2003年 5月

2003/05/31   台風一過    NO 446

 午前と午後、2件の葬儀の司会を担当してきた。

 今日は、いつもの2件より疲れの度合いがアップ。前日に心配していた台風の問題もあったが、1件のお客様が遠方でご自宅ということが大変。帰社したスタッフ達も完全なお疲れモード。でも「やり遂げた」という表情が感じられた。

 珍しい5月のお騒がせ台風は、我が大阪にあまり影響を与えることもなく、ほっとした。

 「ほっと」で思い出したが、弊社が加盟する日本トータライフ協会の高知のメンバーである「おかざき葬儀社」さん。彼女が発信されている「ほっと一息」にも台風の心配がしたためられてあった。

 テレビや新聞を見ると、室戸岬での最大瞬間風速が30メートルを超えたとあったが、高知県では相当の影響があったようで、彼女が担当された今日の葬儀のことも心配していた。

 事務所に帰ると、その彼女からビデオテープが届いていた。中に彼女らしい感性を感じる式次第と手紙が添えられてあり、また楽しみが増える。

 最近、メンバー間のビデオ交換が流行し、各社の交流が深まっているが、文字や言葉で伝わることのない映像の世界は最高の教材。スタッフ教育にとってこんなに役立つものはないだろう。

 弊社には全国の葬儀社から様々なビデオが送られてくる。中には「講評をお願いします」というものもあるが、やはりトータライフ協会のメンバー達が担当した葬儀のレベルは高く、大いに参考にさせていただいている。

 さて、今日の午前中の葬儀で、曾孫さんからお爺ちゃんに捧げられる手紙の存在があった。かわいい封筒を開けると「ひらがな」で書かれた文字が躍っている。ビデオとナレーションの前に、女性スタッフに代読をさせたが幼いイメージがうまかった。

 「お爺ちゃん、有り難う、さようなら」

 そんな言葉がいっぱい書かれた手紙、そこに「命の伝達」という葬送の意義があるように思えてならないところ。

 午後の葬儀は明治生まれの女性。8人のお孫さんと5人の曾孫さんがおられた。
 36年前にご伴侶に先立たれ、それからの人生の寂しさはいかばかりであられたものと拝察するが、取材を担当してきた女性スタッフの添え書きに、「日本的な偉大なお母様です」と書かれてあった。

 多くの方々の葬儀を担当する。それぞれの方にそれぞれの人生があり、それぞれのナレーションを創作するが、そんな私が送られる日が、1日、1日と近付いてくることも知っておかなければならない。

 夕方、事務所に北海道からメッセージFAXが届いた。先日に迷惑を掛けてしまった協会のメンバーからだが、くすぐったくなるような文章内容で恐縮。また再会をしたいものと千歳空港でのひとときを思い出す。札幌ビールで乾杯、いや献杯しよう。

2003/05/30   台風の余波    NO 445

 東京へ出張していたスタッフ達が帰社した。 

 社内は仕事に追われパニック状態。そのうえに台風の襲来が予測され、みんなの神経が過敏になっている。

 ビデオとオリジナルボードの創作を担当しているスタッフが気の毒。昼食をする時間が取れずに申し訳ないが、時間との戦いに入っており、私の技術ではどうにもならない世界なので心苦しい。

 そこで、作業机の一角に腰を据え、お通夜用のナレーション創作を始めた。

 時計に目をやると午後2時過ぎ。さっきまで晴れていた空、南西の方向に雲が現れ、動きが早くなって来た。やはり台風が近付いてきているような雲行き。今晩のお通夜がいよいよ心配になってくる。

 そこで<この時間に>と考え、葬儀当日用のナレーションも創作することにした。

 合計4本、80分の時間を費やして原稿の打ち込みが完成するが、ビデオと合わせて計算してみると、ナレーターとして語るのは19分46秒。

 人指し指1本でパソコンに打ち込むスピードが、語り口調の約4倍で打てるということを再認識することなった。

 私は、もう、これ以上のスピードは不可能だろうが、本音に<早くなりたい>との思いがあっても、<原稿の中身が重要だ>と負け惜しみ的な心情を抱いてしまうのは年の所為。

 明日の天候を考えると、式場で本番前に原稿の変更を余儀なくされる。午後のお客様は300坪ぐらいある広いご自宅。外で待たれる参列者のことを思うと「短縮」も必要となってしまう。

 故人を偲ぶひとときは、やはり環境が重要。ホテルでの葬送を多く体験してきた私は、それを誰よりも強く思っている。

『台風よ、消滅してくれ』と願いながら、ここで取り敢えずパソコンの打ち込みを終わる。

 夕方から近くの葬儀の準備状況を確認し、タクシーで遠方の式場へ向かう。

 手入れされた木が茂る見事なお屋敷、植え込みの通路が狭くて焼香の方々の往復で問題があるが、何とかクリア可能なようにスタッフ打ち合わせを行なった。

 折悪しく途中で雨、弔問者の流れがひととき滞り、ポイントになる場所にスタッフを配置し、何とかスムーズに回転することが出来た。

 そして次の式場に移動した時、事務所のスタッフから連絡が入った。社葬のお客様からファクシミリが入っているとのこと。もう、日付が変わって帰社することが確実で、この原稿を式場の片隅で打ち上げ、そのお客様に明日の早朝に返信させていただくしか仕方がなく、本当に申し訳なく思っている。

 それらの原因となったのが明日に襲来しそうな台風。何とも腹立たしい自然の現象なのである。

2003/05/29   やって来る台風に     NO 444

 ホテルで行われる社葬の打ち合わせを終えたが、もしも、すべての弔辞を拝受されたら10数人となり、ご遠慮願って割愛しても7人ということになってしまう。

 故人は、非常に交友関係の広いお方。会葬者の人数も予測がつかない状態で、プロデューサーとして何より悩みの種。

 弔辞7名の所要時間を推察すると、約40分。3人目の方が始まった頃から、間違いなく「おやすみモード」の光景が生まれ、その方々にお目覚めいただく私だけの『秘法』テクニックを提案申し上げた。

 さて、打ち合わせを終えた頃、携帯電話に事務所から連絡が入った。明後日に私が担当しなければならない葬儀が2件あり、その内の1件が遠方。明日のお通夜は同時間。どのように対処しようかと苦慮していた時、ホテルスタッフが驚くことを教えてくれた。

 「明後日、台風がやって来そうですよ。どうやら終日台風圏内になりそうで大変ですね?」

 これは、大変どころではない。とんでもない状況ではないか。ホテルで食事をしながらネットで台風情報を調べてみると最悪。ホテルスタッフの言う通り、終日が圏内という気象情報となっていた。

 「逸れて欲しい」と祈っても無理だし、逸れても何処かに上陸しそうだし、熱帯低気圧へのパワーダウンを願うだけだが、襲来の覚悟を余儀なくされそうである。

 これから台風シーズンを迎えるが、偲ぶ会、お別れ会、社葬などのプロデュースの際、式場がホテルということはこの部分で何より安心。その日を迎えるまでの天候の心配がないのはホテルの持つ大きなメリットのひとつであろう。

 過去に、あるホテルで行われた社葬が台風の襲来にあったが、施主側と車で参列された方々から「ホテルを式場に選んで助かった」というお言葉を頂戴したことがある。

 しかし、新幹線が止まり、他府県の会葬者が来られなかったことが残念で、その時の会社の社長さんが、「親父は雨男で、ゴルフに誰も誘ってくれなかった程でした。よりによって社葬が台風に襲われるとは、如何にも親父らしい」とおっしゃっておられたことが印象に残っている。

 我々葬儀社にとって、最も恐怖感を感じることは「風」。外側の設備が吹き飛ばされる危険性もあるが、参列者に落ち着きがなくなってしまうことが恐ろしいのである。

 全国で1日に約2700名様の葬儀が行なわれている。その日に通夜を迎えられる方を合わせれば5400名様となってくる。

 その方々の目に見えない波動のパワーが存在し、台風を消滅してくださることを心から祈念している。

2003/05/28   日付が変わる前に    NO 443

 葬儀が終わって火葬場に向かう。霊柩車の後ろに6台の自家用車が続く。信号で途切れば何処かで停車して待ち合わせる。

先頭を走行する霊柩車。その運転手の後方確認も重要な仕事。横断歩道の青の点滅時に後方を考慮し、黄信号の前に交差点で停止することもある。

 途中で4回の待ち合わせがあって火葬場に到着。お納めをして帰路は料理屋さんに直行。

ご当家担当の弊社スタッフが、料理屋さんでの「御斎」の約2時間、別室で待機していたが、いつも食事を「およばれ」するそうで、今回も男性スタッフから「女性は得だ」という声が上がっていた。

 しかし、問い質してみれば男性スタッフ達もいつもお世話になっているそうで、それらはメニューの話題で暴露されることになった。

 料理屋さんには心から感謝を申し上げるが、弊社のスタッフよりもお客様の方が大切。どうぞお気遣いないよう切望しているし、食事代として弊社に請求をしていだだければと思っている。

 私は、お寺様をJRの駅にお送りするために車を運転していたが、その車内で『変わりゆく葬儀』が話題となった。

 お寺様は、若い方。宗教者として危機感を抱いておられるとおっしゃり、高齢のお寺様達の意識改革が難しいと嘆いておられた。

 ホテル葬や無宗教の話もあったが、最近のブライダルの変化が葬儀の変革の姿を物語っているということで一致した。

 今、時計を見ると23時45分。ご不幸のあったお家に参上している女性スタッフが打ち合わせをしている頃。帰社するのはおそらく午前2時頃になるだろう。

 彼女は、今日担当のお客様から感謝のお言葉を頂戴し、「ご親戚の方がご予約をくださいました」と言っていたが、「この1年で顔付きが変わってきた」という声を、取引先やお客様から聞くようになってきた。

 それは、きっと彼女の心の中に元々光り輝くものがあり、それが表面化してきたというで、自身の仕事に「プロ」の意識を抱き始めた証と言えるだろう。

 明日はスケジュールに追われているが、今から創作しなければならない原稿に時間が掛かる。彼女が帰社する頃までには仕上げたいと打ち込みを始めよう。

 今頃、東京で熱い論議で盛り上がっている若い協会のメンバー達。また掲示板で語り合おうではないか。

2003/05/27   人生黄昏の夢     NO 442

 遠方で行われた葬儀を終え、帰社した。

 そんなところへ「明日の葬儀ですが、ご担当はいかがでしょうか?」とスタッフが言う。

 事情を聴いてみると、故人は私の知り合いの女性。ご遺族からのご要望もあったそうだ。

 彼女とは思い出がある。ある時、「久世さんは来世の存在を信じていますか?」と問われ、「信じなければ私の仕事は成り立たないでしょう」と返した。

 彼女は『坂本竜馬』に帰依するというぐらい傾倒され、何度か議論を交わしたこともある。

 入り口に坂本竜馬の大きな写真が張ってあったことも覚えているが、私が四国で手に入れた竜馬のテレホンカードをプレゼントした時の嬉しそうな表情が懐かしく甦ってくる。

 一方で、スタッフ達の「疲れモード」を心配している。連日の仕事でかなりオーバーワークの状態。しかし彼らは次々に現場に飛び出して行く。悲しみのお客様のために。

 そんな中、徹夜で設営を余儀なくされる仕事の予定が入っている。

 梅雨の季節に行われる社葬、式場はホテルということで進められているが、参列者のご人数が2000名を超えることが予想され、物理的事情をどのようにクリアするべきかがプロデュースの入り口にあり、明日の葬儀を終えてから思案しようと考えている。

 さて、話を昨日に戻すが、道央自動車道を走行する車中で、苫小牧市民斎場の沖本社長と交わした議論が面白かった。

 テーマは、近い将来の葬儀のありかた。彼が抱いていた素晴らしいアイデアにちょっとアドバイスをしただけだが、話が進展し、誰もが賛同されるような新しい形式の葬儀が明日からでも可能という結論に達することになった。

 これらは企業秘密であり、ここでの公開は適いませんが、本当に近い将来、日本トータライフ協会のメンバー達が実践するだろうし、この葬儀の形式が急速に社会で歓迎されていくように確信している。

 果たして彼は、いつからそれを行動実践されるのだろうかが楽しみ。北の国から発信するあたたかい「癒し」のサービスが、桜前線を遡るように日本列島を下がってくる筈だ。

 北海道でのスケジュールは、現在の私の体力では少しハードであったが、雄大な北の国を走った時間や、仕事の情熱に燃える若い人達との交流に実りを感じた行程であった。

 北海道には何度も行ったが、いつも1泊。仕事ではなく、数日間、プライベートで行きたいという難しい夢があるが、人生黄昏に突入しつつあるようなこの頃。今回は、そんな思いが強く、一抹の寂しさを抱いて帰阪した。

 ホテルにお越しくださった「室蘭市民斎場」の藤井専務、そして「株式会社 並川」の社長ご夫妻に、この場で衷心より感謝を申し上げる。

2003/05/26   ジャンボの機内で     NO 441

 千歳空港でジャガバタを食しながらサッポロビールを飲み、北海道らしいひとときを過ごし大阪行きの日本航空に乗ったのが18時20分。

 席に座り新聞を読み出した頃、変な気分になってきた。

 窓の外を見ると機体は停止したままなのに揺れている。何か重量物を飛行機に積み込んでいるような揺れがする。

「何か気分が悪くなってきた。何っ?これ?」そんな言葉が数人から出る。それからしばらく飛行機は停止したまま。10分ほどしてアナウンスがあり、「地震のため滑走路の安全確認をいたしております」ということでヘッドホンをラジオのチャンネルに合わせた。

 地震が発生したのは18時24分とのこと。空港でも震度4ぐらいはあったようで、1分以上も気持ちの悪い揺れを体験した。

 一昨年前の春、芸予地震の時には山陽道の広島付近を走行中で、一瞬ハンドルを取られて驚いたが、最近、どうも旅先で地震に遭遇することが多い。

 さて、往復に日本航空を利用したが、私は日航機内のチーフパーサーのアナウンスが嫌いである。そんなめぐり合わせになっているのかも知れないが、いつも「主」の「驕り」というようなイメージを抱く喋り方で冷たさを感じる。

 しかし、数年前、パリから成田へ搭乗した時のチーフパーサーは素晴らしい女性だった。VIPの搭乗が遅れているということで何度もお詫びのアナウンスをされていたが、この人の口調には<遅れてもいいよ>というような心情を抱くほどだった。

 やがて搭乗してきたVIPが、金髪の女性を伴って私のすぐ前の席に座られる。そこから約12時間、彼女が担当していた仕事の気遣いが気の毒に思うぐらい。食事のデザートの時には声を嗄らし「変な声で申し訳ございません」と詫びておられた姿が印象に残っている。

 このVIPという人物は、アフリカの象牙海岸で有名な国の首相で、軍服姿の十数人を伴って登場されており、客室乗務員の神経の遣い方に哀れみを感じていたのだが、その「お零れ」で私も随分と得をしたような機上時間となった。

 成田空港に到着した時、彼女が私の席にやって来られ、次のように言われた。

 「長時間お疲れ様でした。特別なお客様をお迎えする態勢が整うまでしばらく時間を要します。久世様は、どうぞ先にご案内いたします」

 促されて機外に出て通路を進むと50人ぐらいの人達が整列している。その前を場違いな私が歩いている。恥ずかしい気持ちになり、ふと後ろを振り返ると彼女の素晴らしい笑顔が見送ってくれていた。

 あんなチーフパーサーは、きっと日本航空の「人<財>」だろう。だからVIPの搭乗される便を担当されていたのかも知れない。

 往復とも彼女とは雲泥の差を感じるレベルであった。それが国際と国内の際であるかも知れないが、日航さん、最近、ちょっとミスキャスティングが多いように感じています。

2003/05/25   北の国から   NO 440

 特急「はるか」で関西空港に行き、札幌便のゲートに着いた。SARSの影響からか、マスクをした人が目立つ。

 搭乗の15分ぐらい前に案内放送があったが、待合コーナーにいた人達に「どよめき」のような何とも言えない声があった。

 「エールフランス便から札幌行きのお客様、タイ航空から札幌へのお客様。70番ゲートにお越しくださいませ」

 そんなアナウンスがその原因。しばらくして機内に案内される通路で、1人の女性が連続のクシャミ。「SARSじゃないだろうな?」という冗談でなさそうな声も聞こえた。

 やがて機内のシートに着席。私の左側に70歳ぐらいの女性が2人おられる。機内アナウンスでベルト着用が促されたが、お2人は何をするのか理解されていない様子。私がベルトをすると、「それ、どこにあるのですか?」

 見るとシートベルトはお尻の下に敷かれたまま。アドバイスをしながら話をすることになったが、お2人は4泊5日の北海道旅行。飛行機は初めてということだった。

 イヤーホーンの使い方も説明し、何度も「有り難う」と恐縮されたが、着陸する5分ほど前、お2人が揃って指で耳を塞がれていることに気付いた。どうやら気圧の変化で苦痛のご様子。そこで「唾を飲み込まれたらいいですよ」とアドバイス。

 「あっ、直った。嘘みたい?」 今度は手を合わされて感謝され、こちらが恐縮する。

 離陸時に少し揺れがあったが、定刻通りに千歳に到着。「お気を付けて。よいご旅行を」と声を掛けて先に出た。

 今、この原稿を旅館で打ち込んでいる。全国的に名の知れたこの旅館。大浴場内が3階建てというのも売り物。今回で確か6回目だったと思うが、男1人の宿泊は歓迎されないもの。

 部屋担当の仲居さんに「気を悪くされないように」と偏食の事情を前置きしておいたが、食事を終えて片付けに来られた彼女、「これだったらお好きなものだけを伺っておくべきでした」と言われてしまった。

 この旅館はとにかく広い。部屋から大浴場に行くのに5分以上を要する。今日は日曜日だが宿泊客が思ったより多い。北海道はこれからが最高のシーズン。旅館までの道中で桜の花が咲いているのを目にして驚いた。

 部屋に来られた私と同年代ぐらいの女性のマッサージさん。この数年でお2人の子供さんが亡くなり、ご主人も脳梗塞で倒れられ入院中のとのこと。

そんな不幸な人生の黄昏に、『辛い思いをしただけ、他人にやさしくなれるそうです』と、変なアドバイスをしてしまい反省。今日、えにしに結ばれた方々に幸あることを祈る。

2003/05/24   ハード・スケジュール    NO 439

 ご不幸の発生から葬儀の依頼があり、参上する。
 
 そこには、遺族の他に主だった親戚の方々や友人、近所の方々がおられることが多い。

 「私は**県から来ている。地元の**葬儀社とは親しいが、よい葬儀社だよ」
 「私は**葬儀社をよく知っている。貴社はどの程度の葬儀社ですか?」
 「私は葬儀委員長を数回しており葬儀のことをよく知っている。手抜きをしないように」
 「この地域は**葬儀社なのに、どうして高級葬儀が来ているんだ?」

 そんなお言葉を耳にすることが多いが、弊社のスタッフ達は、「何を言われても抵抗しないように」と教えられている。

 弊社を選択されるお客様の大半は、弊社が担当させていただいた葬儀の参列体験のある方。第三者が何を言われても、ご遺族と弊社の「絆」がすでに結ばれてあり、ご遺族も弊社スタッフと同じ思いをされていることが多い。

 耐えることは自身を磨き、自身を大きくさせていくもの。腹立たしいこともあるだろうが、それは、その方々の葬儀に対する視野が狭いことで仕方のないこと。葬儀が終わった時に頂戴する言葉がすべてと思って対応させている。

 今日もそんな葬儀があったが、終了後に掛けてくださったお言葉は、次のようなことだった。

 「こんな葬儀、初めて体験した。素晴らしい」
 「私が話した葬儀社とは格段の差があった。失礼なことを言って申し訳がない」
 
 それらはスタッフが耐えてきたことへの報酬であろうし、自身の仕事の充実感を感じる至福の瞬間でもある。

「君達は、いったい何者なのだ? すべてに驚かされた。遠くでも来てくれるのか?」 

 そんなお言葉もあったが、「偲ぶ会、お別れ会、社葬などのホテル葬や、文化ホールなどの社葬では、北海道から九州まで全国で担当させていただいております」と答えていたスタッフ、その表情には誇りが溢れていた。

 この1週間、スタッフの誰も休日が取れない状況。今も通夜を担当する数人が残業しているが、みんな元気で働いてくれている。

 明日、北海道へ出張するが、関西地方の天気予報を見ると嫌いな飛行機が揺れそうな雲行き。しかし上野からの寝台特急「北斗星」を利用する時間の余裕がない。

仕事を終えて帰阪してからのスケジュールも満杯。6月は特に忙しい月になっており、体調を崩さないように気をつけなければならない。

「プロは風邪をひかない。ひいても寝ないで治すのがプロ」

 そんなプロ司会者の世界の「格言」を心に時間と戦っている。

2003/05/23   こんな犯罪も     NO 438

 最近、空き巣事件が多発している。様々なテクニックを持った空き巣のプロ達、その犯行がいよいよエスカレートしているそうだ。

 近所でも数件の被害があったそうで、本当に物騒な世の中になってしまっている。

 さて、我々葬祭業に従事する者が心掛けておかなければならないことがある。

 葬儀のご依頼で参上し、打ち合わせが行なわれ通夜と葬儀の日時が決定される。そこで入り口に「忌中」の張り紙とスケジュールを告知したものが掲示される。

 驚く事実があるのは、この掲示板が空き巣犯罪のターゲットになる危険性が高いということである。

 それらは通夜と葬儀の日の「留守」の時間を知らせていることにもなり、空き巣達の目に留まれば「しめしめ」となってしまうことになる。

 その上に近所の方々が手伝いや会葬に行かれることがあり、空き巣にとっては格好の環境になるだろう。

 一方で、お寺、地域の会館、葬祭式場などでの盗難も増えている。犯罪者が礼服を身につけていたら絶対に区別は不可能。

 彼らは、時に親戚に見え、葬儀委員にも見え、葬儀社のスタッフのように振舞う役者振りも見せているとのこと。

 ある知能犯が犯した事件の話を耳にしたことがある。葬儀の始まる15分ほど前、その人物が突然に受付にやって来て、次のように言った。

 「葬儀委員の皆様、昨日のお通夜から大変お世話になり誠に有り難うございます。亡き叔父に代わりまして心からお礼を申し上げます。実は、私、親戚達との話で、親戚関係の香典の整理を担当することになりました」

 彼は、その前に葬儀社のスタッフに「香典帳を1冊くれ」と言って入手し、それを手に受付に行ったのだから疑われることはなかった。

 そして、葬儀が終わった時、葬儀社スタッフに持って来させた「手提げ袋」を手に、「皆様、お世話様でした」と言って消えてしまったそうだ。

 被害に遭った香典の額は数十万円。それらが発覚したのは、お骨が自宅に還られ、葬儀委員から遺族に会計収支の引渡しがされた時だった。何と罰当たりな人物。

 世の中、どこで被害に巻き込まれるかも知れないが、悲しみの儀式の場でそんな犯罪が行われるなんて絶対に許せない。皆さんと共に被害に遭遇しないように防御するのもサービスとなっているのです。

2003/05/22   ソース味    NO 437

 出張先で「お好み焼き」屋さんに2人で入った。80人ぐらいの席がある大きな店。鉄板のついたテーブルに座ると係員が注文を聞きにきた。

 お好み焼きと焼きソバを注文し、生ビールの小もお願いした。

 しばらくすると「当店は、ご自分で焼いていただきます」と言って、お好み焼きだけを持って来られ、「焼きソバは、焼いて持って参ります」ということだった。

 やがて、お好み焼きが出来上がる。しかし焼きソバが届かない。「焦げてしまう」というところからお好み焼きに手をつけるが、焼きソバが信じられないほど遅い。

 鉄板の上のお好み焼きがなくなった。そんな時、「お待たせしました」と焼きソバがきた。

 お好み焼きと焼きソバなら、どこの店でも焼きソバが断然早く焼き上がるもの。不思議な店だと話しながら焼きソバを食べ出したが、生ビールが届かない。

 テーブルの横を何度か往復をされるスタッフ、私達のテーブルを担当してくれた人も気付いてくれない。どうやら忘れられてしまっているようだ。

 「聞き忘れたのかも知れないぞ」と同伴者が言い、テーブルの上にあった勘定書きに目を通した。

 ビールが記載されている。間違いなく忘れている。

 そんな時、鉄板の火を消しに担当スタッフがやってこられた。もう、焼きソバも平らげた後。

 そこで同伴者が「ビールはどうなっていますか?」と訊ねた。

 スタッフの顔色が変わる。「申し訳ございません。忘れていました。今からでもよろしいでしょうか?」

 「お願いします」となってビールが届けられた。

 お好み焼きと焼きソバにはビールが最高にマッチする。ビールだけを飲んでも味気のないもので残念だったが、しばらくして店を出ることにした。

 レジに向かうと担当スタッフが飛んできて申し訳なさそうに謝罪され、レジを担当してくれる。

 支払って外に出て明細書を見ると、ビールの部分が消されてあり、サービスとなっていた。

 ミスは誰にでもある。怒りも生まれるだろうし、こっぴどく責める性格の人もある筈。

 私は、こんな時、いつも自分が試されていると思うようにつとめ、怒りを一切表さないことにしているが、今回の同伴者は、そんな私の性格を知っており、「得することもあるんだな」と笑っていた。

 そこでひとこと反論、「ビールを得したのじゃないよ。勉強させてもらう機会を与えられたことが得だよ」

2003/05/21   静寂のひととき     NO 436

 91歳のお婆ちゃんの葬儀、4分50秒の追憶ビデオ。生のナレーションを担当した女性スタッフに余裕が生まれ、エンディングをタイミングよく合わせることが出来るようになった。

 私が創るナレーション原稿、彼女がナレーターの際には、80文字程度を少なく創作している。

 ナレーターにも個性があるのは当然。本人が持っている良い部分を磨き、わるい部分をカットする教育。取り敢えずは基本的な研修から始めているが、今、彼女は個性を生かせる段階に入ったようで、今後の指導レベルをステップアップしようと考えている。

 明日、私は出張の日、早朝から出掛けるが、明日の葬儀はスタッフが力を合わせて担当してくれるだろう。

 23日は友引の日、今日お電話をくださったお客様は友引を避けられ、24日の葬儀をご希望されたそうだ。

 友引や大安などの六曜に対する慣習が徐々に薄らいできているとは言え、まだまだこだわる方もあり、友引の日を休日としている火葬場が全国にあるところから、これらは簡単に消え去るものではないと予測している。

 大きな声で言えないが、私は友引の日の葬儀が好きである。なぜなら故人にとって本当の終焉の場所となる火葬場が閑散としているからで、静かな葬送の儀式の締めくくりが可能となるからだ。

 友引でない日、同時間に数件のご入場があり、様々な宗教の合唱光景が生まれる。

 讃美歌が流れ、その隣で友人葬だろうか創価学会の皆さんのお題目が聞こえる。

 当家のお客様はお念仏、右隣りでは神式で奏楽の調べをバックに神主さんの祝詞が奏上されている。

 「なんと賑やかな」 そんな思いの表情が参列者に見える。その帰路は「あれは?宗」の質問攻め。それぞれの解説をしながら式場に戻る車中となる。

 友引の日、私の担当するお客様だけの時間となることが多い。広々とした空間に導師のご読経のお声だけが流れる。それは、また、不思議なほど儀式空間を創造してくださるもの。そんな中で炉の扉を締める音が響く。

 それは、決別の情を断つ「引導」の音にも聞こえる。

 殺伐とした社会。騒々しい世の中の毎日。そんな生活の中で行なわれる「静寂」のひととき、それは、すごい贅沢なものであるかも知れない。

2003/05/20   ご 紹 介    NO 435

 役員会議が行われ、亡くなられた社長の社葬を行うことを決定された。

 総括責任者は総務部長。役員からの要望は「恥ずかしくないよう」ということが強調さているが、経費については体験もなく「適当に」と言われたのだからびっくりする。

 総務部長は取引先の社葬参列も多く、そこそこの知識を持っておられたが、自社の社葬は初めてのこと。自分が責任者となると話は別。どのように進めていくべきか苦悩が始まった。

 やがて当日の天候と駐車場のことが懸念になり、全国から参列される会葬者のことも考慮し、ホテルを会場とすることが決まる。

 数日前に密葬が行われたが、この時に担当した葬儀社が「社葬を是非当社で」と何度もアタックしてくる。しかし、遺族のおられる自宅へ何度も押し掛けた姿勢で「貴社は密葬だけで終わりました」と引導を授けられた。

 次の日、3件のホテルの窓口を訪問され、どんな企画が可能かと問われたが、どこも「当ホテルで社葬は承っておりますが、今、担当者がおりませんので後日に伺います」ばかり。

 日程も決めなければならないし、決定すれば通知をしなければならない。それだけでも大変な作業で、することは山積み。でも入り口さえ見つからない状況で帰社する。

 そんな時、廊下で遇った専務の発言にヒントを感じた。「進んでいるかね?」そう言われて「ホテルを会場と考えています」と答えた彼。そこで専務が面白いことを。

 「最近、ホテルが多いようだが、何度か会葬に行ったが形式的だ。あれだったら遺族が気の毒だし、社葬なんて必要ないなと思ってしまったよ」

 その言葉に同じ思いを抱いていた総務部長。そこで、ふと取引先の社葬のことを思い出した。

 「専務、**さんの社葬、確かご一緒いたしましたね?」

 「ああ、去年? いや、一昨年だったかなあ?。あれ、君も僕も感動して、**さんからのお礼の電話が掛かる前に、こちらから『素晴らしい社葬だった』と電話したのを覚えているよ」

 専務と総務部長の意見がすぐにまとまった。「会場だったホテルに聞くより、**さんに直接お聴きして確認しよう」となった。

 電話が入った**さん。「なんだったら、弊社があの葬儀社に連絡してあげますよ」とご返事。

 「あの時はお世話になり有り難う。取引先から紹介して欲しいということで電話をしたのですが」

 なんと有り難いことではないか。最近、そんなお客様が増えてきたことが何より嬉しいこと。「体感に勝るものなし」という言葉を思い浮かべている。

2003/05/19   厳しい現実    NO 434

 全国的に葬祭式場が続々と建設され、これからもどんどん増えてくるだろうが、一方で経営が厳しく銀行管理になっているケースも少なくない。

 今年になってから数件の葬祭式場から電話が入り、考えさせられる実態を知るところとなった。

 高齢社会到来という単純な発想で、「葬祭業は成長産業ある」と行動された異業種の方が葬祭式場を着工され、地元の葬祭業者に経営を委ねたところ完全に凋落。その原因として分析されたのが「ソフト」の欠如。
「すべてを任せるから建て直しを」と弊社のオリジナルソフトの導入を要請された。

 そこは車で1時間ぐらいのところ。弊社のサービスシステムの高い評価をくださったが、明日からのビジネスという焦りを感じ、鄭重にお断わり申し上げた。

 また、これも異業種の方だが、本業の将来の見通しが暗く、リストラするべき社員10数人をスタッフとして、社有地に葬祭式場を建設したいというお話があった。

 取り敢えずトップの方とお会いすることにしたが、スタッフは全員がもうすぐ定年を迎えられるという方々ばかりで、それぞれの方が「葬儀社なんて嫌」との姿勢。それでは絶対に無理ですと保留している。

 一方で、大手銀行の役員さんからの要請で興味深いものがあった。この銀行がバックアップされている有名なホテル。そこでの社葬や偲ぶ会の評判が悪く、総合プロデューサーとして招聘したいとのお話。それは、大変名誉なことではあったが、<残念ですが>と条件付でお断わりすることにした。

 そのホテルは、契約されるフラワー会社とホテル側だけの利益を考えて構築されたサービスシステム。会場の提供と食事のサービスという当たり前のことを売り物にしている状態。これではお悲しみのお客様に対するホスピタリティサービスは絶対に無理。何より体験されたお客様の悪評に対しての羞恥心が欠如する姿勢が致命的。

「総支配人の意識改革と担当責任者、フラワー会社を変える覚悟をしてくだされば」というのが私の条件だが、本気で進むなら行動されるだろう。

 しかし、<さすがに超一流ホテルだ>という礼節を感じたホテルもあった。私を専属プロデューサーとして迎えるための準備をされ、期日までのスケジュールを作成され、私が「三顧の礼」の言葉を思い出すような姿勢を示されたのだから驚嘆した。

 「全国のホテルの仏事サービスを調査しました。全国の大手葬儀社のサービスレベルも調べました。当ホテルの求めるものはありませんでした。プロジェクトチームが全員一致で結論に至ったのはあなたでした」

 そんな嬉しい言葉に「やらなければならない」「プロの冥利に尽きる」と思ったのは言うまでもない。

 ホテル業界の現況の低次元な仏事サービス。それらが急変することもそう遠い話ではないような気がしているが、今の愚かなドライブスルー形式の社葬サービスを続けていると、近い将来、確実に社葬そのものが行われることがなくなると断言する。

2003/05/18   大変です大阪は      NO 433

 葬祭業界にもITの波及が顕著。日本トータライフ協会に加盟しているメンバー企業は、日本の葬祭業界の中でこれらの活用技術が高いレベルにあるだろう。

 弊社の事務所にもノートパソコンの台数が増え、特殊な技術を持ったスタッフ達が活用しているが、全国に点在するメンバーとの情報交換から、スタッフはこの1年で急速な技術アップを見せてくれている。

 協会のメンバー掲示板には新機種情報もあり、その度に導入要望の声が強くなり経営者として困惑しているが、時間の短縮ということからメリットが大きく、次々に導入せざるを得ない状況を迎えている。

 これらは車や昔のステレオと同じで「クラス」をアップさせたい心情が強く、社内ではいよいよエスカレートの兆し。ついには「どでかい」機材を導入するべきだとの声まで出てきた。

 そこでセーブをしなければと考え、「ハードの活用にはソフトが重要。そのソフトとは創作での感性でありアナログの世界だ」と教えている。

 正直言って、私はアナログタイプ。数日前の過去ログの時計ではないが、デジタルの世界が苦手。しかし、そうは言っておられない時代に突入していることだけは理解しているし、「ちょっと教えて」という行動も起こしている。

 さて、大阪は、今、SARS問題が大きな話題。報じられている台湾の医師の大阪での行動に疑心暗鬼が生まれ、しばらくは人の集まる所への外出を控えるという人達が多い。

 夕方に友人の喫茶店に行くと、カウンターや各テーブルではこの話題で持ち切り。「明日から来んといて」「あんたは隔離や。自宅から出たらあかん」なんて冗談が飛び交っているが、これが本当に冗談であって欲しいと心から願っている。

 そんな中、とんでもない災難に見舞われた淡路島と大阪市内の二つのホテル。両社の対応された姿勢を比較する会話が耳に入った。

 自分が総支配人だったらどうするだろうかという話題に発展し、マスメディアが報じることを読者が勝手に判断してしまうことは失礼だろうが、こんな時にこそ「質」という品格が表面化してくるものだと感じた。
 それぞれの立ち寄り先の関係者は、まさかこんな問題に巻き込まれるとは予想だにされなかったと拝察するが、今日の夕方のテレビニュースで報じられた大阪のホテルの記者会見で、「当ホテルは安全です」との姿勢だけが強調されたようで、<ちょっと拙いな>と思ってしまった。

 小豆島航路のフェリーや観光バスの会社もとんだ災難。京都、天橋立、宮津、また、姫路も大変な騒ぎだろうが、大阪府知事が「医師のモラルを疑います」という発言は理解出来ても、今は責任追及の行動よりも迅速な対策が最優先されるべき。関係者のみなさんのご尽力に心から感謝しながらエールを贈る。

2003/05/17   ハプニング     NO 432

 大きなお寺で大規模な通夜が行われている。式場は、2階。予想以上に弔問者が多く、1階にも人が溢れてパニック状態の寸前。

 10名のスタッフが上下に分かれ、インカムで情報交換を行っている。

 「現在、70名様を越えました」「150名様程度です」「もう250名です」

 刻々と数字が増えるが、式場の物理的事情はどうにもならないもの。通夜が始まる5分前には2階は満席。着席できない方が数十人おられる。そこで、インカムで伝えられる。

 「2階、満席です。1階でガード願います」 「了解」

 そして読経が始まり、やがて焼香の時間。ご遺族と親族が済まされ弔問者の焼香に進む。

 半数ぐらいの方が終わった頃だった。2階を担当するスタッフ達が慌てている。何か落し物を見つけたようだ。

 そんな時、1階のスタッフからとんでもない言葉がインカムに入ってきた。

 「こちら1階です。今、お帰りのお客様から落し物の捜索以来がありました。ご本人は、『確かに入れていた筈』とおっしゃるのですが、『家に置いてこられたかも知れない』と曖昧なのです。2階、確認ください」

 「2階です。落し物って、何でしょうか? どうぞ」

 「こちら1階。落し物ですが、入れ歯だそうです」

 その時、1人の女性スタッフが、「さっきのあれです。チーフが保管して受付へ届けると言っていました」と報告があった。

 チーフの判断力は信頼しているが、私には疑問が生まれていた。それは、弔問者が歩きながら入れ歯を落とすことが考えられず、それが<ひょっとして>故人の物で、柩の中に納めるためにご遺族が持っておられた物を落とされたということ。

 しかし、チーフは、それが弔問者の物であることを確認していた。なぜなら、ご納棺を担当したスタッフに確かめてからの行動だったからだ。

さて、ここで考えたい。落し物を受付へ届けるのは一般的だが、鍵や数珠などは抵抗なくアナウンス可能だが、羞恥心の伴う落し物は困りもの。アナウンスで広報するべきではないとなるのである。

 「自転車の鍵が受付に届けられております。お気付きのお方は受付まで」

 そんなアナウンスなら許せるが、「入れ歯」となればそうはいかない。今回は、たまたま発見したのがスタッフであり事なきを得たが、考えさせられるハプニングとなった。

 落し物だから受付へ。そのマニュアルの遂行には知恵が大切だろう。落とし主に絶対に恥を掻かせない配慮が重要サービス。

 「恥ずかしいことや。でもな、齢を重ねるとこんなこともあるのや。有り難う、助かったわ」

 やがて、見つかった落とし主のそんなお言葉が、ほっとした瞬間であった。

2003/05/16   ウイルスの恐怖     NO 431

 昨日の産経新聞夕刊に、有名な料理人であられる「程 一彦」氏が大きな写真と共に、記事掲載されていた。

 記事内容は、テレビの人気番組「料理の鉄人」に出演された時のことで、鉄人を初めて負かせた料理人となった秘話が取材されてあり、興味深く読ませていただいた。

 昨年の初夏の季節にお母様がご逝去され、ご葬儀を担当させていただいたが、喪主をつとめられた程氏のスケジュールが多忙を極め、祭主様が退出される頃の時間には式場を出発されなければならず、京都に向かわれる氏に、天王寺駅から特急「はるか」をご利用されるように時刻表を調べてお知らせしたことが思い出されてくる。

 さて、今日、司会を担当した葬儀は明治生まれの男性のお方。大日本帝国「陸軍工兵 軍曹」として、お国ためにご尽力をされた厳しい時代を過ごされたそうだが、信仰心の厚いお人柄で、お寺で行われた通夜、葬儀には、多数の信者さん達も参列され、通夜の回向が終わった際、ご導師が祭壇に飾られていた「褒章」についてお話をされた。

 信徒の模範となる方で、「一級」の褒章が授与されたとのこと。そんなところから、告別式終了後の謝辞の中で、僭越だったが少しそれらについて触れさせていただいた。

 式場が広く、祭壇は日本的な情緒をイメージし、現代風の花祭壇を設営申し上げたが、デザインと色合いについて高いご評価をいただき、ご当家を担当した部長が喜んでいた。

 通夜で故人をお偲び申し上げる「追憶のひととき」をシナリオ化し、編集した追憶ビデオを放映したが、打ち合わせの際のお寺様からのでご要望で、ご読経を終えられたらご一緒にご覧になられることになった。

 そこで私が通夜のナレーターを担当し、女性スタッフが葬儀のナレーションをという対応で進めた。

 お客様には分からないことだが、葬儀式の始まる前に行われるオリジナル「奉儀」に関し、ちょっとしたハプニングがあった。

奉儀に欠かすことの出来ない備品に予想もしなかった不備が見つかり、急遽、別の物を準備するために約1分間の無駄な時間を消費してしまった。
 これは、大きな反省材料で、スタッフにはよい体験となったと思っている。

 そんな秘められたハプニングの後、女性スタッフのナレーションが始まった。

 <動揺しているかな?>と心配していたが、意外に影響なく5分間を語り抜いてくれ、成長の証を感じたひとときでもあった。

 帰社してから「自信を持ってよい」との言葉を送ったが、一流のプロと呼ばれるまでは「謙虚であれ」とアドバイスをした。

 一方で、恐怖のSARSが大阪に問題発生したニュースを伝えていた。関西方面を旅行されていた人が帰国され、発病の可能性があるような内容だった。
 また、状況が大変な中国ではデマの流布などに厳しい罰則を科す法律が施行されたようで、目に見えないウイルスに対する恐怖は想像以上のもの。心からその終息の日が早くやって来ることを祈るばかりである。

2003/05/15   5月は大変    NO 430

 5月も今日で半月、日が経つのは本当に早い。今月中に行動しなければならないことが山ほど残っている。

 昨日、東京と北海道から2件の電話があり、殺人的スケジュールになってきた。正直言って優先順位をと考えたが、突発的な本業の存在があり難しい

 あるホテルの総支配人を交えて、管理責任者へのレクチャーも待っていただいている状況。そこに、東京、九州、北海道に行かなければならない立場が生まれ、来週には東京からの来客も決まっている。

 数年前、1週間で新幹線での移動が5000キロという体験があったが、初老の身ではそんなハードなことは無理。今回の札幌は飛行機を覚悟しているが、来月、嫌いな飛行機を利用しなければならないことが待っている。どうしてもサイパンに行かなければならず、目的を果たして1泊だけで帰って来るスケジュールを立てている

 さて、最近、ブライダル司会者からの研修要望が驚くほど増えてきた。そのすべてが葬儀の司会者への転進希望だが、電話でアポを求めて来るのは許せても、「どうしたら教えていだけるのですか?」という強硬派が多いので困っている。

 その大半は、女性。共通しているのは自分達が「オシャベリのプロ」だという自尊心。そんなものは、私と3分喋れば奈落の底に落ちるレベル。礼節を何より重視する葬儀にあって、顔の見えない電話での要望にそれらが瞬時に感じられ、「残念ですが」と返すことになってしまう。

 「給料は不要ですから、3ヶ月間仕事を共にさせてください」という女性も多く、本音は<すぐに来て欲しい>というところだが、そんなことを受けていたら事務所に入り切れないほど人が溢れる。

 一方で、同じような要望がホテルから入るケースも出てきた。「無報酬で結構ですから、出向ということで半年でも1年でも」というのがあったが、伺ってみると東京のホテル。恐らく単身赴任ということになり、その責任を考慮すると辛いものがある。

 今、弊社の若手の正社員には、他府県から単身というのが4人存在している。「食事は大丈夫か?」「甘いものを控えろよ」と声を掛け、帰社する際に「一食分を援助するか?」と近所の喫茶店に誘うことも多く、こんなスタッフが増えてくると私の負担がパンクする。

 しかし、彼らは正社員で、腰掛的な存在でないからそうなるのであり、短期間の出向というのは遠慮したいというのも本音である。

 過去に、他府県の同業者の息子さんや娘さんを預かったこともあるが、受け入れた以上は本物に育てたいもの。それは、同業にあるからこそで、上述の方々との大きな差異がある訳だ。

 後継者を大規模な葬儀社や互助会に入社させる葬儀社もあるが、そこで学んでくることはマニュアル化された「作業」であり、残念だが「仕事」を覚えるには至らないようで、これらは、日本トータライフ協会のメンバー達が体験してきた上での結論である。

 葬祭業は大きく変化している。異業種の参入も増え、業界の将来が混沌としてきている。そんな中での生き残り、それには本物の「プロ」という社会認識しかないだろうし、葬送文化の創造なくして完成しないというのも現実だろう。

2003/05/14   時 計    NO 429

 サービス業に従事するスタッフには、時計に目をやるタイミングに神経を遣うのも重要な技術。その行為を見られたお客様に、「早く帰れ」という冷たいイメージが伝わる危険性があるからだ。

 我々がプロスタッフで仕事を担当する時、時計を身に着けることの許される立場が限られており、プロデュースの総責任者で司会を担当する私は、本番前には司会台に懐中時計を置くことにしている。

 札幌に講演に行った際、帰路に上野まで乗車した寝台列車「北斗星」の車内で、北斗星の文字が刻まれたオリジナルな懐中時計を購入し、あちこちで重宝していたが、名古屋のホテルで講演をした時に忘れて返り、それから行方不明となり残念に思っている。

 さて、ナレーションの原稿創作、ビデオの編集に欠かせないのがストップウォッチ。随分昔のセイコーのものを長く使用していたが、短針の調子がおかしくなり、思い切って買い変えることにした。

 時計屋さんに行かせたスタッフから電話が入る。「デジタルもありますが?」

 私は、即座に「デジタルはダメ」と返した。

 針が1秒1秒を刻みながら60秒で1周する。
<後、どのぐらいの秒数が残っているのだ>
 そんなイメージが瞬時に伝わるのは、やはり「針」のあるタイプ。デジタルには所要時間では変わりないが、その微妙な部分が劣ることになる。

 それは、私の勝手な思い込みであり、アナログ的な頭の古さに因することかも知れないが、これは、今後も変わることがないと断言する。

 今、このストップウォッチを必要とする仕事に取り組んでいる。あるビデオ映像を制作しているのだが、これが途方もなく長編で、取り敢えずテストバージョンを創ってみたら49分。ここから35分まで短縮しなければならず、そこに被せる音楽とナレーション原稿の創作には、秒単位の計算が必要となっている。

 こんなビデオを映像製作会社に委託すれば、企画、絵コンテ、資料映像などが絡み、大変な作業時間と莫大な経費を要するもの。それを自社のスタッフ達だけで制作しようというのだから大変。

 このビデオで最も重要なことはナレーター。そこで女性スタッフの技術アップが必定で、本人が懸命に練習に取り組んでいる。

 基本ベースとなる映像は、何回ものやり直しを経て完成に至る訳だが、資料映像が不足しており、スタッフがカメラを手に山、花、海など、「自然」の撮影に行かせなければならない状況を迎えている。

 明後日の葬儀が終われば、集中して進めなければならない。

2003/05/13   雨のシーズンを前に     NO 428

 今日、奄美地方が梅雨入りしたと気象庁が伝えていた。また、2ヶ月ほど、うっとうしい季節だ。

 我々葬祭業は、雨には泣かされる。備品が濡れる、参列者が負傷されるパーセンテージが高くなるというような心配もあるが、私が最も嫌うことは参列者に落ち着きがなくなることである。

 「焼香はまだか?」「早くしろ」そんな心情も生まれてしまうのも仕方がないが、故人や遺族に気の毒で申し訳ない自然気象との遭遇となる。

 ホテルや文化ホール、また大規模な寺院や葬祭式場などで、すべての参列者が式場内に収まるところはいいが、テント設営を行い、大半の参列者が式場の外というケースは本当に辛いもの。

 昔、1時間の葬儀の司会を担当していた時、青空が急変して暗くなり、強い夕立が降ってきたことがあった。

 空の様子で夕立が来るのは覚悟したがどうにもならない。それは、ちょうど代表者の焼香の時。常備してある大型のお寺様用の傘が数本あったが、そんなもので間に合うことなんて不可能。

 「折悪しく強い夕立に見舞われました。しばらく、雨を凌げる場所でご待機ください」

 そう言うしかない状態だった。

 夕立は、それから5分ほどで嘘のように上がったが、その時の体験から、傘を数百本仕入れ、会葬者の予定人数分を式場に持っていくサービスを始めた。

 空が暗くなってきた。ひょっとして雨が。そんな状況は司会者の心を動揺させ、よい司会が出来なくなる。そんなことの解決を目的に傘を用意しただけでも心の余裕が生まれたものである。

 ある時、ご出棺の5分ぐらい前に雨が降ってきた。見送りをされる方が100人以上おられる。すぐに女性スタッフが傘を配る。皆さんが「助かったわ」と感謝のお言葉を掛けてくださる。

 そして、ご出棺の時間がやってきた。雨は一向に止む気配はない。霊柩車を見送られた方々が傘を手にされ、<さてどうしたものか?>という表情をされている。

 「この雨は止みそうにありません。ご遠方にお帰りの皆様もいらっしゃいましょう。傘は、ご遠慮なくお持ち帰りください」

 マイクでそんなアナウンスをすると、全員が会釈をしながら帰って行かれた。

 数日後、精算に参上すると、そのサービスが何より嬉しかったとご遺族に言われ喜んで帰社すると、また嬉しい事実が報告されていた。

 2本の傘が宅配で届けられている。そして「何よりのサービスでした。これからも続けていただくために」とメッセージが添えられてあった。

 今、その頃からすると傘が信じられないぐらい安価になっている。どうやら中国製のもののようだが、急場しのぎなら十分に間に合うもの。これからも続けていくつもりだ。

2003/05/12   フィクション 冠婚葬祭互助会 A   NO 427

 会員数が数千人という規模の互助会だが、「破綻」や「倒産」という記事は業界のイメージダウンが強く、他の組織にも会員獲得への影響と解約の行動につながる危険性を孕んでいる。

 そこで進められた方策が「吸収」。会員を振り分けて「弊社の会員として登録しますのでご安心を」という対応。

 しかし、これは現在の経済状況で言われている不良債権の増加となるが、進展にに向けての止むを得ない行動であった。

 そんな経営破綻は、その後も発生。その度に上記の対策で乗り越えてきたが、会員数が膨大な組織の破綻を吸収するパワーは、徐々にダウンするのは必然。吸収した自社側の負担が余りにも大きいからである。

 破綻会社の会員で掛け金の「満期」を迎えている人達が多く存在しており、会員の権利の遂行という責務を負ったが、これらは婚礼や葬儀の実行の際、何らかの追加金で賄うことも可能であり、危険を承知で踏み出した事実もあったようだ。

 互助会ビジネスで何より積極的に取り組んだのは会員の獲得。そこで勧誘員の募集を大々的に行い、獲得手数料を高額に設定し、彼らの知人や縁者を勧誘することが始まったが、知人、縁者に限界を迎えると、会員の契約が取れない勧誘員は次々に離れるのも常識。それらは、大手の保険会社のシステムにも類似していた。

 結婚と葬儀という非日常的なことは、消費者にも高度な知識はなく、ちょっとした見出しや勧誘言葉で勝手な思い込みをしてしまうもの。

 世に登場した頃のキャッチフレーズ「3万円で結婚式が」は、勝手に披露宴まで想像させるパワーがあり、その効果を倍加させるのに「互助会」というネーミングが拍車を掛けてくれた。

 さて、あちこちに結婚式場や葬祭式場が建設されて来る時代を迎えた。それらは、掛け金で安く挙式や葬儀が出来る謳い文句に生じていた「羞恥心」という抵抗感を払拭させるに至る。

 そんな中、世の中には知恵者が存在するもの。そんな当時に、将来の危機管理の対策として式場の名義を組織と切り離していたところもあるのだから素晴らしい。組織が崩壊しても建物でのビジネスが可能という「保険」を掛ける経営者の知恵である。

 発足して10数年は、婚礼で利益が生まれ、サービス提供の比率も葬祭を大きく上回っていたが、それらのバランスに変化が生まれる。高齢化と少子化の到来である。

 今、婚礼の赤字が組織の足を引っ張る「お荷物」になる様相を見せ、葬祭への依存性がいよいよ高まってきている。

 掛け金は契約コースにより異なるが、数年で満期となるシステムが大半。当然、社会の物価の変動も生じるが、それらは、社会背景を説明して追加金という方策で対応しているが、予期せぬ問題が持ち上がってきた。

 後はご想像にお任せするが、非日常的な冠婚葬祭というものが消費者の知識、認識変化につながったことは望ましいことではあるだろう。

2003/05/11   フィクション 冠婚葬祭互助会 @   NO 426  

 あるルポライターがいた。彼は、経済分野を専門としていたが、ある情報を得て始めた取材から、いつの間にか「社会派」としての取り組みに変化している自身に気付いた。

 彼が取材の対象にしていたのは「冠婚葬祭互助会」。そのきっかけとなったのは新聞記事。
「解約トラブル続出」と記載されていた見出し。そこで、すぐに社会背景を考えてみた。

 大手の銀行、保険会社、スーパーの経営危機が伝えられている最中、高齢社会の到来で葬祭業が成長産業と捉えていた考えに、<何かがある>と直感した彼は、その日から取材を始めた。

 その日の内に理解できたのは「少子化社会」に「核家族」。団塊世代の子供達の結婚時期を過ぎると、ブライダル産業の凋落が見えるし、日本人の根底にあった筈の儒教精神の稀薄化も強く、家と家から人と人への変化という、媒酌人を歓迎しない新郎新婦の現実も分かってきた。

 これまでの経験を生かして取り敢えずシナリオをつくり、本格的な取材行動が始まった。

 宗教者、葬祭業者、結婚式場、ホテル、仕出し屋、葬祭用品商社など、彼らしいするどい嗅覚が的を射て、思わぬ事実情報が次々に入手されてくる。

 互助会ビジネスの歴史を知りたくて関係の役所にも出掛けたが、そこで、過去に発生していた問題を知ることになったのは拾い物。

 この時点で彼が整理した資料による分析は、次のようなこと。

 互助会は、株式会社組織である。営業戦略の先には葬祭があり、その抵抗感を払拭するのに冠婚を表面化する営業活動が望ましい。ブライダルではホテルに対抗出来ないところから結婚式場を建設する。料理、引き出物、貸衣装など、それらはすべてビジネスになる。

 しかし、このビジネスを回転させて行くには何より会員の獲得が重要。そこで考えたのが組織の名称。「都」「府」「県」「市」などの冠を被せ、自治体が運営しているイメージ戦略が欠かせなかった。

 しばらくすると、役所への苦情が入り出した。それらの多くが「国や県が関係しているのですか?」とか「紛らわしい」というもの。

 関係庁がすぐに対策を取り、都道府県の冠を外させる指導に入ったが、この時点では、多くの会員が入会しており、掛け金での運転資金が賄える状況にあった。

 冠婚では、予想していた問題が表面化した。新郎新婦の一方が会員というケースで、相手側がホテルを希望するということが多く、これらの解決策のひとつとして家具や新婚旅行の提供という一時的な策で対応したが、その大半は「何れ、役立つことも」としていたようだ。

 こんな対応では納得するものではないが、ここで会員が勝手に思い込んだのが掛け金に対する「金利」。これらは、将来の大きな問題の起爆剤のひとつでもあった。

 同時に発生していたクレームには、どうしても葬儀の問題が集中した。自宅やお寺での葬儀ばかりの時代、その現場対応が素人集団。お寺や親戚達の苦情が相次ぎ、それらは入会を勧誘したセールス担当員への攻撃にもつながり、意外な交友関係の破綻という悲劇も生まれていた。

 このビジネスは儲かる。そんな安易な考えで、冠婚葬祭互助会が全国に誕生してきたが、それからしばらくして予想外の問題が発生した。

 それは、経営者の資質にも原因があったが、小規模な組織の経営破綻が起きたのである。

               明日に続きます

2003/05/11   ベルトコンベア    NO 425

 弊社の企画室本部長が、2人の女性スタッフを伴って出張している。

 行き先は、神戸のホテル。トータライフ協会のメンバーが担当している「お別れ会」の見学であるが、日頃に深い交流のある両社。こんな互いの見学体験が大きな研鑽の場となり、体感に勝るものなしという裏付けにつながる。

 夜、ある会合があって出席すると、知人から「時間をくれないか」と誘われ、近くの喫茶店で1時間ほど悩み事を聞くことになった。

 彼は、今年就職した娘さんのことで悩んでいる。大手の家電メーカーに就職をしたが、もう辞めたいと本人が言い出しているそうだ。

 その原因として彼が打ち明けたのは、「ベルトコンベア」。彼女はベルトコンベアに乗って流れてくる目の前の製品に対して、定められた工程を施すだけという極めて単純な仕事をしているとのこと。

 そして、映画「チャップリン」の名作「モダンタイムス」のことを比喩しながら、娘が哀れでならないと嘆いている。

 世の中には様々な仕事があり、製造に携わる業務にこんな心情を抱くことも少なくないだろうが、私は、我々葬祭業のことを思い出しながら照らし合わせてしまった。

 これらが大規模葬儀社や互助会組織でマニュアルをこなすスタッフにも共通し、弊社のように「手造り型」の葬儀で、担当させていただく毎回の葬儀の内容が異なるという形式とは対照的であり、「遣り甲斐」ということから単純という仕事は人の心までそうさせてしまうとを再認識することになった。

 それぞれの人の人生が異なるのは当たり前。その葬儀が異なることは必然であり、「次の方、ご案内」というようなベルトコンベア型のサービスでは申し訳なく、それらはプロの仕事ではなく単なる「作業」となってしまう。

 人の終焉に儀式として行われる葬儀。それは、「作業」ではなく「仕事」として携わらなければ人生に対して礼節を欠くことにもなるだろう。

 しかし、弊社のこんな葬儀のプロデュースにも大きな悩みがある。提供する側の我々にも限界があり、最高のキャスティングでサービス提供を行うには、1日に2件のお客様ということになる。

 昔、1日に8件の葬儀を担当したことがあったが、その日に通夜を迎えられるお客様も数件あり、限られたスタッフですべてをご満足に至らせることは絶対に不可能なこと。

 そこで問題が生まれてくることになり、スタッフが育ち始めると中途半端な仕事がやりたくなくなり、結論として「真に恐れ入りますが」とお断わりをすることになるのである。

 そんな申し訳の立たないお断わりをしてしまった葬儀も少なくないが、その内の10数件のお客様が「1日延ばしてもいいから」とおっしゃっていただいたことには、スタッフ共々涙したのは忘れない。

 今、スタッフが成長してきている。それぞれがもう少しグレードアップ出来れば、新しく受け入れるスタッフを成長させることも可能となるが、「ベルトコンベア的な葬儀をやりたくない」と言い切る彼らを見ていると、その日が遠くないところまできていると確信している。

2003/05/09   脳卒中の予防    NO 424

 昨日、「おまじない」という言葉で表現したが、そんなことを言えば失礼なような気がしている。なぜならば、この話は、弊社の若い女性スタッフも10年以上も前にお母さんから教えられ、強制されたという信憑性の高い謂れだからである。

 信じる、信じないはご訪問者のご判断。ここでは、近所の方から頂戴したプリントを原文のまま下記申し上げる。

国分市養護老人ホーム「慶祥園」でいただい資料
 脳卒中で絶対「倒れない」法という資料が手に入りましたので、早速鹿児島県国分市養護老人ホームを訪ね、園長さんにお尋ねしました。
 園長さんのお話では「3年前に、この飲み物を作って当園50人のお年寄りに飲んでいただきましたが、その後、脳卒中は1人もありません。信じる信じないはご本人のお気持ちです。今では北海道からも問い合わせがあります」とのことでした。
 飲んでも害になる品物は入っていませんし、善意に解釈出来る人はお試しになってはいかがでしょう。
 
(この文は慶祥園の園長さんよりいただいたものです)
 血圧は医薬品で簡単に下げることが出来ますが、脳卒中で倒れない方法は現代医学を以ってしても、その予防はないそうです。
 若し一度この発作に見舞われ倒れることがあるとしたなら、軽重の差はあるにしても再起の望みは絶たれ、あたら一生を植物人として過ごさなければなりません。大変不幸なことでございます。
 併し、予防の医薬品はないにしてもご安心下さい。「医薬」とは言えませんが、脳卒中では絶対「倒れない飲み物」があります。私はこの飲み物の医薬的成分を知らないし、文献もありませんが、幾千人の方が試され、そのことごとくが健在であり、健在であったという実験済みのものです。
 私は今こそ勇気と自身を以っておすすめします。試みでなく本気でお飲み下さい。ただ1回だけの服用で一生を精一杯生き抜いて下さることをお祈りします。      
合掌
脳卒中で絶対倒れない予防飲み物の作り方
(1) 鶏 卵      1個 白身だけ
(2) ふきの葉の汁   小さじ3杯 (つわぶきは不可)
(3) お 酒      小さじ3杯 (焼酎は不可) 
(4) 梅干し1個    土用干ししたものはいけない
   注意  番号順に入れること
 以上ですが、この飲み物は一生に一度飲むだけでよいそうです。


 上記が原文。こんな原始的で「まじない」のようなことがしたためられてあったが、結構、全国で広まっているとも耳にした。健康食品のひとつなのかも知れないが、何より「害」と言われるものがないので安心は出来るだろう。

 葬儀屋の私が「長生き」をお薦めするのだから、ぜひお試しくださればと思っています。

2003/05/08   新聞記事から     NO 423

 今日の毎日新聞夕刊の社会面に、「みとられぬ死 3815件」という見出しの記事があった。

 この数字は、昨年、大阪市内の死亡者で大阪府監察医が検死を担当された件数で、1946年に開設後で最高の記録ということだった。

 記事の中で、次の部分が社会の悲しい裏面を伝えていて同感し、ここにその原文を記載申し上げる。

「ある監察医は『戦後の混乱期は餓死などが多かった。変死者の死因は社会の姿を映し出している』と説明。最近は自殺の他、独り暮らしの高齢者の孤独死やホームレスの路上死も増加しているといい、『医療さえ受けていれば助かったはずの遺体を見ると、本当にやるせない』と語る」

 グラフも掲載されていたが、それによると1985年に1903件、1995年に1903件とあり、その死因別の中で自殺が驚くほど増えていることも伝えていた。

 大阪市内での自殺は、1997年に590件だったのが、1998年には946件となり、その背景には不況とリストラも関係し、50代と60代が半数を占めているという特徴を分析している。

 さて、欄外に「ことば」という説明部分があり「監察医」についての解説がされていたが、ご存じない方が多いので原文のまま下記申し上げる。

 「死体解剖保存法8条に基づく制度。死亡原因を究明し、公衆衛生上の対策に役立てることが目的。制度があるのは東京23区、横浜市、名古屋市、大阪市、神戸市だけ。東京と大阪にはそれぞれ、東京都監察医務院、大阪府監察医事務所が置かれ、行政が制度を運営。他の地域では、警察が直接依頼した医師らが検死などにあたっている」

 記事内では、監察医の激務も報じていた。1人で1日に10件を担当することもあり、食事は検視に向かう車の中ということが多く、人手不足の解消が急務と結んでいたが、我々葬祭業者は検視を必要とする葬儀に接することも少なくなく、その時のご遺族の心情を拝察すると辛いものがあり、家族や医師に看取られて死を迎えることの幸せを痛切に感じる時でもある。

 人は、いつ死を迎えることになるか分からないもの。忍び寄った病を自覚することになればまだ救いがあるが、事故死や脳、心臓の突発的原因で急逝してしまうことも考えられるし、そんな宿命という悟りを抱いて生かされることも大切だろう。

 そんなところから、明日は、近所の方が教えてくださった「脳卒中に絶対にならない」という「おまじない」を紹介申し上げる。

2003/05/07   仕入れ業者からの話し    NO 422

 弊社の仕入れ業者は全国的な営業力を展開しているところが多く、来社の際に様々な情報を提供してくれることは有り難いこと。

 「今、無宗教形式が流行しているのですが、どこの葬儀社さんでもどのようにしたらいいのか暗中模索の状況です。よく、高級葬儀さんの無宗教形式を勉強したいと言われるのですが、どんなことをされているのですか?」

 最近、そんな質問をされることが増えたが、私は、葬祭業界の文化向上のためにとの思いで、抵抗なくビデオ映像を見せることにしている。

 しかし、それらの映像を見られた後で返ってくる感想の言葉、それらがすべて共通していることも確かで、「何処にも真似の出来ないレベルです。こんなことが行われているなんて驚きです」となる。

 音楽、シナリオ、映像、キャスティング、音響照明など、それらのすべてをその道のプロ達で構築したもの。そこに特別な司会進行となる「司式」バージョンとくれば、全国でこのレベルが可能とすれば、弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバーしかいないだろう。

 メンバー達はそれぞれの個性と感性を研修会でぶつけ合い、互いのソフトを提供し合う。そして、昇華されてレベルが日々に向上するが、その中に「知的所有権」に帰属することが多いのも特徴であり、今後、これらがいよいよ注目されてくると確信している。

 さて、仕入れ業者さんから拝聴した話で、面白くて恐ろしい話があったので紹介申し上げる。

 遺族から「無宗教でお願いします」と伺ったある葬儀社さんが、無宗教形式の祭壇を飾り、通夜の時間を迎えた時、遺族や親戚さん達から信じられない言葉が出てきて驚いたそうだ。
 
 それは、「お寺さんは、何時に来られるのですか?」と言われたから。

 確認してみると、遺族がおっしゃった「無宗教」との考えは、仏教だったら何でもよいということで、「宗派には捉えられませんから」ということであった。

 これが葬儀社の勝手な思い込みにつながる原因となったが、新しいタイプの「誤解の発生」であり、我々も気をつけなければならない教訓の出来事でもあった。

 その葬儀社さん、すぐに近くのお寺さんに来ていただいたそうで事なきを得たが、さぞかし衝撃を受けられたものと同情している。

無宗教という言葉だけが飛び交っている感じもする。無宗教葬儀の形式にかたちはないが、日本トータライフ協会のメンバー達が提供する形式は、今、確実に日本のトップレベルにあると言われている。

2003/05/06   熱帯低気圧    NO 421

 この数日の暑さは異常なほど、極めてお疲れモードで非常に堪える。

 もう、今日のお通夜を担当していたスタッフも帰社した頃。肩から背中に掛けての痛みに耐えかね、雨の中、自宅前の銭湯で電気風呂に入ってきた。

 しばしの極楽の時間を過ごし、脱衣場にあるマッサージ器に横たわっていると声を掛けられ、ふと見ると先日に葬儀を担当させていただいた喪主さん。

故郷に納骨する際のしきたりについて質問されたが、「やっと一段落したよ」とおっしゃったお言葉には、一人の方の終焉を送る大変さが滲み出ていた。

 香典を辞退されていたこの葬儀。次の日から「お供え」が山ほど届けられて往生され、「これだったら香典を受け取るべきだった」との体験談は、最近に多い話でもある。

 さて、私がアドバイスを求められ、「プロとしてこんな考え方では恥になりますので」と、お断わりをした東京のホテルでの大規模なお別れ会。数日前に記録写真を見たが、予測した通り衝撃的なほど恥ずかしいレベルで、「礼節」の欠片も感じない祭壇と進行に故人が気の毒で仕方がなかった。

 故人がお好きだった物とお酒が祭壇に飾られてあるが、直接故人につながる大切な物なのに置いてあるだけ。その奥のご遺影が涙を流しているように思えてならなかった。

 数日後、あるホテルで大規模な社葬が行われるが、会社が「お送りしよう」なんて心情は一切なし。ドライブスルー型の献花バージョンで食事をするだけ。そこに関する受付、誘導、献花を渡すスタッフなどはすべてコンパニオン。その人数が60人というのだから恐れ入る。

 こんな形式の社葬も何度か体験したが、「参列者に料理を食べさせたら文句を言わないだろう」との考えもあり、そんな社葬なら行わない方がいいだろうし、何より故人と立礼に並ぶ遺族が気の毒だ。

 団体葬などでこの形式が多いが、その大半の故人は、俗に言われる「天下り」。世間体で仕方なく社葬をしなければならないという姿勢がありありと見え、式場内は義理の空気しか生まれず葬送の意義なんて完全に消滅している。

 こんな規模の社葬で大きな勘違いをしていることがあるので問題提起したい。義理で行う社葬なら新聞の「黒枠広告」は止めるべき。ホテルという環境を重視して会場に選ぶなら、絶対に招待形式にするべき。何人の会葬者があるか不明というような社葬は、受けるホテルもサービスの本義から逸脱している。

 前にも書いたが、この形式がこのまま流行すればホテル社葬は間違いなくジリ貧状況を迎えるだろうし、故人にゆかり深い方々だけでの「偲ぶ会」「お別れ会」が主流となる時代に突入し、そこで何を行うべきかという「進行シナリオ」が重視されてくると断言する。

 そんなことを予測して構築した「慈曲葬」。それは、今、社会で静かに流行の風が吹き始めてきたようで、熱帯低気圧を経て台風になるような予測をしているこの頃である。

2003/05/05   日付が変わる前に   NO 420

 夕方からホテルに行った。ゴールデンウイークの最終日で、家族連れの多くて込み合っている。戦争やSARSの風が吹き荒れない幸せな光景で、笑顔や会話が弾んでいる。

 エレベーターで5回に上がりバンケットルームに向かう。中から明るい声が聞こえてくる。今、中で法要の「お斎」が行われている。

過日に社葬を担当させていただいたお客様で、時の流れに満中陰の日を迎えられたのである。

ご遺影が飾られたご祭壇には、故人がお好きであられた焼酎がお供えされ、皆さんがご生前の思い出話に花を咲かせておられたようで、社葬の際にも感じた本当にあたたかくて素晴らしいご家族であることを今日も感じた。

故人は、こんなご家族のことをきっと誇りにされておられるだろうが、「死に様」は「生き様」という言葉のように、こんなファミリーを築かれた立派な人生に、改めて敬意を表しながら手を合わせた。

 皆様がお帰りになる時、施主様側がご親戚の方々にお声を掛けられる光景が目前であったが、こんなほのぼのとした雰囲気は久し振りで、「担当させていただいた葬儀が終えられた」と、ほっとした瞬間でもあった。

 さて、SARSが猛威を振るう中国だが、冠婚葬祭に大きな影響を及ぼしているそうだ。

 SARSで死亡された方のご遺体は、家族が引き取ることは出来ず、行政側で火葬されているとのこと。悲しみが二重三重に倍加するような事態となっており、わが国で発病や流行がないことを祈っている。

 明日は定期健診で病院に行くが、連休明けで混雑していることだろう。ちょっと早めに行って待つ覚悟をしている。

 一方で、今、少し目を傷めている。医師から貰った目薬を点しながらパソコンに向かっているが、どうやら限界のようだ。時計を見ると数分で日付が変わる。

 今日は、この辺でエンターボタンを押すことにしよう。

2003/05/04   若者へのエール    NO 419

 今、私の頭の中が朦朧としている。2日間寝ておらず、それは、後、2日続くことになり、4日間寝ないという日を過ごす。

 横になる時間は取れるが睡眠に入ることは出来ず、こんなに辛い体験は久し振り。

 寝不足、それは様々な症状を感じることになる。集中力を欠き、血圧が上がって気が短くなり、疲労感と倦怠感に襲われる。こんな心身でいい仕事は出来ず、早く連休が明けることを願っている。

 さて、昨日の自宅への訪問者。彼は今日、礼の電話を掛けてきた。

 「大変失礼いたしました。学校で学んでいることなんて小学生のように思いました」

 この「独り言」も読んでくれたそうで、本人のことを書いてあることを知り「反省しています」とも詫びていた。

 今日は、そんな彼のことを思い、葬祭サービスに携わる者は「若い時代は謙虚であれ」という言葉を贈る。

 ここにひとつの例を示そう。ホテルでの偲ぶ会やお別れ会で送られる本人(故人)の年齢は高齢者。音楽演出が不可欠となっている中、故人の愛唱曲となった時代背景を知ると、戦前、戦中、戦後ということが多く、20代や30代の若い人達は耳にしたことのない曲があたりまえ。

 そんな曲を知るか知らないかでプロデュースシナリオが変化するもの。そこからレクイエムに編曲するイメージ、音色、楽器構成などをある程度描かなければならず、曲を知らないなら謙虚にあるべきということになる。

 葬送音楽で大切なことは、勝手な思い込みで暗くしないこと、重くしないこと。この部分の勘違いが多く見られるもの。

 「やさしさ」「かわいさ」「さわやかさ」を重視し、時には軽く、時には重厚にというテクニックが求められ、「礼節」が生まれる環境空間への「神変」が必要なのです。

 昨日、あなたが見られた映像は、それらがキャスティングされており、きっとあなたは参列者という客観的立場になっていた筈。だから涙が生まれたと言えるだろう。

 もしも、あなたがホテル、司会者、プロデューサーの立場で見ていたとしたら、絶対に感動することはなかったでしょう。なぜなら、同じ立場からは自身に不可能な世界を見ると「否定」に入るのが普通なのです。

 我々プロという者は、いつも客観的立場でプロデュースを担当し、シナリオを書き上げなければいけないのはその為なのです。

 卒業後、あなたの熱い思いを生かせるホテルとの出会いを祈念しています。

2003/05/03   自宅への訪問者    NO 418

 ある知人を介して若い男性と自宅で会った。彼は有名な専門学校に在職中で、卒業に向けての就職活動でのえにしだったが、ホテルマンに憧れていた。

 この専門学校の歴史と伝統はあるが、厳しいホテル業界の現況と産業の将来性というところから葬祭業に着目し、「ライフステージ」と言うのだろうか、新しいホテルサービスのコースを選択し、プロデューサーということにも興味を抱いている。

 ライフステージとは造語のようだが、人生の通過儀礼である葬祭サービスの意味を含め、昨今に求められて来ているホテルでの社葬、偲ぶ会、お別れ会、法要などの専門家を養成しているとのこと。

 彼は、これまで学んだことに自信を抱いていた。そして、はっきり言わせて貰うが、我々葬祭業を馬鹿にしている姿勢があった。

 初対面の場合、相手の話を拝聴することから始める私は、しばらく彼の熱弁を聞いていたが、アメリカナイズした立派な自己主張を途中で遮ることにした。

 「葬祭業界は保守的で遅れています。もっとホテルサービスの勉強をするべきですよ」

 そんな発言にカチンときたが、知人の存在が頭に浮かび、感情を抑えながら説教をスタートした。

 「人生終焉の仕事で最も大切なことは何だと思いますか? きっと学校で教えられている筈ですが、残念にもあなたからは伝わってきません」

 彼の返答はなく、言葉を続ける。

 「それは、『礼儀』と『節度』、つまり礼節なのです。学問と技術だけでホテルマンや葬祭サービスの仕事が出来ると思ったら大きな誤りです。制服や肩書きは人を変えるということもありますが、それは単に自身の立場を認識しているに過ぎず、かたちや仕種に変化が生じても本物ではありません。お客様は『人』。サービスというものは『人』の内心がすべてなのです。人生がそれぞれ異なるように、悲しみというものも異なり、求められるもの、満足にいたるものなどすべてが異なるものです」

 ホテルの大切なものはサービス提供。その背景にステータスとホスピタリティがあるが、彼が「ホスピタリティ」という言葉を出した時、私は瞬時に「葬祭業の方がホテルよりもホスピタリティが求められるよ」と制し、「葬祭業は、ホテルマン以上の資質が求められるプロの仕事だ」と教えた。

 そして、<こんなタイプにはこれしかない>と、私が編集したホテル葬の実際映像を見せた。

 彼の目の色が変わる。このビデオには様々なホテルでの私の仕事が約40分入っている。
彼は、じっと見入っている。私はそれこそ礼節を欠くが、冷蔵庫から缶ビールを取り出し飲み始めた。

 酒に弱い私、顔がほんのり赤くなってきたと思われる頃、ビデオが終わった。

 彼は、しばらく声を出さなかった。興奮、衝撃という言葉は当て嵌まらない。世間で言われるカルチャーショックでもない不思議な現象。

 やがて発せられた「こんな世界が? 感動しました」だけの言葉。彼の目には透明の涙が光っている。私が<感性はある>と、ほっとした瞬間であった。

2003/05/03   葬祭文化への道    NO 417

 どうもパソコンの調子がおかしい。過日、ホテルで祭壇設営をしていた時、不注意で落としたこともあるだろうが、数日前にカラーコピー機を最新型に替え、設定のソフト変更を入力してからひどくなった。

 お陰で発信の日付が変わり、心苦しく感じている。

 こんな拙文列記の「独り言」だが、毎日ご訪問いただける方が大勢おられ、急な出張などで発信が出来ないと、「病気でも?」とご心配のメールを送ってくださることもあり恐縮の極み。

 さて、今日、照明のプロの特別な世界を覗かせていただく貴重な体験をした。

 今、照明の世界は完全なコンピューターの時代。驚くほどのソフトを駆使され、それらをご自身の感性で組み上げられるのだが、説明を伺っていると「サイン」「コサイン」という言葉も登場し、数学的な知識まで必要とするのだから奥深いもの。

 また、数日後にロードショー前の映画の発表会が行われるそうで、その劇場に臨時に設定する特殊な音響システム技術について拝聴したが、これらに秘められた様々なソフト技術を知ることになり、新しい世界が広がったような思いを抱いた。

 今日の体験は、私が数日前から取り組んでいる特別なビデオ制作のシナリオ構成にあって大きなヒントとなり、こんな機会を与えてくださった不思議な偶然に心から感謝をしている。

 何かのご縁で知り合った様々な分野のプロ達。彼らにはそれぞれの哲学があり、すべてが共通しているのが究極の世界。最善と最高に向かう邁進の姿勢が妥協を許さず、「反省はするが後悔はしない」という仕事につながっていくことになる。

 そんなプロ達との交流は、何よりスタッフ達の意識改革への相乗効果も生まれるもの。技術そのものより仕事に接する信念を学ぶことは自身を磨く原資ともなる。社内にそんな空気が感じられるようになってきたことが嬉しく、心から歓迎している。

 振り返ってこの10年、私は、他社から見れば「道楽」と思われるような自分流の葬儀を創造して来た。音楽葬、ホテル葬、自由葬、家族葬など、それらが社会で求められる時代ともなった。また、無宗教葬の潮流を予測して独自の「司式」バージョンも完成させていた。それらは、何処にも誰にも真似の出来ない世界。

 そして、そんな私の思いを具現化してくれる素晴らしいスタッフ達が揃い、育ってきている。

NHKの番組「プロジェクト?」ではないが、そう呼ぶべきような計画も動き始めた。その指針する目標は社会の「賛同」と「歓迎」。

葬儀のプロが「ビジネス」という発想ではお粗末。死を通じて生を学び、悲しみの理解に努力して「癒し」の重要性を認識した時、我々葬祭業に「真のプロ」という文化が生まれると信じている。

2003/05/01   慌しさの中で     NO 416

 今日、東京へ出張予定だったが、知人の葬儀で後日に変更した。

 弔辞が2人、参列者が多数。ご導師が四天王寺様となれば私の担当も仕方がない。

 故人は、先代から四天王寺様に深いえにしがあり、そのことを知っていた私は、導師が入場された時点で、めったにしない全員参加の儀式を行った。

 これは、もちろん開式前に導師にお願い申し上げ、「賛同します。それが四天王寺です」とのお言葉を頂戴しての決行だが、ご遺族や親戚の方々が緊張されたひとときとなった。

 こんな進行をするのは、日本中では弊社だけだと自負している。四天王寺様の「和宗」と聖徳太子様の歴史を学んで初めて表現できること。これまでに太平洋戦争全物故者の追悼式でも行ったが、すこぶる好評のお声を頂戴するに至った歴史がある。

 一方で、昨日の葬儀では、女性スタッフがナレーションを担当させたが、前回より成長の兆しが現れ嬉しいところ。

 4分40秒バージョンのビデオ映像に合わせ、彼女がナレーターを始めた。声量とトーンのバランスも合っている。中盤に進むと雰囲気が出て来た。本人も乗っているようで、後はエンディングを合わせるだけ。

 エンディングの映像がフェードアウトする。その3秒後、ナレーションが終わった。

 創作した原稿は私の4分15秒バージョン。ゆっくり目の彼女なら丁度と計算をしたものだが、本番の15分前に「やりなさい」と手渡した時、彼女の目が挑戦の色を見せていた。

 さて、結婚式や葬儀で慌しい時間が流れ自宅に帰ると、一通のエアメールが届いていた。

 封を開けると招待状。幼い頃から知っている娘さんの結婚式。式場はサイパンのホテル。「アロハやサンドレスなど気楽な服装でお越しください」とある。

 早速、パスポート申請と航空券の手配をしなければならないが、最近に問題になっているSARSのことが気掛かり。近い内に収束してくれるように祈りたい。

 前にも書いたが、私の仕事の立場で「来る*月*日」という先のスケジュールが大きなプレッシャー。国内なら何とかなるだろうがサイパンとなれば難しい問題がある。

 しかし、何とかして出席してやりたいとの思いが強い。そこで、それまでに私の代行になるスタッフ教育に努力することにした。

 サイパンでの結婚式、おそらく1泊2日の行程となるだろうが、えにしに結ばれた晴れの日は、カップルにとって一生に一回限りのこと。それだけに時間をプレゼントすることも大切なことだと考えている。


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