2002年 7月

2002/07/31   地球環境と葬儀   NO 151

 葬儀は人を集め、人を走らせるという言葉があるが、参列者の移動に関する交通機関の利用までも考えれば、今問題の地球環境にもつながってくる。

 参列者にお渡しする「お供養」の包装や手提げ袋。また、お食事後のゴミの処理。そして供花や関西特有の「シキミ」に関しても環境問題を切り離すことは出来ないだろう。

 直接的な部分では「お柩」の存在がある。木材を使用するし、火葬場の規則として定められた内装品も考慮しながら、ご遺族が納められる品々へのアドバイスも行なわなければならない。

 ある学説によると、地球環境に大きく関係する森林破壊は、はるか昔の中国にもあったそうで、これらは、今も慣習として引き継がれている。

それぞれが特別に立派なお棺を用意され、それらは時には大木を切り倒し、刳り貫いて制作されたことも多く、中国の山奥から切り出される材木の量は想像以上のものだそうだ。

弊社にも外国から多くのメールが入ってくるが、それらの大半がお棺の売り込みで、中国、台湾、シンガポール、オーストラリア、マレーシア、韓国などからの例があるし、中には上述の「刳り貫き」タイプもあった。

 日本では「地球環境にやさしい」との触れ込みで、再生紙を活用したダンボール型のお棺も登場しているが、人生最期に使用されるという雰囲気の中では、ご遺族の評判はすこぶる悪い事実もあり、これらは、折りたたみ式で場所を取らず、災害用の緊急備蓄品として重宝されている。

 一方で、関西特有の「シキミ」の使用が激減しており、山でシキミを切り出す仕事をされておられた方の大半が手を引かれたそうだが、常緑樹のシキミが必需品として重宝されてこられた日蓮正宗さんや創価学会さんにも、少量での納得が生まれているようである。

 さて、シキミは、様々な説があるが、次の3説が有力なようだ。

* シキミの花の蕾が、インドの無熱池に咲く蓮華の蕾とそっくりで、活用されている。 
* 日本に持ち込まれたのは、唐招提寺を建立された鑑真様。
* シキミは毒性があり、獣が先天的に嫌うところから、埋葬の時代に山から切り出して
  きて供え、埋葬時に獣が掘り起こさないような知恵として残った。

 有為転変という言葉のように、世の中の変化を止めることは出来ず、それらは慣習や習俗、迷信さえも超越してきていることにも明らかだ。

 NO 149に書いたように、宗教観の稀薄、儒教精神の稀薄、無宗教の増加など、永い歴史の上に胡坐を掻いていてはならないだろう。

正座をし、真摯に受け止め、自分達がどのような道を歩んで行くべきなのかと、今、その分岐点に立たされているように思えてならないこの頃である。 

2002/07/30   新聞記事から   NO 150

 社葬の会場をホテルというケースは、今やビジネス社会では常識となり、夏や冬の季節にホテル以外を式場として通知すると、得意先からクレームが入る時代にさえなって来ている。

 個性化、多様化ニーズの潮流にあって、ホテルは社葬だけではなく、偲ぶ会、お別れ会など、個人葬や家族葬も今後に流行することは確実であろう。

 7月27日付けのサンケイ新聞の記事に、<自由さウケて「ホテル葬」浸透>という見出しの記事が、東京から発信されていた。

 記事内容の末文に、<葬儀プロデュースの大手、大阪高級葬儀では「シティーホテルの八割が仏事サービスに興味を抱き、その大半が実際に行動を起こしている」と話す>と、弊社のことも取り上げられていた。

 これらは過日にあった取材からであるが、新聞記事にあった東京Aホテルの祭壇写真のお粗末なレベルには衝撃を受けた。

 故人と伴侶の知り合いがボウリングという趣味であり、そんなところからボウリングのレーンを祭壇として創作されているが、こんな単純発想を「かたち」にされる企画力は、正直に申し上げて恥ずかしい限りで、新聞社に提供するレベルの写真ではないと思っている。

 ホテル空間で葬送サービスを提供される場合、重要視しなければならないのは「礼節」であり、奇抜なアイデア、イベント的発想は「お笑い」の世界に化してしまう危険性がある。

 与えられた会場空間を聖域化し、儀式空間に神変させるプロデュース。そこに生まれる環境空間こそがホスピタリティを売り物にするホテル本来のサービスレベルであり、こんな会や集いのレベルの提供では、近い将来に凋落して行く姿が見えている。

 これらは無宗教形式というところに恐ろしさが秘められており、遺族や参列者だけの一時的満足ではなく、故人の存在を最優先し、参列者全員に「納得」の生まれる空間提供が必要で、「会」や「集い」から「式」への意識改革が求められて来る筈。

 NO 149にも書いたが、「体感に勝るものはなし」という言葉通り、今後は参列体験による比較判断が分かれ目になるだろう。 

 葬儀とは、命とは、死とは、宗教とは、悲しみとは、別れとは、追憶とは、思い出とは、慰めとは、癒しとは、愛惜とは、惜別とは、悲嘆とはなど、人間学、サービス心理学の研鑽なくして葬送サービスは完成しない。

 私がプロデューサーとして招聘を受けている超一流ホテルでは、そんなグレードの高いサービス提供の構築を求めて来られているのである。

2002/07/30   有為転変   NO 149

 午前0時を回ると日付が変わり、昨日、そして今日も1日遅れとなってしまい、誠に申し訳なく思っています。

 今日は、講演。ビデオ映像を交えながら90分のオシャベリを担当した。

講演とは一方通行でお聴きいただくもの。受講された方々それぞれの感じ方は異なるだろうが、「葬儀がこんな時代になっていたとは知らなかった」というお声を数名の方から頂戴し、何とか「えにし」に結ばれた義務だけは果たせたようだ。

 講演を担当した場合、出席されていた人から「私の所属する団体で、講師を」と依頼されることが多いが、私は、そんな時、次のような絶対的条件を付している。

<受講された講演を主催された方、若しくは私を講師として推薦してしてくださった方。そのどちらかを窓口としてお申し込み願うこと>

 講演活動を積極的に取り組んではいるが、業者以外は一切の謝礼を受け取らず、完全なボランティアとして活動しているし、一人でも多くの方に葬儀の意義、人生の重みをご理解願うことが葬祭文化の向上につながると信じているからなのですが、「えにし」というマナーだけは大切にという思いも秘めているのです。

 今日の講演で、予定していたシナリオを変更するべきということがあった。それは、受講者の中に、お一人だけだが宗教者の方がおられ、宗教に関する部分を半分ぐらい割愛することにした。

 社会変化やニーズの変化を語る時、宗教を離れて語ることは出来ず、宗教の重要性を説くと共に、一部の宗教者の批判も現実として仕方のないところである。

 日本の葬儀の大半は仏教形式であるが、お寺様にも神式、クリスチャンの葬儀の実際もご理解いただきたいし、無宗教形式がどのような「かたち」で行われているのかも、是非お知り願いたいと心から思っている。

「無宗教? そんなことは愚か者のすることだ」と、一笑に付されるお寺様も多いが、なぜそんなことが流行して来ているのかと、社会背景を洞察されること。そして、これらの事実を真摯に受け止められ、今後にどのように進むのか、それらを台風の進路予想を行なうように、社会への情報提供が求められているように思えてならないところである。 

 これまでに何度か書いたが、無宗教は熱帯低気圧から完全な台風に成長してしまっているし、本土への上陸は、宗教者や我々葬儀社に被害が及ぶ以上に、真の被害者が社会であることを真剣にお考えいただきたいと願っている。

「体感に勝るものはなし」という言葉があるが、自分の世界が置かれている現状を確認されるには、それが最上の近道であるように思う。

 過日の宗教者の皆様への講演もそうであったが、「こんなことになっていたのか?」では遅すぎる。行動されるなら今しかない。

 社会は確実に動いているのである。

2002/07/29   悲しいことですね     NO 148

 毎日、暗いニュースが新聞、テレビで報道されている。交通事故、水辺の事故、自殺、殺人事件など、全国で悲しい通夜と葬儀が行われている。

 我々日本トータライフ協会のメンバー掲示板では、「こんな悲しい葬儀がありました」「こんな配慮を差し上げたら感謝されました」という情報が交わされており、日々に研鑽ということにつながり、メンバーにとって本当に宝の世界となっている。

 最近に多い話題は、やはり冒頭にある葬儀。仕事とは言え、本音からすると担当したくないケースも多い。

 わが国での自殺者は、年間で約3万人。最近に多い不況型もあるだろうが、若い人達から高齢者までが、自らの命を断ってしまうことは真に残念なことである。

 幼い子供と奥さんを残し、「リストラでローンを抱え、もう疲れた。許してください」との書き置きで、自殺をされてしまったことがあったが、勝手過ぎる話で遺族のことを慮ると怒りが込み上げてくる。

 世の中には、不幸な人がいっぱいおられる。信じられない環境に置かれている人もいる。なのに勝手に悲劇の主人公になってしまい死を選ぶ。それは最大の犯罪行為であるように思えてならないところで、そんな悲しい葬儀を何度も体験する私達は、自殺や犯罪を誰よりも憎んでいる。

 ある葬儀で、導師をつとめられたお寺様と激論を交わしたことがある。そのお寺様の年齢は40代の前半。若い女性が自殺をされたというお通夜の法話で、自殺の愚かさについて強烈に説教をされたのである。

 遺族のご心中を察すれば、それがどんなに辛くて苦しい時間であるか想像出来るだろう。

宗教者は、葬儀の場では悲しみをご理解されることを願って止まないところだ。

 檀家さんの家族が自殺をされた。宗教者として、お寺と檀家というコミュニケーションが結ばれていれば、ひょっとして救うことが出来たかも知れない筈。それがただ導師という立場だけで高圧的に説かれた一方通行の法話。それは、宗教者としては、失格の烙印を押されても仕方がないと思っている。

 私が激論を交わしたのは、ご遺族からの衝撃と怒りのお声があったことを伝えたことからで、「自殺は悪いこと。それを説教してどこがいけないのだ」と開き直られたことに発端があった。

 相手は宗教者であるが、年齢は私の方が少し上。控え室でのやりとりの終いには、「あなたは導師か、それとも宗教者か?」というきつい言葉まで発してしまった。

 次の日の葬儀。お寺様の人数はお2人。お通夜に来られていた僧侶のお父様が導師として入られた。どうやら、私とのやりとりを逐一報告されたようで、そのご老僧は、「私が遺族に謝罪をします。そして、あなたにも感謝します。よくぞ教導くださった」とおっしゃられ、恐縮この上ないひとときとなった。

2002/07/27   頑固なんです    NO 147

 葬儀に於ける親族の「焼香順位」は厄介で、悲しみのご遺族に大きな負担になっているようだ。

 古い時代には相続の順位にも関係したしたそうで、その名残があるのかは知らないが、21世紀を迎え、もう意識改革をしてもよいのではと思っている。

 親戚を割愛し、遺族だけの焼香順位なら、どんな方でも5分も要すれば作成可能だろう。
しかし、何十人もやって来られ、来るか来ないかも解らない親戚をすべて網羅するとなれば大変で、これは体験された人にしか分からないだろうが、抜け落ちでもあれば確実に尾を引く揉め事に発展するので恐ろしい。

 私が司会を担当していた葬儀で、信じられない光景を見ることになったことがある。
 それは、お寺の本堂で行なわれていた葬儀で、約60名の焼香順位を手渡され、導師の引導後に喪主からの親族焼香が始まったが、20名ぐらいを経過した頃、突然、着席していた数人の親戚達が「気分が悪い。帰る」と言い出して、下駄箱から履物を出し始めたのである。

 私も驚いたが、ご遺族の驚愕振りが想像できるだろうか、「待ってください」という言葉だけで引き止めようとされるが、その人物達は手も合わさずに帰ってしまった。

 葬儀の最中のハプニング。当然、式場内の親戚達が騒がしくなる。皆さんに背を向けられて真剣にご読経をされる導師さんに申し訳がないが、次々に芳名を読み上げていかなければならない私の立場も複雑だ。

 葬儀が終わり、火葬場に向かう車の中で、喪主さんが導師さんに謝罪をされ、詳しい事情を伺うことになったが、離婚問題が複雑に絡み、「当家より、なぜ**家が先にするのだ。気分が悪い」ということだったそうだ。

 葬儀とは何だろう。参列する、会葬するということはどういうことなのだろうか。焼香を目的に来ているのだろうか。葬送の原点をもう一度考えていただきたい問題である。

 日本人は、何かに付けて順位にうるさいようだ。供花、弔電などにもあるし、「順不同」という言葉が滑稽でならない思いである。

 代表焼香や弔電の順位でも肩書きばかりが重要視され、最も大切にされなければならない友人や文章内容が無視されてしまっており、嘆かわしい限りだ。

 ある時、喪主さんに説教染みたことを言ってしまったことがある。故人であるお父様が勤めておられた会社の親会社が、なんと喪主さんの勤め先であり、喪主さんは自分の会社を先にと考えられたのであった。

「葬儀は故人優先です。お父様の会社が先です。子会社の中小企業であっても優先するべきです。それで親会社が文句を言って来られたら、私が責任を取って相手の社長に談判をします」

 そんなことを言ってしまったのは、私が30代の頃。しかし、まだ成長出来ていないようで、未だにその時代の考え方が変わっていない頑固者なのである。

2002/07/26   お疲れモードです    NO 146

 福岡インターから九州自動車道に入り、23時30分に帰阪した。

 山口県の小郡ジャンクション付近で、助手席の足元に置いてあったダンボール箱から子猫が飛び出し、誤まってハンドルを山陽道ではなく中国道へ切ってしまった。

 お陰で27キロの遠回り。山陽道は制限時速100キロが大半だが、中国道は80キロで、北房インターから西の山間部では一部60キロ制限。気分的に損をしたように思うが、無事故で帰宅出来たのだから文句はない。

 それにしても中国道の交通量は少ない。山陽道の10分の1ぐらい思える。レストランやガソリンスタンドのないパーキングに何度か入ったが、1台も車のない所もあり何か気持ちが悪かった。

 往復で約1600キロ。ただ一人黙々と運転する中で、お気に入りのCDを聴くのはストレスの解消になる。

 ジャンルや曲によってスピードに変化が出る。軽快なリズムを耳にすると自然にアクセルを踏んでしまう。

 絶対にスピードが出せない音楽、それはオリジナルCD「慈曲」であり、疲れてきた時に眠気を催すので気を付けなければいけない。

 たまたま「慈曲」を聴いていた時、気が付かない内にパトカーが追い越して行った。慈曲でなければスピード違反で検挙されていたかも知れないし、ゴールド免許に傷が付かなくて助かった。

 そうそう、ホテルの駐車場に置いた車内の猫のことを忘れていた。屋根付きの駐車場がなく、朝の日差しを心配していたが、幸いにも雨、早い朝食の後に餌と水を持って行きドアを開けた。

 しかし、ダンボール内にはいない。あちこち探してみたらシートの下に潜っており、引っ張り出すのに一苦労だった。

 今、その猫は私の自宅の廊下にいる。蓋を閉めたダンボール箱の中でガサコソして、悲惨な泣き声を上げている。明日は事務所に連れて行くが、何人かのスタッフには歓迎されないかも知れない。

 しかし、パンダ柄の小さくて可愛い猫。きっと愛される存在になると信じている。

 命終に関わる葬祭業の仕事。そんな環境にプラスとなってくれたらいいなと思っている。

2002/07/26   九州のホテルにて    NO 145

 今月は、何度も台風に泣かされている。北海道もそうだったが、今、強風の吹く中、九州のホテルでこの原稿を打っている、

 ホテルに着いたのは、午前0時前。また日付が変わってしまって申し訳ございません。

 車で山陽道、九州自動車道を走行してきたが、片道770キロ、やはり疲れるし、若くないことを改めて知った。

 大雨と強風、自然の猛威は強烈で、いつもよりハンドルを握る力を必要とした。

 過日、NO141で可愛い猫のことを書いたが、事情があって、今、その猫が私の車の中にいる。ダンボール箱の中に入れ、水と餌を置いてあるが、日が射すまでの早朝に車を覗きに行かなくてはならない。

 今のところ少し雨が降っており車内温度は心配ないが、朝は5時頃に起きてホテルの駐車場に行こうと思っている。

 可愛い猫は、弊社の事務所で面倒を見ることにし、スタッフ達に懇願しているが、決して「招き猫」ではないので誤解をなさらないように。

 明日は、福岡空港を経由して、また山陽道を走行しなくてはならない。安全運転第一でゆっくりと走るつもりだが、明日の予定を考えると頭の痛いことが多く、どうもアクセルを踏み込んでしまいそうである。

 さて、宿泊したホテルだが、マッサージは23時で終了。食事関係は22時。ルームサービスはなし。夕食を食べずに来てしまったので空腹感に襲われて眠れそうにない。

 そこで大浴場でもと確認してみれば、午前0時まで。仕方なしに部屋の風呂を温めにしてゆっくり入ることにします。

 そんなところから、本日の独り言はこのあたりで失礼申し上げます。

 時計は午前0時50分。高台にある大きなホテルとはいえ山の中。どうも電波の調子がよくないようだ。送信出来ることを願いながらエンターボタンを押します。
 おやすみなさいませ。

2002/07/24   過剰サービス  NO 144

 東京に出張することが多く、これまでに都内の約70のホテルに宿泊体験があるが、お気に入りは6箇所で、ここでは差支えがあるのでホテル名は割愛させていただく。

 ある時、全国のホテル関係者を対象とするセミナーが開催され、講師を担当した。
 出席者はバンケット支配人だけではなく、総支配人、総副支配人、専務、社長という肩書きの方も多くあった。
 
その講演の中では仏事サービスだけではなく、宿泊からブライダルまでのホテルの総合サービスについて話し、全国各地に出掛けるが旅館が好きであることも吐露していた。

 その1週間後、また上京することになり、夕刻に着いた東京駅でホテルの宿泊予約を入れた。

 お願いしたのはシングルルーム。先に行きべき所があり、チェックインは2時間後ということで予約が取れた。

 そして2時間後、フロントでチェックインを行い、ボーイさんの先導によって部屋に案内された。

 扉が開けられた時、部屋の予約に誤まりがあったのかということになった。
 部屋は和室、それも誰が見てもスイートルームである。

「間違っていませんか? シングルルームをお願いした筈ですが?」

「生憎でございますが、本日はシングル、ダブル、ツイン共に満室でございまして、こちらのお部屋をご用意申し上げました」 

 ボーイさんは、そう言うと、部屋代はシングルルームの料金で結構ですと、いかにも申し訳なさそうに応えた。

 東京駅での電話では、シングルルーム、ツイン共に空室があった筈。それがどうしてこんなことになるのだと不思議な思いに駆られた私は、携帯電話で「今日の宿泊は可能ですか?」と交換台を通して宿泊窓口に確かめてみた。 

「ツイン、ダブル、シングル、すべてに空室がございますが」という返答。
 これは、おかしいと思って、上着を脱ぐまでもなく、荷物を手にフロントへ向かうことにした。

 お客様が途切れた頃を見計らい、低姿勢で「何かの間違いでは」と事情の説明を始めた。

「ご確認までなさったのですか? 申し訳ございません。実は、お客様は、当ホテルの特別なお客様リストのメンバー様なのです」

 説明されたことによると、私が知らない内にそんなメンバーになったのは1週間前。このホテルの総支配人が過日のセミナーの受講者であり、次の日に宿泊窓口のコンピューターに登録されてしまっていたからであった。

 やがて宿泊支配人という方が登場され、私が「過剰サービスはホテルサービスとしては失格では」という発言に対して、「私達を助けるということで」と懇願され、折衷案としてツイン料金を支払うということで決着した。

 立派な桧風呂に入り、マッサージをお願いしたが、マッサージさんが、「お客さん、こんな広いお部屋に、お一人で何をされておられるのですか?」との質問には返答することが出来なかったが、その後、そのホテルに宿泊することはない。

2002/07/23   えにしに生きる   NO 143

 他人の「死」に接すると自身の「生」を知ることになり、葬儀という「悲しみ」の仕事に携わる立場にあると、これらは一般の方々の何十倍も強いものがある。

 学校に週休二日制が取り入れられた時、子供達の交通事故が懸念され、土曜日の午前中の事故となれば、この制度が施行されていなかったら発生はなく、被害者と加害者の将来を大きく変えることにもなってくるのにと思ってしまった。

 人の運命とは不思議なもの。交通事故現場での遭遇を遡ると、どちらかが何処かで1秒の早い遅いの差異があれば、悲しい結末を迎えることはなかった筈。

 また、夏休みであるこのシーズン。毎年多くの方々が「水辺の事故」で命を落とされる。新聞やテレビのニュースを見ていても、誰も他人事にしか伝わらず、犠牲となられた方の家族も、災難に遭遇するまで「まさか」と思っているもの。

 考えてみれば結婚も不思議である。恋愛期間を逆戻りし、初めて出会った時に遡れば、1秒の差異で逢うこともなかったことも多くあるだろう。

 私の友人夫婦が、彼らの面白い過去の話を教えてくれたことがあった。
 互いが知り合ったのは、大学卒業後に就職した会社。そこで恋が芽生え愛に発展、そして結婚に至ったのだが、最初の頃のデート中に、高校時代に巡り合っていた事実が判明したのである。

 それは、修学旅行で訪れたある城跡公園。
2人は、当時、他府県に在住しており、同日の同時刻にそこで昼食の時間を過ごしており、互いが弁当を広げていた場所が、10メートルも離れていなかったことが思い出の写真アルバムから分かったのである。

名曲「いい日旅立ち」の歌詞に、そんな表現があった筈だが、事実は小説よりも奇なりとの言葉が当て嵌まらないだろうか。 

 葬儀で思い出話を拝聴することが多いが、最愛の伴侶との出会いの話をされる時には、涙の時間の中に輝きが見える。それは「えにし」の不思議というようなことも多くあるが、大切な人との思い出話は、どうしても出会いにまで遡ってしまうようだ。

 自殺や離婚がますます増えてきており、殺伐とした社会で犯罪が凶悪化してきている。ある社会学の専門家が「教育の歪み」と力説されていたが、評論するだけでは世の中は変わらない。実践すること。自分で行動を起こすこと。そこに方向性が見つけられ進路が開かれてくるもの。

 私達が加盟し、「愛」と「癒し」のささやかな活動を展開する日本トータライフ協会で、もうすぐ、北海道のメンバーがHPを発信されるそうだ。

この会社は、過日に北海道研修会のホストを担当してくれたメンバーで、メンバー掲示板では、寒い北国から「さわやかな風」と「あたたかい心」を贈ってくれるメンバーとして認識されており、どんなHPが創作されているのか楽しみにしている。

それにしても大阪は猛暑。私の隠れ家はまるでサウナ状態。発信する「独り言」の内容も、打ち込む環境によって変化してしまう。涼しい北の国で過ごすことが出来ればと思いながら、今日は、この暑い部屋から脱出することにします。

2002/07/23   今日の講演    NO 142

 講演の帰路、同行した社員3人を伴って食事。話に花が咲き、帰宅したら午前0時15分。また、発信の日付が変わってしまい申し訳ございません。

 講演会場は、あるご宗派の大阪別院。やはり大きなお寺で、それらしき格式と重みを感じる雰囲気があった。

 受講くださったのは全員がお寺様。演題は「現代お葬式事情」。とんでもない現実をお話申し上げたが、「そんな時代になっていたのか」というご参考だけはプレゼント出来たと思っています。

 早めに車で出発をしたが、途中にある「開かずの踏み切り」でえらい時間を要することになり、後悔しながらやきもきし、講師として依頼された以上、会場に1時間前までに到着するのがマナーという言葉を思い出した。

 与えられた講演時間が終わり、すぐに質疑応答が進められたが、ここで、「宗教に基く言葉表現を大切にしない葬儀社が増えている」とのご意見を頂戴した。

 司会のトークは非常に洗練されているが、宗教を理解しない司会者が増えていることは事実で、私がこれまでに指導してきた司会者に叩き込んできた重要な教育テーマでもあった。

 宗教に厳しい宗教者の中には、出来たら弔電の文章も変えるべき。弔辞を述べる方にも宗教に基く言葉を伝えておくべきとのご意見もあるが、葬儀社、司会者の立場でそこまで踏み込むことは難しいことだろう。

 前にも書いたが、草葉の陰は「コオロギの棲む世界」。黄泉の国は古事記に登場する「これ以上ないという穢い世界」。冥土、冥福につながる言葉は「暗闇の世界」。そんなところでどのようにして幸福になれというのだろう。

「ご安心しておやすみください」との表現は、「もう出てくるな」ということにもなる。そんなご意見を抱かれる宗教者が多いことも事実である。

 これも過去ログにあった筈だが、テレビの司会者で「次のクイズに行きたいと思います」「**さんに唄っていただきたいと思います」。この「思います」は、お前が思ってどうするのだと書いた訳だが、今日の新聞に、ある大学教授が同じことをテーマとして書いておられた。

 それは、テレビニュースなどに登場する不祥事を起こした場合の謝罪の場面。「心からお詫びを申し上げたいと思います」 思ってどうするの? 謝罪しますが本来でしょうとのご指摘。私と共通する考えで、今日は気分が晴れた一日でもあった。

 明日からは、今月中に担当する講演の資料作り。すべてが一般の方々で、ご理解願える資料作りが重要で、体感というビデオ映像を中心にしたシナリオ構成を考えている。

2002/07/21   扶養家族    NO 141

 昨夜、久し振りに友人の割烹に行った。入り口に置かれている招き猫に挨拶しながら席に着くと、目の前に新しい招き猫が置かれていた。

 それは通信販売の広告で何度か見たことのある「お願い猫」。
両手を合わせてのお願いポーズ。金色の鉢巻を締め、肩からポシェットをぶら下げていた。

「可愛い」と思いながらしげしげと眺めていると、友人であるオヤジが、それがお客さんからのプレゼントであると教えてくれ、他のお客様がおられるにも拘らず、「招き猫を置けない職業」と、私のことをからかった。

 こんな発言を耳にされたお客さんに、「何の仕事ですか?」と問われるのは当然で、悪乗りしたオヤジは、続いて「えべっさんにもいけない仕事です」と言ったから大変。そのうえに「正解者にはビール1本進呈」ときたからたまらない。酒の肴というひとときを過ごす羽目になった。

 確かに我々の職業は、上述の通りであり、人の不幸や悲しみを生業としているが、しばらくして「葬儀屋さん」という正解が出た後、彼は、私のプロ意識に付いて10分間ぐらいの演説をぶってくれたので許すことにした。

 さて、今日の朝、とんでもないことが発生した。早朝から散歩に出掛けていた妻が、掌に乗るような子猫を拾ってきたのである。

 私の自宅には大きな猫が2匹おり、障子、柱、壁紙はズタズタ。いずれも拾ってきて成長した猫達の仕業だが、また扶養家族が増えたことになる。

 子猫はまるでパンダのような色合い。ミルクを飲む姿を目にすると、もう捨てて来いということが出来ない。

 私は動物を嫌いではない。しかし耐えられないことがある。それは「死」の訪れで、言葉が喋られない動物達の死が無性に悲しくなってしまうのだ。

 もう1ヶ月も経てば家財道具の傷が増えることになるだろうが、共に過ごした動物達の生きた証とのプラス思考で考えることにしている。

 明日は、お寺様の団体への講演。朝から資料作りをしなければならない。

この独り言をパソコンに打ち込んでいる足元で、凶暴性のある悪猫がじゃれている。
この猫は撫でる仕種でもすれば大変。瞬間に翻って強烈な爪で攻撃を受ける。
内緒の話だが、私だけが、この猫の名を「妻の名前」に命名している。

 果物屋さんからいただいたダンボールケースの中で、子猫がガサガサと音を立て、寂しげな泣き声を上げている。まだ母猫から離れる時期でないことは確実。当家の悪猫は、絶対に母の役目をすることはないだろう。

 悪猫から守る。それが当分に課せられた拾い主の義務であり、所帯主としての責任だと思っている。

2002/07/20   人生模様とナレーション    NO 140

 葬儀の司会で10,000名様以上を担当させていただいたが、故人の人生表現をとのご要望から、生い立ちナレーションを創作することが増え、その内の、3,000名様以上の方の人生を取材したことになり、それぞれの方が織り成してこられた様々な人生模様を拝聴してきたことになる。

 故人が尊敬されておられた方は?との質問に、「父でした」「母でした」と、ご両親のお名前が登場することも多く、こんなご家庭で共通している特徴に「厳しい躾と教育」がある。
 
<明治生まれの男性らしく厳格で・・> <大正生まれの女性らしく辛抱強く・・>
 こんなお言葉を耳にすることも多いが、取材原稿を見ながらシナリオ創作する時、いつも時代の流れの背景を思い浮かべながらパソコンを打ち込んでいる。

 70代、80代の方々は、少年、少女、青春時代を大正から昭和の始めに過ごされ、戦乱、終戦、戦後の激動昭和の筆舌に耐えないご苦難をご体験されており、つくづく今の時代の幸せを感じるもの。

「偉大な父でした」「偉大な母でした」
 そんなお言葉を拝聴するご家庭は、葬儀に対するご希望がグローバルで、「送る」というコンセプトがしっかりされ、出来るだけ思い出話の中のエピソードをお聞かせいただくようにつとめているが、「したためておきました」と、10数ページに及ぶ人生物語を喪主様から頂戴したこともあった。

「人生表現? 母は平凡な女性で、何の肩書きもありませんでしたから」
 ご遺族のそんなお言葉では、ナレーション資料が集約出来ないと思われがちだが、人生最大の喜びは? 衝撃は? 子供達にとってどんな母親? 孫達にとってどんなおばあちゃん? ということだけで、大企業の会長さん以上の人生表現も可能となり、ナレーションは「肩書き」の列記ではなく、「人と為り」を表現するということになる。 

 思い出のお写真を拝借しビデオ編集を行い、ナレーションを被せることも多いが、この場合、その方の人生だけではなく、お人柄を確実に把握することが大切で、トーク原稿の文字数の変化に秘められたテクニックがあり、時には「プロジェクト?」の田口トモロヲさんバージョンも生きてくる。

 映像、ナレーション、BGMそれぞれのバランスも重要で、時には映像に、時にはナレーションに、時には音楽にと、参列される方々側での客観的な構成を考慮しなければならず、時間に追われている時の完成度がダウンしてしまうのは事実。

 一方で音楽のボリュームが重要で、その曲の構成を確実に把握し、例えば<スリーコーラス目で、口調をゆっくり>というような全体構成を組み上げ本番に臨む訳だが、素晴らしい曲でも「盛り上がり過ぎる」という部分があると難しく、これらを解決したいがためにオリジナルCD「慈曲」の誕生に至ったのである。

 さて、今日のご葬儀、お柩をお開けしたお別れのひととき、シンセサイザー奏者が「慈曲」から私の作曲「逝かれし人へ」を演奏してくれていた。単純な旋律だがご出棺時にだけはマッチしていると思っているが、「慈曲」9曲を作曲された美濃三鈴さんに演奏を願い、改めて彼女の卓越された技術と編曲力の素晴らしさを体感することになった。

2002/07/20   お久し振りでした    NO 139

 今、やっと本番のシナリオが出来上がった。この独り言を書き始めた時間が午後11時38分。明日の日付で発信となってしまうパーセンテージが高い。

 20日のご葬儀を終えると、21日にはお寺様のご親戚と生前打ち合わせ。同時に22日の講演の資料作成をしなければならない。

 この講演は、お寺様の団体。前にも書いたが、講演終了後に質疑応答の時間が1時間あり、皆様から吊るし上げられることを覚悟しながら、そうなるような強烈な現実をお話させていただこうと考えている。

 昨日も東京の新聞社から取材があった。テーマは無宗教とホテル葬の流行についての分析。社会の潮流を伝えると、やっとご理解されたようで、お帰りになる前には「絶対にこんな時代が到来してくる」という確信を抱かれ、どんな記事になるのか楽しみなところである。

 さて、今日担当のお通夜で懐かしい方にお会いすることになった。その方は数年前まである新聞社の要職にあり、現在では大学教授としてご活躍をされておられる。

 世界的な建築家として有名な安藤先生が建築された茨木市にある教会。その建設の際に、安藤先生に考えられないようなご無理をお願いされた方としても有名な方。そんな物語を著された本で、そこに秘められた事実を知った。

 この方と初めてお会いしたのは、ご友人のお父様のご葬儀で、ご本人が葬儀委員長をおつとめになっておられた時だった。

 この葬儀で、面白いと言えばご叱責を受けるだろうが、信じられない事件があった。

 古い時代の村制度が残っているような地域で、すべてに地元の役員さん達が絡んで来られ、ご遺族が難渋されていたが、そこで、この葬儀委員長さんは、村の役員さん達を一同に集められ、説教を始められたのである。

「皆さんは間違っています。悲しみの遺族をそれ以上に悲しませてどうするのですか。ややこしいことばかりを押し付けてくることは言語道断です。皆さんのお手伝いは一切必要ございません。会葬に来ていただくだけで結構です。私は喪主の友人ですが、葬儀委員長の責任の立場で、この葬儀を取り仕切ります。この村は封建時代のように感じます」
 
 非常に説得力があり、迫力を感じる雰囲気に呑まれ、誰一人として反論される方はいなかった。誠に爽快で見事なお説教であった。

 ご出棺後、火葬場へ向かう車の中でお話をさせていただいたが、ジャーナリストらしい信念を拝聴し、敬服した思いが今も強烈に残っている。

 その方は、その時とまったくお変わりされないお顔で、ご挨拶を申し上げたが、きっと、<久世君も歳を取った>と思っておられたことだろう。

 さあ、これからビデオの編集チェックをやろう。今日は、少しだけ眠る時間がありそうだ。時計を見ると午前0時8分。やはり日付が変わってしまった。なにとぞご海容くださいますよう。    おやすみなさいませ。

2002/07/18   女性の進出     NO 138

 変革する葬祭業界の特徴の一つに「女性の進出」がある。ホスピタリティの世界にあって女性のパワーは想像以上で、弊社でも若い女性スタッフのウェートが大きくアップしてきている。

 故人の人生表現を大切に考えると、どうしても取材が重要であり、生前の思い出話しを拝聴するにも女性スタッフが重宝され、葬儀の終了後のケア的なサービスにあっても、やはり女性の「やさしさ」が貴重で、弊社では看護婦の資格を持つスタッフが担当している。

 葬儀の式場周辺管理を依頼する警備会社でもこの傾向が顕著で、交通整理を担当する警備員が男性、女性でお客様の受け止められるイメージが大きく変わってくる。

「ご迷惑をお掛けします。この先で葬儀が行われています・・・」というような看板を見掛けられたことがあられるでしょうが、女性警備員の場合には、「仕方がないな、迂回するか」というご協力につながる「柔らかさが」あり、有り難い存在になっている。 

 さて、葬儀に於ける女性司会者の進出には難しい問題があったことも事実だ。一部のお寺様には「葬儀は男性」とのお考えもあり、強い抵抗感を示された時代があった。

 女性の方に叱られるでしょうが、私が教育した女性司会者達が何人も泣いていたことがあった。「女は魔物だ。葬儀に携わるとは何事だ」という衝撃的なお寺様も存在していたし、「女性差別です。みんなで抗議しましょう」という問題に発展し、驚いて仲裁することになったことも懐かしい。

 お寺の本堂には「内陣」と「下陣」があり、「内陣」に女性が入ることを許されないお寺があることも現実で、大相撲の土俵や大峰山の伝統習慣を思い出しながら、難しい問題として悩んでいる。

 若い女性の憧れの職業である「航空業界」。私は、何れ、葬祭業界に従事するプロ女性が、それ以上の脚光を浴びることになると予測している。

「家族が大切な方を亡くされ、突然「遺族」になられてしまう。そんな場合の悲嘆の心理には怒り、猜疑心、絶望感、孤独感、自責感、判断力低下など、様々な非日常的な心情が生まれるが、何処かに必ず潜んでいる「思慕感」という部分で、女性のホスピタリティが求められることになり、サービス、ケア、プロデュースという世界には、女性の進出が約束されているように思っている。

 昨日は徹夜となってしまった。非常に難しい葬儀のシナリオ構成を進めており、明日、そのお通夜が行なわれる。今晩も、恐らく睡眠時間に期待は出来ないだろう。これらはプロと呼ばれる世界では必然のことで、自分にしか出来ないことは自分でやるしかないのである。

 基本的な構成が完成すればスタッフが「かたち」にすることは可能であるが、自分が満足に至らないものはお客様に出さないという信念に押され、いつもスタッフ達に急かされている恥ずかしい現状なのです。

 明日の朝には、ビデオ編集の絵コンテに入らなければならない。それに被せるナレーションの推敲もしなければならない。すべてが時間との勝負である。

 故人にあっては、人生ご終焉の1回限りの重要な儀式。そんな重責を担うと心身共に疲れるが、それだけ遣り甲斐のある仕事であると考えている。

2002/07/17   語呂遊び   NO 137

 「生きている」「生かされている」との考え方の相違で、その人の人生観は大きく変わる筈。

 私が「生かされている」と思い始めたのは19歳の頃。交通事故で奇跡的に助かったからである。

 振り返ってみると、その事故には不思議なことが幾つもつながり、これだけでも小冊子一冊が完成するだろうが、ここでは割愛させていただく。

 世の中に「プラス思考」「マイナス思考」という、人の性格を分類する言葉があるが、冒頭の言葉にも関連していると思われてならない。

<なんで、自分だけが>というように、人は悲劇の主人公に陥ることも少なくないが、そんな時に、与えられた「試練」だと受け止める発想転換が出来ればと努力している。

 ある講演の「枕」で、ゴルフの話をしたことがあった。ティーグランドに立って攻めるコースを見る。ティーショットの落ちるあたりに嫌な池とバンカーがある。

 そんな時、<あそこに行くかも知れない> <嫌なハザードは2割で、8割の世界が広がっているではないか>。そんな両極端の考え方の相違で、成功率や結果に大きな変化を与えることになる。

 ディボット跡に入ってしまって打ちづらいボール。そんな時、「なんと、ついていないのだ」と、自身の運のなさを恨むもの。
しかし「これは神様から与えられた試練。1打の損で、何処かでプレゼントもいただける筈」と考えると気が楽で、奇跡的なプレゼントを多く頂戴する体験もしている。

「災い転じて福と為す」という諺があるが、ミスや試練との遭遇はそんなチャンスでもあり、人を大きくさせてくれることは確かなようだ。 

 文字遊びで恐縮だが、「葬儀」には財産を争う「争儀」もあるし、義理の会葬者による「騒儀」もある。最近に流行の無宗教形式では、私は「爽儀」というイメージで「葬送」を「爽創」している。

 これから歩む「道」。それは「未知」であるが「魅知」であって欲しいと願うし、来世が「美地」であるように祈っている。

天上・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄の六趣(六道)。人は地獄、極楽の話が好きなようで、多くのお説教やご法話を拝聴したが、その中で印象に残っていることがあった。

 来世のターミナルステーションで列車の行き先を見てみると、地獄道行き、餓鬼道行き、畜生道行き、阿修羅道行きしかなかった。

そこで駅員さんに「極楽行きはないのですか?」と尋ねてみると、今日の発車はないとの返事。

「では、いつ、出発するのですか?」

 そんな問いに、明確な答えが返ってきた。

「明後日の6時です」・・・・「名号六字(南無阿弥陀仏)」  失礼申し上げます。 

2002/07/16   意外な落とし穴    NO 136

 最近、葬儀に関する記事やテレビ番組が増えているが、そんな中で「ドキッ」とすることを、葬儀のプロでない人達から教えられることも多い。
 
無宗教形式やホテルを会場とする葬儀に興味を持たれ、取材にやって来られた新聞記者さんとの間で、そんな発見が生まれたやりとりがあったので紹介申し上げる。

 女性スタッフがお茶を出し世間話を進めている時、彼の目が、私の座っているソファーの横に置かれていた雑誌に向けられた。

 目に留まったのは、我々葬祭業界の情報雑誌で、月刊誌と隔月発刊誌。
「ちょっといいですか?」と要望され差し出すと、ページを開け、「葬儀の世界に、こんな雑誌が発刊されていたとは初めて知りました、驚きです」と目を輝かせておられた。

10分ぐらいの時間が流れ、突然、雑誌を手に「変な質問なのですが」との言葉から、予想外の詰問が始まった。
その表情は「興味」という感じではなく、記者特有の追究取材の姿勢を強烈に感じさせるもの。

「これなのですがね?」と言って開かれたページには、ある中小企業の創業者社葬のカラー記事が掲載されていた。

「これは、発行者の取材に基いていませんね。葬儀を担当した葬儀社さんが写真と情報の提供をされている。自社の宣伝ということではありませんか?」 

 彼が言うには、芸能人や著名人が亡くなった場合、多くの報道陣が取材を目的とされて葬儀会場に入られ、新聞、雑誌に記事として掲載されることも少なくないが、この場合でも許可を得る必要があるそうで、単なる担当業者が業界雑誌に情報を流すことは、果たして許されるのだろうか。マナーや肖像権はどのように解決されているのだろうか、との疑問で、言われてみれば確かにそうである。

「御社が、提供されたことは?」
「1回もありません」

 私の哲学は、ご遺影は人目に晒すものではなく、最低限度のマナーとしてもご遺族や施主側の了解を得るべきだということで、常識あるご遺族や施主の立場であれば絶対に許可をされる筈はないと確信しているし、弊社のようにオリジナルソフトを有すると、業界雑誌に公表する気にならないという考えも伝えた。

「これ、遺族や施主の了解を得ずに、葬儀社単独の勝手な行為としたら大変な問題ですよ。それに、仮に許可をされたとしても、掲載後に誰かに指摘されて愚かなことをと後悔しても、どうにも解決出来る問題ではないでしょう。社会部の記者としては、大きな興味を抱きますし、読者の意見を確かめたいですね」

 これは、大変である。読者がどんな意見を出されるか確実に見える。許可を得て提供している業者であっても糾弾されることは間違いなく、それこそ遺族から解決不可能な怒りを受けるだろうし、「故人に申し訳ない。故人が悲しんでいる」と言われたらお終い。1回も提供していなかってホッとした瞬間であった。

 雑誌を発刊される方々には申し訳ないことだが、こんなことが記事掲載になれば、それこそ社会問題に発展するだろうし、何より、業界のモラルの低さとイメージダウンが伝わることが悲しいところである。

2002/07/15   ある訪問者   NO 135

 ある日、あるお寺様がご来社され、葬儀で知り合われたという女性司会者の指導を頼まれたことがあった。

 お話によると、後日にやって来るその女性は、葬祭業者に属されないフリーの方で、司会者としての技量はあるが、肝心の宗教の異なりを理解されず、その宗派で絶対に用いてはならない言葉を連発され、葬儀の終了後に導師であられたご住職が、あたたかいご心情から「勉強されたら」とご提案されたそうだ。

 彼女は、永年ブライダルやイベント司会者として活躍され、3ヶ月ほど前に何処かで葬儀の司会の研修を受けられ、仏教と神道の形式を学んだそうだが、これなら出来ると自信を持たれ、偶然に受注した葬儀の司会を担当し、このお寺様と出会ったということだ。

「知らぬが仏」という言葉そのままに、仏教の宗派で言葉表現の違いに重要な意味があることを知らず、何の疑問も生まれず、堂々とマイクを握ってしまった訳であるが、恐らく、ご遺族や参列者の方々は、そんなことを誰もお気付きになることはなかったであろう。

それだけに、お寺様からのご指摘は、彼女にとってかなり衝撃であったものと拝察する。
プロと呼ばれる立場にある人は、他人の指摘に対して羞恥を抱くことも当然で、反省で済むことなく、後悔に至る場合には、その職を離れることになることもある。

その後、アポがある筈と思って忘れていた頃、お寺様からお電話を頂戴した。
こちらのスケジュールを確認され、3日後に来社されることになったが、お寺様のご提案の日から、ご本人が来社されるまでには、約1ヶ月の時間が流れていた。

やがて3日後、彼女が来社された。初対面で司会者という雰囲気のある方で、この1ヶ
月の空白について訊いてみると、私の推測通り、あの日から恐怖感を抱いてしまい、葬儀の司会を断念しようとも思われたそうだが、心配されたお寺様の励ましから、再度挑戦する気になったそうだ。

 彼女への指導は、宗教の勉強の前に、まず、司会技量の確認から入った。私が出したプリントの3分間ナレーションに目を通し、その後、「自由なイメージで」と注文を出し、3種類の音楽をバックに語らせることにした。

 このプリントにしたためられた原稿には、私なりの悪戯が仕組まれてあり、彼女は驚いた表情で「これは?」と返してきた。

 句読点の全くない文章。それを一度だけ目を通してナレーターとして挑戦する。たったこれだけで司会者としての技量が解る。

 その結果、残念だが、彼女の技量は、一流には程遠いレベルであった。次に句読点の入った別のバージョンを読ませて見たが、これも全くダメ。

 緊張の所為もあるだろうが、それを差し引いても及第点には及ばず、取り敢えず問題解決のアドバイスを始めることにした。

「司会者として構えてしまっていませんか?」「BGMを活かす余裕がありますか?」「何文字も先に目が行き、言葉を後から出すテクニック、<目追い>を何文字可能ですか?」
「アナウンス・儀式・ナレーター・カギカッコ、4種類のトークの変化を出せますか?」
「ドレミファソ・・というように、1オクターブのどの音程からもコメントスタートが出来ますか?」

 彼女は、完全に固まってしまっていた。和らげる方法はただ一つ。私がその見本をやってみせ、体感させること。そしてやった。

 彼女は確かに体感した。確かに驚き感動した。そして、さっきより固まってしまった。

2002/07/14   変革の中で・・ほんもの   NO 134

 友人が所属する団体で「川柳」を募集したことがあり、寄せられた多くの作品の中に次のようなものがあった。

 「財産を 取り合い 位牌 譲り合う」

 核家族の潮流にある社会背景には、男女平等が尊重される一方で、祭祀権に関する長男、次男というような家制度の崩壊も生まれつつあり、こんな川柳が詠まれるのも頷ける体験を多くしている。

 弊社では「葬儀」「死」「墓」「仏壇」などに関する情報を、全国のすべての新聞、雑誌からファイルしているが、地方の多くのお寺が「無住(住職が不在)」となっている状況、また、「檀家であるが信者ではない」との記事。そして、仏壇仏具業界や墓地、墓石産業の凋落の現実を知ると、日本の社会構造が大きく変化してしまうことに危機感を抱いてしまう。

 過去ログにもあるが、日本人の根底にあった「儒教精神」の稀薄は、上述のようなシグナルを発信しているように思えるし、無宗教形式による葬儀のニーズの高まりも、これらが要因となっていると考えている。

 僭越で恐縮だが、私は、「檀家であるが信者でない」ということは、今後のお寺の存続にあって重要な課題だろうが、一方に「檀家でないが信者である」との意識も重要で、将来の宗教意識の方向性がここにあるとも思ってしまう。 

 ある社会学者が、「これからのお寺の宗教活動は、寺ではなく住職という人への信望が重要視されるだろう」と断言されていたが、上記の考え方とも共通していると思う。

 僧籍を持たれ、社会福祉法人としてグローバルなビジネス展開をされておられる方が、下記のような発言をされ驚いたことがある。

「檀家制度がなかったとしたら、お寺は何をしていただろうか?。信者を増やし集める努力をする筈だ。それには住職個人に宗教者としてのパワーが求められる。伝統や作法は人によってつくられ、人によって変えられるもの。その変化の兆しが始まっているだけで、極めて当たり前の社会現象である」

 人それぞれの考え方は異なるだろうが、情報社会の中で、こんなご意見が登場することは、大きな影響力を与えることになるだろうし、正道を真剣に歩まれる宗教者の皆様には衝撃となってしまわれることだろう。

 私は葬儀社を経営しているが、私自身は葬儀「者」であると自負しているし、そんなところから「本物」と称されるお寺様との交流も多く、どんな変革の時代にあっても「やはり本物は凄い」という体感もしている。

 ある葬儀でお寺様の紹介を依頼され、私が「本物」と思うご住職にお願いすることになった。ご存じのように大都市と地方では「御布施」の金額が異なっており、地方からの親戚の方が「異常に高い」とおっしゃられたが、私は、ジョークイメージで「お嫁さんをお世話することよりも大変なことなのです」と言い返し、そのまま葬儀が進められることになった。

 葬儀の終了後、その親戚さんは、「失礼を言って申し訳なかった。あんな方に導師をつとめていただいて故人も喜んでいる筈。もっと御布施を包むべきだったと後悔しています。後からでも、追加いいですか?」

 そんなお寺さんも多くおられる。お通夜の説教で、参列者全員が感動の涙を流された光景を何度も見ている。広い世の中には「本物」が存在されることだけは確かなのです。

 葬送だけは、本物と出会われることを祈っています。

2002/07/13   北の国にて    NO 133

台風6号に翻弄されながらも、北海道研修会は、見事な結実を迎えられることが出来た。
 欠航で残念にも参加出来なかった4名のメンバーは、参加者それぞれが打ち込み始めた掲示板の感想文に、運命の悪戯のような台風への恨みを倍加されているように思うのです。

 そんな方々に対しても、何とか同等の研鑽内容をプレゼントしようというのが当協会のメンバー達。近日の内に何らかのアクションが起きる筈であろう。

 研鑽会場となったのは、苫小牧市民斎場、美原と明野の2ヶ所。ここに同グループのメンバーである室蘭市民斎場のスタッフが万全のバックアップで、40名以上の皆さんがメンバー達のフォローをしてくれた。

 世の中のサービス業のトップにランクされるのはホテルマン。葬祭業に従事する者は、ホテルマン以上の資質が求められる。
そんなサービス哲学を説いてから20年の月日が流れたが、今回の会場となったメンバーの葬祭式場では、これらのマインドを見事に具現化した空間と、ホスピタリティの本質である「人」のサービスが溶け合った美しいハーモニーを体感することになり、参加メンバー達が惜しみない称賛の言葉を贈った。

 今回のメインテーマは「愛と癒しのサービス」。発案された新しいオリジナルサービスが全国で始まるだろうし、副理事長の講義で登場した「なぜ葬儀をするのか」や、グリーフケアの入り口で学ばなければならない「カウンセラーの10箇条」などは、メンバー達に改めてカルチャーショックを与えることになった。

 2日目に行なわれたシミュレーションによる葬儀、ここで我々は参列者として焼香をすることなったが、モデルになったメンバーに対して、「あなたとの出会いと存在に感謝し、これからも長生きを、ご活躍を祈念しますと手を合わせました」と掲示板に書き込まれていたのが印象的だった。

 人生表現の時間でのフォトビデオ。ここではNHKの人気番組「プロジェクト?」バージョン風に構成され、ナレーションの「やさしさ」に包まれるひととき、参列者が遺族に対して「よかったね」との癒しと慰めの思いが生まれるテクニックが秘められてあり、その完成度の高さに称賛の拍手を贈った。

 1泊目は、札幌市内のホテル。2泊目は、北海道らしさで有名なニドム。
 私にとって、ニドムは3回目だったが、今回も自然の中に身を委ね、心身を癒すことの出来る優雅な時間をコテージで満喫することになった。

 それぞれのコテージは離れていたが、メインとなった大きなコテージには多くのメンバー達が集まり、ホストメンバーのスタッフ達がもてなしてくれたホテルマン以上のサービスには、ただただ恐縮と感動。参加メンバー達は、心から感謝の合掌の姿に至る素晴らしい環境空間が生まれていた。

 我が協会の研修会は、深夜談義にヒントの発見があるのが特徴。今回も午前3時まで論議が交わされることになった。午前1時過ぎに始まったテーマは、我々が厚く尊敬申し上げて傾倒している聖路加国際病院の名誉院長先生のお言葉で、「家族」が「遺族」に変わる際の「ありかた」について、副理事長から受けた講義は大切で重みのある受講となり、心に深く残っている。

 さて、深い森に包まれたニドムは、我々業界の人間にとって、また、特に若い世代のメンバー達には問題があった。

それは、一部の携帯電話が不通になることで、メールの発信に苦労する光景も見られたが、これも大切な環境空間であり、つながるための対策をするよりもつながらないようにすることの方が、ニドムと言う世界では大切なように思っている。

そんな事情で、この「独り言」と、高知県のおかざき葬儀社さんが毎日発信の「ほっと一息」が「おやすみデー」になってしまいました。なにとぞお許しくださいますよう。

2002/07/12   人生のひとこま    NO 132

 昔、若かりし頃、ヘラブナ釣りに凝っていたことがあった。夜明けに家を出て昼までの釣行。午後から仕事というペースが、1週間に一回ぐらいあった。

 行動するのはいつも2人。その時によって相手は異なったが、すべての方がお年寄りであることは共通していた。

 釣りというものは不思議なもので、同行者の釣果が気になるもの。最も疲れるのは、自分だけが釣れること。相手の方に多く釣果が上がることで気分が楽になるもの。

 私は、何に取り組むにしても遠回りをすることが嫌いで、本から理論を学んでのスタートが近道の極意だと考えている。

 ヘラブナ釣りにも格言があった。「1に場所。2に寄せ。3に餌」ということで、先人達が語り継いでこられたこの極意の正しさは、数回の釣行で確信するに至った。

 ヘラブナを愛するお年寄り達は、気長、気短いの両方を持ち合わせる性格が多く、頑固一徹な一面も共通し、釣りに関しては他人の意見に耳を貸さないタイプが多く、「絶対」という確信ある提案をしても、「なるほど」と行動されることが少ないという特徴も面白いところだ。

 そんな愛するお年寄り達も、今は全員がこの世を去られ、それぞれの遺品となった用具が形見として私の手元に多くある。

 ある日、帰路の車中で、私が「名人」と称していた方が、哲学のような人生のひとこまを説いてくださったことがあり、印象に残っている。

 その方は、数年から10年後に訪れるであろう自身のご終焉時の姿を思い浮かべながら、次のようなことをしんみりと語り始めた。

「わしが死を迎えるのは、病院だろうか? その時、ベッドの上で白い天井を見つめながら何を考えているのだろうか? 子供や孫が側にいる光景は浮かんで来るが、どうも女房が浮かんで来ないのだよ。どうも、あいつが先に逝ってしまうような気がしてならんのじゃよ」

 その方の奥様はお元気で、朝の5時半に迎えに参上しても必ず見送られ、私の分までお弁当を用意してくださるやさしい方だった。

「男とは勝手な生きものでな、自分が先に逝く。妻は見送るべきと思ってしまうものでな。この前までは、そんな光景が目に浮かんできたのだが、最近、それが浮かばんようになってきたことが無性に淋しくてならんのじゃよ」

「久世君、わしは、この終焉の光景が魚釣りに似ていると思っているんじゃ。相手のことを気遣う気持ち。自分よりも相手が、と当て嵌めてみると、自分は去って行くが、残される家族の思いを考えてしまうことになり、自分は逝くだけ。自分の去る姿を家族の立場の心情で見てしまうことが辛くてな」

 こんなお話を拝聴したのは、私が確か30歳前後の頃。ご本人は奥様に看取られながらご終焉を迎えられたが、その奥様もその3年後にこの世を去られた。

 今頃は、西方のお浄土で再会を果たされ、蓮の台に安らぎたまい、懐かしい昔話に花を咲かせておられるような気がします。

2002/07/11   札幌 無事に到着   NO 131

 早朝に起きテレビのニュースを見ていると、始発からの東海道新幹線が止まっているとのこと。これは大変と、取り急ぎ伊丹空港へと向かい、午後の関空からの飛行機をキャンセルし、札幌行きの便に何とか搭乗することが出来た。

 驚いたことに、11日正午の集合なのに、九州、関西、東海、東京のメンバー達の多くが揃って札幌入りをしており、研修会に対する熱い情熱を改めて知ることになり、居酒屋で再会の喜びのひとときを過ごし、今、ホテルの部屋に入ったところである。

 今日の午後は、開催会場でリハーサルや打ち合わせを行なったが、さすがにプロらしい演出や企画が組み込まれており、明日の研修会が有意義に過ごされるという確信を得て、ほっとしている。

 葬儀の仕事に従事する者は、自身の親を送る喪主になって初めて一人前と言われている。これらは「体験に勝ることはなし」ということだろうが、今日の機内で、そんな思いに似た体験をすることがあった。

 私の席と通路越しに隣り合った若い女性が、1歳ぐらいの赤ちゃんを伴われていた。
 この赤ちゃんがグズられ、客室スタッフ達が次々にあやしてくれたが、簡単に治まる状況ではなかった。

 周りで迷惑そうな顔をされていた人も少なくなかったが、私は、自身の孫の存在と娘のことを思い出し、何の苦痛も感じない自分に驚いた。

 悲しいこと、大変なこと、そんな体験は人をやさしくさせることになるようで、私に孫の存在がなければ苦痛組の一人になっていたかも知れない。

 今、時計を見ると午前0時を少し回ってしまい、この発信の日付が変わってしまった。

 11日に与えられた私の時間、その講義がうまく進められるように、これからシナリオの細かい時間計算をやらなければならない。

 ご訪問をいただいた皆様には恐縮ですが、今日から2日間、この独り言の内容がおざなりになりますが、なにとぞご海容くださいませ。

 11日に札幌に集合されてくるメンバー達の飛行機の欠航がないように祈り、今からシナリオ構成に取り組みます。

 ご訪問、有り難うございました。心から感謝を申し上げます。

2002/07/09   一縷の望み    NO 130

 昨日の続編だが、台風が、いよいよ接近してきた。北海道へ向かう関東以西のメンバー達にとって、予期しなかったとんでもない訪問者は、、苦渋の選択という「知恵」が求められることになった。

 これまでの協会研修会は、観光気分で参加される雰囲気は全くなく、プロ達の集結らしい充実した研鑽の場であったが、それだけに、出席したくても出来ない人達が生まれることは大問題である。

 今日の午前中に研修会の決行が決定された。出席出来るメンバー達だけでの開催ということになった背景には、この日までの企画や準備に尽力してきたメンバー達を慮ることもあるが、出席することが出来た人達が受講出来ないという方が問題であった。

 北海道に辿り着くことが出来なかった人には、後日に同じ内容での研修会が予定されるだろうが、メンバー同士の交流に影響が生じることだけは残念である。

 弊社のスタッフと、行くことばかりを話し合っていた時、「帰りも大変ですよ」という言葉でドキッとした。確かにそうである。研修会が終了し、それぞれが千歳空港に向かう頃、北海道は暴風雨の真っ只中ということである。

 果たして、出席出来るメンバー達は、このことを考えているのだろうか。もちろん考えているだろうが、<とにかく出席して受講する。帰路はそれから考える>。
 そんな熱い思いで北海道に集結してくるように思っている。

 私も万全を尽くして北海道に到着しなければならない。<明日、関西空港や伊丹空港での発着に影響がなければ> そんな甘い考えは許されない。
そこで、西村京太郎さんの世界や、テレビドラマの「イソ弁」橋爪 功さんのイメージで時刻表を見つめ、様々なルートを調べてみたが、やはり、北海道は空路以外では大変である。

 仮に、新大阪発8:53分発の「のぞみ6号」で東京に向かい、「やまびこ13号」で盛岡。「はつかり13号」で函館。スーパー北斗21号で札幌に着くのは夜の22:42分。
 約14時間の列車の旅である。

 大阪駅から「トワイライト」という選択もあるが、12:00に発ち、札幌に9:07分。何と、21時間の寝台列車の旅になる。

 東京まで新幹線。そこから「カシオペア」や「北斗星」という路もあるが、上野から16時間の車内を思うと苦痛だし、「トワイライト」もそうだが、何より人気列車であり、乗車券の入手が困難という問題もある。

 最も無難な選択は、東京まで新幹線、羽田から札幌へ飛行機という方法。羽田からなら便も多く可能性があるだろうが、西日本の空港が閉鎖されると機材不足ということも予測しなければならない。そこで最悪の場合の選択が鉄道という訳である。

 私が予約してある明日の飛行機は、午後の関空発。恐らく、その頃は関空橋の列車もストップしているだろうし、とにかく絶対条件は、早朝からの行動で、<もしも飛んだら>というようなキャンセル料云々を考えている場合ではなく、何としてでも辿り着くとの思いで荷造りを始めている。

 私の単純な発想、それは、台風の進む速度より列車のスピードの方が速いということ。ここに最悪の場合の「一縷の望み」を掛け、大雨の不通だけはないように祈っている。

2002/07/08   シナリオになかった台風の襲来  NO 129 

 大きな台風が近づいて来ている。水不足に深刻な奈良県では、被害が及ばないことを願いながら、台風のもたらすであろう雨への期待もあるだろう。

 人間は、自然の猛威に対して無力。ただ、そこで生まれる「人災」という言葉に嘆き悲しむことだけはしたくないもの。

 我々葬祭業にとって最も恐ろしいのは強風で、この仕事に従事してきた歴史の中で何度も震え、泣かされてきた苦い思い出がある。

 死を迎える瞬間の訪れにTPOは一切なく、これも自然の摂理であろうが、天候、気象による環境であっても、遺族や参列者の葬送心の中に、複雑な「怒り」が発生するのも現実である。

 前にも書いたが、こんな時の交通機関の乱れは悲しみのダブルパンチ。臨終に間に合わなかった悲劇や、大切な終焉の儀式にさえ参列出来ない不幸もある。

 さて、今、私は、大変な問題に対峙している。目前に迫った北海道研修会のシナリオになかった、大きな台風の襲来である。

 九州、四国を始め全国から参加するメンバー達。彼らが予約する飛行機の欠航でもあれば大変だし、講師担当の立場にある私が到着しないことになれば、出席メンバー達に大変な迷惑を掛けてしまう。

 私は、何処かの狂言師のような神経を持ち合わせず、これまで受講者に迷惑を掛けたことは1回もないが、今回の台風だけは頭を痛め、一人でも出席出来ないメンバーがあれば申し訳ない気持ちで、台風という不運に恨みを抱きながら対策を練っている。

 今からインターネットの台風情報を見ながら考えることになるが、少なくとも明日の午前中には自身の行動決断をしなければならず、メンバー達との情報交換による最善の対処を迫られている。

 自分側の都合だけをしたためることはいけないこと。航空会社、フェリー会社や鉄道関係者も皆さんも大変だろうし、ブライダルや旅行を予定している方々も、やきもきされておられることだろう。

 今日亡くなられて明後日の葬儀となっておられる方々にも大変なこと。

明日の夕刻に行われる弊社のお客様も、お骨あげは明後日の朝。今の予報からすると暴風雨の中で行なわれることになる。お悲しみのご遺族のご心中はいかばかりであろうか。

人生のメモリアルデーとなる時に訪れた台風。それは、将来に忘れることの出来ない思い出となるが、あまり遭遇したくない出来事ではある。

 時計を見ると、もうすぐ午前0時。すぐに送信しなければ発信の日付が変わってしまう。

取り急ぎエンターボタンを押し、そして、時刻表を調べることにしよう。

2002/07/07   「独り言」 独り歩き    NO 128

 最近、予想だにしなかったことが起きてきた。毎日メールを開けるのは当然だが、会社のメールに外国語が増えて困っている。

 英語、韓国語、中国語、フランス語、ドイツ語、ロシア語などが入っており、恥ずかしいことだが誰も訳することが出来ず、ウイルス問題を考慮しながら削除している。

 中には画像を伴って送信されてきているものもあるが、その大半は、柩、墓石、大理石の骨壷などの売り込み。

びっくりしたのは、日本の葬儀社の情報入手を依頼したからかも知れないが、領事館や大使館を通じて送信されていたケースもあったことだ。

 インターネットに詳しい人に聞いてみると、これらはホームページの検索による影響で、弊社へのアクセス数が増え、トップページに登場してきていることに原因があるそうだ。

 1ヶ月に1回、アクセス数や検索に登場する順位の報告を受けているが、この「独り言」の発信号数と同じで、HP発信からは130日にも達していない状況にあり、こんな結果を知らされると怖い感じもしないではない。

 このような信じられない状況なった要因は、次のふたつもあると考えている。
毎日発信の日本トータライフ協会「必見 コラム 有為転変」と、高知県高知市のおかざき葬儀社さん「ほっと一息」のアクセス数アップからの訪問。

 そんな「おこぼれ」を頂戴する弊社。この「独り言」の発信が苦しくとも、乱文を列記する情熱の支えであることは確かである。

 さて、昨日のITに関する報告書の中に、意外な結果があった。これも全く予想しなかったことで、下記のように、グーグル検索によると、オリジナルCD「慈曲」や、この「独り言」が思わぬところに登場していて驚愕した。
 
葬儀 演出 音楽    2930件   1位
 葬儀 癒し 音楽    3940件   1位
 葬儀 音楽 CD   16000件   1位
 葬儀 CD      23100件   1位
 独り言 高級     12500件   1位
 独り言 葬儀      3940件   1位

 因みに、「必見 コラム」では、6万数千件でトップに登場しているとのこと。

 また、「慈曲葬」が、ある著名な大学のBBSに登場し、「こんな葬儀に参列してよかった」との書き込みを確認することが出来たそうで、過去にしたためた「星のプレゼントの新聞記事に感動」というケースと共に、知らないところで一人歩きをしている現実に接し、その内にあちこちで「罵詈雑言」を浴びせられるのではないかと心配している。

 そうそう、もうすぐ研修会だが、与えられた2時間、熱く語り、とんでもない世界を見せようと考えているが、「見せる」が「魅せる」になってくれるようにとの思いを込め、シナリオ創作を進めている。

 ホストメンバー達で企画されているという「深夜の満天の星空ロケーション」。
流れ星を見ながら広大な宇宙を想像し、小さな星である「地球」で生かされていることが実感できるだろうし、また、次の日からの仕事に生かされることになると信じている。

2002/07/06   期待ハズレ   NO 127

 葬祭業に従事し、経営の立場や司会を担当するものには、「来る*月*日」という約束が苦痛になるもの。2年前までやっていたゴルフも、何度、友人達に迷惑を掛けたか解らないし、会合があればいつも頭を下げる弱い立場になっていた。

 そんな友人達は、私の仕事を深く理解してはくれたが、いつの間にか代理となる助っ人を用意する知恵まで働かせていた。

 絶対に約束を破ることが出来ないこと、それは講演の講師。
「友引」の日という条件で講師を引き受けるが、最近、大阪では友引の日の葬儀が多くなり、これも怪しくなってきて苦慮している。

 ホテルに於ける仕事が増え全国に出掛けるが、ホテルでの宿泊を好まなかっても、そのホテルに宿泊せざるを得ないことになる。

 私は、純日本的な旅館が好きで、夫婦で行動する場合、東京都内以外は必ず旅館。
列車内で、大きな時刻表を手に旅館探しをすることも楽しいもの。

 ある有名な温泉に出掛けた時のこと。新幹線車内から予約を入れ、在来線の特急列車に乗り換えて最寄り駅に着いた。

 駅前で乗ったタクシーは、個人タクシー。人柄の柔和な運転手さんに旅館名を告げると、「お客さんは、この旅館を何処で知られたのですか?」と尋ねられた。

 その日の列車内予約であり、適当な宿泊料から単純に決めただけと正直に言うと、面白い話をしてくれた。

 その旅館は歴史ある有名な旅館だが、今、経営を任されているのは「女将学校」の卒業生で、話題を呼び、テレビや雑誌の取材が多いとのこと。同じサービス業の立場にある私にとっては興味が生まれ、期待をしながら向かうことになった。

 到着までに仕入れた運転手さんの情報によると、徹底した合理主義も取り入れ、抵抗感を抱いて帰られるお客さんもいるそうで、少しがっくりときたが、これも何かの縁と思い始めた頃、到着した。

 はっきりと言って、この旅館の内容を書く気持ちはない。サービスという言葉に当てはまるホスピタリティを、全く感じることがなかったからである。

 悪口となってしまうが、温泉名も旅館名も伏して少しだけ表記申し上げる。

これまで、良いサービス、素晴らしいサービスを受けた旅館は山ほどあるし、今後に何軒かを紹介させていただくつもりだが、この旅館は基本的な部分が欠落し、女将学校でどんな教育を受けられたのかを知りたいと思ったぐらいであった。

 部屋に通され、机の上に置かれた「ご挨拶」。合理的は許されるだろうが、久世だけボールペンで記され、「様」からコピーの文字の列記。

 次に驚いたのが、渡した祝儀に対する領収書の内容。ひと目で旅館内部スタッフの軋轢、確執を感じてしまうレベルであった。

「この旅館の売り物は、何ですか?」 私は、いつもそう尋ねることにしているが、「この部屋のお風呂です」という、仲居さんの返答にも凝縮されていたように思う。

 当たり前のものを売りものにしているようではダメ。仕出屋さんが「お題目」のように味と衛生を売りものにしていることと同じかも知れない。

2002/07/05   不思議な体験    NO 126

 怪談が歓迎される時期には少し早いが、今日は、10数年前に私が体験した不思議な出来事をお話します。
 
 事務所の机に座り、外を行き交う車や人を見ながら、3時間後に行なわれる葬儀のナレーションの組み立てを考えていた。

 そんな時、衣姿のお寺様が自転車で通り過ぎるお姿が見えた。
そのご住職は、この日の葬儀の会場となっているお寺のご長老で、現在、ご隠居様。
一ヶ月前ぐらいからお身体のご不調で、他府県にある病院にご入院をされていると伺っていた。

 温厚でやさしいお人柄に、社員の間では「管長さん」とのニックネームが贈られ、ほのぼのとされた雰囲気から親しみ易く、多くの方々の人望を集めておられた。

 自転車で走るお姿を目にして、<よかった、よくなられたんだ>と思い、事務所内にいたスタッフの数人に、「今、管長さんがお通りになったぞ」と声を掛け、続いて「今日のご導師は、管長さんか? それとも現ご住職さんか?」と確認をしていた。

 管長さんがおられる以上、ご導師をおつとめならることは確実で、内密の話で恐縮だが、お布施の考慮にも関係してくることになる。

「現ご住職がおつとめになると聞いています」 それが、社員の答えだった。

 自転車に乗っておられる現実を見れば、これは、不思議なこと。ご退院されて自転車ということになれば<ご導師をされない筈はない>。それが私の疑問となった。

 やがて、葬儀の始まる時間が迫り、そのお寺様へ着いて10分ぐらい経った頃、お寺の前に寝台自動車が横付けされた。

 私達にとって、寝台自動車のイメージは強く、一般の皆様がライトバンと見過ごしてしまわれるようなことはなく、高速道路ですれ違っても敏感に解るぐらいなのです。

 そんな車が目の前に停まった。このお寺様で次の葬儀の依頼は入っていない。しかし、車内には「おやすみ」されている雰囲気があり、ご遺体であることは確実のようだ。

 すぐに運転手が降りて来られたが、その人物は、葬儀が行われている光景を目にして怪訝そうな態度。会葬者がぼつぼつと来られる状況ではお棺の到着でも珍しく、当たり前の驚きであろう。

 低次元な野次馬根性が起き、ふと、ナンバープレートを確認した時、私の背筋が一瞬にして凍りついた。

 <まさか> 寝台自動車のプレートには、他府県ナンバーが表記されている。

 そんな時、今日のご導師をつとめられる現ご住職がお出ましになり、私を見つけると近づいて来られ、生前の交誼に対する鄭重な御礼に続いてご葬儀の依頼を承ることになった。

「ご遷化は、何時であられましたか?」
 
 不謹慎だが、私が、どうしても確かめておきたかったことはご理解いただける筈。

 教えてくださったご遷化された時間、それは、私が自転車に乗られるお姿を目撃した時間と同じであった。                    合 掌

2002/07/04   お待たせいたしました    NO 125

 恋人との待ち合わせで、少しの時間オーバーには味?があるだろうが、待たされることの好きな人はいないだろう。

 散髪屋さん、病院、食堂で待たされることは、誰もが嫌であり無駄な時間の消費となってしまう。

 今年の始めに、ある大きなスーパーマーケットのオーナーとお話をしたが、近くに競争相手の大きな店舗がオープンし、激戦を交わしているとの悩みを打ち明けられた。 

「何か、アイデアはありませんか?」

 そんな問いに、ふと言ってしまったことが上記「待ち時間」。買い物をしてお金を支払うのに、並ばされて待つほど嫌なものはないということだった。

 そんな独り言のようなことを、その人物はすぐに実行され、大きな成果を上げられたというのだから面白いものだ。

 売り場を少し割愛し、レジを3箇所増設しただけで、お客さんが3割も増え、その大半が競合する店舗からの流れ組みであった。

 商品単価が10円、或いは100円安価であることを売り物にしても、レジで10分も待たされることになれば、渋滞しない方の店を選ぶのは道理であろうし、高速道路の料金所の渋滞体験をすれば誰でも解ることである。

 因みに、ある都市交通研究家が、面白い事実を教えてくれたことがあった。

 高速道路の料金所での渋滞は、1キロ5分の数式が成り立っているそうで、その後、その証明となる体験を何度もしたので事実だと確信している。

 しかし、ある時、1キロで15分を要したことがあった。それは、料金支払い後にも渋滞が発生していたからであった。

 さて、我々葬祭業に、電話による葬儀の依頼があった時、中には悲嘆のパニック状態から、常識では考えられないような体験をすることも多い。

「亡くなりました。すぐに来てください」。それだけで電話を切ってしまわれたこともあり、何処の何方さんかが解らなくて驚いたこともある。 

また、「かしこまりました」と電話を切ってから、5分も経たない内に「まだですか?」との電話があった。

伺ったご住所からすると、車で出掛けても15分は要する距離。消防署よりも迅速な行動を求められる心理の発生でもある。

数年前の元日の朝、不思議なことがあった。仮称を私の姓である「久世」としよう。
久世家から葬儀の依頼があったのは、午前8時10分。5分後には担当者が出発し、その10分後、つまり8時20分にはご当家へ到着している筈。

「久世と言います。葬儀をお願いしたいのですが」 その電話を頂戴したのは午前9時。
「まだ、着いていませんか?」と返したのだが、どうも話しが噛み合わない。 

数分後、「えっ」と思う事実を知った。噛み合わない筈。同姓の別のお家からだった。

ややこしくて、社内や取引先が混乱したのは申すまでもない。供花受注の電話の際、事情の説明から始めなければならない2日間となった。

2002/07/03   隠れ家にて    NO 124

 もうすぐ、日本トータライフ協会の北海道研修会が開催されるが、そこで新しいサービスソフトが構築提案され、全国の加盟業者によって具現化されることになった。

 このソフトは、お悲しみのご遺族の「癒し」「慰め」を「かたち」にすることを目的として考案され、これまで、メンバーの一部が、実験的にお客様に提案してきたオリジナルサービスで、ご体感された皆様から大きなご賛同をいただき、感動のお言葉がしたためられた多くのお礼状を頂戴しています。

 「良いもの」は、徹底して「良いもの」として、より以上にご満足に至るレベルアップをとの思いを込め、今、弊社のスタッフ達が様々なツール創作に励んでくれている。

 この部分の講師を担当する私の仕事は、レコーディング。隠れ家でシナリオを創作しながら機材に囲まれ、何度も吹き込みを行っている。

 専門的な録音ルームでないところが泣き所、携帯電話を切ることが出来ても、障害となることがいっぱいあるので難しい。

 録音本番中の電話の音。また、事務所の前の道路を通る救急車やパトカーのサイレンには勝てず、何度セッティングをやり直したことか。でも楽しいひとときでもある。

 ある時、本番中ということを知らなかった女性スタッフが、突然に上がって来てストップとなったこともあったが、それからは、そっと忍び寄る訪問者となったので、こちらの方が余計に驚くことになり、その度にNG。

 そんなことに対する報復ではないが、いい機会だと思って、3人の女性スタッフを呼び、順にナレーターをさせてみた。それぞれが緊張しながら挑戦してくれたが、共通していることはマイクの存在に「構えてしまう」こと。これは、アナウンスの入り口で誰もが陥るところで、この部分の矯正には少しの時間を要することになる。

 次に問題になるのが原稿を読むというイメージの払拭。これは訓練が必要だが、そこを過ぎてもクリアしなければならない段階が山ほどあり、腹式呼吸法まで行くには、かなりの付き合いが必要である。

 女性司会者に求められる究極は、「品」であり、「貴賓」とは言わないが「貴品」を感じることになれば一流と呼ばれる筈だ。

 さて、研修会用の録音だが、ビデオ映像を伴うところから大変な作業となっている。2台のビデオ、音源となるコンポ、中継するミキサーそれぞれのバランス調整を行いながら、このすべてを一人でやりこなすところに面白味もある。

 録音中は、部屋のエアコンもストップ。蒸し暑さに苦しみながらの挑戦は、私自身の研鑽体験ともなるが、熱い思いを抱く全国のメンバー達の存在が支え。
「熱い」は「暑い」に勝り、涼しい北海道を楽しみに耐えている。

 研修会を終え、それぞれが全国で展開を始めるであろう「愛」と「癒し」のサービス。これは、知的財産に帰属することでもあり、メンバー以外の同業者さんには絶対に真似の出来ないレベル。きっと、今年中に大きな話題を呼び、歓迎型サービスとして、社会で認知されることになると確信している。

 これらは、葬祭業をはっきりと「ビジネス」として割り切っておられる同業者の皆さんには、挑戦と受け止められるかも知れない。

2002/07/02   社会の側面を垣間見て   NO 123

少子高齢社会の到来は、予想外の世界にまで変化を及ぼし、永年の歴史で形成されてきた産業や文化までも変革させてしまうパワーがあるが、そんな裏側で思わぬ悲劇、喜劇を生んでしまっていることも知っておきたい。

 ある葬儀を担当した。故人は、多くの子供達を見事に育て上げられたお母様。約6ヶ月の入院闘病生活で、最も気掛かりとなっていたことは伴侶の存在。2年ほど前から俗に言われるアルツハイマー病の兆候があられたからだ。

 幸いにもご自宅近くにご長男、ご三女のお家があり、この2家族を中心に見事な介護作戦が実行されていた。

 通夜を迎えられた時、夫であるご本人の姿を見ることはなかったが、葬儀の当日、数人のお孫さん達がワゴン車で到着、やがて降ろされた車椅子にはお爺ちゃんの姿があった。

 それぞれが素晴らしいファミリーであった。こんなあたたかいチームワークがあるのだろうか。我々スタッフ全員が感心する配慮と、自然な「人間愛」の光景は、まさに表彰に値する感動の世界。

そこから始まった葬儀の時間。それは、故人となられたお母様に対して、「お父さんのことは安心してね」という思いが切々と伝わるひとときでもあった。

 ご出棺の前、お柩の蓋が開けられ、いよいよ最期のお別れという場面。「お父さん、お母さんよ。さようならをしましょうね。また天国で逢いましょうね」と、幼児に語り掛けるようなやさしい言葉遣いでお花を手向け、皆さんがいっぱいの涙を流されたが、ご本人は伴侶の死がお解りになられることはなく、覚悟されていたように、解決の出来ない哀痛の情景となってしまった。

 老人医療や介護の問題が論議されているが、えにしに結ばれた伴侶のこんな別れの儀式は本当に悲劇であるが、病という訪問者は、何時、誰をターゲットにして来るか解らず、大きな恐怖ともなっている。

 さて、その葬儀が終わった夕刻、あるホテルに仕事に行った。打ち合わせをした場所はブライダル担当スタッフ達の部屋。そこで、面白い体験をすることになった。

 打ち合わせ中に「電話です」と呼び出された責任者が、「参った」というような顔付きで戻って来た。どうやらクレームのようだと思っていたら、そうではなく、とんだ災難というような役回りを教えてくれた。

電話の相手は、そのホテルで過日に行なわれていた結婚式の出席者で、新婦の親戚の叔父さんであった。確認されてきたことは、当日の料理と引き出物の予算。

当然、プライベートに関することで、ご鄭重にお断りをされたそうだが、その叔父さんの怒りの対象は、新郎新婦と両親。自分が包んだ祝い金が高額で、料理と引き出物がお粗末だったことから、一言文句を言いたいので教えてくれということだった。

 その料金は、私の知る限りのホテル関係では限界というような低料金。新郎新婦は、打ち合わせ時、「もっと安いのがいいの。文句言う人は言うの。一切無視」と、割り切っていたそうである。

そんな披露宴を受けることがそもそも誤り。新郎新婦への諭しも重要なサービス。出席者が抱く勝手なイメージ、これほど怖いものはない。常識外れのお客様は他のホテルへどうぞと、鄭重にお断り。「おっしゃる通りに」というシステムになってしまっているホテルの欠陥。

ホテルが大切にするのは、「ステータス」と「ホスピタリティ」。お客様に頭を下げるのは当然だが、売り上げに頭を下げた時、崩壊が始まっていることだけは確かである。

2002/07/01   研修会を前に    NO 122

 日本トータライフ協会の発信する「コラム 有為転変」のアクセスが、驚く数字を頂戴している。

 発信を始めたのは、今年の1月22日。それが、今、グーグルで検索すると「必見 コラム」で、6万数千件のトップに躍り出ているとの報告があった。

 一方、協会メンバー専用の掲示板では、数日前から熱い論議が交わされている。
今月上旬に開かれる北海道研修会を前に、これまでの葬祭業界では絶対に発想しなかったような問題が提起され、全国のメンバー達がそれぞれの考え方を表記している。

 パスワードでガードされているところから、メンバー以外の皆様がご笑覧をいただくことは出来ませんが、一般的な掲示板の世界とは全く異なる世界で、1人の「書き込み」が30行を超えることも珍しくなく、内容も宗教、哲学、サービス、心理学の分野にも及ぶグローバルなネット会議となっています。

 今日のテーマは、「葬儀に祭壇は必要か?」というテーマで、数時間内でびっくりするような行数が表記され、「こんな考え方が出来るのか」というような斬新な発想に感心することが多く、時間を見つけてページを開くことが楽しみなのです。

 今月、私が講師を担当する講演の中に、ある宗派のお寺様の団体があります。求められた演題は「現代お葬式事情」で、ご住職の皆さんが、檀家さんの葬儀の変化をお感じになられてのご企画で、我々葬祭業者への問題提起という質疑応答の時間も設けられており、吊るし上げられるかも知れません。

 上述の掲示板ですが、1人の書き込みだけで、そのまま「コラム 有為転変」の2日分掲載が可能となり、発信を担当するメンバーには大変だろうが、連載が途切れることはないと確信しています。

 心配しているのは、この「独り言」。
本業があり、出張がある。ノートパソコン持参の旅となるが、最近、どうも初老の齢を感じ始めているからで、こんな弱音の吐露となっている。

 さて、4月末の高知研修会の時にも書いたが、北海道研修会に際して、また大嫌いな飛行機に搭乗しなければならない。なぜ嫌いかという理由は二つある。一つはあんなものが空を飛ぶという不思議への疑問と、前後左右の狭いシートの恐怖感という現実である。 

 過去に、上野、札幌間で寝台特急「北斗星」を利用したことがあるが、17時間の一人旅、この退屈と時間の消費には後悔をした。

そこで、北海道と沖縄、これは飛行機でと納得をしているが、私が機上中の恐怖感の解消方法として不相応な作戦を講じ、過日に書いたブラジル珍道中もそうだが、外国へはファーストクラス、国内線はスーパーシートと、とんでもない贅沢を決行している。

めったに利用することがないところからという、勝手な理由付けだが、広いシートで機内サービスを受けていると、「この飛行機は安全」というような余裕が生まれるから不思議なものである。

我々葬祭業は究極のサービス業。不似合いな贅沢で学んだホスピタリティサービスは、弊社のクオリティの一つとして確実に生かされている。


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