2003年 1月

2003/01/31   パソコン オンチ   NO 330

 今日は、恥ずかしい話を吐露する。

 私がテレビ型パソコンの前に初めて座ったのは、6年前。スタッフ達が器用に操る姿を見ているだけからの脱出は、ナレーションの打ち込みに駆られてのこと。

 それまでは、すべてが手書き原稿。たまに口述をスタッフに打ち込んで貰う程度だった。

 ある時、1人の女性スタッフが、私が喋るナレーションを聞きながら素早いスピードで打ち込み、私を驚かせた。

 それから、いつもその方法に甘えていたが、やがて彼女が寿退職を迎えることになり、そこで打ち方を教えて貰うことになった。

 半角、全角やローマ字やカタカナ変換も分からず、手取り足取りというような1ヶ月が過ぎ、何とか文章だけが打つことが出来るようになったが、右手の人指し指1本で打つ姿を「器用ですね」と笑われていた。

 それから数年が流れたが、2001年の12月、日本トータライフ協会のメンバー掲示板が構築され、現在のノートパソコンが必需品となってしまった。

 若いメンバー達に嘲笑されながら打ち込むには、恥や外聞を無視する気力も必要と覚悟をしていたが、彼らは懇切丁寧に教えてくれた。

 その1ヶ月後、協会のHPに「コラム 有為転変」が始まることになった。これは、大変なこと。出張にも持参しなければならず、スタッフがAIR−Hの電話をセッティングしてくれ、また新しいことを覚えなければならない期間を過ごす。

 そして、それから一月半後、今度は弊社のHPが新アドレスでリニューアルされることになり、2002年3月1日の発信を機に「独り言」が始まったわけである。

 あれから約1年、A4ページで1000ページ以上は打った筈。お陰でナレーションの原稿が、それまでの半分の30分で打ち込めるように成長したことが嬉しい。

 最近は、コピーや貼り付けのやりかたも覚え、横着ながらスピードアップにつながっており、シナリオ草稿が頭に浮かべば、5分バージョンのナレーション創作が20分以内で可能となったが、早いばかりがよいことではなく、やはり内容を重視し、真剣に取り組んでいることだけは変わっていない。

 そんな苦労に挑戦してきたコラムだが、協会HPのリニューアル効果に乗じて、信じられないアクセス数を頂戴している。

 コラム委員会のメンバー達も、それぞれが更新に積極的になり、訪問くださる方々の存在意識に重圧感を感じているようだが、電話で話すと意外に気楽にやっているようで、苦しさの中に楽しさも発見したようで喜んでいる。

 この独り言を打ち込むのに、今、約35分の時間を費やしているが、30分で打ち込めるようになりたいと思いながら挑戦している。

2003/01/30   隠れ家にて    NO 329

 冷え込みが連日続いている。健康を目的に歩いて事務所に出勤するが、重いバッグを肩にするのが段々苦痛になってきた。

 昨日、ホテルで2件の社葬の事前相談を担当したが、1件のお客様には大変な問題があった。

 交友関係が広く、弔辞を予定される方が10人以上もおられ、この交通整理が頭の痛いところ。そのまま実行すれば弔事の発表披露会になってしまい、参列者には間違いなく「疲労」の会となってしまうだろう。

 多くの社葬の進行に携わってきたが、弔辞の最中に「オヤスミ」になられる方は少なくない。

 あるホテルの社葬で、5名の弔辞があり、3人目の頃には7割ぐらいの方がオヤスミ。記録のために収録したビデオ編集での割愛に苦労したこともある。

 さて、事務所に入ると、女性スタッフが待ち構えていた。

 「すぐに隠れ家にお入りください」

 そう促されたのは、ビデオの収録。8本のナレーションの吹き込みを強要された。

 「この2本を先にやってください」

 それは、ご精算に参上する予定があるからだそうで、その時に持参するには至急に吹き込みしなければならない。

 午前中の1時間でで6本の収録を行い、昼食後に2本というスケジュールで進めたが、昼食後は声の調子に変化が出てしまうもの。ちょっと休憩してから取り組んだ。

 中に特別な収録が2本あった。「お通夜のナレーションを是非」というお客様からの要望で、担当スタッフの立場を考慮して協力することにした。

 隠れ家での収録中、不思議なことに私に対する待遇がグレードアップする。「喉の調子がおかしいな」と言えば、すぐに適温のお茶が運ばれてくるし、終われば濃い目のコーヒーが登場する。

 この「ほっと一息」のコーヒーに味を感じる。
緊張のひとときからの開放がそうさせるのだろうが、人間は、絶対に緊張の時間を過ごすことが重要であるという、私の哲学を再確認する時でもある。

 明後日、日本トータライフ協会の若いメンバー達が大阪にやってくるが、彼らが、また新風を与えてくれることだろう。

 今日の午後から東京へ行く予定だったが、明日の「のぞみ」の最終で帰阪するのが苦痛で、日を改めるように調整した。

2003/01/30   透明の涙    NO 328

 エンターボタンを押す時、時計を見ると、午前0時を少し回っている。日付が変わっての発信となりますがお許しくださいますよう。


 故人の 人生を表現する葬送の「かたち」、それが弊社の理念のひとつであるが、そのためには「人となり」となる取材が何より重要である。

 共に悲しみ、そこに生まれるコミュニケーションなくして葬儀はあり得ない。

 そんな思いをスタッフ達と共有できるようになったのは、弊社が加盟する「日本トータライフ協会」のメンバーとの交流が大きい。

 数十項目に亘る取材テーマからプロデュースが始まるが、秘められたお話に人柄が「ありてい」に把握できることも少なくない。

 思い出の写真を預かり、メモリアルボードと追憶ビデオの創作を行っているスタッフが、素朴な疑問を話し合う会話を耳にしたことがあった。

 「こんなの見られたら、きっと思い出されて泣かれるでしょうね。泣くって、いいことなのかな?」

 他人の前で涙を流す。感情を心に抑えることを美徳としている日本人。しかし、涙が生まれるプロセスを学ぶと存分に流すことが大切であり、そこで、やんわりと教えることにした。

 前にも書いた好きな言葉がある。

 「涙は感情が極まった時に生まれ、表れるもの。生きている、生かされている、生きなければならない証し、輝きなのである」

 私は、プロとして「お涙頂戴」は嫌いである。葬儀に参列された方々が、やがて自身にこの日が訪れることを感じていただくことに意義があり、そうなるような進行を創造したいと願っている。

 「あまりにも悲し過ぎますから」

 そんな考えから人生表現をしない葬儀もあるだろうが、人は、悲しい時には涙をいっぱい流すべきで、その先に生まれるであろう解決に「思い出を形見」というプロの仕事があるように思う。

 それぞれにそれぞれの思い出がある筈。ご遺影を見つめられる時、そこに生まれる真情の涙は、どんな色をしているのだろうか。きっと、澄んだ透明である筈だ。

 生理学的に涙は血液であることをメンバーが教えてくれたが、赤い色が透明になるまでのプロセスの解説で、凄いメカニズムがあることも学んだ。

 私達が担当する葬儀、それは、どこの葬儀社が担当するよりも静かな葬儀となる。そんな自負を抱いているが、それは、大切な方の大切な終焉の会場空間が、大切な宗教者を迎える儀式空間に「神変」させる努力が秘められているからで、非常に奥の深いもの。

 だからこそ終焉を迎える「命」というものに目覚め、涙を流して欲しいのである。

2003/01/28   自衛官の涙   NO 327

 昨日、お医者様の葬儀を担当し、その夜、また、別のお医者様のお通夜を担当した。

 明日はお寺様のご親戚の葬儀。お2人のお医者様とお寺様、不思議なご仏縁を感じながら今日の一日が始まった。

 式場には、自衛隊の制服を着用された方が大勢参列されている。ご祭壇の左側に感謝状と楯が飾られてあり、感謝状の原文を拝見する。

 この葬儀を担当しているスタッフ責任者は、弊社の「人『財』」。ミス・ホスピタリティである。

彼女がデザインしたメモリアルボードに10数枚の写真があったが、その中にもミリタリー的な服装を身に着けられた故人が写っておられた。

すぐに彼女から情報を入手してみると、故人は、幼い頃に難病を患われ、手足に軽度の不自由があられ、子供達の世界で当時に流行っていた戦争ゴッコに参加することが出来ず、いつも見ているという寂しい思いをされていたとのこと。

そんな不遇に「負けるものか」と医学の道を目指され、地域の方々に愛されるお医者様として、ご立派な生涯を終えられていた。

ご結婚されてから、奥様の遠縁に当たる方が自衛隊の高官というご縁から、演習を見学されたが、その時に見られた厳しい訓練に感動され、自衛官の啓蒙活動の一端を担う活動を始められたそうだ。

レンジャーバッジの授与式にもご夫婦で出席され、ご自宅にはご趣味のプラモデルがいっぱいあったとのこと。お子様の存在がないことだけが寂しいところだが、70歳にも満たない惜しまれるご終焉に際して、思われていた通りの人生を歩まれたように感じた。

今日の葬儀、式次第の中で感謝状の授与式が行われる。朝からそのBGMを収録したが、この曲は、私が大好きなレナード・バーンスタインの指揮によるもので、私の秘宝の一つである。

授与式は、厳粛な雰囲気の中で進められ、自衛官が祭壇前で代読された感謝状は、奥様に手渡されて祭壇に奉呈された。

葬儀終了時の謝辞は、故人の弟様がつとめられた。冒頭に4つのことについて御礼をとおっしゃられ、ご入院されていた病院、自衛隊関係者、地域や患者さん、そして、喪主となられた奥様への感謝のお言葉を述べられたが、ご悲嘆の胸中にもかかわらず、さわやかで心のあたたかいお人柄が伝わる口調で、それは見事な謝辞であった。

その後、お柩の蓋が開けられ「お別れ」のひとときとなったが、数人の自衛官が涙を流されていたのが印象的で、死の悲しみの体感は、平和への重要な教えであるような思いを抱いた。

今晩は、遠くで行われるお通夜を担当しなければならない。午前中に雪が舞ったように、今日は特別に冷え込んでいる。時計を見ると午後3時前。寒さで声が震わないような対策を講じて出発する。

2003/01/27   リンクのお誘い    NO 326

 お通夜の前、ご導師の控え室で、有り難く名刺を交換させていただいた。

 ご読経を終えられて15分ぐらいのご法話。失礼な表記で恐縮だが、なかなかに聞き易く、参列者のみなさんが頷かれるお説教だった。

 控え室に下がられた時、再度、御礼の挨拶に伺ったら、嬉しいことをおっしゃってくださった。

 「久し振りに重厚な司会トークを聞かせていただいた。明日は、何か、私が緊張しそうだよ」

 そこで10分ほどお話をすることになったが、最近の葬儀の司会が「軽い」ということを強く訴えられておられたのが印象に残った。

 さて、次の日、葬儀が始まる前、打ち合わせに参上すると、おそれ多いことをおっしゃられ、驚愕した。

 「昨日、寺に帰ってから、御社のホームページを見ました。『独り言』を、つい1か月分ぐらい読んでしまいました。そこで頼みたいことがあるのだが?」

 このご住職は、ご自分でホームページを開設されており、実は、私も帰宅してから拝見していたことを正直に打ち明ける。

 そのことをお返しすると、葬儀の式場で不謹慎なことだが、互いに苦笑し合った。
続いて本題のことを切り出されてこられる。

 頼みというのは、ご自分とのリンクの提案であった。

 これは、私や弊社にとっては名誉なことである。しかし、これには、条件があった。弊社が葬儀社であるところから、トップページへのつながりではなく、「独り言」への直接リンクで、表記を私の個人名「久世栄三郎の独り言」とするということであった。

 独り言に訪問した方は、他のページを覗いていくのは極めて当然。そのことをお訊ねすると、「大義名分ということ。寺の世界は複雑で、とやかく言う人物が多いのが難点。決して職業差別ということではないので誤解されないように」

 おっしゃることは、よく理解できる。愛や癒しや思いやりを共有しても、現段階でのお寺と葬儀社のリンクは非常に難しいことだろう。

 そこで、私は、即答を避け、日本トータライフ協会のページをご笑覧くださるようお願い申し上げた。

 協会のページも葬儀社が大半だが、中身は非営利活動の理念共有組織である。そこにひとつの「道」が開けられないだろうかと思ったからだ。

 さて、今日は、大雨。司会も大変だったが、明日の葬儀の設営を進めているスタッフも気の毒だ。
 
明後日は、お寺様のご親戚の葬儀が遠方である。当然、私が司会を担当する。

それが終わればホテルに向かい、ホテルでの2件の社葬の事前相談を担当しなければならない。何より移動が大変で、雨のあがることを願っている

2003/01/26   くわばらくわばら   NO 325

 朝、音楽の選曲をし、ナレーションの原稿とビデオ映像を確認して式場に行った。

 式場は、お寺。音響設備のメインシステムがセッティングされている司会の場は、境内の階段の下。会葬者の目の届くところでの暖房設備は無理。寒かったが仕方なくマイクを担当したが、ナレーションの声が震えている。

 こんな状況にある時、最も困るのが弔電代読時の「手触り」。かじかんでしまってやり難いのでイライラする。横に女性スタッフを付け、彼女に捲る役をさせたが彼女もかじかみモタモタしている。

 こんな時、ホテルや葬祭式場で担当することがどんなに恵まれているかを再認識する。

 一方で、今日は大阪女子国際マラソン。火葬場への行き帰りで交通規制が行われており、時間帯によっては阪神高速道路を経由しなければならい時もある。

 このマラソンと駅伝。大阪での恒例スポーツ大会は、秘められた部分で影響がある。親戚や会葬者がご存じなく、遅れたり来られなかったりすることが、この数年で多くあった。

 当然、この情報をご遺族側に伝えてはいるが、非日常的な混乱の中、そこまで完璧を求めるには無理があり、こんな結果を迎えてしまう。

 私は、明後日を久し振りの休日にと考え帰社したら、「明後日、社長の担当される葬儀が入っています」と言われた。

 明日の葬儀と明後日の葬儀は、不思議なことに、どちらもお医者様。医師の検診を受けようと思って考えた休日。それらがお医者様の葬儀で変更を余儀なくされる。これも何かの「縁」。何より「ご仏縁」を大切に考える私の性格。やはり、私が司会を担当させていただこう。

 しかし、今日のこの独り言をスタッフが覗いたら、きっと立腹するだろう。彼らは、連日連夜に残業。休日が取れない気の毒な状況になっている。そんな時、過日に協会のメンバー掲示板に書き込まれていた、神戸「株式会社 公詢社」の吉田社長の言葉が思い浮かんできた。

 『私達は、いつでも寝ることが出来る。でも、永遠の眠りにつかれた方のことを考えよう。生きている我々がお世話を担当しなければ誰がする。大震災の時のことを思い出して頑張ろう』

 さて、今晩のお通夜のビデオ映像放映とナレーション、大好評を頂戴し、「生」で語っていたことに驚嘆され、音声の吹き込みを懇願されることになった。

 現在、私が吹き込みをしなければならないビデオが多く溜まっている。時間を作って一気に収録しようとは思っているが、日々の仕事に追われっ放し。

 そこで格言を思い出した。

 「忙しいと言っていることは、崩壊の始まりである」

 ああ、クワバラクワバラ。

2003/01/25   知らない曲   NO 324

 故人がお好きだった曲を流して欲しいという要望が増えている。

 カラオケが流行した頃からこの傾向が強まり、今後にますますニーズが高まっていくだろうが、中には、ご自身が歌われたテープが登場することもあり、式場空間に追憶の雰囲気が醸し出されるところから歓迎したい。

 しかし、式場空間をぶち壊すような曲はご遠慮いただきたいもの。
それでも「どうしても」という要望があれば、司会のトークで抵抗感を和らげる対応をしている。

 これまでに何度か書いたが、私のブレーンの中に、曲名を耳にしただけで瞬間にレクイエムに編曲して、シンセサイザーで見事に演奏してくれる女性が存在している。

 彼女とは、仕事で全国へご一緒したが、プロデューサーとして、また司会者として、何より安心感を抱ける方の存在は貴重で素晴らしいもの。これから彼女の活躍の場が広がっていくものと確信している

 今日は、その彼女に救われることになった。

 明日に行われる女性の葬儀。故人がいつもカラオケで歌っておられたのは、私やスタッフがまったく知らない曲。知り合いのレコードショップで訊ねてみたら、「随分昔に廃盤。そんなもの、どうするのですか」と言われた。

 カラオケが存在するのだから、<そこから録音を>とも考えたが、違法なうえに旋律がなく伴奏だけ。これではどうにもならない。

 そこで、彼女に助けを求めて電話を掛けた。

 彼女は、「私も知らない曲ですが、何とか楽譜を探してみます。でも、こんな古い曲、びっくりですね」と驚かれていたが、楽譜さえあれば何とかなるというのが私の驚き。

 今回の葬儀で、彼女の生演奏を聞かせていただくことは出来ないが、来社された彼女は、自身で演奏されたカセットテープをわざわざ届けにきてくれた。

 スケジュールに追われ、お茶を出すことも出来ずに申し訳なかったが、早速、スタッフと私の隠れ家で拝聴した。

 旋律の単純な曲であるが、見事に哀調イメージが生まれている。このイメージを心に、今晩、ナレーションを創作しなければならない。

 そして、式次第の中、どの部分で活用するべきかも考えよう。
せっかく素晴らしいプレゼントをくださったのだから「生きる」ように使いたいもの。お寺さんとの打ち合わせが重要だ。

 私が生まれる以前の曲、いかにも日本的演歌調ではある。
この曲を歌っておられたお婆ちゃんのイメージが浮かんでくる。

 故人へのこんなプレゼントは、きっと、悲しみのご遺族の「お心残り解決」のひとつにつながってくれるものと信じている。

2003/01/24   天災に備えて    NO 323

 一昨日、メキシコでの大地震のことが報道されていた。

わが国では、今、東海地震や南海地震のことが問題提起されているが、過日に8年目を迎えた阪神淡路大震災の恐怖の体験もあり、日頃の心構えが重要である。

そんなところから、今日は、「NO 316」に書いた、地震当日の葬儀のことを書かせていただく。

当日、私が司会を担当する葬儀が2件あった。NHKのニュースの衝撃的な映像を目に、自身の仕事の活動を始めたが、大半のスタッフが出勤不可能で連絡も取れず、揃ったスタッフだけで対応することになった。

午前中の葬儀の式場に行った。昨日の通夜に60人もおられた親戚の方々が、20人程度。会葬者も激減。葬儀社も参列者も同じ状況にあったのである。

午後の葬儀は、遠くはなれた大正区の小林斎場へ入場した。
霊柩車とマイクロバスに前後され、お寺さん、喪主さんと同乗しながら阿倍野の近鉄百貨店の前を西に向かった。

しばらく進むと、すべての信号が機能せず、交通ルールが無法の態。
交差点では小競り合いの連続。人が横断歩道を渡るのが命がけという有様だった。

しかし、人の社会。霊柩車に対する常識マナーだけは生きていたようで、優先的に譲られる道中となった。

だが、お察しの通り、帰路が大変。通常の5倍以上の時間を要し、やっとの思いで式場に到着。次の日の御骨あげがどうなるか心配でならなかった。

次の日から、縁者を亡くされた方からの電話が入り出した。「柩を届けて」「寝台自動車をなんとか」「火葬場の手配を」。
電話が不通に近い状態の中、掛かってくればそんな内容ばかり。未曾有の悲惨な現実体験の始まりであった。

当時、携帯電話は少なく、一般電話より公衆電話の方がつながるという情報が流れ、テレホンカードや10円硬貨をかき集めたことも覚えている。

 電話が通常に戻ったのは、それから約1週間後。その頃から、大変な2次的問題が押し寄せてきた。

 それは、犠牲者の火葬が大阪市内の火葬場で始まったこと。
通常の市民の葬儀への影響が及び、1週間ぐらいも待っていただくという二重の不幸の日々が続いたのである。

兵庫県内へ派遣した寝台自動車の担当者達は、口を揃えて「この世ではない」と言っていたが、日本トータライフ協会研修会で拝聴した、神戸の「株式会社 公詢社」の吉田社長のお話は衝撃だった。

2000名近い方々を担当された陰の尽力、それは、後世に語り継がれなければならない大切なこと。彼に、「命と悲しみの語り部」となってくれるようにメンバー達でお願いした。

『天災は、忘れた頃にやってくる』

 その言葉だけは、忘れたくないものである。

2003/01/23   お通夜の前に発信します。   NO 322

 今から、お通夜に出発する。

 担当の女性スタッフが持って帰社した故人の人生取材表には、あまり多くの情報が記載されいなかったが、伴侶を亡くされた奥様のお悲しみが強く、少し落ち着かれた時点で取材を行うとの報告があった。

 故人は、70代。ダンディーなお召し物が似合うお洒落な方だった。

 ご趣味は、写真。プロ仕様のカメラを持たれ、いつも孫さん達を撮影されていたそうだが、社員が預かってきた思い出の写真に驚くことになった。

 著名な歌手ばかりの2ショットの写真がいっぱい。

これは、もうひとつのご趣味である「カラオケ」に関係し、デビュー前の新人歌手を後援され、彼らが大成されることをお楽しみとされていたそうだが、「ひょっとして有名な歌手が参列されるかも」、そんな会話がスタッフ内で交わされていた。

ご当家を担当しているのは女性スタッフ。「ミス・ホスピタリティ」という称号を与えたいほど優しいタイプで、悲しみの強い葬儀には最高のキャスティングであると自負しているが、お通夜の司会を聞きたいと思うところから行くことにした。

ナレーションを創作する時、ご遺族や参列者のおられる式場空間に接することが重要で、お通夜は、それらが最も把握できる場と言えるだろう。

子供、孫、兄弟、親戚、そして友人など、悲しみの表情や交わされる会話の中に故人の人柄やエピソードの発見がある。

そんなところから、神経を遣うナレーション創作を通夜が終わった深夜にする訳である。

社会の常識では8時間労働。週に40時間という労働規則が存在しているが、葬祭業に従事するスタッフ達は大変。そんなところから交代制を強いられ、多くのスタッフが必要となってくるのが泣き所。 

司会を担当する私も精神的には猛烈にハード。ナレーションの他に、この「独り言」や日本トータライフ協会の「必見コラム 有為転変」のお鉢も回ってくる。打ち込むスピードの遅い私は、どうしてもパソコンと向かい合うことが長くなり目が疲れる。

初老の所為もあるだろうが、メンバー達に掲示板で「無理をしないように」と諌められている。

掲示板で思い出したが、もうすぐ全国の若手メンバー達が大阪にやってくる。

昨年は私がNPOの講演を担当している日に合致し、ついでに受講することになったが、会場であった大手前ドーンセンターの前の道路が、女子マラソンのコース。講演終了後に旗を振って応援したのが懐かしい。

また、あの顔ぶれが揃うようだが、今のところはスケジュールが未定。きっと、彼らの専用ネット会議で進めているものと推察している。

2003/01/22   五・七・五   NO 321

 昨日の大阪の夜は冷え込んだ。在社していたスタッフ3名を伴い近所で食事をし、帰宅してからすぐに銭湯に行った。

 取り敢えず、体重計に乗る。64,6キロ、前回書いた時よりも2,4キロ増えている。

 これは、この数日、スタッフ達と続けて食事をしたからのようで、鏡を見て、ウェストだけが太くなっている自身の姿に唖然として反省。

 冷えた身体で普通の湯船に入ることは苦痛。そこで、いつも先に温めの小さな湯船に入ることにしている。

 この日は、まるでインク色の湯。看板に目をやると「紫紺の湯」とあった。

 湯船につかりながら説明版を読むと、紫紺とはムラサキ科の植物の根。
花岡青洲が作った火傷薬「紫紺膏」の元だそうで、古代から高貴な人の衣服の色として用いられてきたとも書いてあり、お寺さんが身に着けられる装束を思い浮かべることになった。

 今日は、定期的に通う医院に行く日。混雑するお医者さんの待合室でナレーション原稿を創作したが、小児科を併設されているところで、この日は特別に子供が多く、すぐに中止した。

 幼い子供が看護婦さんから体温を測られている。どうやら風邪が流行しているようで孫のことを思い出し、心配そうな若いお母さん方の表情に同情を寄せる。

 完成した通夜のナレーション。偲ぶひとときとしてビデオ映像に併せてナレーターをつとめたが、終わった後、喪主様である女性が司会台の所へやって来られた。

 故人は、彼女のお母様。小学校6年の頃から俳句や詩にご興味を持たれ、卓越された詩文の才能があられたそうで、素晴らしい俳句を残されており、それらも映像の中に編集した。

 「俳句を趣味としている叔父が、『是非、さっきのナレーションの原稿を』と言っているのです。何とかなりませんか?」

 それが喪主様のご要望。俳句に造詣深い故人のことを念頭に、頭をひねった成果をお感じいただけたようで嬉しく、後日にビデオに吹き込んで差し上げますと応えてしまった。

 考えてみれば、これも「著作権」という知的所有権があるではないか。葬儀社というものは社会での認識が低いようで、反省と同時に寂しい思いを抱くことになった。

 さて、こうなったら「とことん」やらなければならない。明日のナレーションは、俳句をいっぱい散りばめて創作してみよう。こんな私だが、ちょっとだけ俳句に挑戦したこともある。とは言っても「川柳」の方が詠みやすいが、何とかなるだろう。

 故人は、女性ばかり4人の子供さんがおられる。皆さん素晴らしい方だ。
 
 『財産を、取り合い、位牌譲り合う』

 そんな川柳があるが、ご遺族は、位牌を奪い合うようなご家庭だった。

2003/01/21   安心のブランド   NO 320

 弊社のホームページに「リンク集」と「大阪市立斎場」のページを増設したのは、先週の日曜日、1月12日であった。

 多くの皆様がご訪問くださるお陰で、増設ページが様々な文字検索でトップページに登場してきているという報告を受けたが、IT世界の恐ろしいスピードを実感し、驚愕している。

 リンク集の中に、弊社が加盟している「日本トータライフ協会」があるが、そこで毎日更新している「必見 コラム 有為転変」が始まったのは、1年前の1月22日。ちょうど、明日で丸1年ということになる。 

 毎日更新ということであれば、今日の号で「365号」である筈だが、「363号」になっており、2日分の差異が生まれている。

 これは、1回は、台風の襲来にあった北海道研修会の日。宿泊地のホテルで誰のパソコンも発信が出来ず、残念にも「お休み」となってしまったこと。

もう1回は、コラム委員会のミス。
<誰かが書いて発信してくれるだろう>との思い込みが見事に外れ、誰も発信しなかったという単純な事件。ご訪問される方々に伏してお詫びを申し上げなければならない。

 リンクページの内容をご笑覧いただければ表記されているように、この「独り言」をはじめ、メンバー達が発信しているコラム的なページが増え、日本トータライフ協会関係で7つのページが開設されている。

 それぞれが苦労を強いられている。本業に追われる中、草稿をすることがどんなに大変なことかを学ぶことになったが、これも「体感に勝るものなし」との意味につながるものであろう。

 さて、そんな中、メンバーである神戸の「株式会社 公詢社」さんのHPリニューアルが進められており、どんな世界に生まれ変わるのかとメンバー達が楽しみにしているが、今月中に弊社スタッフとの懇親会が予定されており、そこでの会話が盛り上がることを予想している。

 多くの企業や団体様から「是非、リンクを張らせて」と、メールや郵便物、お電話を頂戴するが、協会の理事長という立場にあり、日本トータライフ協会関係に限らせていただいているのでご理解を願いたい。

 これらは、各メンバー達にも同じ悩みが生まれており、次回の総会議題のひとつになりそうだが、協会にリンク窓口を考慮する必要性に駆られていることも事実で、メンバーの過半数の賛成に達するには、かなり高いハードルが設定されくるように思っている。

 それにしても、メンバー各社へのアクセス数が多い。それぞれがその地のトップにランクされるように登場してきている。これらは、きっとリンクや協会本体のHPからの相乗効果であろうが、それだけに日常の仕事にあって緊張が生まれる。

 葬儀の依頼にあって、お客様が業者を選ばれる時代の到来。そこでHPの存在が極めて大なるものがあろうが、その責務の対応こそに、協会加盟の意義があることを忘れたくないもの。それこそが、「安心のブランド」なのである。

2003/01/20   お旅立ち   NO 319

 新規参入の航空会社の経営が軌道に乗れず、悪戦苦闘されている記事を読んだことがあるが、規制緩和の波に乗り、この航空会社が誕生した時、私は、絶対に経営不振に陥るだろうと確信していた。

それは、格安運賃を「売り物」にしていたからで、基本である安全とサービスを強調することが欠落していたからである。

 大資本の既成の航空会社に対抗するのに価格ダウンは間違いなく愚作。より以上の安全と人のサービス徹底をキャッチフレーズにすれば、何らかの生き残りの道があったように思っているのは、私が大の飛行機嫌いだからかも知れない。

 世の中はデフレ現象。航空運賃やゴルフのプレー費が信じられないようにダウンしている。正規料金で利用する正直者が馬鹿を見るような気がしてならず、そんな社会は、決して良い方向に向かうことはないだろう。

 今、ホテル業界の安売り合戦も凄まじい。ネットの世界を見れば一目瞭然だが、正規ルートで宿泊予約をしている人が知れば、間違いなく怒りが生まれる筈である。

 そんなホテルに限って、ホテルサービスの基本である「ホスピタリティ」が欠落し、ホテルの語源であるラテン語の「ホスピターレ」の意味を再認識して欲しいと願っている。

 私は、ホテルで仕事の場合は仕方なくホテルに宿泊するが、地方講演の時は絶対というぐらい旅館を利用している。

 「もてなし」を売り物にしていた旅館が大きく変貌し、ホテル化するところも増えたが、ビジネス部分を取り入れるだけの所が崩壊に向かっていると感じることも少なくない。

 現地入りする前にあちこちの旅館の情報を入手するが、ウェルカムドリンクやソフトドリンク1本サービスを表記しているような旅館にろくな所はないと言える。

 最近、エステティックを売りものにする高級旅館も増えたが、スタッフを売り物にする表記に出会うことがないので寂しく思っている。

 「部屋・風呂・食事」の三拍子が揃っていますと謳っている旅館があったが、味、設備、安全、防犯、衛生、環境はあたりまえ。なんと言っても旅館は「人」ではないか。
 
 チェックアウトする時に、「よい旅館だった」と思えることは何だろう。すべては「人」への評価に尽きるだろう。

 基本の上にスタートがあり、磨かれた「人」のサービスに接する時、そこに満足が生まれる。「旅行」とは、それに出会うことを求めることが大きいのだ。

 一方で、葬儀でいう「旅」は旅行ではない。それは、間違いなく「お旅立ち」なのである。(こんな表現をすると、浄土真宗のお寺様のご叱責を受けるだろうが、ご海容を)

そんな、一生に1回限りの「人生最期の旅」に接する我ら。やはり、ファーストクラスのサービスの心でお送りさせていただきたいと思っている。

 それも「高級葬儀」の理念のひとつである。

2003/01/19   悪  名    NO 318

 昨日の朝、地方に在住する親戚から訃報が入った。取り敢えず「生花」のお供えを託することだけ済ませたが、これが、思い掛けないことになってしまった

 私の個人名で供えられた供花。その葬儀を担当されていた葬儀社さんが「まさか、大阪高級葬儀さんでは」と確認されたそうで、「やはり」という事実に進むと「割引」という言葉を出されてきたと言うのである。

 どうも、珍しい名前は得をするようだが、全国で講演活動をしてきた私は、葬祭業者さんの世界では知名度があり、ただそれだけの同業者という関係で「割引」を願う気持ちは毛頭なく、鄭重にご遠慮いただくことになった。

 供花は、「供養」であり、値引きなんてもっての外。そんなことをすれば故人に申し訳が立たず、恥ずかしくて祭壇のある式場に並べる権利が消滅する。

 しかし、こんな私のことを知っていてくださったことは満更ではないのは事実。夜に掛かってきた電話では、この「独り言」の訪問者でもあると聞き、背筋が凍る思いをすることになった。

 取り急ぎ、「葬儀をよろしくお願い申し上げます」「独り言のご訪問、恐縮です」「こんなことを書いてしまって申し訳ございません」と、ここで一筆申し上げます。

 さて、今日のこの事件で思い出したことがある。

 数年前の話だが、ゴルフで交友があった人物が亡くなり、奈良県での葬儀に参列した時のこと。

 お寺の山門の所に設けられた受付を済ませ、境内のテントの中へ入ろうとした時、接待を担当していた女性が私を見つめ、すぐに式場の奥の方へ駆けて行った。

 しばらくすると、名札を着けられた年配の方が来られ、「大阪の久世さんですね」と言われた。

 私が故人とのつながりについて話すと、その方は、自分が葬儀社の社長であることを告げられ、「昨日にでも分かっていましたら特別なサービスが出来ましたのに」とおっしゃられた。

 この業界は、何かつながりがあるとすぐに「サービス」という言葉が登場する。(それでいて、サービス業界には程遠いと言われているが)

 それから5分ぐらいして、問題が発生した。社長から私の参列を耳にした司会担当者が、「やりたくない」と言い出したそうである。

 社長は、再度、私に近付いて来られ、「司会を代わっていただけませんか?」と深刻な眼差し。続いて、「遺族にも承諾を得てきますし、その方が故人も」

 私は、そこで社長さんの言葉を制する行動に出た。これは、拙いこと。このままでは大変なことになってしまう。そう思った私は、「ご出棺だけお見送りします。それまで、近くの喫茶店でも過ごしていますから」と返した。

 ピンチヒッターは簡単なことだが、それはよいことではないだろう。故人の関係からすれば許されることかも知れないが、ここはやはり1歩下がるのが道理。

 それが良いか悪いかの判断は、考えたくないので未だに結論を出していない。しかし、こんな問題を何度も体験している私。ひょっとして罪作りな「悪名」なのかも知れないと思っている。

2003/01/18   しあわせを運べるように   NO 317

 昨日に行われた震災8周年「防災とボランティアの日」の事業、1月17日ひょうごメモリアルウォーク2003、未来へひらく「追悼のつどい」。

お手伝いを担当していた神戸の株式会社 公詢社さん。前々からご一緒したいと願っていた弊社の女性スタッフが「おじゃま虫」をして帰社した。 

 彼女は、夜に行われた大規模人数のお通夜のお手伝いにも参加させていただいたそうで、大変勉強になりましたとという報告があった。

 取り敢えず、この「独り言」で衷心より御礼を申し上げます。

 公詢社の吉田社長とは、日本トータライフ協会の活動をを通じて交流があり、互いのプロとしての研鑽を指針して、スタッフの交流にも積極的に取り組むことで一致しているが、お会いする度、「震災の追悼式」に是非参加をとお誘いを受けていた。

 彼は、追悼式の中で、神戸市立なぎさ小学校の生徒さん達が歌われる献唱曲「しあわせ運べるように」に、いつも涙を流されるそうで、吹き込んだ録音テープを恵贈くださったことがあった。

 今回参加した弊社のスタッフ。彼女も同じ思いをしたそうで、唸れ流れた涙は、やはり体感に勝るものなしということを顕著に物語っているだ。

 メロディーをお伝えすることは出来ないが、ここに、歌われた「歌詞」を記載し、私の追悼の思いを託したいと願っている。

          ☆ しあわせ運べるように ☆
1.地震にも負けない 強い心をもって 亡くなった方々のぶんも
     毎日を大切に生きてゆこう
  
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう 支え合う心と明日への希望を胸に

  響きわたれ僕たちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
     届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

2.地震にも負けない 強い絆をつくり 亡くなった方々のぶんも
       毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう やさしい春の光のような未来を夢み

  響きわたれ僕たちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
     届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

  響きわたれ僕たちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
     届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

     届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように


 願わくは、赴かれし彼の地にて安らかに憩い、現し世の我等の行く末を見守りたまえ
                                    
                      合掌

2003/01/17   忘れられない日   NO 316

 今日は、阪神大震災から8年目。当日の午前5時46分、この時の恐ろしい揺れの体験は、今でも強烈に思い出されてくる。

 ぞの前日、ハードなスケジュールを終えた私は、次の日の早朝に起床しなければならず、何とか早く就寝をと、医師から貰っていた軽い睡眠導入剤を服用していた。

 この薬は、それまでに何度か用いたことがあり、約10時間の効力があるところから、早朝に目を覚ますと朦朧とする状態があるが、午前0時半頃に飲んだ薬の効果は、信じられない揺れと不気味な軋みの音で、約5時間で破られることになった。

 目が覚めた時、暗い中で天井の蛍光灯が大きく揺れ、天井に何度もぶち当たっている状況。立つことも不可能な激震の中、成す術もなく家の軋む音に<倒れないでくれ>と祈っているだけだった。

 揺れが治まって、すぐに2階に上がりテレビのスイッチを押した。しばらくするとテロップで震源地と震度が表記され、びっくりするようなNHKの事務所内の映像が放送され、宮田アナウンサーの緊張した放送が始まった。

 <余震がくるのでは?> そんな恐怖感に襲われる。

 そんな時、3階にいた娘が降りてきた。「珍しいわね、こんなに早く起きているなんて」

 「何をのんきなことを」 私は、娘を叱りつけ、大変な事が起きているということを伝えた。

 そこから映し出された光景がどんなに悲惨なものだったかは、誰もがご存じなので割愛するが、葬祭業に従事する私達も、この日から約半月に亘って、二度と体験したくない辛い思いをすることになった。

 弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバーに、神戸の「株式会社 公詢社」さんがおられるが、昨秋の大阪、神戸研修会で拝聴した吉田社長の講演では、その当時の衝撃的な体験を改めて知るところとなった。

 6千数百人の犠牲者の内、2000人近い方々のお世話を担当された公詢社さん。彼の会社では、毎年、今日1月17日の未明に全社員が入浴のうえ新しい下着を身に付け出社し、震災の発生した時間に屋上で慰霊式を行っている。

 そして、彼らは、その後に自治体が主催される慰霊式典のお手伝いに出発される。

 弊社のスタッフを、その式典に招いていただくことになり、女性スタッフが出席することになったが、自然の恐ろしさと命の儚さ、そして尊さを学んできてくれた筈と確信している。

 地震や雷という自然は本当に恐ろしいもので、人間が「ちっぽけ」な存在であることを教えてくれるが、それが神の象徴であるような思いを抱いても、幼い子供の命まで奪ってしまう現実には憤りと虚しさを感じてしまう。

 東海地震や南海地震の襲来が話題になっているが、あんな体験だけはしたくないと祈って止まないところである。

2003/01/16   お題目にて合掌   NO 315

 昨日は、全国的に冷え込み、大阪の最高気温も6度ぐらいっだったようだ。

 そんな中、私は、2件の葬儀の進行を担当してきた。

ご宗旨は、臨済宗と日蓮宗。どちらも開式から引導までの時間が長く、参列者への「暖」に関するサービス提供をスタッフ達に命じていた。

式場の外に設置してあるテント。周囲を風除け幕で囲み、暖房設備を増やせば何とか凌げるが、一般的なマナーとしてコートやマフラーを外されることへの対策が重要。

「本日は、冷え込んでおります。お手持ちのコートをお召しくださいませ」

そんなアナウンスを行うが、これだけで参列者が行動を起こされることは少ない。

このアナウンスと同時にスタッフ達が行動し、「どうぞ、お召しください」とコメントを発して回り、何方かお一人がお召しになったらしめたもの。待ってましたかのように皆さんが行動を共にされる。

「**さんの葬儀は寒かったので覚えている」という思い出にはなろうが、「葬儀に参列して風邪をひいた」、そんなお気の毒な言葉を聞きたくないし、きっと、故人も許してくださると思っている。

さて、日蓮宗の葬儀のお通夜。ご住職の息子さんが来られたが、故人の生前のことを思い出深く語られたお説教が素晴らしく、弊社の担当チーフの女性が感動していた。

お説教は、15分ぐらいだったそうだが、私が到着した時には大半が経過されており、3分程度しか拝聴出来ずに残念然りというところだが、その短い時間だけでも「このお上人のお話は素晴らしい」と感じたものであった。

葬儀の当日、ご住職が息子さんと来臨された。そして引導文を拝聴していると、宗教者らしい弔慰のお言葉が添えられてあり、非常に嬉しく感動した。

数年前に伴侶を亡くされてからの悲しみの日々、それから後に息子さんご夫婦を亡くされた衝撃の出来事などを織り込まれ、霊山浄土で再会を果たされていることだけが安堵で救いとおっしゃっておられた。

 こんな宗教者に通夜と葬儀を勤めていただいたのだから、故人も遺族もご満足だろう。

 引導終了後に弔電代読のためのナレーションの際、ふと、ご祭壇のご遺影を見ると、「にこっ」とされるような表情を見せられたような気がしたが、それは私だけではなかったように思う。

 やがて、ご出棺。火葬場へは息子さんが随行くださったが、「自分の車で参ります」とおっしゃった車は軽自動車。ベンツやセルシオのお寺さんも多いが、こんなところにも「あたたかみ」を感じた次第である。

 お上人様。故人もさぞかしお喜びのことと存じます。ご仏縁にお題目で感謝の合掌を申し上げます。

2003/01/15   残念ながら    NO 314

ある大手ホテルで「偲ぶ会」が行われた。

 この総合プロデュースと司会を依頼されていたが、どうしてもスケジュールが調整できず、様々なアドバイスだけを行い、ホテルとホテル側が依頼された司会者で進められることになっていた。

 当日を迎える2日前、施主様からお電話を頂戴し、どうしても「星名国際登録」のオリジナル奉呈式だけでも担当して欲しいと懇願された。

 これは、弊社や日本トータライフ協会のメンバーでしか不可能なことで、どうするべきかと苦慮した私は、当日の会場で放映するビデオの創作を思いついた。

 故人の人生をシナリオ化し、夜空をイメージする資料映像を元に、オリジナル音楽を挿入しながらナレーションを吹き込み、4分40秒のビデオを完成させ、その効果的な活用方法のシナリオを添えて当日の本番前に届けることになった。

 弊社は、深い悲しみにくれられるご遺族に対して、癒しと慰めを目的として「星名国際登録」を申請し、プレゼントを行っているが、これらを実際にご体感された方々からのお問い合わせが多く、今回もそんなお客様だった。

 「プレゼントですから、料金の設定はないのです」

 そうお答え申し上げると「それでは、お願いできないのでは」と困惑されるのも事実だが、私や協会は、一切の販売を行わないという理念で結ばれている。

 そんなところから、今回のお客様には、ビデオ制作、ナレーション制作、ナレーターとの費用だけを頂戴し、登録申請費用に関してはプレゼントということでご了承をいただいた。

 さて、当日の本番。私の描いたシナリオ通り、照明が落とされてビデオ映像が流されたそうだが、出席者だけではなく、ホテルスタッフと司会者自身が驚愕し、出席者からの問い合わせを受けたホテル側が対応に困られたということも伺った。

 それらは、お電話だけではなく、後日にご郵送くださったお礼状にもしたためられてあったが、そのすぐ後に、当日の司会者が所属する事務所の代表と称する方から電話があった。

 「当方は、大阪の多くのホテルさんと提携をしています。担当司会者とホテル担当者から衝撃という声を聞き、是非、御社と業務提携を結ぶことが出来ればと思いまして」

 言葉は丁寧であったが、どうも弊社を下請けにとのお考えを感じてしまう。

 そこで、私は、私が現在プロデューサーとして招聘を受けている全国のいくつかの一流ホテル名を伝えることにした。

 「大変、失礼を申し上げました」

 言葉の豹変である。そして、今度は、懇願の姿勢に変わった。「弊社の司会者を使っていただけませんでしょうか?」と。

 こんなことを電話で進めることではない。少し頭に来た私は、このやりとりを遮る発言をする行動に出ることにした。

 「これまで、400名ぐらいのブライダル司会者を教育してきました。電話1本で数十人なら今でもすぐに揃えることが出来ます。プロデュースの段階で、お客様のイメージに合わせた司会者をキャスティングするのもプロデューサーの仕事。常識ではありませんか? 今、私にオーディションをする時間は全くございません」

 「勉強不足で重ね重ね失礼を申し上げました。なにとぞ、30分だけでもお会いできるお時間を頂戴できれば」

2003/01/14   なんと罰当たりな事を    NO 313

 昔、日本国憲法の暗記に挑戦したことがある。今考えれば何の役に立つのだろうかと思うところだが、講演の際の「枕」に役立つことにはなっている。

 すべては記憶の中で遠いところへ行ってしまっているが、不思議なことに、憲法改正について記された第96条だけは、すらすらと全文が出てくる。

 今日は、そんな憲法に関することをプロローグに、信じられない事実を「独り言」としてしたためます。

 第3章「国民の権利及び義務」の中の第25条は、次のように記されてある。

 『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』

 「最低限度」という言葉の解釈や判断が難しいが、ホームレス生活を余儀なくされている方々が増えている昨今にあって、この条文が空しい響きを呈しているように思えてならない。

 そんな憲法の精神を遵守するためか、社会には「生活保護」という福祉政策が存在している。

 民生児童委員の存在、生活保護、医療保護の言葉などがこれらに充当するのだろうが、我々葬祭業にも組合を通じて、「福祉葬」と呼ばれる葬祭規定が設けられている。

 民生委員や役所からの依頼により、生活困窮家庭の葬儀を担当する訳だが、祭壇、葬祭用具、人件費、霊柩車などを含む葬祭料金が定められ、読経料、文書料及び供物おこが料については決められた金額を業者が立て替え、後日に役所から振り込まれるシステムになっている。

 「読経料」とは宗教者にとって失礼な言葉表現。お経に料金意識など存在せず、「御布施」とするべきだろうが、そこがお役所らしいところ。
遺族が存在する場合は「56,000円」、存在しない場合は「46,000円」と定められ、その差額は納骨ということが原因している。

 正直言って、この金額で宗教者にお願いするのには忍びない。中には「困っている人を救うのが宗教者の仕事だ」と快く引き受けてくださる方もおられるが。

 さて、今日の本題は、ここからである。上記の「遺族がおられない場合」に大きな問題が秘められている。 

 遺族が存在しなければ業者サイドで進めることになり、宗教者を依頼したかどうかが不明となってしまうのである。

 私がこの問題を知ったのは、弊社への入社希望で面接をした人物から聞いた事実であり、採用することはなかったが、本人は、前に在職していた葬儀社での信じられない悪徳行為に良心が咎められて退職したそうで、衝撃的な事実を告発するような勢いで聞かせてくれた。

 ここで、その時のやりとりを会話形式で下記申し上げる。

 「病院から寝台自動車で自社に移送し、死亡から24時間が経過すれば火葬場に向かうだけで、葬儀なんて全くしないのです」

 「お経もなしで?」

 「「そうです。でも、お布施の分は請求していました。これには仕掛けがありましてね。いつも設置してある祭壇の前で写真撮影をするのです」

 「?・・・・」

 「布団や棺の上に被せる金襴の覆いがあるでしょう。あれを髪の薄い社員が身体に巻きつけ、後方から撮影するのです。誰が見てもお寺さんに見えますよ」

 いかがだろうか、これは、詐欺という立派な犯罪である。何より故人に申し訳ないが、日本が文化国家でない証しを物語る寂しくて悲しい現実なのである。

2003/01/13   悩みの解決   NO 312

 NO 308で悩んでいた問題、お願いしていた呉服屋さんが素晴らしい資料を持参され、わざわざ車でご来社くださった。

 形見となったお着物から、形見分けとして小物に作り変える。それらは、完全な「かたち」となってお客様に提案可能な態勢に進むことが出来る。

 スタッフが、早速、システム構築に動き始めたし、過日にご要望のお電話をくださったお客様への対応も出来ることが嬉しい。

 葬儀を終えた数日後に形見分けをされる慣習が全国各地に残っているが、高価な着物でも古い物は虫食いの跡があったりして、引き取り手がないということも起きている。

 また、流行、色、柄、サイズ、好みなどもあって、せっかくの思い出の遺品が生きて活用されないということもある。

 それらが「がま口」や手提げ袋、或いはセカンドバッグになれば見事に生き返ることになり、素晴らしいことではないだろうか。

 我々葬祭業は、利益ゼロというサービスの提案も重要であり、そんな引き出しをいっぱい備えたいものだ。

 過日、東京で、日本トータライフ協会の副理事長、IT理事と議論を交わしてきたが、そこでの会話の中心テーマは葬祭業の20年先ぐらいの問題であり、これらをもしも周囲で聞いていた葬儀社さんがいれば、何の話かさっぱり理解出来ないだろうと思っている。

 今後数年で社葬が衝撃的なほど減少し、近い将来に消滅する。
 葬儀に祭壇が必要なのだろうか?
 義理的会葬者が確実に割愛される時代の到来。
 家族や参列者が全員参加される形式の構築。
 悲しみのプロ・別れのプロ・ケアのプロの必要性。
 悲嘆の理解につとめ、共に悲しみ、思慕感に結ばれていつまでもフォローが出来る。

 上記は、それらのほんの一部だが、これらは誰にも理解可能な問題である。

 深い悲しみにくれた遺族が、寂しさから後追い自殺をしてしまうような悲劇。そんなことが絶対に起きないような責務を抱いた葬儀社の育成。その完成の暁に葬祭業の文化の向上がある。

 日本トータライフ協会は、今、そんな活動を目的にして、メンバー各社の会費で運営される非営利の組織団体なのです。

 お陰様で、12月25日にリニューアル発信されたHPのアクセスが激増し、様々な分野の方々からのお問い合わせを頂戴しています。

 何れは、HPの中に、「悲しい時」「辛い時」は、協会へ。そんなかたちでご訪問いただけるページも創りたいと考えています。

 愛と癒しと思いやり。これらを共有することが集う理念。
ビジネス主義の同業者から異端な存在と言われていたが、最近、そんな言葉に変化が生まれ、次の言葉が加えられているのが面白いところだ。

 「彼らは、真剣だ。本気で進んでいる」

2003/01/12   大阪市立葬祭場 やすらぎ天空館   NO 311

 最近、市立斎場である「やすらぎ天空館」の問い合わせが多く、その大半の方が、弊社が天空館で担当した葬儀に参列された方々で、中には、天空館が弊社の専用式場であると誤解されている人も何人かおられた。

 誤解をされる原因が何かあったのだろうかと考えてみたが、スタッフ会議で得られた結論は、我々が構築した天空館専用のオリジナルサービスシナリオであった。

その中のいくつかは、弊社の知的財産に帰属するものであり、初めてご体感された皆様のご賛同を頂戴することになったようだ。

これらのソフト完成の背景には、日本初となった葬送ブランド「慈曲葬」という、弊社の「ホテル葬」サービスの構築があり、ホスピタリティを重視するクオリティの高い提案が、葬儀に不信感を抱いておられた方々から歓迎されたように思っている。

故人の大切な思い出の写真を多数お預かりし、様々な「かたち」に画像処理を施して編集を行うこともそのひとつ。
一部は、メモリアルコーナーに展示され、また一部は、通夜と葬儀に放映される追憶ビデオに活用される。

人生を表現する葬儀、それは、個性化と多様化ニーズが生まれた葬祭サービスの基本中の基本であり、ご当家担当スタッフが取材させていただいた資料を元にプロデューサーがシナリオ構成し、祭壇のイメージカラー、フラワーアレンジのデザイン、メモリアルコーナーの創作、式次第の革新などにつながり、お通夜と葬儀での異なる生のナレーションが大好評を博していることは、弊社にとって嬉しい限りである。

スタッフ達による手作り的な葬儀は、会場空間を儀式空間として「神変」させるコンセプトから始まり、司会、音楽、照明、音響、ディレクターなど、葬祭業界のトップレベルと呼ばれるプロ達が構築したもの。5年や10年で他社が真似を出来るものではないと自負している。

これらのシステムは、話題を一心に集めている「日本トータライフ協会」の研修会を通じ、全国に点在するメンバー達に活用されているが、いずれの会社もその地域で大好評を博しているとの報告は、理事長という立場にある私の最も嬉しいところでもある。

天空館のオリジナルサービスのひとつに、悲しみの深い葬儀に於ける「星名国際登録」プレゼントがあるが、「天空」の文字のイメージに特別なシナリオを創作し、専用の音楽とビデオ映像を制作したことが相乗効果につながったようだ。

天空館で担当したある葬儀に、大阪の同業者さんが「見学させて欲しい」とやって来られた。私は、「葬儀社ではなく、ひとりの参列者として体感してください」とだけ伝えた。

1時間の葬儀が終わり、ご出棺をされた後、彼はメモリアルコーナーの前で遺品展示物を見ていたが、声を掛けた時に見せた空ろな表情は、彼の衝撃のすべてを物語っているように思えた。

「明日から仕事を辞めたくなりました。こんな葬儀を体感された方々が自社の葬儀に参列されると思ったら恐ろしいです。私の親に不幸があったら、絶対にお願いしたいと本当に思ってしまいました」

私は、そんな彼を愛しく感じ、次のような言葉を掛けた。

「ビデオ制作や画像処理なら、いつでも弊社に来なさい。今日のようなナレーションが必要と言うなら、私が創作してテープに録音してあげるよ」

それから数日後、電話があり、彼を私の隠れ家に案内し、そこにセッティングされてあるシステム器材で制作収録の実際を見せた。

そして、彼は、次のように言った。

 「ここまでシステム化する『プロセス』を学ばなければならないのですね?」

 この言葉にすべてが凝縮されているように思う。
私は、今後、彼が意識改革からの思いを、必ず具現化するだろうと確信した。

※ 本日より、このHP内に、大阪市立葬祭場 やすらぎ天空館の式場案内を開設いたしました。

※ また、日本トータライフ協会のメンバー各社へのリンク、そしてコラム「有為転変」をはじめ、コラム的なものを発信しているメンバーにも直接リンクをいたしております。ご笑覧くださいませ。

2003/01/11   東京にて   NO 310

 東京の郊外の一般道路を車で走った。車の数や渋滞は半端じゃない。大阪なんて足元にも及ばず、東京からすると大阪が完全な「ローカル」だと実感した。

 首都高速の「外環」の制限速度は、80キロ。なのに100キロや120キロで走行しているのが大半。制限速度での走行は流れに乗らず、絶対に危険である。

 関越道も走ってみたが、140キロや150キロでぶっ飛ばす車の多いこと。関西で中国道、西名阪を走行する雰囲気とは全く異なる感じ、「流れ」の速度が20キロはアップしている。

 それにしても車の性能が格段とよくなった。私が運転免許を取得した頃、最高速度性能は130キロ。それが今ではどうだろう。大型トラックでもその程度で走っているし、軽自動車が130や140キロで追い抜いて行くのを見る。

 車内の騒音遮断性能も格段と静かになり、タイヤの性能も見違えるように進化したこともあるだろうが、ハンドルを握る「人」が進歩していないと言えるかも知れない。

 大阪と比べて、東京は、マナーで数段優れているように思える。交差点での右左折車線の遵守は格段の差。車が多く所要時間が掛かることがあっても、関西のような精神的な疲れを感じないのは不思議。

 移動中にびっくりしたのは、道路工事の多さ。高速道路の車線の減少や一般道路の片側通行での渋滞の際、東京の人達は「諦め」のような悟りが自然に備わっているようで、譲り合う光景に人間文化として日本の首都らしい一面を垣間見たように思っている。

 そんな事情で訪問先に到着するのに随分遅くなったが、「東京は、大変でしょう?」という問いに、思わず「大阪の人間だったら切れてしまいますよ」と返してしまった。

 さて、今回の上京で、1時間だけだが娘と孫と昼食を共にすることが出来、久し振りに癒されることになった。

 幼い子供が目の前で食事をする光景。これほど平和で幸せなひとときを味わえることはないだろう。世界中で飢餓に苦しむ子供達のことが報道されているが、それらが愚かな戦争や馬鹿げた独裁者の為すことが原因としたら、来世に地獄が存在することを心底願い、「十王経」にある「閻魔大王」のこの世への出張を頼みたいとも思ってしまう。

 ここで、馬鹿爺振りを披露申し上げる。
 食事が済んで奥のレジでお金を支払い席に戻ってみると、孫がいない。
そこで店内を見渡すと、孫がレジの所へ行っていた。そして次の言葉が聞こえてきた。

 「美味しかったです。ご馳走様でした」
 
 レジの女性に何とも言えない表情が生まれる。周囲のテーブルにおられた10人ぐらいのお客さんもそうだった。

たったこれだけの言葉、そして不器用に頭を下げた姿に、「子供は天使」という言葉を思い浮かべた。

 「よい教育をしている」

 娘にそう伝えた時、娘は「サービス業のプロの孫ですからね」と返してきた。

 孫、3才1ヶ月。前回会った時より成長していた。神仏にただ感謝。

2003/01/09   今日から出張です    NO 309

 今日と明日は、東京のホテル。終われば上越新幹線での移動が控えている。

 四捨五入すれば60という初老の身に、上州の空っ風が厳しいところだ。

 新年が明けてから多くの方が来社された。特に多かったのは、全国の仕入先の担当者で、それぞれが新年の挨拶に続いて葬祭業界の急変について熱く話されたのが印象的。

 そんな中に必然として登場した共通の話題が「日本トータライフ協会」の存在。

昨年のクリスマスの日にリニューアルされたHPに対する同業者の反響が大きいそうで、電話があって注文を期待して訪問すると、協会へ入会するためのコネクションを依頼されるだけだったと、立腹されていた御仁もおられた。

 今年は、協会に加盟希望をされる業者が多いかも知れない。私は、理事長という肩書きを頂戴しているが、単独で入会を認める職務権限は一切ないので誤解されないように願いたい。

 メンバー推薦で審議に入り、論文提出から面接に移ることになっているが、私の心の中に難問があり、その対策に困っている。

 それは、全国で開催された協会研修会で様々な技術研鑽をされたメンバーと、これから入会される方とに生まれる技術的な温度差で、葬祭業に対する誇り、信念、経営哲学だけで簡単に追いつけるものではないという現実である。

 業界雑誌の前々号に、当協会の副理事長の特集記事が10ページぐらい載っていた。それをご覧なられた業者さんが、「衝撃を受けた」と次号の前号に投書されていた。

 こんな思いを抱かれる方が、メンバーとして入会を希望されるなら歓迎だし、上述の心配事を努力でクリアしてくれるだろうと期待も出来る。しかし、ビジネス展開の手段として協会加盟を求められる方が多く、これらが協会役員の悩みの種となっている。

 そこで重要になってくるのが論文と面接。理事長、副理事長の責務は重く、今年は、全国各地に出掛けなければならないことが増えると覚悟している。

 年末から年始に、昨秋の大阪、神戸研修会の収録ビデオをメンバー達に郵送したが、この6時間の映像内容は、今の葬祭業界やホテル業界にあって数百万円の付加価値があると自負している。

 数日前のこと、たまたま懇意にしている2社の仕入先が同時に来社されたので、このビデオの一部を私の隠れ家で笑覧いただいた。

 理解しやすい部分を選び、放映時間は約20分だけだったが、彼らは衝撃の表情を見せられ、「これを販売させていただければ最高なのですが」と揃って言われ、この20分だけでも100万円の値打ちがあるとも言ってくれた。

 映像を見せれば情報が流れる。そんなご心配をされる方もおられるかも知れませんが、技術的にも絶対に真似が出来ない世界。その上に知的所有権の帰属がある。だからオープン化するということをご理解いただければ幸いです。

2003/01/08   スタッフの悩み   NO 308

 葬儀は、終わってからが大変だと言われている。

 近所の挨拶、親戚や参列者への御礼の電話。供花や弔電の御礼に見舞いの御礼など、毎日、それこそ後始末。

そんな中に「知りませんでした」と、弔問の方もやって来られ、何回も同じ臨終時の話をしなければならない。

 そんな頃に併行して七日七日の法要準備をしなければならないし、少し落ち着けば名義の書き替えや様々な法的な手続きも進めなければならない。

 大切な方が存在しなくなったという悲しみの中で、次々に押し寄せる現実に右往左往することになるが、一人の人間を送るということの大切な責務に、存在感の大きなことを思い知らされることになるのです。

 葬儀に疲れ、悲嘆の心境では1冊の本を開かれることさえ苦痛だそうで、弊社では、上述に関する事柄をタイムリーに3日毎の手紙に託し、合計で10通を送付申し上げている。

 さて、そんな中に提案されていたひとつのテーマが、今、スタッフ達の悩みとして問題になっている。

 それは、故人の形見の整理に関するアイデアで、思い出の着物などを小物入れやバッグにする形見分け方法なのだが、呉服屋さんの業界に寒風が吹いている社会状況。これらの対応をしてくださるところが激減して困っているのです。

 数日前、大切なお客様からお電話を頂戴し、お母様のお着物で小物入れを創作し、親しかった方々に贈りたいとのご要望があったのだが、数件のお店に当たってみたが、もうそんなサービスを受けてくださるところが少なくなり、今、私の友人の呉服屋さんに調査をお願いしているところである。

 これまでに何度かお応えしたこのサービスは大好評。贈った人と送られた人の両者から喜ばれていたのに、気がつけば産業に変化が生じている。インターネットで調べているスタッフも苦労しているようだ。

 そんなサービスを「かたち」として具現化くださるお店があれば、是非ご紹介をいただきたいのです。

 故人とえにしに結ばれた方々に、思い出を形見として差し上げることは素晴らしく、弊社の企業理念の一つでもあり、この「独り言」をご笑覧くださるお方で、「こんなお店の存在が」という情報を頂戴出来れば嬉しいところです。

葬儀に付随するサービスが多様化してきています。既成概念に捉われず、新しい発想が求められています。

これからの時代の葬祭サービス提供のキーワードは「愛」「癒し」「思いやり」で、社会の賛同と歓迎を頂戴することが葬祭業の存在価値につながり、その先に私達「別れ」と「悲しみ」のプロの文化創造があるのです。

 私なら「こんな発想が」。そんなご意見やアイデアがございましたら、是非、お教えいただきたいものです。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

2003/01/07   歪みの震度    NO 307

 お寺や地域会館での葬儀で、この十数年で大きく変化していることがある。

 司会者の開式の辞で葬儀式が始まる。導師を中心に宗教者のご読経の声がスピーカーから流れる。

 10年ぐらい前だったら、「お経の声が小さいぞ」と、一般会葬者の方からのご指摘があったが、最近は、全くないだけではなく、「もっとボリュームを落としてくれ」という声が多くなってきたのである。

 当時の宗教者は、「引導の時は、全会葬者に聞こえるように」と要望されることも多く、音響担当者が神経を遣っていたのが懐かしい。

 特にお寺での葬儀では、ご住職の奥様が会葬者側でチェックをされ、アップダウンの合図をいただいたこともあった。

 それが今ではどうだろう。「近所がうるさいの」と、迷惑を掛けないように最小限の音声に絞っている時代。人の終焉を送る葬儀の、こんなところにも変化が生じてきているのである。

 今や世の中は、如何に葬儀と言えども「お互い様感情」が稀薄し、近所迷惑の上に成り立つ発想が求められる時代。

式場となるご自宅やお寺のご近所挨拶に伺うと、これらの抵抗感が顕著となってきている。

 地域会館やお寺の近所の方々に生じる苦情や鬱憤の解消。これらは、挨拶回りを担当する女性スタッフの重要な仕事になってきている。

 一方で、自宅で行われるケースが少なくなっているが、お互い様感情の稀薄は意外なところにも影響がある。

それは、特に新興住宅地で発生している問題で、宗教者の控え室としてご近所の何処かを拝借するのに、プライベート部分で抵抗があるからとお断りをされることが多くなっており、親戚さん達でごったがえす部屋の片隅で着替えという悲喜劇が起きている。

 古い昔の話だが、自宅葬が大半であった時代、宗教が異なっていても「当家がお寺様の控え室を提供します」というお申し出が多くあり、宗教者の方も、宗派の異なりを超越され、控え室に仏壇がある場合など礼節を持って積極的にご対応されていたものだ。

 今、大都市圏の葬儀は簡略化が進みつつあり、葬儀の意義さえ危ぶまれるほど変化してきている。

 我々葬祭業者や宗教者に対する社会の抵抗感が想像以上に強い。遺族の悲しみを理解する努力もしないで葬送ビジネスを進めてきた葬祭業界と宗教者。今、確実に「歪み」としての震度を感じているこの頃。

 今、私は、日本トータライフ協会の若いメンバー達の活躍に心から期待を寄せている。

2003/01/06   テレホン相談    NO 306

 ラジオやテレビの放送でもテレホン相談の番組が多いが、これだけ携帯電話が普及し、IT社会になれば様々な相談窓口が増えてくる。

 数日前の新聞に「多重債務者の救済相談窓口」というキャッチフレーズで、入会金を集める悪質なビジネスが紹介されていたが、被害者は、二重、三重の苦しみを味わうことになって気の毒な話である。

 我々葬祭業者にも様々な電話相談が入ってくる。
匿名の場合に多いのは、葬儀の費用とお布施の金額問題。そして、互助会の解約方法の問い合わせが増えている。
次に多いのが祝儀、不祝儀の表書きの問い合わせで、仏壇や建碑の際の水引作法や金額も伴ってくるが、一般常識の範囲なのにということが少なくない。

 友人の弁護士が言っていたが、無料相談会が開かれていても電話での相談が大半だそうで、やはり悩み事や相談事は対面を避けたいということが強いようだ。

 さて、弊社の女性スタッフが葉書サイズのシールを持っていた。そこには相談ダイヤルとして、次のような番号案内が記載されていた。

 困り事・悩み事の総合相談(大阪府警察本部) 
     プッシュ式   ♯9110
     ダイヤル式   06−6941−0030
 
 高齢者総合相談(大阪府高齢者総合相談情報センター ・ 一般・介護他)
             06−6543−8181
        (財団法人 大阪市ホームヘルプ協会 専門相談・住宅改造)
             06−6543−8341
 
いのちの電話相談
             06−6309−1121
 
 女性の悩み相談(ドーンセンター)
             06−6937−7800

 教育の悩み相談(大阪府教育センター)
             06−6692−1882

 欠陥商品・悪徳商法の相談(大阪府消費者センター)
             06−6262−4771

 仏事・信仰・人生相談(大阪仏教テレホン相談室)月曜日から金曜日 午後2時〜5時
             06−6245−5110
    月曜日  天台宗・真言宗
    火曜日  臨済宗・曹洞宗・黄檗宗
    水曜日  日蓮宗
    木曜日  浄土宗・融通念仏宗 
    金曜日  浄土真宗本願寺派・真宗大谷派

 上記の仏教テレホン相談室の広報フレーズに「話せば、心も軽くなる」とあり、「仏事相談、信仰相談、その他あらゆる人生相談を、十宗派の僧侶がお受けします」とあったが、相談窓口を担当している僧侶に伺ったところ、定期便のように毎日苦しみを訴えてこられる人もあるそうで、宗教の異なりによる結婚の悩みが以外に多いことも知った。

2003/01/05   寒い日の熱いスタッフ   NO 305

 今日の大阪は、今冬一番の冷え込み。水溜りが凍り、強くて冷たい風が体感温度を下げ、10分も歩けば凍りつきそうな寒さだった。

 こんなことを書けば、北海道のメンバーに叱られる。日中の最高気温がマイナス10度という日もあるそうで、涙さえ凍ってしまう酷寒の世界は想像を絶するものだそうだ。

 式場の入り口を掃き清め、水を打つことも行っているが、「厳寒」の日の「玄関」に水は禁物、ケガ人が続出して責任問題に発展する恐れがある。

 そんな中、弊社のミス・ホスピタリティが、お客様の打ち合わせを終えて帰社した。ご当家では人の出入りが激しくて暖房設備が間に合わず、家の中で皆さんが震えておられたとのこと。式場に行く前、ご自宅に暖房設備を届けなければと言っていた。

 彼女が預かってきたお写真を拝見したスタッフの誰もが、失礼なことだが「かわいいお爺ちゃん」と言った。上品なお顔立ちで、元はある大学の理事長さんだったお方。「そんな感じがするね」と女性スタッフの会話が弾んでいた。

 さて、年末、弊社に新人が入社。変わった経歴の持ち主で、仏教系の大学を卒業して僧侶の道を進み、脇導師の経験を80回ぐらいしてきたが、「何かがおかしい」と疑問を抱きながら日々を過ごしていた時、ふと、弊社のHPと遭遇し、入社するという仏縁になった。

 人事担当の室長が面接を終え、本人が帰って行った後、すぐに電話が掛かってきた。

 「私、面接の際、室長に何処かでお会いしたことがあると思っていたのですが、やっと思い出しました」

 彼は、室長の後輩で、学生時代に企画室長の下宿に行ったことがあると思い出したそうだ。

 「今の葬儀には、矛盾があります」

 初出社の日、彼は、そんな素朴な悩みを私にぶつけてきた。

私は、「宗教者側から考えるから見えない。遺族や参列者の立場で客観的に考え、葬儀社という中立的なところで判断すれば確実に見える」と教え、研修用のビデオ映像を見せながら、疑問が生じる問題点を共に分析していった。

「少し見えました。やはり、今の葬儀はおかしいですよ。このままでは、お寺の存在価値が下がる一方です。キーワードが見つかったような思いがします」

 彼は、現代葬儀に於ける宗教者の危機感を強く抱いていたようで、無宗教形式が潮流となっている背景を説くと、納得しながらも、「このままではいけない」という思いを表面に出してきた。

 導師は、これからの時代の通夜や葬儀で何を行うべきなのか。彼は、僧として行動していた時、若い僧侶達と何度も論議を交わしたそうで、いつも危機感に到達し、そこから前へ進めなかったと語ってくれた。

 弊社の社員として葬儀に従事し、葬儀の意義についての新しい発見でもあればとエールを贈っている。

2003/01/04   サービス提供 スタート   NO 304

 事務所に立ち寄ってスタッフの机に座る。数人の年始の挨拶が済むとお茶と灰皿が運ばれてきた。 

 「灰皿は、いらないよ」

 かっこいい言葉ではないか。「失礼いたしました」と返してくれた女性スタッフ。
 <いつまで続くかな? 無理だと思いますよ>という表情を見せたような気もする。

 自宅や事務所に配達されてきた年賀状に目を通す。知らない方からが、かなり増えている。その大半が「独り言」でのつながり。返信を準備しなければならないが有り難いことではないか。

 また、毎年いただく方々の中にも、「独り言を見ています」「コラム 有為転変が面白いです」としたためられたものが多くあった。

 昨年末、仕入先関係者が暮れの挨拶に次々に来てくださったが、我々協会メンバーが発信している下記のコラム「モドキ」の話題で共通していた。

 北海道  苫小牧・室蘭市民斎場    「めもりあるトピックス」
 東 京  井口葬儀店・kkエチュード 「国分寺通信」
 東 京  杉田フューネス       「杉田伊紗武の癒しの扉」
 東 京  日本トータライフ協会    「必見 コラム 有為転変」
 高 知  おかざき葬儀社       「ほっと一息」 
 熊 本  落合葬儀社         「もっこすかわら版」 

 不定期更新もあるが、それぞれが個性的な書き込みを発信しており、かなりの訪問者数があると聞き及んでいる。意外なほど皆さんが覗いてくださっているのだ。

 日本トータライフ協会の「有為転変」がスタートしたのは、1月22日。もうすぐ1年を迎えるが、今日の発信番号は「347号」。

コラム委員会に属するメンバー達が苦労して毎日発信。1月22日に「365号」を迎えるが、本来は「366号」になる筈。

過去に1日だけ発信出来なかったことがあった。それは、確か研修会の日で、大きな台風の襲来でスケジュールが混乱するという事情からだった。

 昨年は、何度も台風に泣かされた。北海道、東京、福島、四国、九州など、予定変更を余儀なくされたことが何度あっただろうか。

自然に勝つことは出来ない。そこで、「台風さん、今年は、どうぞお手柔らかに」と願いたいもの。

さて、弊社のフル回転機能は、仕入先関係の確保も含め明後日の6日にすべてが整う。そこから全スタッフの活動が始まる。
 
 スタッフに対する不変のテーマ「愛と癒しの思いやり」。そんなサービス提供が、去年よりグレードアップしてくれることを願っている。

2003/01/03   三日坊主   NO 303

 午前0時を回り、除夜の鐘に思いを託して誓ったこと、それは、恥ずかしいレベルで恐縮だが、禁煙に挑んでいるということなのです。

 イライラする、それは、絶対で確か。何とか自身の手を煩わせるようなことを探し出し、タバコとの生活リズムから離れようと努力する。

 20数年前に止めたこともあった。そのきっかけは、江戸っ子の友人に「文化人じゃねえな」と言われたこと。

止めて半年ぐらいで体重が6キロも増え、また喫煙の道へ戻ってしまった。

 今日で3日目。最も辛いことは、原稿を創作する時間。ないものを想像する場合の永年のリズムに喫煙が入っており、それが昨年末まで脱却出来なかったということ。

 新幹線「のぞみ」は16両だが、その内の11両が禁煙車両。今や、そんな社会になっている。レストランや喫茶店、また、ホテルの宿泊でも禁煙フロアが存在している時代。肩身の狭い思いをしている喫煙者の会話が多くなっている。

 「イライラしたら血圧が上がるぞ。逆に身体に悪いかも」

 そんな言葉を掛けてくださる方もおられる。しかし、もう、遵守しなければならない事情がある。社員にも、日本トータライフ協会のメンバー掲示板にも宣言してしまったではないか。

ここで破れば今後の一生の恥。それ以上に、この「独り言」に、今、書いているではないか。

 2002年が過ぎた。永年連れ添ってきた「ハイライト」を去って行かせた。

何を未練がましいことをとお思いでしょうが、考えてみれば、地球環境に悪いことをしてきたと反省しなければならないし、周囲の方々に多大な迷惑を及ぼしてきたことにもなるだろう。

私は、最近の司会で「司式」バージョンにつとめている。それは、無宗教形式の流行も背景にあるが、それだけではなく、葬儀の進行というものが「単なる司会であってはならない」ことを学んだからである。

人は、苦しみや悲しみに出合うことで「やさしさ」を身に付けて行くそうだ。
前にも書いたが、「優しい」の文字は「人を憂う」という意味。

 司式への意識改革にあって、自身の苦しみも上述の条件となり勉強である。
永年頑固に愛した「ハイライト」との別れは辛いものだが、大切な方を亡くされた方々のことを思えば天と地の格差がある。

 こんなつまらないことで「独り言」の1日を費やすなと、お叱りを受けるかも知れませんが、とにかく、禁煙に突入しました。三日坊主と呼ばれないように努力いたします。

2003/01/02   蒲鉾の味   NO 302

 正月が来る度に思い出す、忘れられない葬儀がある。

 電話があったのは、年末の29日。慌しい口振りで「近所に分からんように、内緒で来てくれ」。

 相手さんは大きな商店。野菜、魚、乾物など正月用の食品が店頭に並べられ、多くの買い物客でごった返しているが、それだけで事情を察することが出来るだろう。

通夜や葬儀となれば店を閉めなければならず、仕入れた生鮮商品が大変なことになるということだ。

 喪主となる社長の顔を知っていたが、さすがに大阪商人、次々にお客さんを捌く目が血走っている。

 しばらくすると私に気付き、奥の事務所にと、目で合図を送ってこられた。

 お母さんが自宅で亡くなられたという葬儀。その打ち合わせの冒頭で飛び出したのが日程で、通例なら30日に通夜、31日に葬儀ということになるが、1月1日に通夜、1月2日の午後1時から2時という決定が下された。

 「それまでは、どんなことがあっても知られたくない。親不孝と思われるかも知れないが、母親もきっと分かってくれる筈」

 社長は、そんな思いに併せ、「1月31日、紅白歌合戦の終盤の頃に亡くなったというストーリーで頼むわ」とおっしゃった。

 そのシナリオ構成には、臨終を看取られた医師まで巻き込まれていた。

死亡届での死亡日時は正しく記載され、表向きの部分では秘密のベールで包むという協力をすることになった。
 
 困る問題がお寺さん。枕経は深夜にスーツ姿でということになり、お経は小声で、鉦の音は禁止となってしまった。

 念には念をと、私が帰る際、大きな買い物袋を持たされることになったが、その中には、高価な蒲鉾がいっぱい入れられてあり、社長が「特別サービスや」と、ニコッと笑顔を見せられたが、買収されたような思いを抱く経験でもあった。

 その葬儀は、確かに完全犯罪?のように済んだかに見えた。しかし、葬儀の終了後、それを暴露した人物がいたのである。

 犯人は、喪主である社長自身。精進揚げの席の挨拶で、自分が商売人であるとの自慢話がエスカレート。ばれてしまったのである。

2003/01/01   迎春に合掌しました   NO 301

 除夜の鐘のお手伝い。その後、祈りと誓いの心を込めて突かせていただいたが、今回は、これまでより良い響きに聞こえた。

 お寺には「お十夜」や「お施餓鬼」で供養された「塔婆」が多くあるが、記された戒名や檀家さんの先祖代々の文字を目に、一枚ずつに黙礼をしながら恒例の焚き上げを手伝ったが、その中には、私が担当というご仏縁をお結びいただいた方のものもあった筈。

葬儀の司会者が、こんなかたちで故人と何年も「えにし」が続くことも意義深いような思いを抱くし、お墓のある境内で鐘の音を聞きながら火の側にいると、私の人生がまさに「葬送の世界」に生かされていることを実感することになる。

紆余曲折の人生模様、「苦」と「楽」の幅。また、「悲」と「喜」の幅は、それらを体験した人の感性の異なりによって大きな差異が生じるもの。

 往復のタクシーの運転手さんから拝聴した不景気な現況報告。「日本は、地獄でっせ」と発せられた言葉に、「北朝鮮の国民からすれば、極楽では」と、つい返してしまった。

 自宅に帰り、軽い食事を済ませて銭湯に急ぐ。時計を見れば午前2時前。今日だけ延長された営業時間の終了間際。
「女湯の方は、まだ、多く入っていますから、ゆっくりしてください」

 そんなお言葉に甘えて浴室に入ると、シャンプー中の若い男性が一人だけ。

 今日の日変わり湯は、メイン浴槽が「ゆず風呂」。温めのセカンド浴槽は「酒湯」とあり、数升のお酒が湯に入っている。

 冷えた身体が少しずつ温まる。その頃には、若い男性が脱衣場にあがり、着替えて新聞を読んでいる様子。男湯は、私だけで心細いが、女湯からの会話が聞こえ、まだ、数人はおられるようで、結構賑やか。子供の声も混じる。

そこに少しの時間の余裕を感じた時、<ここにも素晴らしい極楽があるではないか>と、ふと思う。

 照明が少し落とされた湯気空間。そこは、まさに「悠々」たる極楽空間。愉悦の「愉」が「湯」によってもたらされる贅沢。「ちょっと間」の幸せのひととき。しかし、時間が止まることはない。

 風呂上がりの脱衣場で、缶ビールをいただいた。これは、また格別の味。ここにも天国を感じるものがあるではないか。

昨年の秋、この銭湯のご主人さんが亡くなられたが、ご主人は、ビールが大好きな方だった。献杯を捧げていただいてきた。

 夜が明ければ、「愛と癒しの葬儀」を目指す「別れと悲しみ」のプロとしての仕事が始まるが、今年は、昨年より少しでも「人に優しく接する努力をしよう」と思っている。


  [最新のコラム] このページのTOP▲