頂戴した。ご本人は後継者となる青年で、葬祭業に従事してまだ1年も経過していないそうだ。

 幼い頃から葬儀屋の息子ということが嫌で、小中学校時代には「葬式屋」と言って、随分嫌な思いをされたこともしたためられてあり、これは、この職業にある人達の多くが体験してきたことで、よく理解出来る話である。

 数人の社員の存在もあり、仕方なしに後を継ぐことになったというこの青年は、梅雨の時期に他の職業に就職しようとも考えていたそうだが、そんな時、ふと、この「独り言」に出会い、大きく考え方が変わったという感謝の言葉が添えられてあり嬉しく思っている。

「葬祭業とは立派な仕事だ」 「プロの世界の仕事だ」 「ホテルマン以上のホスピタリティが求められる」 「葬祭文化の向上は自分達で創造しなければ」

 そんな「独り言」にしたためた言葉が意識改革につながって何よりだが、人の人生に変化を与えることになった事実に対して、私にだけしか解らない責任を感じている。

 昔、遠い南国の葬儀社の息子さんを預かったことがあったが、彼は幼い頃から自衛官に憧れており、親に対する猛烈な抵抗感を払拭するのに苦労した思い出があるが、今回の青年は、葬祭業を天職として考え始めたようで、その将来に大きな期待を寄せながら返信しようと思っている。

 恐らく、今日もこのページを見ておられる筈だが、近日中に返信しますのでお待ちくださるよう願います。

 そうそう、追伸のことにも触れておきたい。「近い将来に、日本トータライフ協会に加盟出来る業者になります。その時にはよろしく」とあった。

 彼は、すぐに加盟したいと思ったそうだが、加盟メンバー達のHPを見られ、まずは自身を磨いてからという謙虚な姿勢に感銘を受けたし、必ずや協会の認証に値するレベルの業者さんに変貌されると確信している。

 若いメンバー達の交流が深まり、様々な相乗効果も生まれている。
囲い込み戦略が主流の葬祭業界に逆行するような協会活動だが、葬儀「社」の前に葬儀「者」を目指す彼らの崇高な精神は、将来に必ず社会で受け入れられる筈だし、それらは葬祭文化の向上につながり、葬祭業が誇りある「プロ」の職業として認知されると信じている。

協会の加盟を希望される業者さんが増えてきているが、協会に帰属するソフトやノウハウの取得を目的としての入会は認めていないし、それらはメンバー誰もが歓迎しない筈。

自分の持つ大切なものを「より以上に」「より大切に」との研鑽。そこで次に生まれる新しい発想。人生の終焉をお手伝いする葬祭業は、「感性」が重要視されてきており、協会に集う「匠」達は、今、猛烈に「感性」をぶつけ合っているのです。

2002/08/01   遺言の重責   NO 152

 葬儀の日程を決定される時、宗教者、火葬場、霊柩車、会場などのスケジュール調整が必要であるが、ご遺族と葬儀社だけで進めてしまうケースが増え、宗教者の皆様の抵抗感が高まっている。

 お寺様は、法要や他の葬儀を受けておられることもあり、宗教者のスケジュール確認なくして日程を決めることは絶対出来ないこと。

 ある葬儀の依頼があって参上すると、とんでもないことが起きていた。ご遺族が通夜、葬儀の日程をすでに決められ、ご親戚や関係者にファクシミリで通知をされてしまっていたのである。

 これは大変。すぐにお寺様と火葬場のスケジュールを確認したが、幸いにも都合がよくて大事件になることはなくホッとしたが、事の重大さを知られたご遺族が震えておられた姿が印象に残っている。
 
 永い歴史の中に、「葬儀は大阪高級葬儀、司会は久世栄三郎に」という遺言による葬儀も何度かあった。葬祭業に従事することを誇りにしている私にとって何より嬉しいことだが、神様、仏様は時に悪戯をされるもので、こんな時に限って自身の担当が数件ということになるから大変だ。

 もしも渋滞していたら間に合わないという綱渡りも何度か体験したが、マイクを持つ自身に余裕のない仕事は最高に疲れるものだ。

 80過ぎの会長さんの社葬を担当してから3年後、その会社の役員さんからお電話を頂戴し、弊社の事務所でお会いすることになった。

 お話は、会長さんのご伴侶がご入院されているそうで、ご終焉を迎えられた際の葬儀の事前相談であった。

 ご夫婦にはお子様がおられず親戚も遠縁ばかりという事情があり、数日前に数人の役員さん達が病室に呼ばれたそうで、そこで奥様は、「ご自身の葬儀の要望」を託されたのである。

「私の葬儀は、ダイアナ妃のイメージでね」というのが強いご希望。伺った役員さん達はどのように対応するべきか理解出来ず、「どんな形式ですればよいのですか?」と確認されたそうで、そこで私の名前が登場して来たそうだ。 

「主人の葬儀を担当された久世さんに、ダイアナさんのイメージでね。それだけ伝えれば可能なの。お願いね」 

 弊社での打ち合わせ、それは、すべて私に任せるという結論であったが、「これは遺言となりますので、久世さんに司会を担当いただくということも絶対条件です」と念を押されたことが大きなプレッシャーとなった。

 それから約2ヵ月後、ご本人の葬儀が行われ、役員さんや参列者の皆さんから「ダイアナさんみたい」というお言葉を頂戴する成功となったが、この2ヶ月間の私の行動が制約されたことは大変であった。

 遺言の遂行、それは大変な重責であるが身体は一つ。私の勝手なスケジュールから、日程を変えていただいたことがあったことも事実である。


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