2003年 4月

2003/04/30   披露宴での思い・・番外編    NO 415

 昨日、弊社女性スタッフの結婚式のことを書いたが、感謝しなければならないことがあったので申し添える。
 
 全国に点在する日本トータライフ協会のメンバー達から頂戴したメッセージ、この内容がどれも素晴らしく、司会者や出席者が驚いていた。

 協会の共有する理念のひとつに「愛」「癒し」「思いやり」があるが、彼らは日々の仕事でそれらを実践し、誰よりも「愛」ということに敏感となっているし、昨年、高知県や北海道で行われた研修会にも出席していた彼女は、昨秋の大阪研修会で歓迎のエレクトーン演奏をしていたこともあり、多くのメッセージが届いたものと思っている。

 優しいという文字は「人を憂う」こと。苦しみや悲しみに出遭うことで他人に優しくなれると言われているが、そんな彼らが心を伝える文章表記は、一般的なものとは全く異なり、ブライダル司会者が驚くことも無理はない。

 多くの司会者や音楽奏者を抱えるプロダクションの社長が来社された時、ブライダル司会者が葬儀の司会のことを「ナメテいる」と発言され同感を覚えたが、依頼されてセミナーの講師を担当した際、全員がショックに捉われ、自信をなくしてしまったという事例を思い出すことになった。

 今回、担当されていた司会者は一流とは言えないが、サービス精神旺盛で一生懸命につとめられていたことは評価できるだろう。

 しかし、絶対に使用するべきでない言葉を何度も耳にし、気になって仕方がなかった。

 それは、「ここで、**様に歌っていただきたいと思います」のように、「思います」のオンパレード。

司会者が『思って』どうするの? それらは『決まっていた』ことでしょうと教えてあげたい気持ちはあったが、新婦の大切な記念の慶事なので言わなかった。

また、音響が今ひとつという残念な思いを抱くこともあった。使用されていたマイクは3本。特に司会用の音声が『篭もり過ぎ』で、音楽と併せると半分ぐらいしか聞き取れなく、非常に残念であった。

これは司会者のチェックミスもあるだろうが、何よりミキサー担当者の責任が大きく、私だったらマイクを持たないレベルだった。

音響というものは不思議なもので、耳にする場所や立場で微妙に変化する。発声者の声質によってもイコライザー調整やマイクそのものを替える必要が生まれる。

自分で喋って自分で聞くことは不可能なこと。そこで信頼するプロに託することになる訳だが、それぞれの「好み」という問題もあり、一筋縄で解決できないところが面白い世界。

音響の世界で「プロのみぞ知る」という秘話がある。それは昭和の歌姫である偉大な「美空ひばり」さんに纏わる逸話。機会があったら書いてみたいが、彼女は誰もが驚くほど敏感な耳をされていたというお話。いずれ、お楽しみに。

2003/04/29   花嫁への祝福    NO 414

 女性スタッフの結婚披露宴に行くと、式場の総支配人が来られ、しばらく話をすることになった。

 彼と私は同年齢。互いに四捨五入をすれば60歳となるが、知り合ってからかれこれ30年になろうとしている。

 「時代が変わったな」それが2人の共通の考え。冠婚葬祭がいよいよ急変してきているという話題となった。

 この結婚式場は、多い日には20組を超える新郎新婦が式を挙げている。今日も多くの新郎新婦を目にしたが、若い出席者達の中には、新郎と見間違うような服装をしている姿が増えたのも特徴だ。

 さて、弊社のかわいい花嫁さん。想像以上に美しくて可愛かった。

 ドラえもんが好きな彼女。2人が座る高砂のテーブルには、ドラえもんとドラミちゃんの縫いぐるみが置かれ、メッセージらしきものを抱いている。これは、弊社のスタッフから贈った祝電だったそうで、新郎側にはクマのプーさんが座っていた。

 ドラえもんに登場するキャラクターは「しずかちゃん」。彼女が選んだ「のび太君」を初めて見たが、なかなかの好男子。きっとやさしい心の持ち主という印象を抱いた。

 私の祝辞の後、祝宴が始まり、しばらくすると弊社の企画室長のスピーチがあったが、これがひどくて情けない。と思ってしばらくすると新婦が室長を席に呼び、何か内緒話をしている。

 それからしばらく時間が流れ、司会者の紹介で、また室長が登場。今度は名誉挽回ということで歌い出したが、これまた恥ずかしいレベルであった。

 新郎新婦が各テーブルにケーキを配り、出席者が食べ終わった頃、司会者が「ケーキ皿の裏側をご覧ください」と言った。

2枚だけドラえもんのシールが張ってあるそうで、その方にはレストランの食事券がプレゼントとのこと。残念だが私のテーブルに当選者はおらなかった。

 私は、お開き前の両親への花束贈呈が嫌いである。なぜなら「お涙頂戴型」だから。

そこで、それに替わるスマートなシナリオをアドバイスしていたが、どうやら、彼女は私への忠義立てであったかも知れないが、私の提案を取り入れ、なかなか感動のストーリーを組み上げていた。

 ところで、私の祝辞だが、重厚な音楽をバックに司式バージョンでナレーターを決行した。出席された方々は驚かれたようだが、式場のスタッフ達には好評で、「今日はどんなことをされるのか楽しみにしていました。やっぱりプロですね」という声もあった。

 批判的なご意見もあっただろうが、私が伝えたかったのは彼女に対して。でも彼女が嫌がっていた可能性も無きにしも非ず。そのパーセンテージはいかに? 彼女だけが知る。

2003/04/28   ふと振り返り、明日へ     NO 413

 少子高齢化の社会を物語るように、新聞の記事や広告にそれらに関するものが目立ってきている。

 健康食品を宣伝するページも多く、一方で皮肉なことに「お詫びとお知らせ」という謝罪広告も増えている。

 昨日、自宅で新聞を見ていると、人生観の発想転換の必要性を著された書物が増えていることを広告で知った。

 「悲しみや苦しみを乗り越えて人生を生き抜く術とは・・・感動ノンフィクション」
 これは、「鎌田 實さん」の「あきらめない」 

 「老いは来るもの、迎えるもの」「現役女医のちょっと一言」
 これは、92歳の「小林清子さん」の「いつ死ぬかわからないから」

 「ぼけ予防10箇条の提唱者がすすめる、ぼけ知らずの人生」
 これは、「大友英一さん」の「ぼけになりやすい人 なりにくい人」

 「美しく生きる女の健康学」「更年期を『幸』年期に替えて美しく生きる女性になりましょう」
 これは、「久保田芳郎さん」の「笑ってすごす『幸』年期」

 「自宅で死ぬ患者と家族、そして看護師・・かけがえのない『いのち』の物語」
 これは、「押川真喜子さん」の「在宅で死ぬということ」

 過去に書いたが、我々、日本トータライフ協会のメンバーは、聖路加病院の日野原先生の医療哲学や人生哲学に傾倒し、それぞれがご著書も拝読させていただいているが、やはり、何事も体験されてこられた方の説得のパワーは凄いもの。そこに尽きる思いを抱いている。

 明日、弊社のかわいい女性スタッフの結婚式に出席するが、結婚という自身の体験をどのように祝辞で伝えるべきかと頭を悩ませている。

 全国のメンバーから頂戴した彼女へのメッセージを参考にしながら、今晩、真剣に考えることにしているが、共に出席する女性スタッフ達も大変である。披露宴がお開きになると、すぐに事務所で振袖を着替え、お通夜の式場に行かなければならないから。

 葬儀を担当するスタッフ、そして事務所に残るスタッフ達。彼等の「私達の分までいっぱい祝福してあげてください」と託された思いを背に、彼女の美しくてかわいい花嫁姿を楽しみにしている。

事務所に寄ると、もう5月1日の葬儀まで入っている。私も明日の夜はお通夜の他に数本分のナレーション創作を余儀なくされそうだ。

2003/04/27   悲しみのプロへ    NO 412

 昨日、写真技術の専門家と音響、照明のプロが来社され、様々な技術について教えていただくことになった。

 私の隠れ家にあるミキサーやビデオ収録システムの細部に亘るチェックを受け、機材の最大限の活用方法をアドバイスくださった。

 そこで学んだこと、それは、やはり「感性」に尽き、すべてがスタートするまでのプロセスに集約され、「かたち」として完成する前に仕事が終わっているということであった。

 与えられたものを「かたち」にする前に、何を「与えられるか」という引き出し、つまりプロデュースこそにすべてがあるというプロの哲学は、また、改めて私の心の扉を開けてくれることになった。

 社会経済の変化の中、アウトソーシングが潮流となっているようだが、プロと呼ばれる世界に共通していることは、「プロとしてよい仕事がしたい」ということで、「提供するもの」に「代価」が設定されるものではなく、「提供したいもの」に真価が生まれプロを求めて来るもの。

 そんなプロの信条が稀薄しつつある社会は、今、確実に悪循環の体を成しているように思えてならない。

 弊社には多くのセールスが来社されるが、商品知識や性能だけをプレゼンされるスタイルが大半。「あなたは、プロとして、この商品機材をどのように活用するべき?」と質問すると、言葉が詰まってしまうのは残念なところ。

 「私だったら、こう活用する」と提案すると、「勉強になりました」と返されることが多く、「売るというセールスのプロでもないのか」と落胆することになる。

 しかし、人に会う、人に接することは自身を磨くことにつながる。人には、その人にしかない素晴らしいものを持っているもの。それを感じることも嬉しいこと。それらは、見つけてあげることが相手を至福にさせること。

 人との交流は、そんなことから始まるのだろうが、プロと呼ばれる人の世界は奥深いもの。「類」「共」「友」という文字があるが、代価でつながる関係は脆いもの。互いの存在を認め合う関係が結ばれた時、想像できないような喜びの仕事が完遂するもので究極のプロの世界へと広がって行く。

 今、私の大きな喜びは、そんなプロ達がブレーンの中に増えてきたこと。近い将来にしなければならない大きな夢の実現に向かって、彼らの存在が何より心強いところ。

 そんな彼等に「えにし」という言葉を思い浮かべながら感謝をし、この「独り言」をしたためているが、やっと揃った弊社の誇れるスタッフ達を、いよいよ本物の「悲しみのプロ」に育て上げなければならない時期が訪れたようで、来月から行動を開始しようと考えている。

2003/04/26   嫁 ぐ 日     NO 411   

 女性スタッフの結婚式の日が迫ってきた。弊社から3名が出席することになっているが、我々の仕事は大変。その日に私でなければならないという葬儀が入れば難しい。

 そんなことを考えながら、共に出席する女性スタッフと話をしたが、弊社のミス・ホスピタリティと呼ばれる彼女は、感性が豊か過ぎるほど敏感。披露宴の会場に入っただけで涙が溢れてくるそうだ。

 そこで私は、司会ではなく「司式」を担当する時に使用するフレーズを思い出した。

 『涙は悲しい時にだけ流れ出るものではない。感情が極まった時に生まれ現れるもの。人が生きている、生かされている証し、輝き』

 そんなことからすると豊かな感情を持ち合わせた人は、自身で感動することも多く、それは、一方で他人を感動させることの出来る資質があることになる。

 これまで彼女が担当したお客様から頂戴したお言葉に、それらが凝縮されているが、溢れる涙を隣席で見る私も情に脆く、新郎新婦の前の席での光景が浮かんできて困っている。

 式場の総支配人は、私の友人。私が祝辞を担当するとなれば、彼から司会者への強いプレッシャーが与えられていると予想している。

 過去に男性社員の披露宴で、瀬戸内に面した美しい四国のホテルに行ったことがあるが、彼の実家が地元の有力者。地元の公私を代表する方々が出席され、町長の隣に座った私が立場上主賓ということで祝辞を述べたが、乾杯の後からが大変。

 「何者ですか?」

 そんな言葉を頂戴しながらお酒を勧められ、夫婦共々困惑したのも懐かしい。

 はっきり言って、私は、トークのプロである。これまで多くの披露宴でスピーチを担当したが、最も驚かれるのは司会の方。スピーチを終えた司会者を見ると、真っ青になっていた姿を何度も目にした。

 過去に書いたが、春に行われたある披露宴がお開きになった時、「ギャラを出すから秋の娘の披露宴に、新婦の父の友人ということで出席願えないか」という、とんでもないお願いをされ、親戚のおじさんとおばさん達に取り囲まれた時は参った。

 私は、役者ではない。伝達出来る言葉というものは内面から生まれ出るもの。披露宴で「おめでとう」と言うことは心から祝福する人がするべきもの。

 葬儀も婚礼も義理的立場の方が多く集まる歴史があるが、最近、これらの人が無駄な存在であることに気付かれた方が増え、中身の充実した「本義」が問われることになってきていることは望ましいこと。

 可愛い女性スタッフの花嫁姿を想像しながら、心から「おめでとう」と伝わるスピーチを考えなければならないと思っている。

2003/04/26   九州にて   NO 410

 最近、遠方へ出掛けると必ず大雨。おまけに強風に霧まで遭遇するダブルパンチ。これで4回連続。東京、静岡、長野の次もそうだった。

 九州まで往復で1440キロ。土砂降り暴風の中、日付が変わって帰阪した。

 帰路、九州自動車道の八幡付近での大きな事故。その影響でストップした時間が長く、やっと流れ出したら関門海峡大橋で視界50メートル以下という霧。まあ、疲れたが無事故で帰って来たのだから感謝をしよう。

 往路の大雨でホテルに到着したのが予想外に遅れ、午後9時前。気を利かせてくれたメンバーが和食のレストランに無理なお願いをしてくれ、オーダーストップを遅らせる対応してくださったホテル側の配慮が有り難く嬉しかった。

 私は、19歳の時に名神高速道路で居眠り運転の大事故を起こし、奇跡的に生還したという過去があるが、そのお陰で半年に1回ぐらい首と腰にどうにもならない痛みが訪れる。

 病院に1ヶ月通っても治らず、辛い日々を過ごしていた時、たまたま仕事で出掛けた九州のホテルで遭遇した整体師さんが、それから私にとって素晴らしい神様みたいな人が存在になっており、今回も無理をお願いしてお世話になった。

 行きの道中は痛くて辛いが、往路は嘘のように治癒して帰ることが出来る。これこそ体験された人にしか理解出来ないだろうが、この先生の指先はまさに神業。何処を指圧していただいても痛いと思うことがなく、<そこ、気持ちいい。それ最高>の連続。

 そして最後に首の治療を受けるのだが、終わった瞬間に苦痛が消え去る。

 今回は、「少しきついようで、もう1泊されたら完璧なのですがね」とおっしゃらたが、今回はどうしても日程が無理で、後ろ髪を引かれる思いでホテルを出発した。

 むち打ち症というのは本当に辛いもの。首の痛さが後頭部を襲い、字を書く気力さえ失ってしまう強烈なもの。時間を見つけたら再度治療をお願いしようと思っている。

 さて、私に深いつながりのあるメンバー葬儀社を訪問し、司会の研修会を行ってきた。

 弊社で2年間修行をされた娘さんもおられ、随分上達をされたようだが、よい素質を持った若手が数人いたのも心強い。

この研修がヒントになり、明日から生かすことになればと願っているが、勉強したからうまくなるのではなく、「上達したい」との思いが生まれ、自身が努力するから成長するもの。研修で与えられたヒントで上達への近道となれば幸いである。

 そんな九州にも、来春、博多から先に新幹線がつながり、特急の名称が「つばめ」と決定されたそうだが、また、時間短縮が可能となり、行く機会が増えることになるだろう。

 今回宿泊したホテルの前に立派な文化ホールがあり、そこで何度か社葬の司会を担当したこともあるが、このホテルで行われた大規模なフルコース「偲ぶ会」の当日、予想もしなかったハプニングがあったことも懐かしく、これについてもいつか書いてみたいと思っている。

2003/04/24   音 楽    NO 409

 私の自宅からメモリアルサービスの事務所まで、最短コースを歩けば丁度1000歩あり、健康のためにと重いバッグを肩にして歩いている。

 もう少し歩こうと思った時は別のコースで、1500歩の距離となる。

 1500歩のコースは、その半分が商店街。知人が多く、途中で何人も挨拶をしなければならないが、夏と冬には有り難い通勤路で、空腹の帰路は、途中で寄り道をしてしまうことも少なくない。

 事務所に入り机に座ると、報告書が置かれてあった。これは、過日に上述の商店街に完成した小さな公園の完成記念イベントの請求書で、弊社が設営担当した内容明細が記載されてあった。

 当日の雨を予測して設営したテントだけを実費で請求し、音響設備など付随するすべてがサービスと表記されていた。

 このイベントには30人ぐらいのブラスバンドの出演もあり、多くの参加者があったようだが、私は、女性スタッフの要請で、隠れ家で約1時間を費やすことになった。

 「イベント会場のBGMは、如何いたしましょうか?」

 打ち合わせに参上した彼女がそんなことを確認したそうだが、相手様は、「音楽は社長の専門。すべてお任せ」ということでこうなった。

 こんな時、私の秘密兵器が役に立つ。「これとあれ」、それですべてが解決することになる。

 費やした1時間は、担当女性スタッフに「こんな音楽の存在がある」ということを教えること。彼女は、初めて耳にする音楽を耳にしながら、「面白いものがあるのですね」と返してきた。

 こんな場合のBGMで大切に考えることは、ブラスバンドを生かせる配慮。そんなことをレクチャーしながら選曲についの薀蓄を並べた。

 さて当日だが、生憎の雨。朝から急遽、テントを増設することになったが、何とか間に合った。

楽器に雨は最大の敵。奏者達に差支えがなかったように祈念するばかりであった。

私は音楽をこよなく愛している。ギター、ピアノ、ハモンドオルガンにも挑戦したことがあるが、最も自慢できるのはハーモニカ。めったに演奏することはないが、郷愁というべき独特の音色が気に入っている。

多くのクラシックコンサートにも出掛けたが、素晴らしい本物の音楽家達との出会いもあった。

本物の奏者が精魂込めて楽器に取り組む時、楽器がドレスアップをしたように光り輝き、幸せそうな表情を見せる。私は、そんな情景に至福を覚える。

私の音楽に対する思いは、葬儀演出音楽であるオリジナルCD「慈曲」の制作にまで進んでしまった。それは、道楽的に始めた行動であったかも知れないが、今、社会で高い評価を頂戴しているのだから、人生の証しを残せたように思っている。

2003/04/23   若葉マーク    NO 408

 <どの程度、成長したかな?> そんな確認の思いも込め、今日の葬儀で女性スタッフに4分10秒のナレーションを担当させてみた。

 創作した原稿は、私がナレーターをつとめる際の3分50秒バージョン。まだ若葉マークの彼女には20秒の余裕を与え、ゆっくりと担当するように命じた。

 導師が引導を終えられる。そこで音楽が流れ、私の短いナレーションに続いて彼女がマイクを握る。

 今日の導師は私と30年来のえにしがあり、打ち合わせ時に事情を説明してお願いしていた。

 音楽の旋律の頃合に合わせ、彼女のナレーターが始まった。第一声に託した声の容量が大き過ぎる。これでは肺活量の活用にあって、限度を超えなければ抑揚が生かされない。

 彼女も、一瞬<しまった>と感じていた筈。私がすぐにアンプの音量調整で対処し、発生を援助する行動を取った。

 一生懸命にナレーターを務める彼女。音量調整で発生レベルが楽になったようで、そこからはゆっくりとした「語り掛け」に変化してきたが、すこしゆっくり過ぎる。

 4分10秒の予定が4分25秒で結びとなった。

 隠れ家で指導している時に80点を与えることが出来ても、本番となると60点に落ちてしまう。これは若葉マークでは仕方がないことだが、これでも大阪の葬祭業界の司会者ではトップランクの部類に入ると自負している。それだけ、弊社の司会のレベルは高いのである。

 彼女の泣きどころである「京都女性」のイントネーションは、自分で意識しながら徐々に改善されてきているが、ここだというところで出てしまう。

 しかし、マンツーマンで後一ヶ月も教育すれば見違えるようになるだろう。

 今、彼女は自宅に帰ってからも練習しているようで、研修の度に成長していることは確か。いよいよ今後が楽しみな存在になってきており、また「人<財>」が増えたことになり嬉しいところだ。

 そんな彼女が言った。「苦しい勉強をして少し近付いただろうと思って研修を受けると、また、高度なレベルを聞かされることになり、奥行きの深さがどこまであるのだろうかと心細くなってきます」

 「やりたい、挑戦する。追い着き、追い越せ」その思いがなければ本物のプロの域への到達は不可能。もうすぐ若葉の季節を迎えるが、若葉マークを外せるところまで成長したと思っている。

 今、私が待ち焦がれているのは、彼女のナレーションに春のさわやかな風が乗っかってくれるようになって欲しいこと。

 季節は春。花々が彼女の成長に合わせて咲き誇ってくれる日の近いことを感じている。

 頑張れ、若葉マーク。

2003/04/22   パーティーから   NO 407

 昨日、パーティーの帰路、出席されていたあるホテルの総支配人さんに声を掛けられた。

 彼は、今から4年前ぐらいに私をホテルに呼ばれ、各サービス部門の責任者を集められてホテル葬サービスの講義したこと経緯がある。

 「あの時、ご指導いただいたことをすぐに始めていればと後悔しています。こんなに早くホテル葬サービスの時代がやって来るとは思わなかったのです。完全に出遅れただけではなく、今の経営観念で進めているホテル葬サービスの質は低く、お客様の評判が良くないのです。トップの意識改革さえ出来れば一挙に勝ち組になれるのに」

 それは、いかにも残念そうな表情を見せられる嘆きというものであった。

 今、ホテルを会場とする社葬、偲ぶ会、お別れ会が潮流となっているし、バンケットルームを有する全国のホテルが、そのパンフレットを用意されている時代を迎えている。

 一方で、ご遺体を受け入れて通夜と葬儀を行われたホテルも数件あり、これらは、今後に確実に増加するだろうし、葬祭式場のホテル化とホテルの葬祭式場化に拍車が掛かるだろう。

 私がこれらを予測したのは16年前。葬祭業界団体の講演で発言した時は嘲笑を受け、狂人扱いされたことも懐かしいが、確実な裏付けで構築を始めたオリジナルサービスシステムは、登録商標という知的財産となって認識されるようになってきた。

 この間、多くの方々との出会いがあった。オリジナルCDの制作に尽力くださった女性音楽家の存在が大きいが、音響、映像、舞台監督、クリエーター、デザイナーなど、それぞれの分野に於ける本物のプロとの出会いが何より「財産」で、いよいよ交流が深まってきていることを嬉しく思っている。

 そんな出会いの中で、超一流ホテルに勤務されていたベテランホテルマンとの出会いは衝撃であり、昨夜のパーティーは、彼の勇退パーティーであった。

彼は、サービス業としての認識が成されていない葬祭業界の状況を指摘され、ホテル業界と葬祭業界の将来にあって意見が一致し、熱く語り合った中での意識改革に、私が現在に至ることが出来たと感謝を申し上げる。

 そんな彼が、ご自身の仕事から勇退されることになった背景には、数年前にお父様を亡くされ、今、お母様の介護という大切な責務が重なっているからで、心から残念という気がしてならない。

しかし、彼の人徳に生まれた素晴らしい方々との交流は、私にとっても貴重な体験につながることになり、私に出来ることがあれば可能な限りの協力を惜しまないつもりである。

ホテル関係者が大勢おられたパーティー。ホテル葬を話題にする人達も多く、私のところへ来られて質問された方も少なくなかったが、私が彼らに発言した次の言葉には衝撃を受けておられたようだ。
 
 「現在のドライブスルー形式のホテル社葬は、確実に社葬を消滅させて行く方向に向かっている。早い内に方向修正をしなければホテル業界は、必ず後悔することになる」

2003/04/21   有為転変    NO 406

 「メモリアルサービスの事務所に来てください」
 そんな電話が女性スタッフからあって事務所に行くと、マイクロバスを一回り小さくしたようなワゴン車が停まっていた。

 招かれて車の中に入ると、それは、最新型のコピー機のデモンストレーションが行われる設備が備えられてあり、すでに数人の弊社のスタッフが入っていた。

 故人の人生表現を「かたち」として表したいとの思いから、今、様々なオリジナルサービスを始めているが、致命的な欠陥として理解されたことが時間との戦い。これまで、何度、深夜に至る作業を強いられたことだろうか。

 それらの一挙解決、それが今日のデモンストレーションに至った訳である。

 弊社のスタッフの中では、4人がパソコン技術に長けている。私は、ただ文字を打ち込むだけしか出来ないが、彼女達は豊かな感性で素晴らしい作品を創作してくれる。

 しかし、プリンターの機能が泣きどころで、最新のシステムを導入する時期を迎えたと認識している。

 IT技術の革新は著しい。バスの中で拝見したシステムには驚く機能が組み込まれていた。OA機器の増加で事務所のスペースに物理的問題が生じる対策に、資料が記憶収納されるシステムが内臓されており、必要な時にボタン一つで取り出せるというアイデアには拍手したい気持ちになった。

 「そんなの、あたりまえですよ」

 女性スタッフが私にそう言ったが、こんなシステムに弱い私にとっては驚きの世界。いよいよ着いて行けない時代になってきたようで、取り残されるような一抹の寂しさを覚えている。

 さて、夕刻からホテルに出掛けた。私の大切な方の勇退パーティー。多くのホテル関係者が集われるている。この日のために遠方から出席された方も少なくない。

 懐かしい方々の顔もあった。入り口のところで知人と話をしていると奥の方で手を振ってくださる方がいる。すぐに伺い、昨年にテレビのニュースで見た光景を話すと、にっこりとされた。

 彼は、ある著名なホテルの総支配人で、この会の発起人のお一人。何度かゴルフをご一緒したが、そんな彼がサッカーのベッカム選手と握手をされている光景をテレビで見たからである。

 彼と私の会話で共通したこと。それは、サッカーがあれほど国際的なスポーツであったことを知らなかったこと。「お陰でよい宣伝になりました」と言われた彼の言葉には真実味があった。

 我々が励ましを申し上げる今日の主人公。私は、彼の引き際に男の「美学」を感じ、見事な勇退であると思っている。

 これまでに何度かゴルフもご一緒させていただいたが、何処のゴルフ場に行っても誰か知人と遭遇されたり、ゴルフ場の重職にある方が挨拶に見えられる。それだけ人望と人脈のあるパワーがあられたのだが、「これから第二の人生を」と真剣に考えられた結果であり、同年代にある私のこれからの人生観に大きな影響を与えられたことも確かだ。

2003/04/20   育ち、そして明日へ   NO 405

 最近、事前相談が多くなってきている。これらは、全国に点在する日本トータライフ協会のメンバー企業も同じで、研修会や会合での話し合いの中で必ず登場する話題の一つでもある。

 事前相談に来られる方には様々なケースがあるが、ご本人が来られる以外は不安感があることを理解し、この日から何をするべきかということを相談することが最も重要なことと考えている。

 我々はプロである。朝に突然のお電話を頂戴し、その日の通夜で1000人の弔問者を迎える態勢を整えることも可能であるが、事前相談をさせていただくことは、ご遺族と我々両者にプラスが生まれ、大切な終焉の儀式での心残りが少なくなることは確かだ。

 女性スタッフと話をしている時、そんな事前相談に対する新しい企画の発想が生まれてきた。

 それは、誰でも理解し易いという利便性に着目したアイデアで、来社された方、そしてご家庭に持ち帰られる形式の2種類のビデオ映像を創作すること。

 パンフレットの文字や相談担当者の言葉よりも確実な伝達が可能となる手段ではあるが、抵抗感なくご家庭で見られるというレベルであれば、きっと歓迎されるものと確信している。

 取り敢えずは絵コンテから始めるが、何より嬉しいことは、私の隠れ家で制作のすべてが実現可能なこと。

 プロの世界に外注すれば、おそらく数百万円の経費を要するだろうが、今、弊社のスタッフ達が育っており、映像、画像、音楽、シナリオなどへの対応は、それぞれのスタッフが尽力すれば実現できるもの。

 しかし、ひとつだけ問題が残っている。それは、ナレーター。私が担当すれば簡単だが、それではどうも新鮮味が欠ける。絶対にこのキャスティングは女性のホスピタリティイメージに託したいもの。

 そこで白羽の矢でキャスティングしたのが弊社の「ミス ホスピタリティ」。

 これから時間を見つけては、アナウンスとナレーターの研修を徹底して指導したいと思っている。
 
 彼女は、この1ヶ月だけでも見違えるように上達した。自宅に帰っての長時間の練習努力が実を結んでいるようで、その結果を見せてくれた今日の姿に、私は少し「うるうる」きてしまったが、それは、<この女性だったらやれる>と確信した瞬間でもあった。

 それぞれのスタッフがそれぞれの技術を進歩させつつある。これは、経営者として嬉しいことだが、彼らが提供する業務で頂戴するお客様の「有り難う」のお言葉、それは、彼らを育てる際の最高の励みであり、これまでお言葉をくださった皆様に心から感謝を申し上げている。

2003/04/19   女性スタッフの挑戦    NO 404

 今、弊社の若いスタッフ達に司会を指導している。本格的に始めたのは今年になってからだが、現在、彼らは、もう、大阪の他社の葬儀司会者のレベルを超えるレベルに達している。

 これらは、葬儀の司会に対する他社の意識の低さがあるだろうが、今後、いよいよ司会の重要性が認識されてくると確信している。

 そんな中、一人の女性スタッフが思いを綴ったプリントを提出してきたので紹介する。

 ・・・・・・・

 少し前まで、私は、葬儀の司会なんて練習すれば出来ると思っていました。しかし、隠れ家で司会やナレーションの練習を本格的に始めてから、その考えが誤りで、衝撃的に崩れてしまいました。

 入社後、すぐに、「新聞を100回、声を出して読みなさい」と言われたことがありましたが、最近になって、ようやくその目的の意味が分かってきたのです。

 発声の仕方やトーンだけでも、同じ言葉を幾通りにも変化させるもの。それに気付いてから「簡単ではない」と思い直しました。でも、私は京都生まれ。どう頑張っても独特の発音となってしまい、社長から最初に指摘されていたことを実感することになりました。

「日常の言葉遣いに気を付けなさい」
 社長から何度か言われたこの言葉。それが、思わぬところで出てくるのです。

 録音した自分の声を聴いてみる。正直、耳を塞ぎたくなりながら「試練」と思って挑戦していますが、まだ恥ずかしい気持ちが勝っているようです。

 でも、先輩達が通られた道。素晴らしい目標となる先輩のようになりたいとの思いを抱きながら、自身のテープを聴いています。

 そこで、気付いたことがふたつありました。自分の言葉に間違いなく「京都訛り」があることと、全国から来られた先輩達がどれだけ勉強されて方言を払拭されたかということです。

 練習を重ねる度に感じる司会の世界の奥深さに戸惑い、出口の遠いことだけを知る。

 日本一の葬儀司会者の声を身近で聴き、自然に入力できるという恵まれた環境にありながらと、焦る気持ちもあるのです。

 言葉で人を感動させることの出来る日本でただ一人の葬儀「司式者」に、どうしたら近づけるのか。今、私は、弊社が担当させていただいた社葬やホテル葬の記録ビデオを何度も見て、そのレベルの高さに圧倒されていますが、こんな世界に到達したいとの思いは強く、高いハードルを越えて、お客様にお喜びいただける司会者になりたいと願っています。

 「人間、先ずは思い込み。そこから発展すれば何でも出来る」
 そんな言葉を耳にしたことがありますが、早く第一線に出られるように頑張ります。

 私は、この会社で、司会だけで故人の最期の儀式が大きく変わってしまうことを学び、それらが遺された方々に大きな影響を与えることになることも知りました。

 昨日も、神戸の司会者さんが来られていましたが、共に受講し、その奥深さに改めて遣り甲斐を感じたことだけは確かです。

2003/04/18   司会者の研修     NO 403

 神戸の若いメンバーが隠れ家にやって来たのは、午前10時。いささか緊張している様子を感じたが、これまでに北海道や大阪の研修会でも顔を合わせており、弊社のスタッフ達と和やかに挨拶を交わしていた。

 研修を始める前に確認したことがあった。それは、自分が在職している会社に対する思いで、「葬祭業が好きです。公詢社を愛しています。骨を埋める覚悟で働いています」と断言された姿勢に、経営者の立場としてエールを贈ることとなった。

 声質、品、技術、創作力、表現力、環境洞察力などを含め、司会だけではなく、プロデュースに於ける国語と社会の一般的常識の重要性を説き、基礎の部分から研修を始めていったが、私が編み出したオリジナルなカリキュラムをベースに進める中、やはり関西特有のイントネーションという問題にぶつかった。

 そこで修正する方法として、五線紙上の音符をイメージする手法を伝えたので解決するだろう。

 途中で女性スタッフ2人が入り、互いのナレーションの比較も行ったが、こんな時に生まれる緊張も貴重な研修体験という材料になる。

 「司会は好きか?」と訊ねると、「大好きです。うまくなりたいのです」と目を輝かせる。

 司会の勉強で最も単純明快な近道は、自身が憧れる喋りを参考にして真似ること。テープやビデオで何十回も聴いていると、勝手にイントネーションやムードまで似て来るもの。耳からだけの自然入力で60パーセントぐらいまでの進歩が可能。

 それに併行して様々な文章を声で実際に語ること。そして時折に修正のチェックを受けること。その努力さえすれば耳障りな口調が消えている筈。

 彼は、私が司会を担当していたホテル社葬の音声を持っている。それを「お題目」にしてくれれば半年後には見違えるような進化を遂げるだろう。

 「謙虚になりなさい。今日から出発です。0点から始めなさい」

 そんな偉そうなことを言ってしまったが、10種類ぐらいの喋りの変化を聞かせると誰でも混乱を来すもの。しかし、それらが数日で頭のどこかで甦ってくる。その時がステップアップの機会でもある。

 「壁にぶつかったらやって来なさい。成長したと思ったらやって来なさい」

 その言葉で見送ったが、彼は、帰社報告できっと困っている筈。勉強したことが逃げ出さないように心の扉を閉め切っている状況。それらを整理して報告することは簡単ではない。これらは体験したものだけが理解出来るもの。

 「うまく表現出来ないのですが、一回、研修を受けてきてください」

 彼は、ひょっとして、社長にそんな報告をして叱られているかも知れないが、次回にやってくる時のことを楽しみにしている。

2003/04/17   即興ナレーション   NO 402

 朝から、あるお寺で葬儀が行われていた。

 このお寺は私が懇意にさせていただいているところから、葬儀の始まる10分前頃に行った。

 本堂に設けられた祭壇は、花祭壇。故人がお好きだったという花ばかりが使用され、中でもお柩の回りを取り囲む向日葵の花が印象的であった。

 10人足らずのご遺族が着席され、10数人の会葬者が来られていたが、1才ぐらいと3才ぐらいのお2人の曾孫さんの存在が、何か式場をあたたかく感じさせてくれている。

 故人の尊寿は96歳。私の年齢からすると、まだ40年も生きなければならない。もし生きたとして、その時の自分の葬儀光景を思い浮かべると、自然に司会を担当させていただこうという思いに駆られ、マイクを握った。

 すぐに導師が入場され、葬儀式が始まった。引導作法が終えられるまで10数分ある。

そこで担当者から手渡された故人の情報に目を通し、お経を拝聴しながら約4分間の即興形式のナレーションを創作することにした。

故人のご遺志で家族葬というところから、故人に関する情報は極めて少なく、草稿の8割は思いつきで、愛、命、感謝、人生というテーマを中心に組み上げてみた。

外は春の香りが漂っている。行く前に見た車載の温度計は23度であったが、これだけでも1分バージョンのナレーションが創作可能で、詩の創作にあって日本の四季の存在は非常に有り難いもの。

 1時間のナレーションでも簡単に創作可能だが、私がいつも配慮しているのは、目で見る文字と耳で聞く言葉のイメージの差異。どうしても耳で感じることが難しい場合には、その言葉が浮き上がるように前後に修飾語を用いることも仕方がない。

 さて、葬儀が行われているお寺の本堂の中。導師の引導が終わりナレーションとなったが、何より時間の余裕がある。その上に参列者が少ないということは、それぞれの方の表情を見ることも可能であり、今日は、「この言葉には、こんな表情を見せられるかの」という、私にとって、また貴重な葬祭心理学の研究に役立つ発見につながった。

 「人間、死ぬまで勉強」という言葉があるが、まだまだ学ばなければならないことが多く、今しばらく生かせていただきたいなと願っている。

 そんな中、明日、私の隠れ家にお客様を迎える。過日に会食を行った際、神戸のメンバー企業の社長と約束を交わしたことの実現。司会者に対する高等技術のマンツーマン研修の日となっている。

 来社される人物は若手で、かなりの実力を持っているとも伺っているが、私のマンツーマン教育の手法は変わっている。これは、体験した人にしか理解出来ないものだが、確実に意識変化が生まれる筈。

 いつも、まずは「分解」から始めるが、この部分で全員が自信を喪失するのもシナリオ。さて、明日の彼は、どんな吸収力を持っておられるのだろうか。奥義と裏技まで進むことになればと思っている。

2003/04/16   ホテル葬の弊害    NO 401

 毎日のように全国でホテル葬が行われている。社葬、偲ぶ会、お別れ会など、それぞれの形式呼称は異なるが、その大半が無宗教形式で「食事」という「おもてなし」が中心となっている。

 「当ホテルは、宗教者は『お断わり』になっています」「当ホテルでは、儀式的なことは一切いたしません」

 そんなことを売り物にしている低次元なホテルも多いが、それらを体験されたお客様から生まれている声を耳にされたらきっと衝撃を受けるだろう。

 ある社葬の打ち合わせを行ってきた。会議に参加された多くの役員さん達は、これまでに全国のホテル社葬への参列体験をされており、全員が「あれはおかしい」「故人に失礼だ」「社葬の意義がない」「後日に遺族の怒りの声を聞いたことがある」とのご意見で共通していた。

 私は、そんなお言葉に応えて「立礼者である遺族が晒し者。その前で立食パーティーをされている光景は滑稽で悲劇であり喜劇である」と申し上げた。

 この会社の方は、過去に弊社が担当させていただいたホテル社葬に参列されておられたそうで、私に強く求められてこられたことは「社葬の意義」。全面的にプロデュースを担当して欲しいと言うことだったが、司会は私という絶対条件を付言されてしまった。

 「かしこまりました」と即答申し上げたが、続いて、この社葬に「やりがい」があると嬉しく思うご発言があった。

 伺ってみると、故人にはお子様がおられず、ご伴侶のお悲しみが非常に強いそうで、奥様を気遣う会社の姿勢を表現して欲しいとおっしゃられた。

 これは、私がプロデュースする場合のシナリオに必ず組み込むコンセプトでもあり、過去にご体験くださった時のシナリオ構成に感動したと言われたことが嬉しかった。

 一方で、全国的な団体の役員のホテル社葬に際し、アドバイスを求められた。悲しみの遺族の存在へは全く配慮なく、参列者の接待だけを重視した形式で、費用の上限はないという信じられないものだった。

 故人は、世間で言われる「天下り」。会社側には「かたち」だけの社葬ということだが、それはホテル側の提案で進められ、入り口で花を受け取った参列者が祭壇前で献花し、そのまま立食会場へ流れるパターン。

 飾られたご遺影と遺族の存在を考えると怒りが込み上げてきたが、相談を依頼された方もその思いが強く、妙案はないかと来られたのである。

 施主である会社の社員を活用させる姿勢もなく、接待スタッフや受付担当の女性すべてがコンパニオン。「必要なら100名でも入れろ」とは恐れ入った。

 そんな社葬に参列された方は、いったいどのような印象を抱くのだろうか。こんな社葬ならしない方がまし。そんな考え方が潮流となって、近い将来、必ず社葬は消滅する筈。

 私は、こんな考え方の社葬のプロデュースはお断わりしている。プロは笑われることに手を出さないもの。「創業者を社員全員がお送りする」、そんな社葬なら知恵というソフトを駆使して構築するし、それこそプロの冥利に尽きること。

 最近、「お笑い」というホテル社葬が流行しているが、これは、本当に喜劇であり悲劇でもあるのだ。

2003/04/15   プロの奥義   NO 400

 駄文の列記で400号となった。そんな記念に素晴らしいプロの存在について書いてみたい。

 私のブレーンの中に女性の音楽家がいる。私がプロデュースと司会を担当する葬儀では、彼女なくしてキャスティングが成り立たない。

 シナリオの細部に亘る打ち合わせでも、3時間も掛かる世界が10分ほどで済む。こんな便利で貴重な存在は日本中を探してもいないと思っている。

 本番前にどうしても挿入したい曲を思いつくこともあるが、それでも瞬時にレクイエムに編曲して見事に演奏してくれる。

 彼女の演奏は、会場空間を儀式空間に神変させる不思議なパワーがあり、体感された方々が「感動した」と言われる。

 私が彼女に対して何より安心感を抱いていることは、ハプニングに対する対応が完璧という実力を備えているからだ。

 それらは、弔辞のBGMでも多く感じる。思ったよりも短い方、長い方があるが、その両者に対して転調、編曲で調整してくれ、必ずエンディングで見事に合わせ、ご自席に着席される時まで引っ張ってくれる。

 曲の終盤を迎えてしまっても、エンディング部分を全く抵抗感が生まれないような手法で演奏を続け、そこで耳にする旋律は、作曲と言っても過言ではないだろう。

 私の人生で彼女との出会いは、神仏が結んでくださった「えにし」だと信じている。葬儀演出音楽で話題となったオリジナルCD「慈曲」の誕生は、彼女との出逢いがなければ不可能であったし、私が発案して全国で流行しているオリジナル「奉儀」も、慈曲にある「愛惜の花達」が流れてこそ意義と雰囲気が倍加する。

 彼女は、今、アコーディオンに於けるインターネットの世界で超有名人。そんな彼女が私と一緒に葬儀音楽の仕事をしている。

 これまでに感じた思いの中で、「彼女は、葬儀の本義を知っている」という分析がある。儀式、礼節、悲しみ、癒しなど、私のシナリオで重視するポイントのすべてを理解してくれる素晴らしいパートナー。

 彼女の音楽に送られる故人は、不幸な空間会場で、きっと幸せなひとときを過ごされただろうと確信している。

 そんな彼女が体調を崩されたと耳にした。5月にはインドの音楽祭に招待されているとも伺っているが、仏教の聖地であるインドでの体験は、また新たな音楽を生み出す機会となるように思っている。

 彼女の名は、「高橋三鈴さん」

 どうか、お身体をご自愛いただき、これからも素晴らしい音楽で悲しみのご遺族を癒してくださるように願っています。

2003/04/14   事前相談から   NO 399

 事務所に寄ると来客があり、女性スタッフが応対をしている。奥の机で原稿を作っていると会話が自然に聞こえてくる。

 来社された目的は、事前相談。「父の様態が芳しくなく」ということで「?デー」に備えての心構えなどが交わされている。

 ふと、お父さんのお名前が耳に入った。一瞬、「まさか」と思って、失礼ながら話の中に割り込んでしまった。

 「やはり」、私が10年ほど前まで懇意にしていただいた方である。お父さんはゴルフでよくご一緒くださった方。ご自身の人生哲学が素晴らしく、誰もが知る紳士的なゴルファーであった。

 三井の森、奄美大島、神戸ゴルフ倶楽部など、共にラウンドした時のお姿が鮮やかに甦ってくるが、フィージー島がお気に入りで、晩年をフィージー島で過ごされていたと聞いていた。

 娘様を亡くされたご不幸や、お母様のご葬儀を担当させていただいたが、今度は、ご本人のご終焉の儀式を担当することになる。ご存命中にお見舞いに参上したいところだが、私の職業のことを考えると難しく、辛い思いを抱いている。

 10数年前、私がハンディキャップ「9」になった時、シングル記念パーティーの発起人になってくださり、驚くほどの方々がご参集くださったのもこの方のご人望。その時にいただいた立派な記念の盾は、今も私の自宅に飾ってある。

 ある年の年末のことだった。お誘いいただき、お父さんのホームコースへご一緒した。参加賞は鰤が1匹。抽選で自動車が当たるというユニークなコンペでダブルペリアの競技、ハンディキャップに恵まれた私が優勝という結果になった。

 飛び賞などすべての表彰が終わった後、私の名前が呼ばれ、前に出て行った。

 机の上に抽選箱が置かれ、中に参加者数の番号札が入っている。札を一枚選ぶのが優勝者の仕事。その番号の順位の方に自動車が当たるのだ。車は、確かマツダのカペラだったと記憶している。

 ファンファーレがなった。会場が静まり返る。私は、一瞬<自分の札である@を引いてしまったらどうする?>と思った。

 司会者の「どうぞ」の掛け声で手を入れ、すぐに1枚の札を引いた。確か130番台だったと思うが、その方の顔がこわばっておられたのが印象に残っている。

 「何かひとこと」とコメントを求められたその人物。「信じられん。夢見たい」と言われて私と握手をした。

 その帰路、私が運転する車の中でお父さんがおっしゃった。

 「久世さん、実は、私の乗っているカペラ、このコンペで数年前に当たったのですよ」

 お父さん、あなたは模範となる素晴らしいゴルファーでした。この数年、私は年に2回ぐらいしかゴルフに行けませんが、次に行った時、あなたとの思い出をいっぱい浮かべながらラウンドすることにします。思い出を有り難うございました。

2003/04/13   選  挙    NO 398

 仕事が終わったら、帰路に投票に行かなければならない。好天に恵まれた大阪、果たして投票率はどんな数字になるのだろうか。社会不況やイラク戦争などを背景に、有権者がどんな思いを抱いているのかのバロメーターになるだろう。

 さて、前にも書いたが、私は選挙で大嫌いなことが二つある。一つは当選が確定した時の「バンザイ」の光景で、「これで金儲けが出来る」というイメージが重なって仕方がないのである。

 もう一つは、ダルマの目に墨を入れること。告示日に隻眼に墨を入れ、当選確定で両目が開く。

 式典のプロとして様々な企画や演出に携わってきたが、上記の二つのことを行っている議員や選挙参謀の低次元さが滑稽でならないところ。

 プロとしてシナリオを描くなら、まずダルマは当選の暁に隻眼とする。そして、公約の実行という掲げた仕事を達成した時に両目を完成すると宣言させる。

 議員という仕事は、議員になった出発点より任期を終える終着点こそが重要。そこで振り返る自身の足跡にダルマの目の意味がある筈。

 私の友人の中にも何人かの議員がいるが、演説が「うまい」という人物は誰もいない。トーク術が素人なら構成するシナリオも素人。熱い思いを伝えるだけでは説得力が欠ける。   

最も低次元なタイプは絶叫型。聴衆を疲れさせては「口害」となる。爽やかな音楽をバックに語り掛け、「オヤスミ」いただく方が喜ばれる。

 多くの議員から応援演説を依頼されるが、これまでの人生で応えたのは1回だけ。それは私が就任していた職務の立場上で仕方のなかったこと。

 僭越なことを書いてしまうが、私は、応援演説をするべきではないと思っている。なぜなら、プロのトークは会場を掌握して引き込んでしまうもの。他の応援演説者だけではなく、当事者である候補者の点数をダウンさせてしまうからだ。

 過去にやった1回の時もそうだった。終わった後で、「あなたの後で喋るのが辛い」と候補者からこぼされた。

 間もなくイラク戦争の終結が予想されるが、テレビや新聞で伝えられる情報を見ていると、一市民として投票に行くことの出来る社会に手を合わせるべきだろうし、その合掌の姿の中に、戦争犠牲者への哀悼の心を併せたいと願っている。

 何かの本で印象に残っている言葉があった。確か、次のように書かれてあったと思う。

 『選挙への立候補は、羞恥心を捨てることが出来なければ無理なこと。なぜなら、自分を支持しない人が多くいることを知ることになるから』

2003/04/12   今晩は勉強会   NO 397

携帯電話は通じるのに、パソコンのAir−Hが通じない。そんなことが山の中の旅館で多く、これまでにも新幹線の駅から車で20分のところでも体験したが、昨日の旅館も国道のすぐ側なのに不思議な現象である。

 発信が出来ないということは、インターネットがつながらないということ。そのため、協会のメンバー掲示板や、メンバー達が発信しているコラムを覗くことも出来なかった。

 遅くに自宅に帰り、毎日訪問するそれぞれのコラムを開くと、中にとんでもないことを書いている人物がいた。

 過日のホテル社葬に応援スタッフを送ってくださった、神戸の株式会社 公詢社、吉田社長が発信されるコラム『あるがまま』で、私のことを日本一の司会者と紹介してくださっていた。

 神戸の公詢社と言えば、古い時代に政治家として著名だった江田三郎さんに深いゆかりのある会社。輝く歴史が着々と進展され、今や兵庫県や神戸で「社葬は公詢社」「ホテル葬は公詢社」というような代名詞となっている。

 公詢社さんにも素晴らしい司会者の存在がある。社葬の時に担当される女性司会者がなかなかの人物。両社のスタッフ交流やビデオ交換研修で互いがライバル意識を抱き、ステップアップの前進がいよいよ成果を挙げてきたようである。

 私は、過去のテレビ番組で「日本一の葬儀司会者」として何度か紹介されたことがあるが、全国の葬儀社を取材すると必ず「司会は大阪高級葬儀」という発言があるそうで、興味を抱いたプロデューサーやディレクターが多くやって来られた。

 グローバルな取材、悲嘆心理の研鑽、シナリオ創作、音楽演出、音響と照明の台本作りなど総合的にドラマを構成し、アナウンス、儀式調、カギカッコ、ナレーター、芝居、声質のトーン、神変テクニックを駆使したトーク技術を集約して会場を儀式空間として変化させる。

 「この空間は、普通の世界ではありません。聖域化された儀式空間であり。ご遺影への礼節とご遺族の慰めと癒しのひとときを重視し、厳粛で意義深い社葬を行う空間の完成を指針しているのです」

 そんなテクニックのいくつかを紹介した時のテレビクルーが面白い。「我々以上のドラマティックな技術が秘められたプロの奥義だ」と言ってくれたスタッフも少なくなかった。

 私の世界は体験された方にしか理解出来ないだろうが、一度でも体験されたら他社のレベルとの差異に衝撃を受けることは確かでしょう。

 そんな噂を耳にされた高名な司会者が、他流試合のようなつもりで挑戦にやって来られたことがあったが、3分ほどお話しただけで衝撃を受けてしまったことがあった。

 この時、私は技術については触れなかったが、宗教の異なりと死に対する捉え方の異なり理解が重要で、それによって表現を変える司会のコメントに致命的な恐ろしさがあることだけを教えた。

 そして、最後に言ったことが「司会者」から「司式者」への意識改革。その一部を実際に体感させることを行った時、彼は、真っ青になって「私は司会者でしか無理です」と正直に認められることになった。

 与えられたシナリオを進行する司会者では単なる進行係。シナリオ創作が可能となって初めて司会者。そこに音響、照明、音楽、スタッフキャスティングなどを総合プロデュース出来る立場になって本物と呼ばれる世界。

 今日の夜、神戸の公詢社さんとの交流会が行われる。5ヶ月も前からセッティングをやりとりしていたが、互いのスケジュールの調整がつかず、やっと今日の日に実現することになった。今晩の熱い論議が楽しみである。

2003/04/11   函館の思い出    NO 396

 出張先の旅館、パソコンの電波が発信出来ず、1日「休載」となってしまいました。

 この旅館の夕食の1品を懐かしくいただきながら、過去に行った函館での出来事が思い出されてきた。

 全国に出掛ける私は、それぞれの地で様々な体験をし、それらを纏めると1冊の本になるぐらいはあるだろう。 

 ある時、昼過ぎの便で札幌に行くことがあったが、どうしても私が担当しなければならない仕事が入り、それを済ませて伊丹空港に行ったのは夕方。

 1席ぐらいの空席はあるだろうと思っていたが、その日の札幌行きはすべて満席。おまけに空席待ちというのもびっくりするほど多かった。

 これはえらいこと。そこで今日の内に何とか北海道へと考え、ふと案内看板を見ると日本航空の函館便に空席があり、もうすぐ出発するではないか。

 <これだ>と思って飛び乗り函館へ。函館空港からタクシーで函館駅に急ぎ、札幌行きの特急「スーパー北斗」に間に合ったが、ここから3時間の列車の旅が辛かった。

 それから数ヵ月後、横浜のホテルで会議があり、その足で函館に飛ぶことになった。
 共に行ったのが熊本県の落合葬儀社の社長。室蘭市民斎場の藤井専務に突然の電話で申し訳なかったが、函館でのホテルの手配をお願いした。

 函館の宿泊は、湯の川温泉の和風高級旅館。立派な部屋でお茶を飲んでいると藤井専務が来られ、「これから食事に」と車で出掛けた。

 行った先は料理屋さん。板前として腕を振るってくれたのが懐かしい人物。彼は、北海道の料理人の有名人。ホテルや旅館の板前さんの世界では顔役。 

 懐かしいと言ったのは、彼とは仙台と札幌で会ったことがあるから。どちらも私の講演会場で、彼は、別の顔を持っていた。

 彼は、函館の葬儀社の社長でもある。仏縁があって葬儀社の社長にも就任したが、葬儀の勉強に師匠に選んだのが室蘭、苫小牧市民斎場の藤井専務。そのえにしで私とも知り合うことになった。

 落合社長と函館空港に着いた時、予想外の寒さに耐えられず、スーパーマーケットに飛び込んで下着を買ったのも懐かしい。

 さて、一流料理人である彼の作品と呼ぶべき料理は最高だった。何より私の好物ばかりを用意してくれていたので感激。そして、偏食のない落合社長は、これぞ北海道という料理の素晴らしさに感激していた。

 震えながら見た美しい函館の夜景と共に、私の心に残る素晴らしい函館の旅であった。

 明日は、神戸のメンバーと会食予定があるが、両者のスタッフ達の熱い論議が交わされることと期待している。

2003/04/09   声質の秘密    NO 395

 遠方で行われたお寺様での葬儀を終えた。

 還浄されたのは、ご住職の奥様。多くのご寺院や奥様方の参列があり、ご本堂での厳粛な儀式が行われた。

 境内が広く、大きな駐車スペースがあったが、その一画に動物が飼われている。数えてみると約60羽、鳥かごのようなケースのそれぞれにかわいいウサギが入っていた。

 多くの人々の出入りで落ち着かないウサギ。でも、その目には悲しさを感じているような雰囲気があった。

 本来、喪主をつとめられるべきご住職のご体調が不良で、娘さんが代行をされており、葬儀終了時の参列者への謝辞を私が代行することになった。

 僭越だが、このご宗派の葬儀に対する意義を朝からパソコンに打ち込み、いつでも変えられる態勢で式場に向かった。

 謝辞が終わって式場内でお別れが進められていた時、外に出た私に話し掛けられた女性があり、「さっきの謝辞、宗派のことを理解されていて素晴らしかったわ」と言われたので成功だったようだ。

 火葬場にも私が随行し、式場に戻ると上品な感じの女性がお言葉を掛けてくださった。

 「あなた、いい声していますね」

 その方は輪袈裟を身に着けておられたので、どうやら何処かのお寺様の奥様のようだ。

 私は、自身がよい声をしているとは思わない。マイクの使い方がプロであると思っている。角度や遠近に併せ、バスやトーンをその場その場で変えているし、五線紙で例えるなら、場面と情景によって「ド」や「ミ」という音声スタートの音階を変化させている。

 これらは、今、弊社のマイク担当者にも教育しているが、それぞれがその変化の面白さに興味を抱き、実際に録音して本人に聴かせると驚くほどの変化が生じていることが分かるもの。

 しかし、上述したことは「いいカッコ」の部分の話し。本当は音響システムに秘密がある。弊社では、どこの葬儀社でも使用しないような器材を使用している。

 ご導師のご読経や弔辞のお声を拾うマイクも放送局レベルのものを用意し、屋外で使用するスピーカーも室内専用のソフトな音質が出るように組まれている。

 葬儀での拡声装置は選挙演説ではない。遠くへ聴かせる必要はなく、近所迷惑も考えればソフトイメージが大切。こんなところにも「高級」という社名の意味が秘められている
のである。

 正直に暴露すると「いい声」というのは、そのように聞こえるように創られているのです。

2003/04/08   モラルの欠如    NO 394

 「母、**が亡くなりました。葬儀をお願いしたいので**病院に迎えに来てください」

 そんな悲痛な心情を伝える電話があった。それから10分ぐらいした頃、「檀家さんの**さんから電話がありましたか? 素晴らしいお婆ちゃんだったのでよろしくお願いします」というお寺様からのお電話も頂戴した。

 故人は、生前に何度かお会いしたことのあるお方。お寺様がおっしゃったように素晴らしい生き方をされ、大正生まれの女性らしさを感じる人望ある方だった。

 ご終焉を迎えられる前、病院のベッドで「お寺様によろしくね。葬儀は高級葬儀でね」と託されたそうで、スタッフがいつも以上に神経を遣ったのは言うまでもなかった。

 しかし、そんな背景を全く知らない病院出入りの葬祭業者さんが、とんでもないことをやらかしてくれ、大変なことになってしまった。

 医学の発展に寄与したいという故人の崇高なお考えで「病理解剖」となり、病院にお迎えに参上するまでの3時間ほどの間に、彼らは信じられない行動を始めていたのである。

 1人の営業社員がお寺に足を運び、「是非、当社で葬儀を」としつこいほど売り込みを行い、別働隊の社員は、数人でご自宅に押し掛け「お片付けをします」と勝手に上がり込み、病院にいる家族の誰かが葬儀の依頼をしているかのように振る舞っていた。

 ご自宅におられたご親戚のお1人が、「君達は何処の葬儀社で、誰の依頼でやってきたのですか?」と問い質すと、「病院で伺いまして」と答えたそうだが、「病院側が依頼をしたのですか? それとも当家の家族の誰かが頼んだのですか?」と確認すると、「失礼しました」と言って帰ってしまったという。

 この業者さんは、今、大阪で問題業者として知れ渡り、お寺さんの間でも有名になっている。今回のお寺様も、ひどいとは聞いていたが、こんなにひどいとはと、驚ろかれておられた。

 葬儀の打ち合わせに参上した責任者が、ご親戚の方から、「あんな業者を取り締まる機関はないのですか?」と相談されたが、経済産業省と消費者センターとだけお返し申し上げ、病院という言葉を出さなかったと言う。

 そんな彼の心情は、お婆ちゃんの崇高な精神が生まれた背景にあるであろう、お世話をくださった医療関係者への配慮があったからだが、病院関係者が知らない世界でとんでもないことが行われている実態だけは知るべきだと思っている。

 これらの問題は大阪だけでのことではない。日本トータライフ協会の掲示板や、仕入れ業者からも多くの事例を耳にし、全国の病院で発生しているようだ。

 葬儀を受注するための悪質な営業活動が激しくなってきているが、悲しみの遺族を二重に悲しませないという最低限度のモラルだけは考えて欲しいと願っている。

2003/04/07   葬送サービスのブランド    NO 393

 永年勤続してくれた社員が定年退職となり、送別会が行われた。1人ずつ感謝と送る言葉を贈ったが、涙ぐむ女性スタッフもいた。

 「2次会に行きましょう」と出掛けて行ったところはボウリング場。若いスタッフばかり8人ぐらいが参加したそうだ。

 それぞれの人生の一部を提供してくれ、在職という時間の経過が会社を成立させる。それぞれが樹木の年輪を刻むように社史に輝く道標となってくれることになる。辛苦を共に過ごした過去を振り返り、彼の心にあっただろう去就の思いを考えていた。

 朝、事務所に入るとスタッフ数人が遠方に出掛けている。お寺様のお身内にご不幸があられたそうで、明日と明後日は大変な業務予定となると覚悟している。

 さて、最近、弊社に困った問題が生じている。事前相談などのお問い合わせの大半が遠方。中に他府県の方も多く、そのすべてが弊社の葬儀をご体感された参列者で、日を改められて行われる本葬儀なら可能だが、お通夜のある葬儀は時間という物理的事情で難しい。

 そこで地元の「推薦できる業者を紹介して欲しい」ということになるのだが、日本トータライフ協会のメンバーが在する地域以外は不可能というのが現状。

全国葬祭業組合の名簿で紹介するのは可能だが、その葬儀社がどんなレベルのサービス提供をされているのか不明となれば責任は持てず、無責任なことは出来ないのが悩み。

 弊社は、北海道から九州まで全国各地の出張体験はあるが、すべてがホテルや文化ホールなどを式場とされる社葬が中心で、総合プロデュースと司会進行を求めて来られるケースばかりである。

 弊社が構築した「慈曲葬」は、登録されたブランドとして知的所有権に帰属しているが、ホテル葬などでご体感された参列者が地元の大手ホテルに「慈曲葬は出来ますか?」というお問い合わせをされた事例も増えてきた。

 はっきり言って「慈曲葬」に「かたち」はない。宗教に基く形式も無宗教形式もあり、すべてが取材から始まって構築していくもの。人生がすべて異なるなら葬儀も異なってあたり前。そんなニーズにお応えして考案されたオリジナルなサービスシステム。

 故人の人生、ご遺族の思い、企業理念などの取材がなければ不可能な葬送サービス。そこに「礼節」を重視し「儀式空間」を生み出すプロテクニックがソフト。そこには必然として「人」と「心」の信念が求められる。

 葬送サービスは、ホテルマン以上に「ホスピタリティ」が大切なプロの仕事。それこそすべての世界の「匠たち」のパワーを結集して完成する。

音楽、音響、照明、映像、シナリオ、司会、スタッフなど、今、弊社には様々なプロ達が互いの世界を熱く語り合う環境になってきた。その集大成が日本トータライフ協会の存在。

 ホテル葬は、「おもてなし」だけを売り物にするホテルには、絶対に不可能なサービスであると自負している。

2003/04/06   内緒話の『独り言』    NO 392

 夕方に東京を出発、渋谷から東名に向かったが、名古屋まで大雨と強風で神経を遣う運転となった。

 遠回りでも車の少ない関越、長野道、中央道をと考えていたが、インターネット道路情報を確認すると、一部でタイヤチェーンの装着が必要で通行止めの区間もあり、東名を下ってくることにした。

 もう一泊する予定であったが、私が司会を担当しなければならない葬儀が入っており、深夜の上京、深夜の帰阪という強行軍であった。

 さて、今日の式場の前に大きな公園があり、桜が満開。花見の方々が大勢来られ、中には焼肉パーティーをされているグループがあるようで、昼時の空腹に辛い香りが式場に流れてきていた。

 定刻で始め、定刻でご出棺となったが、瓜破斎場の入り口まで行くと、入場道路の両側に駐車スペースがないほど車が停められている。これ、また、ずべてが花見客。瓜破斎場の桜はなかなか見事な花を咲かせ、花見客の隠れた穴場となっている。

 桜の木の周りはお墓がいっぱい。中央の通路を次々に霊柩車が通る。そんなロケーションでの花見は、きっと諸行無常の理(ことわり)を知られることになったと思っている。

 『故人に人生を称えるかのように桜の花が咲き誇っています』

 『一輪一輪と散りゆく風情にもの悲しさを覚えます』

 『桜の花をご覧になられた時、故人のことを思い出してくだされば何よりお供養』

 そんな言葉をナレーションに散りばめたが、10人のお孫さんと2人の曾孫さんに見送られた90歳のお爺ちゃん。祭壇に飾られたご遺影が「有り難う」とおっしゃっておられるように見えた。

 今は、学校が春休み。小学校の制服を着られた孫さんが多かったが、もしも学校が始まっていたら来れないこともあった筈。それだけがご本人にとって大きな救いであったように思われてならないところ。

 過去に、「孫の受験があるので」と、葬儀を1日延期されたケースがあったが、人生には身内や他人の葬儀と、自身の行動予定を天秤にかけなければならないことも多いもの。そんな悩みに何度対応してきただろうか。

 どちらを選んでも後悔にならないこと、生涯の心残りにならないようにと願っている。

 さて、ここから「独り言」・・・内緒の「独り言」です。

 今日のお布施は高額であった。スタッフ達が驚愕していたが、ご遺族も強い抵抗感を抱かれておられたようだ。

納得の生まれる説得があれば高額も許されるだろうが、「これだけ用意してください」と言われたそうで、こんなケースの場合、葬儀社という中立の立場を貫くことは難しいもの。

葬儀の変革を求める社会の声、今日も、近い将来に必ずや訪れてしまう時代の変化を感じる葬儀でもあった。「宗教離れ」よりも「宗教者離れ」に重要な問題があるのでは?

2003/04/05   ホテルの部屋で   NO 391

 日付が変わって、時間は午前2時を回っている。

 昨日の葬儀を終え、夕方に車で大阪を発ち、やっと東京のホテルに着いてこの原稿を打っている。

 大阪から東京まで大雨。トラックの水しぶきを避けるため、名古屋から車の少ない中央道、環8を通って都内に入ったが、新宿から池袋間の地下鉄工事の影響で交通渋滞に遭遇し、思わぬ時間の消費をしてしまった。

 午前0時を過ぎても車の洪水。さすがに東京の副都心だが、長距離運転の疲れがピーク、改めて齢を感じる。 

さて、昨日の葬儀だが、桜の木が満開という式場だったが、桜を謳ったナレーションを創作し、女性スタッフにナレーターを任せたが、まあまあ合格点というところであった。

 導師入場の前を設定していたが、ご住職とは何十回とお会いしたことのあるお方。無理なお願いをして、導師の引導の後にナレーションの組み入れることを許していただくことになった。

 担当ナレーターが緊張しているが、目を見るとやる気満々。彼女の喋りやすいシナリオを創作し、いつもより短い4分35秒バージョンで担当させた。

 事務所に帰社すると、「ビデオの吹込みが溜まっています」と言われ、なんとか協力をしようと隠れ家に入ったが、最近、私の吹き込み時におかしな兆候が出てしまい困っている。   
ナレーターを始めてしばらくすると喉がくすぐったくなって、すぐにNGなってしまう。

 これらは緊張感の欠如が原因で、本番に強い私の泣きどころとなっている。

 とにかく薬を服用して風呂に入ろう。今日の天気予報はそのまま雨。こんな天候が大規模ホテルの強み。強風が吹くとの気象情報もあったが、外は嵐でも中は別世界。

 ホテルでの社葬が増えたのは、そんな環境の空間が歓迎されたことも大きい。

 3年ほど前の暑い時期に、社葬のプロデュースを担当しホテルを提案したが、施主側の会社の社長さんが抵抗感を抱かれていた。

 メリットとデメリットを分析した提案書が功を奏したのか、やっとホテルということになった。

 さて、当日、暑いだけではなく、スコールのような強烈な夕立が何度もあり、「君に感謝する」と喜ばれたことも懐かしい。

 時代は変わった。社葬はホテルがあたりまえになっている。社葬の通知状を受け取られた方々にも「ホテル会場」が歓迎されているようで、酷寒、酷暑の時期には、ホテルでない場合は得意先からクレームの電話もあるのだから驚く。

 ホテルでの社葬、偲ぶ会、お別れ会は確実に増えているし、今後ますます増加することは間違いないだろう。しかし、会場空間の提供と食事というおもてなしを売り物のしているホテルの凋落が始まっているのも確か。

 ホテルが謳うサービスの基本である「ホスピタリティ」は、ご遺影の存在に対する礼節と、悲しみの遺族への癒しと慰めこそに意味しているもの。

 私の構築した葬送ブランド「慈曲葬」は、この部分を重視したものであり、ご体感くださった方の「口コミ」という地味な広がりを感じ、今、一流と呼ばれるホテルに認識されるに至っている。

2003/04/03   明日に向かって   NO 390

 限られた日数で対応せざるを得なかった社葬を無事に終えた。印刷に関する部分では色校正も適わず、前日に配達されるという綱渡りとなり、時間という物理的な問題での心労が最も辛かったが、相手様の窓口になられた総務ご担当者が素晴らしい方。

お陰で上述のことが随分スムーズに運べることになったが、相手様は、もっとご苦労されておられたものと拝察申し上げる。

 ご祭壇の横にセッティングした司会台。後方サイドに音響のプロ達が数人入っている。私のすぐ後ろに3人の若手が立っている。女性ひとりを含む彼らは日本トータライフ協会の若手メンバー達。研修を兼ねて手伝いにきてくれた訳だが、本番中は、ハプニングが発生した場合の情報伝達を担当して貰い、インカム的な役割を担ってくれた。

 北海道、九州、四国から自主的にやってきてくれた若手達、今回の体感が今後に役立ってくれるように願って見送ったが、並川葬儀社、落合葬儀社、おかざき葬儀社さんの皆さんに感謝を申し上げる。

 会場内を動き回って行動してくれたのは、神戸の株式会社公詢社のみなさん。テキパキと記録部分の協力を担当してくださったが、社長自身も来られていたのを知ったのは、ご遺骨返還式が終わってから。

 吉田社長は、シンセサイザーのレクイエム編曲技術に興味を抱かれたようで、キャスティングに閃きもあったようだ。

 音響、照明、映像、生花会社など、今回の社葬に携わっていた人員は、弊社のスタッフを合わせると、2日間の延べで150人にもなっている。お客様の目に直接触れるスタッフは30人ぐらいとなるが、陰で支えているスタッフ達の存在がなければこんな規模の社葬は難しい。

 今回、担当責任者となったのは男性部長と女性主任のふたり。厳しい時間との戦いの中で神経をすり減らしていたのが痛ましいぐらいであったが、何軒も重なった他のお客様の葬儀を掛け持ちで担当してくれたことに感謝している。

 「社長は、キャスティングとシナリオ創作、そして司会だけに集中してください」

 そう言って「後は任せてください」という無言の姿勢には自信が漲っていた。

 ホテルへ持ち込んだ膨大な器材を撤収し、帰社してきたのは午後7時を回っていた。

 全員が足腰の痛さを訴えている。確かにホテルの絨毯の上を長時間行動すると疲れる。これは、私も何百回も体験していること。

 そんな時、部長の立場らしい言葉が発せられた。

 「明日の設営の準備だけをしておこう。明日のお客様が待っておられる」

 明日の式場には、立派な桜の木がある。きっと満開も近いことだろう。そんな中で葬送の儀式が執り行われる。また、ナレーションを創作しなければならないだろう。

2003/04/02   不思議な「えにし」   NO 389

 昨日、ホテルを会場とする大規模な社葬「告別献花式」の設営を済ませ、シナリオのキャスティングによるリハーサルを行ってきた。

 日本トータライフ協会の若手達が見学を兼ねて応援に駆けつけてくれ、弊社のスタッフ達が喜んでいた。

 私は、後を任せて、北海道から来ていた若いメンバーを伴い先に帰社、その後、彼を伴って私の友人である料理屋で食事をしながらシナリオの最終チェックをやっていた。

 彼が在する北海道の地は、札幌からの学園都市線終着駅の中間ぐらいにある。終着駅である「新十津川」駅の話をしていると料理屋のオヤジが、言葉を挿んだ。

 「亡くなった母親が新十津川の出身で、懐かしいことです」

 これは奇遇。たったこれだけで会話が弾む。

 続いて社葬のスケジュールを2人で話していると、今度は、料理屋の奥さんが不思議そうな顔をしながら私に質問をしてきた。

 今日の社葬は、ある会社の会長さんの無宗教形式による献花式だが、会長さんのお名前の「姓」に興味をいだかれたようで、「ご出身地は?」と訊ねられた。

 プロデュースを始める前に確認していた情報を把握していたところから、その方が九州のご出身であることを伝え、ご先祖のお墓があると伺った地名を言うと、奥さんの顔色が変わった。そして、オヤジと顔を見合わせている。

 やがて奥さんが話し始めたことを耳にして、我々2人が驚愕することになった。

 彼女は、次のように言った。

 「祖母の旧姓が同じで、その町で暮らしていた時代があるのです」

 詳しく伺ってみると、どうやら遠縁にあたることが確実のようで、驚くような不思議な「えにし」の結びを知ることになった。

 この原稿は、ホテルで発信している。

スタッフ達は、朝早くからホテルに到着していたが、四国、九州の若いメンバーや、神戸のメンバー企業の社長も来られ、みんなが真剣にフォローしてくれる姿に感謝した。

 これからリハーサルの仕上げに取り掛かるが、今日は「司会」というよりも「司式」というイメージが重要。礼節、厳粛、重厚、意義、儀式などの言葉が頭の中に絡まり、整理をしながらシナリオを完成させた。

 もうすぐ本番の時間。会場には多くのお客様が参列されている。いよいよ私の心の中に構築した「舞台」の緞帳を上げなければならない時の訪れだ。

 参列される皆様とご一緒に、会長様の偉大な人生をお偲び申し上げながら、90分間の厳粛な儀式空間の一角に立つ。

2003/04/01   微速前進   NO 388

 昨日、私は2件の葬儀の司会を担当してきた。先の葬儀の式場は、由緒あるお寺様。ご本堂は2階となっているが、葬儀は1階の式場を拝借させていただいた。
 
喪主をつとめられたのは奥様。元、NHKのアナウンサーをされておられたそうで、ナレーションの原稿を確認したいとご要望され、担当責任者がプリントアウトしたものを持って飛び出して行った。
 
葬儀の始まる少し前、2階本堂の畳の間で、ご長男を伴われてお寺様にご挨拶に参上し、私が担当した儀式調の挨拶の後、ご用意されたお布施をお出しになった。
 
この時の仕種は、まさに日本の典型的な女性の、礼節あふれる作法の美しさを久し振りに見せていただくことになり、お受け取りになられたご導師も、故人のご終焉の儀式を「司どられる」という重みのあるご対応をされ、厳粛な儀式空間のような雰囲気を感じた。

 ナレーション原稿の変更は1箇所だけ、「から」が「経て」ということだけであった。

 やがて葬儀が終わり奥様の謝辞。この内容が素晴らしく、結びの部分で次のようなお言葉があり、エスコート係りを担当していた女性スタッフ2人が感涙していた。

 前の公園に桜が咲いています。それらは来年、再来年と毎年、花を咲かせるでしょうが、この桜の季節が訪れた時、彼(ご主人)のことを思い出していただければ幸いです。

 次の葬儀の式場に行く。そこは公園の中に建てられた式場で、ここにも桜の花があり、もうすぐ満開という状態にあった。

 故人は、3年前にご主人を亡くされ、同じ式場で葬儀が営まれたが、同じ3月に葬送の儀が執り行われることになった偶然に、ご夫婦の深い絆を感じた思いを抱いた。

 昨日は、月末。それぞれの担当式場から社員が帰社したのは、午後8時を回っていた。そこから軽い食事を済ませ、すぐに会議が始まった。

 全員が疲れのピーク。中には目が充血している気の毒なスタッフもいたが、与えられた責務を理解するために熱い議論を交わしていた。

 弊社の担当する葬儀は、大半が手造り的な仕事であり、大規模葬儀社さんや互助会さんのマニュアル的サービス提供とは異色な世界。それだけに物理的事情で、葬儀のご依頼を頂戴してもお断わりをする場合も少なくない。

 しかし、そんなお客様の中には、「一生に1回だけのこと。だから2日ぐらいだったら待ちますから」とおっしゃってくださったことも何度かあった。

「申し訳ありません」と、その度に社員の増員を考えるが、弊社に帰属する知的財産のグレードは高く、様々な特殊技術は3年や5年で収得不可能なところも泣きどころ。
 でも、ゆっくりながら進んでいることは確かである。

 時計を見ると午前2時前。今日はスケジュールに追われ、この「独り言」の発信が遅れて日付が変わってしまったが、なにとぞお許しをくださいますよう。

 さあ、これから無宗教形式による社葬のシナリオ創作を始めよう。


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